明治維新の負け組藩で既得権益は西側のものでせいぜい土地の集積利用である
地主貴族の爆誕しか期待できない東北地方であり、裕福であっても地に縛られ
続けなければならない宿命であるのかもしれません。不可逆的な田園買占めの
モノポリーゲームが当時の東北の各地に存在してその勝者であるという事実は
ある訳ですが…。家柄とは正反対の気質/主義の才覚の持ち主の太宰であったか
らこそ歴史に残ったというパラドックスな関係性も物悲しい。地主未満には
移動の自由や文書を書く能力がなかなか芽吹かなかった土壌とも言えるので…。
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津軽・斜陽の家: 太宰治を生んだ地主貴族の光芒 単行本 – 2000/6/1
鎌田 慧
(著)
- 本の長さ338ページ
- 言語日本語
- 出版社祥伝社
- 発売日2000/6/1
- ISBN-104396631723
- ISBN-13978-4396631727
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
農地改革によって没落していく生家・津島家。その「斜陽」と軌を一にするように入水自殺を遂げた太宰治。憎みつつ、しかし逃れようのなかった太宰にとっての「家」そして「故郷」とは-。同郷の著者が肉親の証言と秘録で辿る。
登録情報
- 出版社 : 祥伝社 (2000/6/1)
- 発売日 : 2000/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 338ページ
- ISBN-10 : 4396631723
- ISBN-13 : 978-4396631727
- Amazon 売れ筋ランキング: - 897,723位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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- - 238,916位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
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2016年11月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
商品は中古品とは思えないくらい程度のいいものでした。包装もよかった。
2009年6月3日に日本でレビュー済み
宮本常一等が監修した日本残酷物語全七巻を読み、学校でまともに習わなかった日本の近現代史を知り、最近衝撃を受けた北条民雄全集と時代背景が重なることに気が付き、ルポライターとしての実力を知る著者の本書を手にしました。
勿論三十年以上前に太宰治全集は読んでいます。
但し、小説のみで随筆や書簡は邪道と考え、当時は太宰治研究,小説太宰治など何十冊も積ん読をしていたが、読まずに今に至りました。
今回初めて太宰治関連書籍として本書を読んだことになります。
恥ずかしながら、斜陽館が旅館だった頃、夏と冬に二度泊まったことがあります。
最初は満室で芦野公園の四阿で一夜を過ごし、顔半分蚊に刺されたことを覚えています。
太宰の同級生、阿部合成作の文学碑の近くで、筵を敷き藁打ちをしていた老人に写真を一枚取らせて下さいというと、地下足袋の埃を払い頭の手ぬぐいを巻き直しポーズを取りながら「津島様は神様のような方です。私たちにただ同然で田圃を分けて呉れたのです。」と話してくれました。(勿論判りにくい津軽弁です。)
なんて無知でお人好しなんだ。それは農地改革だろう。と思ったものです。
しかし本書を読み、納得しました。
斜陽館は三十年前の私の目から見ても、それ程の建物ではありません。
玄関を入って左手にぐるりと白い吹き抜けを昇る幅が一間近い洋風階段に比べ、奥の板の間から上がる階段は傾斜が四十五度の人がすれ違えない暗い階段でした。
それは金木町での相対値としてであり、太宰が含羞を以て大屋根と表していることは、彼の視点を自ずと語るものであったと、本書は整理してくれました。
時代背景を知るには最高のテキストです。
太宰がそのような時代背景の中でも読者に普遍的命題を発見させ続けることに気づき、改めて太宰の作品を読み直してみようかしらと思いました。
勿論三十年以上前に太宰治全集は読んでいます。
但し、小説のみで随筆や書簡は邪道と考え、当時は太宰治研究,小説太宰治など何十冊も積ん読をしていたが、読まずに今に至りました。
今回初めて太宰治関連書籍として本書を読んだことになります。
恥ずかしながら、斜陽館が旅館だった頃、夏と冬に二度泊まったことがあります。
最初は満室で芦野公園の四阿で一夜を過ごし、顔半分蚊に刺されたことを覚えています。
太宰の同級生、阿部合成作の文学碑の近くで、筵を敷き藁打ちをしていた老人に写真を一枚取らせて下さいというと、地下足袋の埃を払い頭の手ぬぐいを巻き直しポーズを取りながら「津島様は神様のような方です。私たちにただ同然で田圃を分けて呉れたのです。」と話してくれました。(勿論判りにくい津軽弁です。)
なんて無知でお人好しなんだ。それは農地改革だろう。と思ったものです。
しかし本書を読み、納得しました。
斜陽館は三十年前の私の目から見ても、それ程の建物ではありません。
玄関を入って左手にぐるりと白い吹き抜けを昇る幅が一間近い洋風階段に比べ、奥の板の間から上がる階段は傾斜が四十五度の人がすれ違えない暗い階段でした。
それは金木町での相対値としてであり、太宰が含羞を以て大屋根と表していることは、彼の視点を自ずと語るものであったと、本書は整理してくれました。
時代背景を知るには最高のテキストです。
太宰がそのような時代背景の中でも読者に普遍的命題を発見させ続けることに気づき、改めて太宰の作品を読み直してみようかしらと思いました。
2006年12月17日に日本でレビュー済み
太宰治にとっての生家津島家と、故郷津軽。同書は、これら太宰治の根源に追った一冊である。太宰の周辺を描くことで、却って太宰の姿を鮮明に浮かび上がらせた、著者鎌田慧の手法を、「解説」で三浦雅士は、「まるで手品だ。」と評しているが、そのことに、私も同意である。これほどまでに、太宰治の素顔に迫った作品は、少ないのではないだろうか。また、太宰の根源である、生家津島家や、故郷津軽の姿そのものについての記述も、秀逸である。太宰の後期作品には、彼の根源回帰願望が、大いに仮託されているから、「人間失格」や、「斜陽」を読む際、同書を傍らに据えてみては、いかがだろうか。きっと、新しい太宰治の姿に、出会えるはずである。
2005年1月3日に日本でレビュー済み
本書は太宰の生家、大地主であった津島家を等身大に描こうとしている。
太宰に終生付き纏った大地主の子息という出自。。当然のことながら太宰文学に大きな影響を及ぼしていることは奥野健男氏はじめ多くの方々の指摘されるところである。
太宰の生家津島家には250町歩の田地を所有し300人の小作人がいた。関東、東海、関西などでは10町歩を越えれば大地主といわれたことを考えれば津島家がいかに大規模な地主であったがわかる。しかし津軽地方には津島家を凌ぐ大地主がさらに数軒存在しており、最大のものは600町歩を越えていた。
津軽のみならず東北地方にはこうした巨大地主が多く存在した(1000町歩を超えるものもあった)。冷夏、天候不順による不作で抵当に入れていた田地が地主にながれる、、地主は益々肥大化する。。こうした富の集積のメカニズムがかつての東北地方には宿命的に存在した。この点に関連して鎌田氏は宮沢賢治の岩手花巻の宮沢家についても触れている。
本著は太宰のバックグラウンドを知るうえで大変有用な好著である。同様の書物にちくま学芸文庫の「津島家の人びと」がある。両者とも読む価値の十分にある好著である。昭和初期に吹き荒れたマルキシズムの嵐の中、太宰が恐れた悪徳地主の姿はここには見えてこない。大地主津島家を成立させた要因はかつての東北地方に存在した富の集積の宿命的なメカニズムとそれを察知していた津島家代々の才覚だけである。
太宰に終生付き纏った大地主の子息という出自。。当然のことながら太宰文学に大きな影響を及ぼしていることは奥野健男氏はじめ多くの方々の指摘されるところである。
太宰の生家津島家には250町歩の田地を所有し300人の小作人がいた。関東、東海、関西などでは10町歩を越えれば大地主といわれたことを考えれば津島家がいかに大規模な地主であったがわかる。しかし津軽地方には津島家を凌ぐ大地主がさらに数軒存在しており、最大のものは600町歩を越えていた。
津軽のみならず東北地方にはこうした巨大地主が多く存在した(1000町歩を超えるものもあった)。冷夏、天候不順による不作で抵当に入れていた田地が地主にながれる、、地主は益々肥大化する。。こうした富の集積のメカニズムがかつての東北地方には宿命的に存在した。この点に関連して鎌田氏は宮沢賢治の岩手花巻の宮沢家についても触れている。
本著は太宰のバックグラウンドを知るうえで大変有用な好著である。同様の書物にちくま学芸文庫の「津島家の人びと」がある。両者とも読む価値の十分にある好著である。昭和初期に吹き荒れたマルキシズムの嵐の中、太宰が恐れた悪徳地主の姿はここには見えてこない。大地主津島家を成立させた要因はかつての東北地方に存在した富の集積の宿命的なメカニズムとそれを察知していた津島家代々の才覚だけである。