これまでに読んだフーコー入門書は内田隆三『ミシェル・フーコー』(講談社現代新書)、For Beginnersシリーズの『フーコー』(現代書館)、中山 元『フーコー入門』(ちくま新書)、および本書の計4冊。
その中で本書の特徴は収録されている写真・図版が最も多いということ。フーコー自身の姿だけでなく、アルチュセールやドゥルーズなど関係のあった他の思想家や、著書の原書や雑誌特集号の表紙などの写真も豊富で、パラパラ眺めるだけでも結構面白い。
文章の方は、良く言えば「客観的」、悪く言えば「平板」な記述で、可もなく不可もなくと言ったところ。何故か、故人であるフーコーの経歴を述べている文章に「のちに〜することになるであろう。」なんていう未来形のような表現を使っているのが不思議だった。著者名には今村仁司氏の名前も見えるが、執筆分担が明記されていないので、おそらく晩年の今村氏が名前を貸しただけで、おそらく実際の執筆は全巻栗原氏によるものであろう。途中で文体の変化は無い。
わかりやすさの順位づけをするならば、中山>本書>For Beginners>>内田であろうか。
ただ「思想はともかくフーコーの人となりを知りたい」って野次馬的興味を持つ向きには、For Beginners が他書に無いゴシップ的なネタも含まれていて一番面白いかもしれない。
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フーコー (センチュリーブックス 人と思想 158) 単行本 – 1999/5/25
- ISBN-104389411586
- ISBN-13978-4389411589
- 出版社清水書院
- 発売日1999/5/25
- 言語日本語
- 本の長さ220ページ
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
フーコーの思想を理解するために、第1部の生涯編においてその時代背景や数々の知的交流を紹介し、第2部の思想編においては彼が投げかけた哲学的諸問題とその変遷をたどる。
登録情報
- 出版社 : 清水書院 (1999/5/25)
- 発売日 : 1999/5/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 220ページ
- ISBN-10 : 4389411586
- ISBN-13 : 978-4389411589
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,572,700位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,179位フランス・オランダの思想
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年6月1日に日本でレビュー済み
コンパクトにフーコーの生涯と思想を紹介しています。といってフーコーの魅力を縮減するやり方によってではありません。フーコーという卓越した知性の魅力をいかにしたらわかってもらえるかという気遣いが本書全体には伏流しています。
フーコーの思索は、同時代のレヴィナスやレヴィ=ストロース、あるいはニーチェやマルクスのように物事を根源的に考えるという構えを特徴としています。
フーコーの研究経歴は、科学史の領域から始まりました。自明のものとされている諸科学がどういう社会的要因に条件づけられて生まれたのかを考究しています。言い換えれば、自分の「今・ここ」を他の時代・社会に拡大適用してそれらの時代や社会を理解するのではなく、自分の枠組みを一時的にかっこに入れて、諸制度はどのように誕生・生成したのかを考える営みです。
フーコーの発明した思索の道具は、個人であれ社会であれ、私たちがどのような社会的枠組みに繋縛されているのかを意識に前景化するのを助けてくれます。自分の「今・ここ」の枠組みを同時代の他人にであれ、あるいは過去の他人にであれエゴサントリックに拡大適用するふるまいを自制するという知性の節度は、生きていく上でとても大切であると思う。自分と全く異なる人生を歩んできた他者との間にコミュニケーションの場を生成するには、そうした己の枠組みを一時的にかっこに入れることが不可欠であるからです。
本書は、フーコーの講義録への言及もしていますが、『狂気の歴史』や『臨床医学の誕生』など著書に重点を置いた紹介をしています。その点、物足りなく感じる向きもあるかもしれないが、フーコーへの興味をかき立ててくれる点ではその任を十分に果たしている本と言えるでしょう。
フーコーの思索は、同時代のレヴィナスやレヴィ=ストロース、あるいはニーチェやマルクスのように物事を根源的に考えるという構えを特徴としています。
フーコーの研究経歴は、科学史の領域から始まりました。自明のものとされている諸科学がどういう社会的要因に条件づけられて生まれたのかを考究しています。言い換えれば、自分の「今・ここ」を他の時代・社会に拡大適用してそれらの時代や社会を理解するのではなく、自分の枠組みを一時的にかっこに入れて、諸制度はどのように誕生・生成したのかを考える営みです。
フーコーの発明した思索の道具は、個人であれ社会であれ、私たちがどのような社会的枠組みに繋縛されているのかを意識に前景化するのを助けてくれます。自分の「今・ここ」の枠組みを同時代の他人にであれ、あるいは過去の他人にであれエゴサントリックに拡大適用するふるまいを自制するという知性の節度は、生きていく上でとても大切であると思う。自分と全く異なる人生を歩んできた他者との間にコミュニケーションの場を生成するには、そうした己の枠組みを一時的にかっこに入れることが不可欠であるからです。
本書は、フーコーの講義録への言及もしていますが、『狂気の歴史』や『臨床医学の誕生』など著書に重点を置いた紹介をしています。その点、物足りなく感じる向きもあるかもしれないが、フーコーへの興味をかき立ててくれる点ではその任を十分に果たしている本と言えるでしょう。