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十牛図入門: 「新しい自分」への道 (幻冬舎新書 よ 2-1) 新書 – 2008/3/1
横山 紘一
(著)
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- 本の長さ205ページ
- 言語日本語
- 出版社幻冬舎
- 発売日2008/3/1
- ISBN-104344980778
- ISBN-13978-4344980778
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登録情報
- 出版社 : 幻冬舎 (2008/3/1)
- 発売日 : 2008/3/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 205ページ
- ISBN-10 : 4344980778
- ISBN-13 : 978-4344980778
- Amazon 売れ筋ランキング: - 64,313位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年3月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
十牛図の入門書と銘打っているが、むしろ十牛図をとおした唯識論の解説書。このため、十牛図そのものの詳しい解説ではない。その唯識の解説はかなり平易で入門者向けであるが、外界には何もなく識のみなのと、一歩譲って(引用)外界があるとしても認識しているのは心の中の像にすぎないのとは同じではない。また人生の目的として「自己究明」「生死解決」「他者救済」を挙げている。これは善きことであるが、他者は存在はしているのか。
初めて唯識に触れるには良書と思うが、それが“そのようなつもりで生きるのが善い”のか“本当にそうである”のか“本当のことなど無い”のか、深い問題の入り口にもなっている。西洋哲学も引用されているが、本書では到底完結せず様々な角度から考えてみるきっかけになればいいと、そういう入門書であろう。
初めて唯識に触れるには良書と思うが、それが“そのようなつもりで生きるのが善い”のか“本当にそうである”のか“本当のことなど無い”のか、深い問題の入り口にもなっている。西洋哲学も引用されているが、本書では到底完結せず様々な角度から考えてみるきっかけになればいいと、そういう入門書であろう。
2015年6月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あえてわかりづらい例を挙げて、難解に論じているような気がします。
2023年1月17日に日本でレビュー済み
新書版仏教書の傑作である。
正直、すごい本である。
まず、個人的な話で恐縮なのだが、愚生は自閉スペクトラム症と統合失調症と軽度の鬱病に罹患しており、人生で二度、首を吊ったことがある。
此処までゆかなくとも、現代人のおおくは、仏陀のいう『一切皆苦』つまり、人生のすべては苦しみである、という言葉は、容易に理解できるであろう。
たとえば、アドラーは『すべての苦しみは人間関係の苦しみである』というように標榜していた。
其処で、最近、愚生は、カント研究者である中島義道氏の書籍を読み、『他者とはつまりカントのいう表象(現実には触れられない実体の蔭のようなもの)であり、意味のかたまりでしかない』のだから、『他者をこころのなかで殲滅』すれば、人間関係で苦しむ必要はない、という思想に出逢った。
中島義道氏は、幼少期より『死ぬ』ことに病的な恐怖をいだいており、中島氏にとって、最後の問題は『死』をどう解決するかということになった。
斯様にして、七十歳をこえた中島義道氏の逢着したこたえが、『そもそも、すべての苦しみは『わたしが存在する』という妄想が原因なので、『わたしは存在しない』という事実に気付けば、すべての苦しみはなくなる』というものであった。
畢竟、『わたしは存在しない』のだから、『死』、すくなくとも『わたしの死』などというものは論理的に存在しないことになる。
といえども、中島氏の理窟は、いささか飛躍しすぎており、『なぜわたしは存在しないのか』という理論が剥落していた。
其処で想起したのが、曩時に購入していた本書『十牛図入門』である。
ぱらぱらとめくってみると、『なぜわたしは存在しないのか』というこたえは簡単に明示されていた。
つまり、『縁起』である。
『わたし』は、万物との縁起=関係性によって『存在するようにおもわれている』だけであって、実際に存在するのは『縁起=関係性』でしかない。
たとえば、肉体や脳髄が、わたしのこころや意識をつくっているとして、その根源は、毎日新陳代謝している物質による縁起=関係性でしかない。
本書では、『わたしのみならず『自然』『万物』『宇宙』そのものが縁起=関係性であり、実際には存在しない』というのだから、前述した『人間関係の苦しみ』についても、理窟としては『存在しない』ことになる。
この単純なる事実に気付いたときの心境を、『十牛図』では、『空白の円』としてえがいている。
まさに『わたしは空白』であり、『わたしは存在しない』のだから、『わたしが苦しむこと』はなく、『わたしが死ぬこと』さえない。
本書を読むと、般若心経において『観自在菩薩』が『度一切苦厄』した理由も簡単にわかる。
観自在菩薩は『五蘊(わたしのすべて)は皆空』であるから一切の苦厄からのがれたというが、この『空』とは、語弊を厭わずにいえば、『縁起=関係性』に相違ないのだ。
結局のところ、『それらはすべて理窟じゃないか』といわれるかもしれない。
実際に、『わたしのすべてが縁起=関係性にすぎない』ことは理解できても、肉体をもった『わたし』がそれを『実感』するのはむずかしいかもしれない。
が、本書に『納得することがそれだけで悟りなのだ』というように書かれているように、『十牛図』の牧人とおなじく、われわれが『牛』=『わたし』=『縁起』をもとめる第一歩をふみだす道標にはなるかとおもわれる。
新書なので、あまりに平易な文章で書かれているが、本統に必要としている読者諸賢にとって、本書は重要な一冊となるだろう。
正直、すごい本である。
まず、個人的な話で恐縮なのだが、愚生は自閉スペクトラム症と統合失調症と軽度の鬱病に罹患しており、人生で二度、首を吊ったことがある。
此処までゆかなくとも、現代人のおおくは、仏陀のいう『一切皆苦』つまり、人生のすべては苦しみである、という言葉は、容易に理解できるであろう。
たとえば、アドラーは『すべての苦しみは人間関係の苦しみである』というように標榜していた。
其処で、最近、愚生は、カント研究者である中島義道氏の書籍を読み、『他者とはつまりカントのいう表象(現実には触れられない実体の蔭のようなもの)であり、意味のかたまりでしかない』のだから、『他者をこころのなかで殲滅』すれば、人間関係で苦しむ必要はない、という思想に出逢った。
中島義道氏は、幼少期より『死ぬ』ことに病的な恐怖をいだいており、中島氏にとって、最後の問題は『死』をどう解決するかということになった。
斯様にして、七十歳をこえた中島義道氏の逢着したこたえが、『そもそも、すべての苦しみは『わたしが存在する』という妄想が原因なので、『わたしは存在しない』という事実に気付けば、すべての苦しみはなくなる』というものであった。
畢竟、『わたしは存在しない』のだから、『死』、すくなくとも『わたしの死』などというものは論理的に存在しないことになる。
といえども、中島氏の理窟は、いささか飛躍しすぎており、『なぜわたしは存在しないのか』という理論が剥落していた。
其処で想起したのが、曩時に購入していた本書『十牛図入門』である。
ぱらぱらとめくってみると、『なぜわたしは存在しないのか』というこたえは簡単に明示されていた。
つまり、『縁起』である。
『わたし』は、万物との縁起=関係性によって『存在するようにおもわれている』だけであって、実際に存在するのは『縁起=関係性』でしかない。
たとえば、肉体や脳髄が、わたしのこころや意識をつくっているとして、その根源は、毎日新陳代謝している物質による縁起=関係性でしかない。
本書では、『わたしのみならず『自然』『万物』『宇宙』そのものが縁起=関係性であり、実際には存在しない』というのだから、前述した『人間関係の苦しみ』についても、理窟としては『存在しない』ことになる。
この単純なる事実に気付いたときの心境を、『十牛図』では、『空白の円』としてえがいている。
まさに『わたしは空白』であり、『わたしは存在しない』のだから、『わたしが苦しむこと』はなく、『わたしが死ぬこと』さえない。
本書を読むと、般若心経において『観自在菩薩』が『度一切苦厄』した理由も簡単にわかる。
観自在菩薩は『五蘊(わたしのすべて)は皆空』であるから一切の苦厄からのがれたというが、この『空』とは、語弊を厭わずにいえば、『縁起=関係性』に相違ないのだ。
結局のところ、『それらはすべて理窟じゃないか』といわれるかもしれない。
実際に、『わたしのすべてが縁起=関係性にすぎない』ことは理解できても、肉体をもった『わたし』がそれを『実感』するのはむずかしいかもしれない。
が、本書に『納得することがそれだけで悟りなのだ』というように書かれているように、『十牛図』の牧人とおなじく、われわれが『牛』=『わたし』=『縁起』をもとめる第一歩をふみだす道標にはなるかとおもわれる。
新書なので、あまりに平易な文章で書かれているが、本統に必要としている読者諸賢にとって、本書は重要な一冊となるだろう。
2019年8月19日に日本でレビュー済み
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一般の市民のために大変優しく書いてあることは、素晴らしと思います。
2015年11月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
深く難解な唯識論。専門用語の多さに目を回していましたが、この本を読んだ後はスーッと腑に落ちるかのように唯識というものが理解できて来たように感じます。
2013年9月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の旧作からの抜粋?
結果として、旧作では目立たなかった論理的におかしな点、著者の唯識に対する盲信や自然科学へのコンプレックス等が私のカルマを刺激した。
他の方のレビューにあるように、入門ではない。
牧牛の章は良かった。
結果として、旧作では目立たなかった論理的におかしな点、著者の唯識に対する盲信や自然科学へのコンプレックス等が私のカルマを刺激した。
他の方のレビューにあるように、入門ではない。
牧牛の章は良かった。
2010年2月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
不立文字教外別伝の立場による十牛図を唯識論で述べた著作である。が、唯識論の説明に十牛図を使ってるんではなかろうか?と思わざるを得ない程判りにくいものになってしまっている。
これでは自己を探す道のりの途中に道路標識がありすぎて、逆に迷ってしまうようなものである。
とは言え述べている内容がずれている訳ではないので何度も読み直しながら禅本来の教外別伝に合わせてみると良いでしょう。
これでは自己を探す道のりの途中に道路標識がありすぎて、逆に迷ってしまうようなものである。
とは言え述べている内容がずれている訳ではないので何度も読み直しながら禅本来の教外別伝に合わせてみると良いでしょう。