無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
国語辞典の名語釈 単行本 – 2002/12/1
武藤 康史
(著)
- 本の長さ221ページ
- 言語日本語
- 出版社三省堂
- 発売日2002/12/1
- ISBN-104385360944
- ISBN-13978-4385360942
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
「うまい!」と言いたくなるような語釈が、国語辞典には昔からたくさんあった。古今東西の国語辞典の中から、各々の時代を代表する個性的語釈について、時代背景や当時の流行、楽しいエピソード等を紹介する。
登録情報
- 出版社 : 三省堂 (2002/12/1)
- 発売日 : 2002/12/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 221ページ
- ISBN-10 : 4385360944
- ISBN-13 : 978-4385360942
- Amazon 売れ筋ランキング: - 919,717位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
星5つ中4.5つ
5つのうち4.5つ
3グローバルレーティング
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2003年1月2日に日本でレビュー済み
何かで辞書や事典を引いて調べながら、つい当初の目的とは違う項目を読みふけってしまうような人にはたまらない本です。また、辞書の説明は一つの説でしかないと割り切り、常に批判的に読む人に打ってつけの本でもあります。その上、辞書作りの裏話もあり、辞書好きにとって必読書です。赤瀬川原平氏『新解さんの謎』を気に入った方は、きっと面白く読めると思います。
2016年3月28日に日本でレビュー済み
先に出版された単行本(三省堂2002)にはない、辞書好きな人や辞書研究家には本当にありがたい内容が、ちくま学芸文庫版の巻末には載っています。
「国語辞典年表」です。
この巻末付録、と呼んでは申し訳ないほどの貴重な資料、があるちくま学芸文庫版を買うことを強くお勧めします。
辞書の好きな人ならば、すでにお持ちかもしれませんが、この文庫本は、将来絶版となった後でも古書を探して入手すべき名著だと思います。
「国語辞典年表」です。
この巻末付録、と呼んでは申し訳ないほどの貴重な資料、があるちくま学芸文庫版を買うことを強くお勧めします。
辞書の好きな人ならば、すでにお持ちかもしれませんが、この文庫本は、将来絶版となった後でも古書を探して入手すべき名著だと思います。
2009年2月16日に日本でレビュー済み
山村修『
“狐”が選んだ入門書
』で冒頭に取り上げられていたので読んだ。
実は中学生の頃、どこかで「詩人は辞書を読む」という話を聞き齧り、いや詩人を志していたわけでもないのだが、辞書通読を企てたことがある。すぐ挫折した。
私たち凡俗にとって、辞書を摘読することさえ苦行に類する。況や複数の辞書を玩味し立項された語彙語釈を比較対照し、各々の特質や系譜や影響関係を明らかにし論じるに至っては……
世に辞書マニアというものが存在すると耳にしたことはあるが、これはマニアなどとふやけた言葉の圏域には既にない。巻末に掲げられた「国語辞典年表」にサラリと引かれている矢印の1本1本が、その背後に隠れる気の遠くなるような時間の重みで撓んで見える。歴代の辞書編纂者たち、すなわち当代の碩学たちでさえ、ここまで辞書群を踏査した者は稀ではないのか?
異形である……いや、間違えた、偉業である。
「『日本国語大辞典』第二版に至る道」からは辞書編纂者相互の用例掲示を巡る暗闘が伺える。「『袖珍コンサイス和英辞典』に引かれた日本語の用例」では復刻された大正11年のコンサイス和英採録の語彙から当時の国語辞典に漏れた項目を探り、時代の変遷とともに言葉がいかに忘却の淵に沈むかに思いを致させる。「捕鼠」の語から落語「薮入り」に跳ぶ件りが、特に凄い(p211)。
しかしつくづく、自分が「辞書の人」じゃないってことを思い知らされました。そういう意味では、残酷な本でもある。
実は中学生の頃、どこかで「詩人は辞書を読む」という話を聞き齧り、いや詩人を志していたわけでもないのだが、辞書通読を企てたことがある。すぐ挫折した。
私たち凡俗にとって、辞書を摘読することさえ苦行に類する。況や複数の辞書を玩味し立項された語彙語釈を比較対照し、各々の特質や系譜や影響関係を明らかにし論じるに至っては……
世に辞書マニアというものが存在すると耳にしたことはあるが、これはマニアなどとふやけた言葉の圏域には既にない。巻末に掲げられた「国語辞典年表」にサラリと引かれている矢印の1本1本が、その背後に隠れる気の遠くなるような時間の重みで撓んで見える。歴代の辞書編纂者たち、すなわち当代の碩学たちでさえ、ここまで辞書群を踏査した者は稀ではないのか?
異形である……いや、間違えた、偉業である。
「『日本国語大辞典』第二版に至る道」からは辞書編纂者相互の用例掲示を巡る暗闘が伺える。「『袖珍コンサイス和英辞典』に引かれた日本語の用例」では復刻された大正11年のコンサイス和英採録の語彙から当時の国語辞典に漏れた項目を探り、時代の変遷とともに言葉がいかに忘却の淵に沈むかに思いを致させる。「捕鼠」の語から落語「薮入り」に跳ぶ件りが、特に凄い(p211)。
しかしつくづく、自分が「辞書の人」じゃないってことを思い知らされました。そういう意味では、残酷な本でもある。