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33個めの石 傷ついた現代のための哲学 単行本 – 2009/2/17
購入オプションとあわせ買い
自殺、死刑制度、脳科学、環境問題、宗教の功罪、ジェンダー。
現代の「痛みと希望」について思索した、魂のしずくのようなエッセイ。
2007年、米国・バージニア工科大学で銃乱射事件が起きた。
キャンパスには犠牲者を悼む32個の石が置かれたが、人知れず石を加えた学生がいた。
33個めの石。それは自殺した犯人の追悼である。
石はだれかに持ち去られた。
学生はふたたび石を置いた。それもまた、持ち去られた。
すると、別のだれかが新しい石を置いた。
――私たちにとっての33個めの石とは?
それはたしかに短い期間の出来事ではあったけれども、
その事実を知った多くの人々の心を打ち、
社会の片隅で大きな声をあげることのできない
傷ついた人々をそっと力づけた。
敵と味方の対立を無効化し、
「やられたらやり返してやる」という
報復の連鎖を超越していく物語であるとも言える。(本文より)
引き返せない現実を前に、
いつのまにか傷ついてしまった私たちに、
今、いちばん必要なこと。
- 本の長さ200ページ
- 言語日本語
- 出版社春秋社
- 発売日2009/2/17
- ISBN-104393332911
- ISBN-13978-4393332917
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商品の説明
著者について
1958年生まれ。哲学者。大阪府立大学人間社会学部教授。人間学・現代倫理学などを担当。研究テーマは、生命学・哲学・科学論。従来の客観的な学問の枠組を超えて、自らを棚上げすることなく果敢かつオリジナルな思索を展開、人文学の領域を大きく押し広げる。著書に、『無痛文明論』『生命学をひらく』(以上、トランスビュー)、『生命観を問いなおす』『感じない男』(以上、ちくま新書)、『意識通信』(ちくま学芸文庫)、『自分と向き合う「知」の方法』(ちくま文庫)、『宗教なき時代を生きるために』(法藏館)、『草食系男子の恋愛学』(メディアファクトリー)ほか。編著に『思想の身体 性の巻』(春秋社)。
登録情報
- 出版社 : 春秋社 (2009/2/17)
- 発売日 : 2009/2/17
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 200ページ
- ISBN-10 : 4393332911
- ISBN-13 : 978-4393332917
- Amazon 売れ筋ランキング: - 282,492位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1958年高知県生まれ。東京大学大学院、国際日本文化研究センター、大阪府立大学現代システム科学域を経て、現在、早稲田大学人間科学部教授。哲学、倫理学、生命学を中心に、学術書からエッセイまで幅広い執筆活動を行なう。代表作はいまのところ『無痛文明論』だが、そのほかに、男性セクシュアリティ論の話題作『感じない男』、草食系男子ブームの火付け役となった『草食系男子の恋愛学』、オウム真理教事件から哲学する『宗教なき時代を生きるために』、脳死論の古典『脳死の人』、生命倫理の重要作『生命学に何ができるか』、絶版になってしまったメディア論『意識通信』などがある。日本語サイトは、http://www.lifestudies.org/jp/ 新刊『まんが 哲学入門』(講談社現代新書)は私自身がまんがの原画を描いた問題作。鉛筆描き原画はhttp://www.lifestudies.org/jp/manga/で見られます。反出生主義の克服を考察した『生まれてこないほうが良かったのか?』(筑摩選書)。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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「自分のことを棚上げしない」というスタンスがいい。
私も常に感じてることだけど、一般人はまだしも、
学者で自論と自分の立場を切り離せていない人がとても多い。(著者によれば、大学ではむしろ「切り離すな」と言われるんだそうだが)
研究者の議論はスポーツじゃない。
私はこっちのチーム、あなたはそっちのチーム、正々堂々戦いましょう、では意味がない。
どんな本も、自分の属するカテゴリーを擁護する偏った記述を発見した途端に読む気が失せる。
最近ブームの脳科学者も、一昨年亡くなった心理学者も同じ。
この本はとても繊細で優しい視点で書かれている。
どうも物事を知れば知るほど、ラディカルな思想からは遠ざかっていくみたいで、早急に結論が欲しい若者には「生ぬるい」と思われがちだ。
私は、手っ取り早く行動に出て後で後悔するより、ぐるぐると気を揉んでいる方がずっとハードでクールだと思うよ。
ただ、「自殺について」の章で、「絶望によって自殺する人が大半」とあったが、怒りの表現として自殺する人も多い。
それも絶望が発端ではあるけれど別物だと思う。
人生や差別、殺人や中絶についての著者の哲学エッセイです。SF(近未来?)的な事が書かれており、エッセイにしてはなかなか読みごたえのある内容でした。
今世界ではびこっている戦争や社会の分断について、「やられたらやり返せ」「目には目を」という考えではなく、「許し(赦し)」が大事なのではないか、という観点が著者の主張です。
かなり難しい問題だとは思います。
「許す」と一言いっても、それは同時に、相手がこちらに対して「申し訳ないことをした」という気持ちがあって初めて成立するものだからです。こちらが一方的に許したとしても、相手の中に申し訳ない事をしたという気持ちが無ければ、全くもって問題の解決にはなりません。
著者の考えはまだまだ希望観測的な域を出ていませんが、世の中に蔓延する「報復の連鎖」を断ち切るための、良い一石になったのではないかと思います。
「「いろんな考え方があるとはいっても、やはりどこかに本物の正しい考え方や、唯一の真理があるのではないか」という内なる声を、けっして甘く見てはいけない。そしてこの声こそが、哲学というものを立ち上げる巨大な原動力なのである。」(p189)
・ 2007年1月15日〜12月24日にかけて『労働新聞』に掲載された連載「無痛文明に生きる」を基にした第I章
・ 単行本のために書き下ろされた第II章
・ 2012年3から2016年3月にかけて『高知新聞』に掲載された記事を基にした第III章
の3つの章で構成されている。本書のタイトルは、2007年4月16日に米国のバージニア工科大学で韓国系の学生により32人の学生・教員が射殺された事件の後、犠牲者追悼のために置かれた石が32個ではなく、加害者のための「33個目」の石がとある人物によって置かれていたことにちなんでいる。
本書の背後に流れているのは、許し(赦し)の大きなテーマである。しかし、実際に本暑中ではもっと多岐にわたったテーマについて軽快に語られている。例えば、著者のライフワークとも言える「痛み(そして、無痛)」のテーマも興味深く語られている。軽快というのは、どのテーマも見開き2ページ内で簡潔に語られている、ということである。軽快だが前後のつながりはきちんと保たれており、超短編の連作映画を見ているような錯覚を覚える。どのような内容であるかは実際に読んでいただきたいが、私自身としては著者に同意できる部分もあれば全く同意できない部分もあり、様々であった。エッセイという小著であれば思考を徹底できないので仕方ないし、そもそも、日頃から著者のTwitterをフォローしているが、同意でき兼ねる意見が多いなとも感じている。しかし、重要なのは著者の意見そのものではないし、著者の意見を盲信することでもない。重要なのは、自分の頭であらゆることを考え抜いていくことである。
本書を読みながら、私は色々なことを考えた。これは著者の意見に完全に同意出来ないからこそであったし、自分の頭で色々なことを考えるように促されているようにも感じたからである。見開き2ページで1つのテーマを語るスタイルの簡潔さ・軽快さは様々な読者の想像をかきたてるし、豊富な余白は読者が自分で考えたことをメモする場として使いやすい。そういう本書の作りも、読者に思考することを促してくれる。
著者は本書195ページで哲学の今日的意義を、「成熟社会の相対主義に何度も何度も疑問を投げかけ、どうすれば唯一の真理に近づけるのかというプロセスを素手で模索するところにのみある」と主張している。本書が「魂のしずくのような柔らかな哲学エッセイ」であることを踏まえるならば、本書の意義は読者が「唯一の真理に近づくプロセスを素手で模索する」ための手助けをすることにほかならない。そして、それはとても素晴らしく成功している。