数十年前の古い本だが、自分で考える、思索を深めるための本です。
山本七平氏の著作は殆んど持っていたが、長男が自立する際にすべて引き渡した。
今回の次男が成人を迎えるにあたって数冊再購入し、贈ったものの一冊です。
今読んでも新鮮と思うのは昭和世代の古びた感性ゆえか?そうではないと思いたいが。
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日本人と中国人――なぜ、あの国とまともに付き合えないのか (祥伝社新書 486) 新書 – 2016/11/2
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名著・復刊! 日中関係の歴史から、この国を識る
1972年、日中国交正常化。国を挙げて沸きかえるなか、台湾との日華平和条約は、一片の声明によって破棄された。感情が条約に優先する――。
その風潮に対する疑問と憤りに駆られた著者が記したのが、本書である。日中関係は有史以来、対等でまともな関係がなく、政経分離の状態が続いている。
なぜ、中国とまともに付き合ってこられなかったのか。その歴史的経緯を検証、日本側の問題点を追究する。日中関係から読み解く「日本論」であり、すぐれた「日本人論」である。
<以下、目次から>
理解不能の日中国交回復/日支事変を、世界はどう捉えたか/蒋介石と近衛文麿の秘密交渉/「鎖国」とは、中国との実質的国交回復/輸入中国思想でつくり上げられた「楠公」像/
勤皇思想は、いかにして誕生したか/中国と天皇は、政治から遠いほどよい/日本こそ本当の中国という考え/最初の清朝派日本人は、平清盛/義満は「二つの中国」派の代表/
秀吉の目的は何であったのか/中国を絶対視しなかった白石/明治維新とは「擬似中国化革命」/頼山陽に規定された日本の対中国政策/いまだ火種を残したままの琉球問題/
西郷隆盛の論理/日本で生まれた唯一の政治思想/二・二六事件の海外版/「内なる中国」と「外なる中国」が区別できない/日本文化の特質は周辺文化……ほか
1972年、日中国交正常化。国を挙げて沸きかえるなか、台湾との日華平和条約は、一片の声明によって破棄された。感情が条約に優先する――。
その風潮に対する疑問と憤りに駆られた著者が記したのが、本書である。日中関係は有史以来、対等でまともな関係がなく、政経分離の状態が続いている。
なぜ、中国とまともに付き合ってこられなかったのか。その歴史的経緯を検証、日本側の問題点を追究する。日中関係から読み解く「日本論」であり、すぐれた「日本人論」である。
<以下、目次から>
理解不能の日中国交回復/日支事変を、世界はどう捉えたか/蒋介石と近衛文麿の秘密交渉/「鎖国」とは、中国との実質的国交回復/輸入中国思想でつくり上げられた「楠公」像/
勤皇思想は、いかにして誕生したか/中国と天皇は、政治から遠いほどよい/日本こそ本当の中国という考え/最初の清朝派日本人は、平清盛/義満は「二つの中国」派の代表/
秀吉の目的は何であったのか/中国を絶対視しなかった白石/明治維新とは「擬似中国化革命」/頼山陽に規定された日本の対中国政策/いまだ火種を残したままの琉球問題/
西郷隆盛の論理/日本で生まれた唯一の政治思想/二・二六事件の海外版/「内なる中国」と「外なる中国」が区別できない/日本文化の特質は周辺文化……ほか
- 本の長さ280ページ
- 言語日本語
- 出版社祥伝社
- 発売日2016/11/2
- ISBN-104396114869
- ISBN-13978-4396114862
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商品の説明
著者について
山本 七平(やまもと しちへい)
1921年、東京生まれ。1942年、青山学院高等商業学部卒業。戦時中は砲兵少尉としてフィリピン戦線を転戦、マニラで捕虜となる。
戦後、山本書店を設立し、聖書、ユダヤ系の翻訳出版に携わる。1970年発行の訳書『日本人とユダヤ人』がベストセラーになり、世に衝撃を与えた。
日本の文化と社会を独自の手法で分析していく論考は「山本学」と称され、今なお広く読み継がれている。1991年、逝去。
1921年、東京生まれ。1942年、青山学院高等商業学部卒業。戦時中は砲兵少尉としてフィリピン戦線を転戦、マニラで捕虜となる。
戦後、山本書店を設立し、聖書、ユダヤ系の翻訳出版に携わる。1970年発行の訳書『日本人とユダヤ人』がベストセラーになり、世に衝撃を与えた。
日本の文化と社会を独自の手法で分析していく論考は「山本学」と称され、今なお広く読み継がれている。1991年、逝去。
登録情報
- 出版社 : 祥伝社 (2016/11/2)
- 発売日 : 2016/11/2
- 言語 : 日本語
- 新書 : 280ページ
- ISBN-10 : 4396114869
- ISBN-13 : 978-4396114862
- Amazon 売れ筋ランキング: - 506,606位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年10月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書では日本の隣に存在する、歴史的にも国土面積でも人口数も大国である中国を、如何に日本人が秀吉時代から現在に至るまで考えてきたを詳述しています。その結論は、日本人が描く中国像は単に日本人の内なる虚像であって、実像とは全く異なる。内なる虚像とは一種の錯誤に基ずくともいえますが、此の思考は米国にも英国にもインド等々の各国に対しても一種の思い込みとして存在している日本人の特異性を描いているとも言えます。外国を理解するにはその国の歴史や風土を理解する必要があると改めて考えさせられます。
2018年1月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日支事変について、
トラウトマン和平工作により、
満州国承認
日支防共協定の締結
排日行為の停止
その他
を中国政府が協議の末、トラウトマン大使に「日本案受諾」「同条件を基とした和平会議の開催」を申し入れてきたところ、
12月8日に日本は中国が日本の提案を受諾することを確認した。
しかし軍事行動を止めない。
それどころか12月10日、南京城総攻撃を開始した。
なぜか。
「市民感情が条約に優先した」。
「評論家」であるべきはずの新聞が、逆に「感情」の代弁者となった。
南京陥落を報ずる新聞の狂態ぶり、「蒋さんどこへ行く」という嘲笑的見出しをかかげ、祝賀提灯行列の大きな漫画を掲載。
トラウトマン斡旋日本案を蒋介石が受諾することによって南京直前で停戦することは「市民感情が許さなかった」。
・・・このあたりの話は、いわゆる慰安婦問題について締結された日韓合意を破棄しようとする韓国を彷彿とさせ、我が国も他国のことは言えないな、と、大変興味深いのだが、
問題は、「なぜそのような感情を日本人は持つのか」。
ベンダサン氏は述べる。
中国は隣接の一部の国々に対しては、「文化的に君臨すれども政治的に統治せず」である。
その形態をそのまま天皇にあてはめて、それによって中国に対して文化的独立を主張してきたのが、天皇制のもつ一面なのである。
すなわち「中国の位置」に天皇を置くということなのである。
中国に土下座するのは天皇に土下座するのと同じことである。
中国の文化的支配権からの独立宣言の最近の例をあげれば、明治の教育勅語である。
徳川時代は、「尊皇」とは実は「尊中」であり、それを「歴代の天皇」へと切り替えたわけである。
それは結局、「理念としての日本国内の中国」への切り替えであり、現実の「中国」と「理念の中国」との分離宣言である。
後のこれが、「理念としての中国」を、逆に現実の「中国」へ押しつけて行こうとする結果になるのである。
日支事変の謎はこれが一種の「革命の輸出」だという点にある。
「尊皇」と「尊中」が同根であることは、日本がその歴史時代の始まりから、中国の圧倒的影響下にあったという状態が生み出した一つの歴史的所産である。
歴史的所産を、人は、消すことはできない。
これを思想史に組み入れ、伝統として客体化し、その上でこれに対処して新しい道を探す以外に方法がない。
それをしないで、過去を「なかったこと」にしておくと、それが民衆的表現、すなわち感情的表白として残り、逆に、「姿を変えた過去」に無批判に追従せざるを得なくなるのである。
一体全体「征韓論」が起こった原因は何か。
実質的には皆無といわねばならない。
征韓論者によると、原因は韓国が日本に非礼であったということだが、非礼が開戦の理由になるとは、何としても不思議な話である。
もし、このとき「征韓」が実施されていたら、おそらくそれは、南京城総攻撃以上に、世界史上最もわけのわからない戦争になったであろう。
大久保の主張の趣旨を要約解説すれば
「韓国が非礼だという。しかしそういうなら一体全体、日本に不平等条約を押しつけ、日本に駐兵さえしている列強はどうなのか。
韓国は何も日本に不平等条約を押しつけたわけでもなければ、日本に駐兵して治外法権を主張しているわけでもない。
主権を侵害しているものがあればそれは列強であっても韓国ではあるまい。
非礼が原因なら、まず「征列強」を強行してこれらを一掃しなければなるまい。
それをしないで「征韓」を主張するとは全く論理が通らない。従ってまず国力を増強して、列強の「非礼」を排除すべきだ」と。
では一体、なぜ西郷は、反論できないほど漸弱な主張を強行しようとしたのか。
またなぜ、この議論に敗れたことが、政府との訣別、隠退にまでなるのか。
いろいろな見方が成り立つと思うが、少なくとも西郷の主観的な見方での征韓とは、
いまの言葉でいえば、友邦への「革命の輸出」いわば主観的「解放戦争」なのである。
その革命は彼が生涯推進してきたものなのだが、それを欧米列強という「外国」に輸出する気は、もちろん彼にはない。
従って彼から見れば、大久保の議論はひどい詭弁になるだけでなく、
それは明治政府が、彼が推進してきた革命政府であることをやめるという宣言でもあった。
ここで隆盛が考えていたような天皇制は終わり、天皇家幕府が出来て、その外交政策はほぼ勝海舟の路線に沿って進み出したわけである。
そして徳川時代に育まれ、明治政府へと到達させた「勤皇思想」は、西郷と共に再び「野(や)」に下っていくのである。
そしてそれが後に、天皇思想が天皇家幕府に立ち向かい、新しい征韓論へと進んで行くわけである。
この尊皇思想と征韓論が、ほぼそのままの形で最終的な姿で出て来たのが、2・26事件と日支事変であった。
2・26事件だが、これが右翼の青年将校のクーデターなら、殺害された人々は左翼の巨頭のはずであるが、この犠牲者を左翼と見なしうる人はいないであろう。
ではこれは単なる右翼内の権力闘争なのであろうか。
そうではない。
彼らには、自らが権力を掌握しようという意志はないのである。
さらに奇妙なことに、叛乱という意識が全くなく、天皇の権威と権力に挑戦しているなどという意識は、はじめから終わりまで、全く皆無なのである。
天皇が任命した高官をその目の前で射殺することも、無断で兵力を動かして蜂起することも、彼らにとっては挑戦でなく絶対服従なのである。彼らは本気で、心底からそう信じて疑わない。
言うまでもなくこれは、彼らが絶対視しているのは尊皇思想の象徴、
すなわち「自らの内なる天皇」であっても、
天皇家幕府でも天皇というその人でもないからである。
尊皇思想は天皇その人とも天皇家とも関係なく、主としてまず民間から起こって来た事実を思い起こし、西郷の死とともにまたそれが野(や)に帰ったことを考えれば、これはむしろ当然のことかもしれぬ。
尊皇は歴史的にみれば尊中である。
従って以上のことが、中国関係において典型的な形で表れるのは当然であろう。
民族の行動の思想的基盤は、対内的にも対外的にも同一であることは言うまでもない。
差があると見えるのは表れ方の差か、一時的、末梢的な外交的技術の差にすぎないわけである。
日支事変がそのまま2・26事件の海外版という型で表れ、そのため日本の軍事行動が世界のだれにも理解できなくても不思議ではないのである。
いわば尊中討奸・尊中攘夷なのである。
従って2・26事件の首謀者が自分たちの軍事行動を叛乱とは考え得なかったように、
当時の日本人は、中国への軍事行動を侵略とは考え得ないのである。
その基本にあるものは尊皇思想である。
すなわち「内なる中国」を絶対視し、「尊中」でそれを自己と一体化することが親中国であるから、
2・26事件の将校の対天皇と同様、
対象としても外在する「外なる中国」は、
無視されるどころか、はじめから存在しなくなるのである。
それゆえ中国対日本という関係で両者をとらえることはできない。
従って「外なる中国」が自らの意志で、「内なる中国」の前に立ちはだかったとき、
日本人は、2・26事件の将校と同じ態度にならざるを得ないわけである。
すなわち「内なる中国」を絶対視し、これを中国として「外なる中国」を排除するか、
「外なる中国」の意志を「内なる中国」と一体化し、これを絶対化してその前に土下座するか、である。
2・26事件の首謀者の「尊皇」が、現実には徹底した天皇無視となるのと同様に、日支事変の「尊中」が現実には徹底した中国無視になる。
日本人には中国と戦争をしたという意識がないという批判があったが、これは当然で、2・26事件の将校に「天皇と戦った」という意識がないのと同じである。
・・・以上、本著から片言隻句の寄せ集め。
トラウトマン和平工作により、
満州国承認
日支防共協定の締結
排日行為の停止
その他
を中国政府が協議の末、トラウトマン大使に「日本案受諾」「同条件を基とした和平会議の開催」を申し入れてきたところ、
12月8日に日本は中国が日本の提案を受諾することを確認した。
しかし軍事行動を止めない。
それどころか12月10日、南京城総攻撃を開始した。
なぜか。
「市民感情が条約に優先した」。
「評論家」であるべきはずの新聞が、逆に「感情」の代弁者となった。
南京陥落を報ずる新聞の狂態ぶり、「蒋さんどこへ行く」という嘲笑的見出しをかかげ、祝賀提灯行列の大きな漫画を掲載。
トラウトマン斡旋日本案を蒋介石が受諾することによって南京直前で停戦することは「市民感情が許さなかった」。
・・・このあたりの話は、いわゆる慰安婦問題について締結された日韓合意を破棄しようとする韓国を彷彿とさせ、我が国も他国のことは言えないな、と、大変興味深いのだが、
問題は、「なぜそのような感情を日本人は持つのか」。
ベンダサン氏は述べる。
中国は隣接の一部の国々に対しては、「文化的に君臨すれども政治的に統治せず」である。
その形態をそのまま天皇にあてはめて、それによって中国に対して文化的独立を主張してきたのが、天皇制のもつ一面なのである。
すなわち「中国の位置」に天皇を置くということなのである。
中国に土下座するのは天皇に土下座するのと同じことである。
中国の文化的支配権からの独立宣言の最近の例をあげれば、明治の教育勅語である。
徳川時代は、「尊皇」とは実は「尊中」であり、それを「歴代の天皇」へと切り替えたわけである。
それは結局、「理念としての日本国内の中国」への切り替えであり、現実の「中国」と「理念の中国」との分離宣言である。
後のこれが、「理念としての中国」を、逆に現実の「中国」へ押しつけて行こうとする結果になるのである。
日支事変の謎はこれが一種の「革命の輸出」だという点にある。
「尊皇」と「尊中」が同根であることは、日本がその歴史時代の始まりから、中国の圧倒的影響下にあったという状態が生み出した一つの歴史的所産である。
歴史的所産を、人は、消すことはできない。
これを思想史に組み入れ、伝統として客体化し、その上でこれに対処して新しい道を探す以外に方法がない。
それをしないで、過去を「なかったこと」にしておくと、それが民衆的表現、すなわち感情的表白として残り、逆に、「姿を変えた過去」に無批判に追従せざるを得なくなるのである。
一体全体「征韓論」が起こった原因は何か。
実質的には皆無といわねばならない。
征韓論者によると、原因は韓国が日本に非礼であったということだが、非礼が開戦の理由になるとは、何としても不思議な話である。
もし、このとき「征韓」が実施されていたら、おそらくそれは、南京城総攻撃以上に、世界史上最もわけのわからない戦争になったであろう。
大久保の主張の趣旨を要約解説すれば
「韓国が非礼だという。しかしそういうなら一体全体、日本に不平等条約を押しつけ、日本に駐兵さえしている列強はどうなのか。
韓国は何も日本に不平等条約を押しつけたわけでもなければ、日本に駐兵して治外法権を主張しているわけでもない。
主権を侵害しているものがあればそれは列強であっても韓国ではあるまい。
非礼が原因なら、まず「征列強」を強行してこれらを一掃しなければなるまい。
それをしないで「征韓」を主張するとは全く論理が通らない。従ってまず国力を増強して、列強の「非礼」を排除すべきだ」と。
では一体、なぜ西郷は、反論できないほど漸弱な主張を強行しようとしたのか。
またなぜ、この議論に敗れたことが、政府との訣別、隠退にまでなるのか。
いろいろな見方が成り立つと思うが、少なくとも西郷の主観的な見方での征韓とは、
いまの言葉でいえば、友邦への「革命の輸出」いわば主観的「解放戦争」なのである。
その革命は彼が生涯推進してきたものなのだが、それを欧米列強という「外国」に輸出する気は、もちろん彼にはない。
従って彼から見れば、大久保の議論はひどい詭弁になるだけでなく、
それは明治政府が、彼が推進してきた革命政府であることをやめるという宣言でもあった。
ここで隆盛が考えていたような天皇制は終わり、天皇家幕府が出来て、その外交政策はほぼ勝海舟の路線に沿って進み出したわけである。
そして徳川時代に育まれ、明治政府へと到達させた「勤皇思想」は、西郷と共に再び「野(や)」に下っていくのである。
そしてそれが後に、天皇思想が天皇家幕府に立ち向かい、新しい征韓論へと進んで行くわけである。
この尊皇思想と征韓論が、ほぼそのままの形で最終的な姿で出て来たのが、2・26事件と日支事変であった。
2・26事件だが、これが右翼の青年将校のクーデターなら、殺害された人々は左翼の巨頭のはずであるが、この犠牲者を左翼と見なしうる人はいないであろう。
ではこれは単なる右翼内の権力闘争なのであろうか。
そうではない。
彼らには、自らが権力を掌握しようという意志はないのである。
さらに奇妙なことに、叛乱という意識が全くなく、天皇の権威と権力に挑戦しているなどという意識は、はじめから終わりまで、全く皆無なのである。
天皇が任命した高官をその目の前で射殺することも、無断で兵力を動かして蜂起することも、彼らにとっては挑戦でなく絶対服従なのである。彼らは本気で、心底からそう信じて疑わない。
言うまでもなくこれは、彼らが絶対視しているのは尊皇思想の象徴、
すなわち「自らの内なる天皇」であっても、
天皇家幕府でも天皇というその人でもないからである。
尊皇思想は天皇その人とも天皇家とも関係なく、主としてまず民間から起こって来た事実を思い起こし、西郷の死とともにまたそれが野(や)に帰ったことを考えれば、これはむしろ当然のことかもしれぬ。
尊皇は歴史的にみれば尊中である。
従って以上のことが、中国関係において典型的な形で表れるのは当然であろう。
民族の行動の思想的基盤は、対内的にも対外的にも同一であることは言うまでもない。
差があると見えるのは表れ方の差か、一時的、末梢的な外交的技術の差にすぎないわけである。
日支事変がそのまま2・26事件の海外版という型で表れ、そのため日本の軍事行動が世界のだれにも理解できなくても不思議ではないのである。
いわば尊中討奸・尊中攘夷なのである。
従って2・26事件の首謀者が自分たちの軍事行動を叛乱とは考え得なかったように、
当時の日本人は、中国への軍事行動を侵略とは考え得ないのである。
その基本にあるものは尊皇思想である。
すなわち「内なる中国」を絶対視し、「尊中」でそれを自己と一体化することが親中国であるから、
2・26事件の将校の対天皇と同様、
対象としても外在する「外なる中国」は、
無視されるどころか、はじめから存在しなくなるのである。
それゆえ中国対日本という関係で両者をとらえることはできない。
従って「外なる中国」が自らの意志で、「内なる中国」の前に立ちはだかったとき、
日本人は、2・26事件の将校と同じ態度にならざるを得ないわけである。
すなわち「内なる中国」を絶対視し、これを中国として「外なる中国」を排除するか、
「外なる中国」の意志を「内なる中国」と一体化し、これを絶対化してその前に土下座するか、である。
2・26事件の首謀者の「尊皇」が、現実には徹底した天皇無視となるのと同様に、日支事変の「尊中」が現実には徹底した中国無視になる。
日本人には中国と戦争をしたという意識がないという批判があったが、これは当然で、2・26事件の将校に「天皇と戦った」という意識がないのと同じである。
・・・以上、本著から片言隻句の寄せ集め。
2012年12月13日に日本でレビュー済み
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山本七平の神髄は江戸時代の理解と知識にあるが、日本と中国との関係においては、少なからず日本側にも問題があることに気づかされる。沖縄が日本と中国のどちらに属するかは、実はデリケートなことは、「動乱のインテリジェンス」(佐藤、手島)にも指摘されており、山本氏の独断ではないことがわかる。
2005年6月6日に日本でレビュー済み
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「日本人と中国人」と言うタイトルから、日中関係がうまくいかなくなる日中双方の理由を指摘しているのかと思ったが、本書が問題にしているのは全て日本側のことである。日本人は自分達の中で勝手に作り上げた中国のイメージを真の中国と思い込んでしまうので、実際の中国とそのイメージとのずれに対し、ある時は土下座、ある時は排除するのである。それで、中国人=天孫民族論から中国人=犬猿論と、極端から極端に振れてしまうとのことである。そしてこれは、天皇やアメリカについても言える思考パターンである。
また、著者は本多勝一著『中国の旅』を黙示文学としているが、「日本人は好戦的な民族である」との対外的イメージは、日本軍が南京を攻撃したことによるものとしている。これは市民感情を条約に優先させてしまったためであるが、これも日本人が常々留意しなければならない点だろう。
本書は、日中国交回復ブームに沸く1972~1974年にかけて連載されたものをまとめたものであるが、そのブームも冷めた目で見つめている。そして、秀吉時代まで遡って、日本人がどのように中国をイメージしてきたかを分析し、日本人の思考・行動パターンを的確に指摘した優れた著作である。
また、著者は本多勝一著『中国の旅』を黙示文学としているが、「日本人は好戦的な民族である」との対外的イメージは、日本軍が南京を攻撃したことによるものとしている。これは市民感情を条約に優先させてしまったためであるが、これも日本人が常々留意しなければならない点だろう。
本書は、日中国交回復ブームに沸く1972~1974年にかけて連載されたものをまとめたものであるが、そのブームも冷めた目で見つめている。そして、秀吉時代まで遡って、日本人がどのように中国をイメージしてきたかを分析し、日本人の思考・行動パターンを的確に指摘した優れた著作である。
2017年1月27日に日本でレビュー済み
自分の軍事力、あちらの軍事力それを計算せずに戦争を仕掛けた。
南京総攻撃の目的を誰も意識していない
など旧日本の人たちが犯した失敗について言及しています
南京総攻撃の目的を誰も意識していない
など旧日本の人たちが犯した失敗について言及しています
2012年2月21日に日本でレビュー済み
「日本人とユダヤ人」で有名なイザヤ・ベンダサンこと山本七平の本である。中国人論ではなく、中国(どちらかというと日本人の中国に対する虚妄的イメージ)が日本人のメンタリティにどのような影響を及ぼしてきたか、という視点からの日本人論である。
水戸黄門のように、日本では権威者が民衆と結びついて、権力者と対立するという史観が強くある、という。権威とは、天皇しかり、中国しかり。中国は、文化圏であり一種の小宇宙である。しかし、明が滅びて満州族の清が成立すると中国らしい中国(日本人のイメージ通りの中国)がなくなってしまい、挙句の果てには「日本こそ本当の中国(中国としてのあるべき姿をむしろ本家よりも体現できている)」という考え方が出てきて、これが近代の中国進出の基盤になっているという。
足利義満は、中国の権威も天皇の権威も認めた。いわば2つの中国(的権威)を認めた。ただし儀礼対象として認めたにすぎず、幕府への内政干渉は決して許さない。自己に有利なら認めるし、不利なら認めないだけ。平清盛も似たような行動規範を持っていた。義満の時代は明からさまざまな民需品を輸入したが日本からの輸出品はほとんど日本刀。明の地方豪族の手にどんどん武器がわたってしまうのを防ぐため明としてはある程度貿易を取り締まりたいが、取り締まり過ぎると倭寇が活性化してしまう。
秀吉は、明を征服したら天皇を北京に移そうとしていた。これは秀吉が無意識のうちに北京が主で日本が従、という感覚(文化的価値観)をもっていた証拠であるという。関白という公家的立場にある以上、義満のように天皇の権威も中国の権威もどちらも認める、というわけにいかなかった。中国に従属的でありながら中国に反発するという始末の悪さ、複雑さ。
著者の膨大な資料ストックが著者の理論を支えているのだが論旨の展開に分かりにくい所もあるためやや読みにくい。しかし、それを差し引いても、日本人分析論としては一級品のおもしろさ、ユニークさである。
水戸黄門のように、日本では権威者が民衆と結びついて、権力者と対立するという史観が強くある、という。権威とは、天皇しかり、中国しかり。中国は、文化圏であり一種の小宇宙である。しかし、明が滅びて満州族の清が成立すると中国らしい中国(日本人のイメージ通りの中国)がなくなってしまい、挙句の果てには「日本こそ本当の中国(中国としてのあるべき姿をむしろ本家よりも体現できている)」という考え方が出てきて、これが近代の中国進出の基盤になっているという。
足利義満は、中国の権威も天皇の権威も認めた。いわば2つの中国(的権威)を認めた。ただし儀礼対象として認めたにすぎず、幕府への内政干渉は決して許さない。自己に有利なら認めるし、不利なら認めないだけ。平清盛も似たような行動規範を持っていた。義満の時代は明からさまざまな民需品を輸入したが日本からの輸出品はほとんど日本刀。明の地方豪族の手にどんどん武器がわたってしまうのを防ぐため明としてはある程度貿易を取り締まりたいが、取り締まり過ぎると倭寇が活性化してしまう。
秀吉は、明を征服したら天皇を北京に移そうとしていた。これは秀吉が無意識のうちに北京が主で日本が従、という感覚(文化的価値観)をもっていた証拠であるという。関白という公家的立場にある以上、義満のように天皇の権威も中国の権威もどちらも認める、というわけにいかなかった。中国に従属的でありながら中国に反発するという始末の悪さ、複雑さ。
著者の膨大な資料ストックが著者の理論を支えているのだが論旨の展開に分かりにくい所もあるためやや読みにくい。しかし、それを差し引いても、日本人分析論としては一級品のおもしろさ、ユニークさである。
2006年10月22日に日本でレビュー済み
山本七平氏は、日本・日本人の文化・思想の負の部分をしっかりと見つめ続けてくれた方ではないかと考えます。
それは、とてもありがたいことで、己を知ることは難しい。 人の欠点はよく見えるのですが・・・、
副題にもありますが「なぜ、中国とまともに付き合えないのか」の日本人の思想上の問題点に焦点があたっています。
古来、日本は大陸から知識・思想を輸入してきた。 儒教の中の中華思想から大陸への対抗として天皇を中国の位置に
置く「尊中」から「尊皇」へ、それが「日本こそ本当の中国」との尊皇思想としての内なる中国の絶対化と化していく
明治維新が中国化革命という捉え方は、考えも及ばないものでした。
「日本の基準で日本を見、同時に中国の基準で中国を見る」歴史上それが出来た方もいた分けですが、それが出来な
いといつも来た道、同じ間違いを繰り返すだけ、これは対中国に限ったことではなく日本の対外関係の弱さそのものの
ように感じられます。
それは、とてもありがたいことで、己を知ることは難しい。 人の欠点はよく見えるのですが・・・、
副題にもありますが「なぜ、中国とまともに付き合えないのか」の日本人の思想上の問題点に焦点があたっています。
古来、日本は大陸から知識・思想を輸入してきた。 儒教の中の中華思想から大陸への対抗として天皇を中国の位置に
置く「尊中」から「尊皇」へ、それが「日本こそ本当の中国」との尊皇思想としての内なる中国の絶対化と化していく
明治維新が中国化革命という捉え方は、考えも及ばないものでした。
「日本の基準で日本を見、同時に中国の基準で中国を見る」歴史上それが出来た方もいた分けですが、それが出来な
いといつも来た道、同じ間違いを繰り返すだけ、これは対中国に限ったことではなく日本の対外関係の弱さそのものの
ように感じられます。