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本多静六自伝 体験八十五年 単行本 – 2006/1/31
解説・神田昌典氏
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社実業之日本社
- 発売日2006/1/31
- ISBN-104408395862
- ISBN-13978-4408395869
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商品の説明
著者からのコメント
私は過去八十五年の長い生涯を顧みて、私の誇るべきもの、私の説き得るものに何かあるとすれば、それはただ、この八十五年に集積した体験ばかりのように考えられる。(中略)
平凡人の平凡に生きてきた道は、ただ努力主義につながる以外はない。否むしろ、天才すらが努力そのものの所産である。努力こそ人生のすべてで、努力の体験こそ最も貴重なる体験と言わねばならぬ。そこで、私は私自身の至らぬ努力体験を語ることに大いなる喜びを感ずる。
出版社からのコメント
『私の財産告白』『私の生活流儀』『人生設計の立て方』のリバイバルで、いま再び脚光を浴びている本多静六。本書は、氏が死の直前にまとめた“まぼろしの自叙伝”を再編集の上、はじめて復刊するものです。
「人生即努力、努力即幸福」をモットーに生きた本多静六は、貧しい農家に生まれ、大変な苦労を重ねながらドイツに留学し、東大での教授生活のかたわら財産を築き、のちには「蓄財の神様」とまで呼ばれるようになります。しかし、解説者の神田昌典氏が「本多静六の名著を、単にノウハウ本として読むのはとてももったいない」と指摘しているように、氏が85年の体験を通じて後世のわれわれに残したメッセージは、はるかにスケールの大きなものでした。それは、「人はいかに生き、いかに死ぬべきか」という根本的な人生論でもあります。
しかも本書は、筑摩書房が1962年に刊行した「世界ノンフィクション全集」(全50巻)に抄録が収められたことが示すように、近代日本を生きたひとりの人間のノンフィクションとしても見事な内容で、貧乏あり、学問あり、貨殖あり、恋愛ありと、明治・大正・昭和を見事に歩んだ痛快無比の人生は、読み物としても抜群の面白さがあります。
本多静六の生誕140年の節目(2006年)に復刊した本書を、「われわれ後輩に、これからの激動の時代を生き抜く勇気と覚悟を贈っている」(神田昌典氏)ものとして、お読みいただければ幸いです。
著者について
1893年、東京農科大学の助教授となり、「4分の1天引き貯金」と1日1頁の原稿執筆を開始。1900年には教授に昇任し、研究生活のかたわら植林・造園・産業振興など多方面で活躍するだけでなく、独自の蓄財投資法と生活哲学を実践して莫大な財産を築く。
1927(昭和2)年の定年退官を期に、全財産を匿名で寄付。その後も「人生即努力、努力即幸福」のモットーのもと、戦中戦後を通じて働学併進の簡素生活を続け、『私の財産告白』『私の生活流儀』『人生計画の立て方』(実業之日本社刊)をはじめとする370冊余りの著作を残した。
1952(昭和27)年1月、85歳で逝去。
登録情報
- 出版社 : 実業之日本社 (2006/1/31)
- 発売日 : 2006/1/31
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 256ページ
- ISBN-10 : 4408395862
- ISBN-13 : 978-4408395869
- Amazon 売れ筋ランキング: - 271,800位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,839位自伝・伝記
- - 16,778位歴史・地理 (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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実を言うと、神田氏の推薦に惹かれて読みはじめました。
だから、神田氏が常に言っているような、
「春夏秋冬理論」など絡んだ内容なのかと思っていましたが、
そんな薄っぺらい内容ではありませんでした。
いい本を読むきっかけって面白いですね、
これほど骨太な内容の本もなかなかないな、というが印象です。
農家の六男として生まれた著者が、
いかにして立志伝中の人物となったのか、つぶさに書かれています。
が、
この本の本質は、「災禍はあざなえる縄の如し」ともいえる、
人生の妙味を味わうことができるところでしょう。
たとえば、
数学で落第を取って、自殺まで考えたが、
先生にも恵まれて一念発起、猛勉強の末良い成績を上げる。
その経験から、「天才とは努力のこと」ということを知り、
それが努力に努力を重ねるきっかけとなる。
貧困に苦しんだり、多事多端な洋行をしたり、
大きな事業にとりくんだりと、波乱の人生ですが、
決して悲観したりやけにやらないのが、
この方の偉大なところでしょう。
「4分の1天引き蓄財法」などのノウハウでも知られている方ですが、
そんなところよりも「生き様」こそが勉強になります。
魂に熱を吹き込んでくれる、そんな本だと思います。
もちろん、今でも遅くはない。出会えてよかった。ドクトル本多静六、関係者の皆様、ありがとうございます。
勉強に費やした工夫や姿勢は見習うべきものが多いし、読みやすさもあるので親しみやすい。
平易な言葉で書かれた数々の体験は平凡な一個人なら誰でも経験するような、そして誰でも考えるようなことが書き連ねてある。だからこそ、その偉業が素晴らしい輝きを放つのだ。
伸び伸びと自分の実力を発揮できるからです。
自由度が高い。やりたいことがやれる。
ところが同じ職場にいても「やりたいことがやれない」「いろいろ制限が多くて不自由だ」と言う人もいるんです。
確かに、やりたいことがやれると言っても何でもやれるわけじゃありませんし、制限が全くないわけじゃない。
でも制限があるから反って自由にやれることも多いんです。
同じ職場なのに、自由にやれるという人もいれば、不自由だと言う人もいる。
楽しんでいる人もいれば、つまらなそうにしている人もいる。
この違いはどこからくるのでしょうか。
この本にこんなことが書いてありました。
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職業を道楽化する方法は、ただ一つ、勉強に存する。努力また努力のほかはない。
あらゆる職業は、あらゆる芸術と等しく、それに入るに、はじめの間こそ多少苦しみを経なければならぬが、何人も自己の職業、自己の志向を天職と確信して、迷わず、疑わず、専心に努力するからには、早晩必ずその仕事に面白みを生じてくるものである。
一度その面白みが生じてくることになれば、もはやその仕事は苦痛でなく、負担でなく、義務でもない。
歓喜の力行となって、立派な職業の道楽かとなってくる。(198p)
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自由に楽しく仕事をするには、職業を道楽化できるかどうかが、そのポイントだとぼくは思っています。
一日の大半の時間を過ごす仕事を、道楽のように楽しみに変えてしまうことなんだと思うのです。
それにはどうしたらいいか。
本田さんは、ただ一つ、勉強に存する、と言います。
勉強とは、事前の予習と、事後の復習からなります。
事前の予習を十分行えば、リスクがどこにあるか分かります。
リスクを避けつつやっていけるので、自由に動ける範囲が広がります。スピードも上げられます。
予習が十分でない場合、どこにリスクがあるかよく分からないので、手探りで進まなくてはいけません。
なるべく安全な道を選んでしまいますから、動ける範囲がすごく狭くなる。
のろのろとスピードも遅くなってしまう。
万が一、リスクに気付かずに地雷を踏んでしまったとき、復習は欠かせません。反省と言ってもいい。
復習しておけば、リカバーも早くなりダメージも少なくなります。
次から同じリスクに陥らなくてすむようにもなります。
復習を怠れば、何度も同じような失敗を繰り返してしまいます。
そうすると心は萎縮し、ますます自由に動けなくなってしまうのです。
こうしてみると、勉強は太陽の光のようなものだと言えますね。
行く道を照らしてくれる光です。
明るい場所を行くなら、どこに危険があるか見えるわけですから、ぴょんぴょんとそこを避けつつ、走り抜けることができる。
勉強こそ、自分の行く道に光を当ててくれ、自分の自由度を上げてくれる方策なんだと思っています。
『私の財産告白』を読んで「すごい人だなぁ」と思ったので、
『自伝』も読んでみたのですが、
他の方ほど私は感動できていなかったようです。
もっと、貯蓄に関することや、
努力に関して重点をおいてほしかったのですが、
他のエピソードなどに薄められていたため少し残念でした。
(自伝なので当然だとは思いますが・・・)
評価は星3つとさせていただきましたが、
本の内容が悪いというよりは、
私の勝手な期待など、
読む側の出来の悪さから出た評価といえるのかも知れません。
少し時間を空けてから、もう一度読んでみたいと思います。