この本には、寺山修司が生きている。
人に出会うことを喜び、別れを嫌がったなど、とても頷ける一面だ。
寺山修司を支えたタフな日々に、圧倒される。
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寺山修司と生きて 単行本 – 2007/5/9
田中 未知
(著)
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寺山修司の文学・演劇・映画を全力で支えた田中未知が24年の沈黙を破って語りはじめる寺山修司の核心!
1960年代の大ヒット曲〈時には母のない子のように〉の作曲家・田中未知は、鬼才・寺山修司のパートナーとしてその死までの16年余をともに生きた。天井桟敷の驚くべき照明家、読者にじかに問いかける本『質問』の著者、不思議な楽器のコンサートを開く実験音楽家、けれどもっとも重要な田中未知の職業は「寺山修司」だった。
1960年代の大ヒット曲〈時には母のない子のように〉の作曲家・田中未知は、鬼才・寺山修司のパートナーとしてその死までの16年余をともに生きた。天井桟敷の驚くべき照明家、読者にじかに問いかける本『質問』の著者、不思議な楽器のコンサートを開く実験音楽家、けれどもっとも重要な田中未知の職業は「寺山修司」だった。
- 本の長さ382ページ
- 言語日本語
- 出版社新書館
- 発売日2007/5/9
- ISBN-104403210945
- ISBN-13978-4403210945
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登録情報
- 出版社 : 新書館 (2007/5/9)
- 発売日 : 2007/5/9
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 382ページ
- ISBN-10 : 4403210945
- ISBN-13 : 978-4403210945
- Amazon 売れ筋ランキング: - 416,614位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 75,809位ノンフィクション (本)
- - 117,278位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年5月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
作者は天井桟敷初期からのメンバーで「時には母のない子のように」を作曲した音楽家でもある、ちなみに作詞は寺山である、寺山が47歳で亡くなるまでの16年間秘書兼マネージャーとして公私にわたり支えづけたことが克明に書かれており、寺山に対する愛情、尊敬の念は半端でなく、寺山の没後も変わらない、それは地獄母というように寺山の母や主治医への怒りからも理解できる、ここまで崇拝され、愛された寺山は幸せだったと思う。
2007年5月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
寺山修司という多面体は、体験したその人ごとの寺山修司を作り上げる。もちろん寺山修司が意図的にしていたということもある。だから死んだのちに寺山修司についての本がたくさん出たが、ますます寺山修司の輪郭は朧になった。田中未知の寺山修司は、最も側で愛した人という立場から描かれている。だから寺山修司をとらえる確かな物差しの一つになる。寺山修司の最後の6年間ほど、僕も田中未知ほどではないが、かなり影響を受ける位置にいた。あたりまえだが、そこには知らない寺山修司もいて、意外に、人の印象よりも思想のディテ−ルだったりした。短歌の最後の7・7には円環と「私」がある。だからそこに埋没しがちだというような記述があった。それが演劇に向わせたのだ。だから劇場の円環性も否定したのだ、改めて思わされた。寺山修司は思考についても開いていた、都市に向って、人に向って、観客に向って。思想の像も輪郭が見えない。核がない。この本はその不思議の寺山修司にアプロ−チする最も最適なテキストブックかもしれない。
2013年4月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
以前から寺山修二の母 寺山はつ(この名はこの本で初めて知った)のことが気になっていた。
最近の朝日新聞に寺山修二を取り上げる欄がありそこにこの本が紹介されていて買うことにした。
相当な異常心理の持ち主ということが分かった。異常な言動で周囲を振り回す。それも尋常でない。
母子の間の複雑な関係が寺山の作品に色濃く反映されているのがよくわかった。
YouTubeで作品「田園に死す」を見ての感想だ。
とは言っても私は寺山の生き方に関心はあっても作品はほとんど目を通していない。
昭和の寵児だった寺山の名は還暦となった我々世代は知らぬものはいないだろう。
寺山の秘書であった著者の語り口によって私生活が明るみになった。
カルメンマキの「時には母のない子のように」作曲は著者が作ったもの。
初めて知った。写真で見る寺山に寄り添う著者の姿はとても幸せそうである。
とてもチャーミングである。
最近の朝日新聞に寺山修二を取り上げる欄がありそこにこの本が紹介されていて買うことにした。
相当な異常心理の持ち主ということが分かった。異常な言動で周囲を振り回す。それも尋常でない。
母子の間の複雑な関係が寺山の作品に色濃く反映されているのがよくわかった。
YouTubeで作品「田園に死す」を見ての感想だ。
とは言っても私は寺山の生き方に関心はあっても作品はほとんど目を通していない。
昭和の寵児だった寺山の名は還暦となった我々世代は知らぬものはいないだろう。
寺山の秘書であった著者の語り口によって私生活が明るみになった。
カルメンマキの「時には母のない子のように」作曲は著者が作ったもの。
初めて知った。写真で見る寺山に寄り添う著者の姿はとても幸せそうである。
とてもチャーミングである。
2007年9月1日に日本でレビュー済み
ある日ふと、懐かしいその方の名を書店で目にし、その本のただならぬ内容に買わないわけにはいかなかった。
あのころ、寺山修司の実験映画のなかに、題名を忘れたが(ローラかな?)、田中未知音楽担当のものがあり、とても印象に残っていた。
その後、劇団天井桟敷との関連でよくお名前を拝見していたが、彼の死後はそうではなくなっていた・・・そしてこの本との出会い。
寺山修司のもっとも身近にいて、もっとも彼を支え、深い思いを込めて惜しみない愛と献身を捧げた人、実母も含めまわりの人間や世間の誤解や誹謗中傷と望まないながらも戦いつづけ、ひとりのかけがえのない才能を持った天才をその死後も守り続けた人、いちずな愛に生きたひとりの素敵な女性。
「ぼくはたとえ誤解で殺されたとしてもかまわないね。自分ができる限りの力を尽くしたんだったら」この言葉に、寺山の真の強さを知り、彼のそばに最後まで留まった女性。
政治経済から機械や建物も含め、この世界の見かけの社会構造や社会常識は、主にわれわれ男たちが作り出したものかもしれない。でも、女性はそれと全く違う視点や考えでこの世や男性たちを見ているのではなかろうか?そんなことを田中未知の次のような言葉からも考えさせられた。
「日本の多くの男たちが・・・死ぬまえに花を咲かせる、といった言葉から脱皮できないのはなぜなのだろうか・・・自分は時代の責任をとってきたなどと口にする人間がいたら、私はたちどころにナルシスティックな男という印象を抱くだろう・・・生きてゆくのに大げさな意味は無用だ。ただ単純な優しさと人を思いやる愛が必要なだけだ・・・寺山修司という人はそれがつねにできた人なのだと私には信じられる。」
寺山を見守った女性たちはほかにもいた。しかし、田中未知はこうきりかえす。
「自分が愛する人間を純粋に愛する人々のことなら、私は愛せる。愛する人間をめぐってライバル意識をむきだしにすることのほうが、私には理解できない。」
男にはとうてい思いつかないし、書けもしないだろうことが、この本にはあり、それは寺山修司への興味や思いも超えたところから響いてくる。
あのころ、寺山修司の実験映画のなかに、題名を忘れたが(ローラかな?)、田中未知音楽担当のものがあり、とても印象に残っていた。
その後、劇団天井桟敷との関連でよくお名前を拝見していたが、彼の死後はそうではなくなっていた・・・そしてこの本との出会い。
寺山修司のもっとも身近にいて、もっとも彼を支え、深い思いを込めて惜しみない愛と献身を捧げた人、実母も含めまわりの人間や世間の誤解や誹謗中傷と望まないながらも戦いつづけ、ひとりのかけがえのない才能を持った天才をその死後も守り続けた人、いちずな愛に生きたひとりの素敵な女性。
「ぼくはたとえ誤解で殺されたとしてもかまわないね。自分ができる限りの力を尽くしたんだったら」この言葉に、寺山の真の強さを知り、彼のそばに最後まで留まった女性。
政治経済から機械や建物も含め、この世界の見かけの社会構造や社会常識は、主にわれわれ男たちが作り出したものかもしれない。でも、女性はそれと全く違う視点や考えでこの世や男性たちを見ているのではなかろうか?そんなことを田中未知の次のような言葉からも考えさせられた。
「日本の多くの男たちが・・・死ぬまえに花を咲かせる、といった言葉から脱皮できないのはなぜなのだろうか・・・自分は時代の責任をとってきたなどと口にする人間がいたら、私はたちどころにナルシスティックな男という印象を抱くだろう・・・生きてゆくのに大げさな意味は無用だ。ただ単純な優しさと人を思いやる愛が必要なだけだ・・・寺山修司という人はそれがつねにできた人なのだと私には信じられる。」
寺山を見守った女性たちはほかにもいた。しかし、田中未知はこうきりかえす。
「自分が愛する人間を純粋に愛する人々のことなら、私は愛せる。愛する人間をめぐってライバル意識をむきだしにすることのほうが、私には理解できない。」
男にはとうてい思いつかないし、書けもしないだろうことが、この本にはあり、それは寺山修司への興味や思いも超えたところから響いてくる。
2015年6月25日に日本でレビュー済み
数多くある寺山伝記のほとんどに目を通しているそうで、それらを検証、事実誤認を丹念に挙げてゆく。
盗作、剽窃問題への反論(松岡正剛も『千夜千冊』で擁護)も、筋が通っているように思える。
天井桟敷、及び劇団員、スタッフへの言及は、それほど多くはない。
(カルメン・)マキさん、アイドル以上の人気だったんだろうから、いろいろ大変だった様子も軽くふれるだけ。
そして、寺山はつに関する第3章「母地獄」は、にわかに信じ難いが、著者からの視点においては、やや誇張されている気もするが、御本人にとl;つては、偽りなき真実なのだろう。
数ある寺山作品中、何度も繰り返される愛憎半ばの「母親殺し」のテーマが、それを、うっすら裏付けてもいる。
最も驚いたのは、N医師(著作内では実名)の言動について記した箇所。
以下は、個人的な臆測に過ぎない。
文学好きらしいN医師は、おそらく大江健三郎・著『核時代の想像力』(1970年 新潮選書)を曲解し、金科玉条のように掲げていることが、うっすらと窺えたから、寺山ならではの言い回しで、「核兵器はフィクションだ」と挑発したのではないか。
それを真に受けて、N医師が逆上したとしか思えない。
「寺山は唐十郎が芥川賞をとったからうらやましかったんだろう」(P315)と、N医師に言われた萩原朔美は、「寺山のほうこそ諸外国の賞を総なめにしたビッグな存在」と発言したそうだ。
天井桟敷立ち上げメンバーのひとりだった萩原の立場を割り引いても、そういう見方は出来るであろうし、N医師は寺山を「文学者」として規定したがっていたようだが、寺山は短詩型からスタートし、戯曲、小説、随筆、評論などもこなす文学畑である以上に、作詞、演出家、映画監督、演劇人であり、ユニークな視点を持った発言者であり、まさに、「職業寺山修司」という人であった。
戯曲を楽しく拝読し、高円寺南口の喫茶店でよく原稿を書いていた唐さんに親しみを感じるが、寺山より歳下で、天井桟敷襲撃事件など、寺山を意識していたのは、唐さんの方ではなかったか。
終盤、病院不信、医師不信、人間不信に陥ってしまいそうになるが、そんな中、富岡多恵子が雑誌『海』(中央公論社)に書いた文章の引用、山崎努夫妻、高橋ひとみ等についての記述は、つきなみになるが、心温まり、爽やかな印象を与えてくれる。
1977年、三百人劇場のATG映画祭で、後日開催される寺山修司実験映画イヴェント・チケットを売っていた姿をお見かけし、二言三言言葉を交わし、購入した憶えがある。巻頭の写真より、ずっとコケティッシュで可愛いお姉さんだった。当時流行っていたサボ(底が厚いサンダル)を履いた寺山さんが、階下から、二人分のコーヒーを持ってゆっくり上がって来たっけ。
盗作、剽窃問題への反論(松岡正剛も『千夜千冊』で擁護)も、筋が通っているように思える。
天井桟敷、及び劇団員、スタッフへの言及は、それほど多くはない。
(カルメン・)マキさん、アイドル以上の人気だったんだろうから、いろいろ大変だった様子も軽くふれるだけ。
そして、寺山はつに関する第3章「母地獄」は、にわかに信じ難いが、著者からの視点においては、やや誇張されている気もするが、御本人にとl;つては、偽りなき真実なのだろう。
数ある寺山作品中、何度も繰り返される愛憎半ばの「母親殺し」のテーマが、それを、うっすら裏付けてもいる。
最も驚いたのは、N医師(著作内では実名)の言動について記した箇所。
以下は、個人的な臆測に過ぎない。
文学好きらしいN医師は、おそらく大江健三郎・著『核時代の想像力』(1970年 新潮選書)を曲解し、金科玉条のように掲げていることが、うっすらと窺えたから、寺山ならではの言い回しで、「核兵器はフィクションだ」と挑発したのではないか。
それを真に受けて、N医師が逆上したとしか思えない。
「寺山は唐十郎が芥川賞をとったからうらやましかったんだろう」(P315)と、N医師に言われた萩原朔美は、「寺山のほうこそ諸外国の賞を総なめにしたビッグな存在」と発言したそうだ。
天井桟敷立ち上げメンバーのひとりだった萩原の立場を割り引いても、そういう見方は出来るであろうし、N医師は寺山を「文学者」として規定したがっていたようだが、寺山は短詩型からスタートし、戯曲、小説、随筆、評論などもこなす文学畑である以上に、作詞、演出家、映画監督、演劇人であり、ユニークな視点を持った発言者であり、まさに、「職業寺山修司」という人であった。
戯曲を楽しく拝読し、高円寺南口の喫茶店でよく原稿を書いていた唐さんに親しみを感じるが、寺山より歳下で、天井桟敷襲撃事件など、寺山を意識していたのは、唐さんの方ではなかったか。
終盤、病院不信、医師不信、人間不信に陥ってしまいそうになるが、そんな中、富岡多恵子が雑誌『海』(中央公論社)に書いた文章の引用、山崎努夫妻、高橋ひとみ等についての記述は、つきなみになるが、心温まり、爽やかな印象を与えてくれる。
1977年、三百人劇場のATG映画祭で、後日開催される寺山修司実験映画イヴェント・チケットを売っていた姿をお見かけし、二言三言言葉を交わし、購入した憶えがある。巻頭の写真より、ずっとコケティッシュで可愛いお姉さんだった。当時流行っていたサボ(底が厚いサンダル)を履いた寺山さんが、階下から、二人分のコーヒーを持ってゆっくり上がって来たっけ。
2007年12月3日に日本でレビュー済み
“寺山がしたい仕事をするための時間を作り出すためなら、私にできるすべてのことをした。電話の応答、スケジュール調整、郵便物の返事、契約書のサイン、一切の金銭支払い、税金の申告、衣類の購入、洗濯と。薬と水は時間になったら忘れないように手の届くところに置いた。柑橘類は皮をむく手間をはぶくため、そのまま口に放りこめるようにお皿に盛った。歯医者には私が先に行って待合室で順番を待った。「この次」というときに、喫茶店で原稿を書いている寺山を電話で呼び出すのである”という本文引用を穂村弘の書評で見て、すぐにこの本を入手した。何か凄いものを感じたからだ。
寺山と言えば、私は奇跡的に最後の舞台を観ることができたが、あとはエッセイや短歌、映画の作家として、その才能に圧倒された。同時代を生き、芝居人としての寺山をもっと見られれば、と思ったものだ。
田中氏は寺山の秘書として、最も身近な女性として、己を捨てて寺山に尽くした。上記の他に、劇団天井桟敷の制作・照明もこなし、寺山の母はつとの折衝に追われ、寺山の介護をし、複雑な女性関係の交通整理までこなし、寺山の全てを知り尽くしていた。
ここで描かれるのは、天才寺山のイメージとは裏腹に、人の頼みを断われず、病をおしてもさまざまな仕事を引き受けてしまう寺山で、著者は寺山への絶対的な愛ゆえに、周辺の勝手な思惑や、寺山はつの横暴、主治医の非道ぶり等々に、さんざん悔しい思いをさせられる。その悔しさが本書の全てと言ってもいい。
時代の濃密な空気、驚くほど多彩な交友関係を示す、著名人の固有名詞、そして想像を絶する寺山はつの言動など、興味は尽きない。田中氏あってこその寺山だったのだとわかった。死に至るまでの凄絶な日々や、死後の周辺の勝手なふるまいを読むと、彼女の悔しさが、痛いほど伝わってくる。彼女は寺山の、病気以外の痛みを全て身代わりとして引き受けたのだろう。
寺山と言えば、私は奇跡的に最後の舞台を観ることができたが、あとはエッセイや短歌、映画の作家として、その才能に圧倒された。同時代を生き、芝居人としての寺山をもっと見られれば、と思ったものだ。
田中氏は寺山の秘書として、最も身近な女性として、己を捨てて寺山に尽くした。上記の他に、劇団天井桟敷の制作・照明もこなし、寺山の母はつとの折衝に追われ、寺山の介護をし、複雑な女性関係の交通整理までこなし、寺山の全てを知り尽くしていた。
ここで描かれるのは、天才寺山のイメージとは裏腹に、人の頼みを断われず、病をおしてもさまざまな仕事を引き受けてしまう寺山で、著者は寺山への絶対的な愛ゆえに、周辺の勝手な思惑や、寺山はつの横暴、主治医の非道ぶり等々に、さんざん悔しい思いをさせられる。その悔しさが本書の全てと言ってもいい。
時代の濃密な空気、驚くほど多彩な交友関係を示す、著名人の固有名詞、そして想像を絶する寺山はつの言動など、興味は尽きない。田中氏あってこその寺山だったのだとわかった。死に至るまでの凄絶な日々や、死後の周辺の勝手なふるまいを読むと、彼女の悔しさが、痛いほど伝わってくる。彼女は寺山の、病気以外の痛みを全て身代わりとして引き受けたのだろう。