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新・陰翳礼讃 単行本 – 2008/9/6
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■世界的照明デザイナーが初めて書き下ろす単行本、待望の刊行!
東京タワ−、東京駅レンガ駅舎、レインボ−ブリッジ、世界遺産の白川郷......。日本の景観を変え、さまざまな照明デザインをつくり続けてきた世界的照明デザイナー石井幹子氏が、日本の「あかり」の軌跡とその可能性について、初めて単行本を書き下ろしました。
私たちの日々の生活に欠かすことのできない「あかり」。美しく心地よいあかりとは何でしょう。国内外のさまざまなプロジェクトにかかわるなかで見出したのは、日本人が培ってきた「ほのかなあかり」の可能性----それは伝統の再発見でした。
本書では、著者自身が携わったさまざまな景観照明プロジェクトの試みを通し、日本の景観照明がたどってきた軌跡、日本のあかり文化、生活空間のあかりの工夫、そしてあかりの可能性を考えます。日本の文化や現状を見直すためにも、日々の暮らしを豊かにするためにも、ぜひ読んでいいただきたい一冊です。
- 本の長さ264ページ
- 言語日本語
- 出版社祥伝社
- 発売日2008/9/6
- ISBN-104396613121
- ISBN-13978-4396613129
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商品の説明
抜粋
各地のさまざまな照明デザインにかかわる中で私が見出したのは、「陰翳」の美しさであった。
これは、光と闇という対比の中で捉える欧米の照明とは違った、光から闇に至る中間領域の中にある、やわらかな「あかり」の存在であった。都市スケールでいえば、調和のとれた優しい夜景をつくることでもあり、建築や住宅のスケールでいえば、ほのかなあかりを大切にすることなのである。
著者について
登録情報
- 出版社 : 祥伝社 (2008/9/6)
- 発売日 : 2008/9/6
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 264ページ
- ISBN-10 : 4396613121
- ISBN-13 : 978-4396613129
- Amazon 売れ筋ランキング: - 913,894位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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光は白色である。消えれば暗闇。この間に七色。大きな光から点のような光まで、光の色を緻密に組立て、被写体の個性を際立たせ、あるいは消し、感動を与える色に仕上げる。たくさんの作品の話の中から、彼女の眼の中の光を見た。やさしくも強くも怖くもある。
そんな話が楽しめる本である。
紙面のほとんどは今までに取り組んできたプロジェクトや留学の回顧録など、本質的でない自慢のような語りが大半で読後、何かを得られた感はない。伝えたいであろうメッセージもなく、過去に行われた催しについての情報やフランス人照明デザイナーは谷崎の陰翳礼讃に影響を受けているなどの雑学だけを知りたいならサプリメントを摂取するようにこの本を読んでもいいかもしれない。
障子のあかりの美しさを指摘され、
谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』についても話題にあがったことを
きっかけに、日本のあかりについて、
振り返り、考えていこうという主旨です。
しかし、『陰翳礼讃』の考察というより
自伝的な要素が強く、著者の照明デザイナー人生について
紹介されています。
築100年を数える民間木造住宅は日本中探しても見つけるのが難しいが、これは空襲のせいではない。空襲に遭わなかった地域でもほとんど残っていないからである。日本の民間木造家屋の平均耐用年数は30年程度しかないのをご存知だろうか。(旧建設省の建設白書より引用)先進国の中では極端に短いのが特徴である。短い周期で「住宅を取り壊しては建て直し」を延々と繰り返してきたのが、これまで日本人がやってきたことである。
かつて江戸の街は木造住宅が密集している巨大人口の都市だったが、大火だけで100回以上起こっていて、単純計算すると2.6年に一度の割合で焼けている。そんなにしょっちゅう焼けるとなると、建てるほうでも取り壊すことを考えて建てたそうだ。「じっくり時間をかけて長持ちする頑丈な住宅を造ろう」という考え方は生まれなかった。そんなことを考えても無駄だろう。どうせ焼けるわけだから。江戸で発達したのは、「狭い空間スペースをうまく有効利用するために、大工の手仕事の巧みさを生かす」という方向の伝統だった。「木で頑丈な長持ちする住宅を造る」という方向ではない。伝統が進む方向が違う、とでも言ったらいいのだろうか。
「日本にも岐阜県白川郷の合掌造りのように、木造でも100年以上長持ちする住宅がある」と反論されそうだ。たしかに現存する古い民家は素晴らしい。ではその素晴らしい民家が、あなたの住まいの周辺にどれだけ残っているのか?ひとつも見当たらないのではないか?ああいうものは日本建築の例外で、主流はあくまで「取り壊すことを前提に建てる」という考え方だった。
その証拠に「土地値」という言葉がある。「本当に価値のある不動産は土地だけで、上物(建物)は消耗品にすぎない」という考え方だが、これが江戸時代から続く日本の建設業界の伝統である。建物があてにならないから、土地にばかり頼るような価値観が生まれ、これがバブル崩壊まで続いた「土地神話」のようないびつな形になって発達したのである。
某住宅メーカーの社長が新聞で言っていた。「息子が英国にいるので会いに行ったら、築100年の住宅がたくさんあって驚いた。帰国してから自社の設計士たちに、せめて耐用年数が今の倍の60年あるものを造れとハッパをかけているのだ。」 しかし日本の設計士の平均レベルは高い。問題は施行であり、地域社会で活動している工務店なのだ。彼らはなかなか本音を言わないが、酒が入るとポロっと洩らしたりする。「まあ適度に建て替えてもらわないと、俺たちの仕事ができないからね。」
重い住宅ローンを背負っている人は大勢いるが、ローンを払い終わる頃には住宅の耐用年数は尽き、経済価値はゼロになっていて売れないのが現状である。(いわゆる土地値)これが日本社会でいつまでたっても経済的余裕が生まれてこない元凶である。さらに海外に住んだ経験のある方なら、日本の住環境が貧しいことをよくご存知だろう。取り壊しを前提に住宅を建てているようでは、美しい住環境・景観が発達しにくいことが原因である。だったら照明文化も発達しづらいだろう。参考文献:笹川晋也「26年でダメになる家に35年ローンを組むのはやめなさい」