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サッカ-の詩学と政治学 単行本 – 2005/10/1
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サッカーは、ただ人びとの熱狂という単一の経験を生み出すのではない。近代から現代にいたる歴史のなかで、ヨーロッパ、アフリカ、アジアというそれぞれの場所において、サッカーは人びとの文化的アイデンティティ形成や、植民地/被植民地的社会構造と結びついてきた。本書は、ファン文化やチームのパフォーマンスといったサッカーの諸実践・経験を通じて「私たち」の感覚が練り上げられるプロセスに着目し、そのなかで両義性を孕みながら節合される美学と政治学をスリリングに読み解いていく。
カルチュラル・スタディーズによるサッカー研究の実践。
- ISBN-104409040766
- ISBN-13978-4409040768
- 出版社人文書院
- 発売日2005/10/1
- 言語日本語
- 本の長さ276ページ
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登録情報
- 出版社 : 人文書院 (2005/10/1)
- 発売日 : 2005/10/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 276ページ
- ISBN-10 : 4409040766
- ISBN-13 : 978-4409040768
- Amazon 売れ筋ランキング: - 521,402位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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この本はサッカーを愛するすべてのひとに、否応なしに
峻厳なこの事実をつきつけている。
論考を寄せている論者たちの主張に賛成するにせよ
反対するにせよ、本書はサッカーをとりまく現状について
議論を始める重要なきっかけを与えてくれている。
寄稿者のひとりであるレス・バックは本書中でこう言っている。
「…私たちは、深刻な文化的対象としてスポーツを学問上の
トップリストに登録しなければならない。なぜならスポーツの
本当の重要性は、帰属や集合的アイデンティティ、排除を
めぐって引かれるラインを焦点化するその力にあるからだ。」
この本のトピックのひとつにサッカーと人種主義があるが、
日本における従来のカルチュラル・スタディーズ研究には
人種主義への視点がかなり希薄であることを考えると、
本書は次世代のカルチュラル・スタディーズ研究の可能性
を示してくれているように思う。
この言説が全くの絵空事にすぎないことは、この一冊が試みている途方もないチャレンジに集約される。サッカーと少なからず距離を置いて、そのサッカーを客観的に考察する。この想像すらできない試みを実効した編著者には手放しの賞賛を送ろう。なぜならば、このような研究を行っている人間こそが、最も、サッカーという、たわいもないボールの奪い合いを愛しているからであり、そのたわいもない行為に対する接し方を理解しているからである。
しかしながら敢えて言おう!サッカーとは、あなた達が避けるべき、その対象に対する主観的な考察を、意味の無い、無価値なものとして受け入れることから始まるのである。あなた達が言わんとしていることなどサッカーの試合に陶酔したサポーターの前では、全く無視されるはずのものである。1964年、フランスカップを手にしたMekhloufiへのフランス大統領ドゥ・ゴールの賞賛、1998年、“サン・ドゥニ”でのジダンの2ゴール、2005年11月8日のリリアン・テュラムのマルチニクでの発言は、客観的になど判断されるはずも無い。
しかし、だからこそサッカーはおもしろい。学問的?客観的?サッカーを愛するサポーターが集うスタジアムの中でそんなことが言えるのか?ここはそんな単語を最も嫌うサッカー中毒者達の巣窟であることを“あなた”なら知っているはずだ。