中古品:
¥1,025 税込
配送料 ¥303 5月29日-31日にお届け(1 時間 39 分以内にご注文の場合)
詳細を見る
コンディション: 中古商品: 良い
コメント: 帯付属。表紙に少々のイタミ・こすれ傷あり。表紙に少々の日焼けあり。ページに少々の折れあり。注文確定日から1~2営業日以内に発送出荷後に追跡番号をご案内プチプチ又はフィルム袋にて防水梱包。
Kindleアプリのロゴ画像

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません

ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。

携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。

KindleアプリをダウンロードするためのQRコード

富士山文化――その信仰遺跡を歩く(祥伝社新書325) 新書 – 2013/7/5

3.9 5つ星のうち3.9 10個の評価

祝・ユネスコ世界文化遺産登録

富士山には、知らない所がまだまだある!

富士山はいかにして信仰されてきたか
はたして構成要素の中に、富士五湖や白糸ノ滝、胎内樹型が含まれているが、
その文化的価値はどこにあるのだろう。
また、関東一円に現存する富士塚がひとつも含まれなかったが、
それに値しないのだろうか。
容易には理解できない奥深さを持つのが、富士山の信仰文化である。
本書では、富士山学の第一人者が、世界文化遺産登録を受けた遺跡は
もちろん、そこから漏(も)れた重要遺跡もまとめて、富士山文化の全貌(ぜんぼう)を解説する。
まさに待望の本格的参拝ガイドとなった。

[本書の構成]
第一章 江戸の町が「富士のお山」を支えていた!
第二章 「富士塚」に参拝しよう!
第三章 「富士山遥拝所」の跡を訪ねよう!
第四章 「浅間神社」を参拝しよう!
第五章 「登拝道」を辿ろう!
第六章 富士山内・山麓の遺跡を訪ねよう!
第七章 「お胎内」に潜ろう!
第八章 「富士八海」を巡拝しよう!
第九章 「富士山形」を探そう!

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 祥伝社 (2013/7/5)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2013/7/5
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 308ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4396113250
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4396113254
  • 寸法 ‏ : ‎ 11 x 1.5 x 17.5 cm
  • カスタマーレビュー:
    3.9 5つ星のうち3.9 10個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中3.9つ
5つのうち3.9つ
10グローバルレーティング

この商品をレビュー

他のお客様にも意見を伝えましょう

上位レビュー、対象国: 日本

2013年7月28日に日本でレビュー済み
富士山に登るのではなく、遠くから拝んだり、富士山もどきを作ってそこに詣でる、という”富士山文化”に焦点をあてた書。
いわゆる富士山を模した富士塚は、日本中に200以上も存在するという。
昔、自分が住んでいた近くにあった、いわゆる”おふじさん”も写真付きで掲載されており、懐かしかった。
さらに、富士山から遠い、日光の中禅寺湖や、滋賀県の琵琶湖などは、外八海といわれ、富士山の参拝の道筋と考えられていたという。
そのスケールの大きさには、素直に驚かされた。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年9月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1998年夏より、登り続けて居る富士山が、「世界文化遺産登録」されて、この本に興味をもち読んだ。今まで自分の知らない富士山に、触れる事が出来た事、著者が御師の末裔であることが、解り易く、読みやすい文章で表わされている。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2020年4月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
基本的に良書であると思う。
但し、残念なことに誤りもある。
富士五湖の山中湖が延暦噴火によって宇津湖から別れて出来たとするのは、地質学的に否定されている。他にも誤りが含まれている可能性もあろう。よって、記述内容を鵜呑みにすることには警鐘を鳴らさざるを得ない。
☆五つを付すわけにはいかなかったのだが、冒頭にも述べた通り、基本的には良書であると思う。
2014年10月1日に日本でレビュー済み
◎御師(おし)という人々がいた。伊勢神宮に関して、司馬遼太郎さんが書いた文章の中に簡潔に説明されている。「御師たちは世間から、「大夫さん」と呼ばれて親しまれた。かれらは貴族ではなく、庶民の出身で、実質としては参詣客を泊める宿屋の亭主であった。神宮のお札などをくばり、頼まれれば祈祷などもする。かれらは諸国を分担して、はるばるとお札くばりに出ていったこともあり、のちには御師の手代ぐらいの者が自分の担当する国を歩いた。かれらが、諸国で伊勢講を組織し、「ぜひ、お伊勢参りを」と勧誘してまわった。・・・その御師も、明治の時、神宮が国家神道の中心に組み入れられたさいに消滅した。」(「街道を行く 夜話」pp137-138朝日文庫)。色々調べてみると、伊勢講の場合は、「おんし」、富士講の場合は「おし」と言っていたようだ。「御祈祷師」を略したのだとも言われている。

富士山にお参りする、「富士講」の御師は数はだいぶ減ったが、宿も民宿経営に鞍替えしたりで、まだ存在する。宿の一部は世界遺産。竹谷(たけや・ゆきえ)氏は、吉田口の御師の末裔だそうで、理系の大学教授だが、本業以外に富士山関係の本を沢山書いている。世界文化遺産となった富士山だが、「富士講」の背景あたりを知るには絶好の本だ。

なるほど!と思った点をいくつか挙げてみると;

*富士山に行けない人のために「富士塚」(富士山のミニチュアの小高い丘・・)が各所につくられた。その数、約200。国や地方自治体から文化財指定を受けたものは68基。(そのいくつかを巡って拝むのも流行っていた。)⇒著者は、これも「富士山関連の文化遺産」で本来世界遺産に含まれるべきだったと主張。

*富士山遥拝所というのもあった。吉田口には女人専用の遥拝所もあった。・・これらは廃れてしまったものも多いが、各種の「伝説」が残っている。

*登山には、これまで8ルートあったが(p162)、中には、その後の鉄道、バスの発展で廃れたものもある。

*富士山御師は、戦国時代から時の権力に重用されていた。中には武田家の諜報活動に従事していたものも居た。(檀家廻りで、庶民だけでなく武将の住居や城内にも自由に出入りし、祈祷などを行えたので・・。)

*江戸から富士山に行く場合は、大抵、往路に高尾山(飯綱権現)、復路に大山(おおやま)(石尊(せきそん)権現)も訪れ、「三山詣(さんざんもうで)」とした。・・「精進落とし」で、帰路、遊んで帰るのも楽しみだったようだ。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート