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ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門: 豊かな人生の技法 単行本 – 1999/11/25
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仏陀の瞑想を、数息観、道徳規範の必要性、神秘体験の意味から、その真髄ヴィパッサナーまで順々に丁寧に解説。各章にQ&Aも付し、痒いところにも手のとどく実践的入門。
【目次】
第1章 真理の探究
第2章 出発点
第3章 苦の直接原因
第4章 問題の根
第5章 道徳の訓練
第6章 精神集中の訓練
第7章 知恵の訓練
第8章 気づきと心の平静さ
第9章 ゴール
第10章 豊かな人生の技法
【目次】
第1章 真理の探究
第2章 出発点
第3章 苦の直接原因
第4章 問題の根
第5章 道徳の訓練
第6章 精神集中の訓練
第7章 知恵の訓練
第8章 気づきと心の平静さ
第9章 ゴール
第10章 豊かな人生の技法
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社春秋社
- 発売日1999/11/25
- 寸法19.5 x 13.8 x 1.8 cm
- ISBN-10439313284X
- ISBN-13978-4393132845
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
永年ミャンマーの仏教徒の間で伝承され、それ自体にはまったく宗教的な色彩がなく、どのような背景を持った人でも受け入れ、実践することができるヴィパッサナー瞑想法を理念から実践法まで解説する。
著者について
ウィリアム・ハート
カナダのモントリオール生まれ。大学卒業後、イスラエル、日本、インドを旅行。日本には1972年から1976年、および1980年から1982年にわたり京都に滞在し、京都大学とノートルダム女子大学で教鞭を執る。現在はライター、編集者、翻訳家として活動中。1976年にS・N・ゴエンカと出会い、ヴィパッサナー瞑想法を学ぶ。1982年にヴィパッサナー瞑想のアシスタント指導者、1996年には指導者となる。カナダのオタワ在住。
日本ヴィパッサナー協会
1983年8月、ゴエンカ氏の来日を機に設立。1989年、京都に瞑想センターを設立。世界各国のヴィパッサナー協会と連絡をとりながら、ゴエンカ氏の指導の下、瞑想合宿コースの運営やヴィパッサナーの啓蒙活動を行っている。
太田 陽太郎
川崎市出身。1970年、早稲田大学卒業。米国インディアナ州ワバッシュ・カレッジに留学。現在、鍼灸師・翻訳家。
カナダのモントリオール生まれ。大学卒業後、イスラエル、日本、インドを旅行。日本には1972年から1976年、および1980年から1982年にわたり京都に滞在し、京都大学とノートルダム女子大学で教鞭を執る。現在はライター、編集者、翻訳家として活動中。1976年にS・N・ゴエンカと出会い、ヴィパッサナー瞑想法を学ぶ。1982年にヴィパッサナー瞑想のアシスタント指導者、1996年には指導者となる。カナダのオタワ在住。
日本ヴィパッサナー協会
1983年8月、ゴエンカ氏の来日を機に設立。1989年、京都に瞑想センターを設立。世界各国のヴィパッサナー協会と連絡をとりながら、ゴエンカ氏の指導の下、瞑想合宿コースの運営やヴィパッサナーの啓蒙活動を行っている。
太田 陽太郎
川崎市出身。1970年、早稲田大学卒業。米国インディアナ州ワバッシュ・カレッジに留学。現在、鍼灸師・翻訳家。
登録情報
- 出版社 : 春秋社 (1999/11/25)
- 発売日 : 1999/11/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 256ページ
- ISBN-10 : 439313284X
- ISBN-13 : 978-4393132845
- 寸法 : 19.5 x 13.8 x 1.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 11,365位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年2月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
氏の日本での合宿所は京都、千葉にあり。初心者用に10日間コースを無料で受付している。(無料だが寄付は受付ている)これに参加する人は読んでおいた方がいいと感じました。合宿内容とダブっている内容もあるが、理解が深まる。
2021年5月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
非常に読みやすいです。
2022年5月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
十二縁起についての理論的な理解が得られた。悟りが何かについても説明されており、ニルヴァーナは、体を構成する粒子の動きが分かる状態らしい。
2013年10月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まず始めに大事なのは、本書は具体的なヴィパッサナー瞑想の技術に関してはあまり触れられていません。
ただ、ヴィパッサナー瞑想の本質、核心にせまっています。これは、ヴィパッサナーに興味のある人、実践する人にとっては間違いなく必読書だと思います。
ブッダが修行をしたのは、人々の中にある「苦」をなくそうと心底思っていたからであった。
本書では、苦しむのは100%自己責任であると述べられている。
P44に「自分の行為、自分の行動の中に苦を止める鍵がある」と書かれている。ここがまず、出発点として非常に良いと思う。
ここでいう「苦」とは、自分のからだと自分の心への並々ならぬ執着であると定義されている。自分というものは、連続的な波動の流れであり、絶え間ない微粒子の流れ、つまり常に変化し続けるものである。それに対して、それが固定されているかのように考える幻想を抱き執着する。このことが苦であるという。
さらに、苦を生ずる因果の連鎖に関する深い洞察も出てくる。この洞察が凄まじい。ブッダはソクラテスみたいに「なぜ?」と追求し続けた結果以下の事が分かったという。
「無知によって、反応が起こる。反応によって、意識が起こる。意識によって、物と心が起こる。物と心によって、六つの感覚器官が起こる。六つの感覚器官によって、接触が起こる。接触によって、感覚が起こる。感覚によって、渇望と嫌悪が起こる。渇望と嫌悪によって、執着が起こる。執着によって、生成のプロセスが起こる。生成のプロセスによって、誕生が起こる。誕生によって、老と死が起こる。そして嘆き、悲しみ、心と体の苦しみ、諸々の困難が起こる。こうして、ありとあらゆる苦が生じる」(因果の連鎖<縁起の法則>)
この苦のプロセスを頭に入れたうえで我々のつとめは、苦の原因である無知、渇望、嫌悪を消滅させ、それによって苦そのものを消滅させることである。
この目標を達成するための方法としてブッダが発見したのが、有名な「八正道(聖なる八つの道)」である。
八正道は、シーラ、サマーディ、パンニャーの三つの修行段階に分かれるという。(P78)
シーラは道徳的なこと。正しい言葉を使うとか、生き物を殺さない、とか。サマーディは精神集中の訓練で、サマタ瞑想。パンニャーは知恵の訓練で、洞察力の育成と呼ばれる、ヴィパッサナー瞑想。こうやって、苦を取り除いていくという。まず道徳の修行をし、心を乱すような行為を大ざっぱなところで回避する。それから精神集中の修行をし、いっそう心を落ち着かせる。同時に、その心を恰好の道具として自分自身を見つめてゆく。さらに知恵をはぐくむ修行を行い、はじめて自分の内なる現実を見極め、無知と執着から自由になるのである。(P122)
<サマタ瞑想に関して重要だと思った点>
・呼吸をコントロールするのではなく、<自然な呼吸に意識を置く>
・私たちは何としても心の癖(お猿さん)を取り除き、現実の世界を生きねばならない。それには、まず呼吸に意識を固定することから始めることだ
呼吸に意識を置けば、今この瞬間に気づいていられる
・呼吸は意識的にも無意識的にも働くから、意識と無意識の<架け橋>となる
・始めのうちは意識的に強めの呼吸をして大ざっぱな現実を観察し、それから自然な呼吸に戻して、より細やかな現実を観察する段階に入る。表層の粗大な現実をつらぬいて、深層の微細な現実を見つめるのである
・呼吸は心の状態を如実に反映する
・呼吸に注意を集中していると、いまこの瞬間にはっきりと気づくようになる。この気づきを一瞬一瞬できるだけ長くもちこたえると、それが正しい精神集中である
・瞑想で困難を感じても落ち込んではいけない。長年かかってしみついて心のくせはそう簡単に取れるものではない。くりかえし、休みなく、ひたすら瞑想するしかない。心がさまよっているのに気づいたらすぐ呼吸に意識を引き戻す。ただそれだけでいいのだ。
・幻聴、幻視などの超常現象は標識みたいなもので、ほかっておいて、ただ呼吸に集中すればいい
<ヴィパッサナー瞑想に関して重要だと思った点>
・ダンマに関する限りは体験して得た知恵が欠かせない。自分が本当に体験して得た知恵だけが、心の条件付けを解き放つ。
・感覚を順を追って客観的に観察していく。
・なぜ感覚なのか?第一に、我々が感覚によって現実を直接体験しているからである。第二に、感覚は心と強く結びついており、呼吸と同様、現在の心の状況をそのまま反映するから
・感覚は心と体の交差点
・呼吸の観察の時と同じで、自然な体の感覚を観察すること。コントロールしない。
・感覚の原因は無視すればいい。いま意識の焦点を合わせたところにある感覚に気づくことが重要。
・困難が生じるのは初期の段階の瞑想がうまくいっている証拠だと考え、辛抱強く集中する。
・「わたし」の正体とは、たえず変化するプロセスの集合体にすぎない
・からだの痛みをただ観察できたらどうだろう。それが自分の痛みであるとか、自分が痛みを感じているとかいう幻想から脱却し、医者が患者の脈を見るようにして客観的に痛みをみつめることができたらどうだろう。痛みそのものが変化するのが分かるだろう。
・感覚が生じるところ、そこが因果の連鎖を断ち切るポイントなのである。
・宇宙にあるものすべてが無常である、この真理をありのまま見つめ、体験的に理解したときに苦は消えてなくなる
・反応というプロセスが起こる瞬間、そのことに気付いたならー感覚に気づいたならー反応しないでいることができる
最後まで読んでみて、苦からの脱却の結論を本書の言葉を用いてまとめると。
感覚が生じるところ、それが因果の連鎖を断ち切るポイントである。シーラ、サマーディを経てヴィパッサナー瞑想することでからだの感覚すべてにきづくことができる。淡々と感覚を見つめ、好きも嫌いも、渇望と嫌悪も、執着もなくなる。感覚は無常であり、かならず変化する。生まれては消えていくという真の洞察力をヴィパッサナーは授けてくれる(P135)
反応というプロセスが起こる瞬間、そのことに気づいたなら、という事は感覚に気づいたら、反応しないでいることができる。好き嫌いの反応をしないで、ただ淡々と感覚を観察することができる。
究極のところ、
物事は常に変化すると悟り、自分の中で起こるすべての事に気づき、同時にそれに一切反応しない。そういう境地を目指そう(P147)
実に興味深く、学びのある内容だった。
ただ、ヴィパッサナー瞑想の本質、核心にせまっています。これは、ヴィパッサナーに興味のある人、実践する人にとっては間違いなく必読書だと思います。
ブッダが修行をしたのは、人々の中にある「苦」をなくそうと心底思っていたからであった。
本書では、苦しむのは100%自己責任であると述べられている。
P44に「自分の行為、自分の行動の中に苦を止める鍵がある」と書かれている。ここがまず、出発点として非常に良いと思う。
ここでいう「苦」とは、自分のからだと自分の心への並々ならぬ執着であると定義されている。自分というものは、連続的な波動の流れであり、絶え間ない微粒子の流れ、つまり常に変化し続けるものである。それに対して、それが固定されているかのように考える幻想を抱き執着する。このことが苦であるという。
さらに、苦を生ずる因果の連鎖に関する深い洞察も出てくる。この洞察が凄まじい。ブッダはソクラテスみたいに「なぜ?」と追求し続けた結果以下の事が分かったという。
「無知によって、反応が起こる。反応によって、意識が起こる。意識によって、物と心が起こる。物と心によって、六つの感覚器官が起こる。六つの感覚器官によって、接触が起こる。接触によって、感覚が起こる。感覚によって、渇望と嫌悪が起こる。渇望と嫌悪によって、執着が起こる。執着によって、生成のプロセスが起こる。生成のプロセスによって、誕生が起こる。誕生によって、老と死が起こる。そして嘆き、悲しみ、心と体の苦しみ、諸々の困難が起こる。こうして、ありとあらゆる苦が生じる」(因果の連鎖<縁起の法則>)
この苦のプロセスを頭に入れたうえで我々のつとめは、苦の原因である無知、渇望、嫌悪を消滅させ、それによって苦そのものを消滅させることである。
この目標を達成するための方法としてブッダが発見したのが、有名な「八正道(聖なる八つの道)」である。
八正道は、シーラ、サマーディ、パンニャーの三つの修行段階に分かれるという。(P78)
シーラは道徳的なこと。正しい言葉を使うとか、生き物を殺さない、とか。サマーディは精神集中の訓練で、サマタ瞑想。パンニャーは知恵の訓練で、洞察力の育成と呼ばれる、ヴィパッサナー瞑想。こうやって、苦を取り除いていくという。まず道徳の修行をし、心を乱すような行為を大ざっぱなところで回避する。それから精神集中の修行をし、いっそう心を落ち着かせる。同時に、その心を恰好の道具として自分自身を見つめてゆく。さらに知恵をはぐくむ修行を行い、はじめて自分の内なる現実を見極め、無知と執着から自由になるのである。(P122)
<サマタ瞑想に関して重要だと思った点>
・呼吸をコントロールするのではなく、<自然な呼吸に意識を置く>
・私たちは何としても心の癖(お猿さん)を取り除き、現実の世界を生きねばならない。それには、まず呼吸に意識を固定することから始めることだ
呼吸に意識を置けば、今この瞬間に気づいていられる
・呼吸は意識的にも無意識的にも働くから、意識と無意識の<架け橋>となる
・始めのうちは意識的に強めの呼吸をして大ざっぱな現実を観察し、それから自然な呼吸に戻して、より細やかな現実を観察する段階に入る。表層の粗大な現実をつらぬいて、深層の微細な現実を見つめるのである
・呼吸は心の状態を如実に反映する
・呼吸に注意を集中していると、いまこの瞬間にはっきりと気づくようになる。この気づきを一瞬一瞬できるだけ長くもちこたえると、それが正しい精神集中である
・瞑想で困難を感じても落ち込んではいけない。長年かかってしみついて心のくせはそう簡単に取れるものではない。くりかえし、休みなく、ひたすら瞑想するしかない。心がさまよっているのに気づいたらすぐ呼吸に意識を引き戻す。ただそれだけでいいのだ。
・幻聴、幻視などの超常現象は標識みたいなもので、ほかっておいて、ただ呼吸に集中すればいい
<ヴィパッサナー瞑想に関して重要だと思った点>
・ダンマに関する限りは体験して得た知恵が欠かせない。自分が本当に体験して得た知恵だけが、心の条件付けを解き放つ。
・感覚を順を追って客観的に観察していく。
・なぜ感覚なのか?第一に、我々が感覚によって現実を直接体験しているからである。第二に、感覚は心と強く結びついており、呼吸と同様、現在の心の状況をそのまま反映するから
・感覚は心と体の交差点
・呼吸の観察の時と同じで、自然な体の感覚を観察すること。コントロールしない。
・感覚の原因は無視すればいい。いま意識の焦点を合わせたところにある感覚に気づくことが重要。
・困難が生じるのは初期の段階の瞑想がうまくいっている証拠だと考え、辛抱強く集中する。
・「わたし」の正体とは、たえず変化するプロセスの集合体にすぎない
・からだの痛みをただ観察できたらどうだろう。それが自分の痛みであるとか、自分が痛みを感じているとかいう幻想から脱却し、医者が患者の脈を見るようにして客観的に痛みをみつめることができたらどうだろう。痛みそのものが変化するのが分かるだろう。
・感覚が生じるところ、そこが因果の連鎖を断ち切るポイントなのである。
・宇宙にあるものすべてが無常である、この真理をありのまま見つめ、体験的に理解したときに苦は消えてなくなる
・反応というプロセスが起こる瞬間、そのことに気付いたならー感覚に気づいたならー反応しないでいることができる
最後まで読んでみて、苦からの脱却の結論を本書の言葉を用いてまとめると。
感覚が生じるところ、それが因果の連鎖を断ち切るポイントである。シーラ、サマーディを経てヴィパッサナー瞑想することでからだの感覚すべてにきづくことができる。淡々と感覚を見つめ、好きも嫌いも、渇望と嫌悪も、執着もなくなる。感覚は無常であり、かならず変化する。生まれては消えていくという真の洞察力をヴィパッサナーは授けてくれる(P135)
反応というプロセスが起こる瞬間、そのことに気づいたなら、という事は感覚に気づいたら、反応しないでいることができる。好き嫌いの反応をしないで、ただ淡々と感覚を観察することができる。
究極のところ、
物事は常に変化すると悟り、自分の中で起こるすべての事に気づき、同時にそれに一切反応しない。そういう境地を目指そう(P147)
実に興味深く、学びのある内容だった。
2022年2月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
瞑想入門とのことで買ってみたが、日本人の仏教好きならある程度知っているような知識が書かれているだけで新たに学んだことはなかった。
内容から察するに、仏教など全く知らないが瞑想はやってみたいという異教徒や無宗教の人に向けた「こういうものですよ」というインストラクションなのでは?
仏教知識なら仏教本に、瞑想実践ならもっと実践的な本があると思いますし、当の瞑想合宿に参加されるなら「直接に」寄付額を増やしたほうがいいのではないかと思いました。個人的な意見ですが。
内容から察するに、仏教など全く知らないが瞑想はやってみたいという異教徒や無宗教の人に向けた「こういうものですよ」というインストラクションなのでは?
仏教知識なら仏教本に、瞑想実践ならもっと実践的な本があると思いますし、当の瞑想合宿に参加されるなら「直接に」寄付額を増やしたほうがいいのではないかと思いました。個人的な意見ですが。
2020年4月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ヴィパッサナー瞑想に興味を持つ人には広く知られた本だが、一読の価値はある。瞑想の具体的な方法についてはサラッと書いてあるだけだが、ある程度瞑想を続けている人にはこの本から得ることは多いのではないだろうか。ヴィパッサナー瞑想の背景に仏教があるので、この本でも仏教的な説明が多いが、極めて論理的で所謂宗教臭さは少ない。逆に全く仏教と無縁でヴィパッサナー瞑想に取り組んでも高いレベルには到達できないだろう。今人気のマインドフルネス瞑想は日常生活に役立つ事を謳っているが、本来の瞑想とはそのような実利を目指すものとは少し違うように思われる。悟りとか解脱と言うと毛嫌いする人も多いが、ヴィパッサナー瞑想の本質は本当の意味での自己改革であり、自分で達成できるかどうかは別にしてヴィパッサナー瞑想の目指すものがどのようなものか知っておくことは無駄ではないのでは。
2016年12月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ここまで分かり易く、スンナリと受け入れられた書は、他にありません。
大抵の書は、詳細を省いたものが多く、不快感を伴う物が多いのですが、本書は別格です。
例えば、呼吸一つとっても、大抵は呼吸に意識を向けると書かれていますが、それが意識的な呼吸なのか、無意識の呼吸なのか触れられていない物ばかりで、疑問が増えるばかりでした。
そうした物が、ここでは見事に解決してくれます。
また、吸った、吐いたと心に思う事に疑問を感じていたのですが、本書では、同じくその様に思わないで、ただ感じるだけと説明されており、つかえが取れ晴れ晴れとした気持ちにさせてくれました。
その様な事が随所に見られ、本書との出逢いに感謝せずにはおられません。
全ての人に読んで貰いたい一冊です。
本書に出逢えた人は、幸せです。
大抵の書は、詳細を省いたものが多く、不快感を伴う物が多いのですが、本書は別格です。
例えば、呼吸一つとっても、大抵は呼吸に意識を向けると書かれていますが、それが意識的な呼吸なのか、無意識の呼吸なのか触れられていない物ばかりで、疑問が増えるばかりでした。
そうした物が、ここでは見事に解決してくれます。
また、吸った、吐いたと心に思う事に疑問を感じていたのですが、本書では、同じくその様に思わないで、ただ感じるだけと説明されており、つかえが取れ晴れ晴れとした気持ちにさせてくれました。
その様な事が随所に見られ、本書との出逢いに感謝せずにはおられません。
全ての人に読んで貰いたい一冊です。
本書に出逢えた人は、幸せです。