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嘔吐 新訳 単行本 – 2010/7/20
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20世紀フランス文学の金字塔、60年ぶりの完全新訳!
港町ブーヴィル。ロカンタンを突然襲う吐き気の意味とは……
一冊の日記に綴られた孤独な男のモノローグ。
港町ブーヴィル。ロカンタンを突然襲う吐き気の意味とは……
一冊の日記に綴られた孤独な男のモノローグ。
- 本の長さ338ページ
- 言語日本語
- 出版社人文書院
- 発売日2010/7/20
- 寸法2 x 13.3 x 18.8 cm
- ISBN-104409130315
- ISBN-13978-4409130315
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商品の説明
著者について
鈴木道彦(すずき・みちひこ)<br> 1929年東京生まれ。東京大学文学部仏文学科卒業。一橋大学、獨協大学教授を経て、現在、獨協大学名誉教授。<br> 著書に『サルトルの文学』(紀伊國屋書店)、『プルースト論考』(筑摩書房)、『異郷の季節』(みすず書房)、『プルーストを読む』、『越境の時』(共に集英社新書)など。<br> M.プルースト『失われた時を求めて』(全13巻、集英社)の個人全訳で、2001年度讀賣文学賞、日本翻訳文化賞受賞。
登録情報
- 出版社 : 人文書院 (2010/7/20)
- 発売日 : 2010/7/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 338ページ
- ISBN-10 : 4409130315
- ISBN-13 : 978-4409130315
- 寸法 : 2 x 13.3 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 55,949位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 74位フランス文学 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年4月23日に日本でレビュー済み
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安い早い、面白かった。トレンド3月
2023年4月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
全体の三分の二程度読んでも、別に引きこもりではないし暮らしに困る様子もないのに何で主人公こんな皮肉ばかり思い浮かべて友達いない感じで暮らしてるんだろう位にしか感じなかったけど、最後近くなってきたらメチャメチャ面白い。
しかし、もし自分が十代の頃にこれを読んでもまるで理解出来なかっただろう。
しかし、もし自分が十代の頃にこれを読んでもまるで理解出来なかっただろう。
2023年5月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
なんとも表し難い、不思議な作品だった。
サルトルの初期の作品だということである。
この作品が好評とサルトルの名声をもたらした理由が、わかるようでまるでわからないような読後感だった。
主人公の日記形式なのだが、その行動にも思考にも印象に残るものがあまりなく、とりつく島がない。
しかし、それでも最後まで読み通すことができた。
退屈だと感じることもなかった。
読みやすい文章にも関わらず、私にはまだ全貌が理解できない名作。
時間を経て、この本から得るものが出てくるのだろうか?
サルトルの初期の作品だということである。
この作品が好評とサルトルの名声をもたらした理由が、わかるようでまるでわからないような読後感だった。
主人公の日記形式なのだが、その行動にも思考にも印象に残るものがあまりなく、とりつく島がない。
しかし、それでも最後まで読み通すことができた。
退屈だと感じることもなかった。
読みやすい文章にも関わらず、私にはまだ全貌が理解できない名作。
時間を経て、この本から得るものが出てくるのだろうか?
2022年9月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
サルトルは読んだらためになる
2024年4月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
サルトルという著者や『嘔吐』という題名のわりには、平凡な作品。
もとの候補であったタイトルは『アントワーヌ・ロカンタンの驚異の冒険』とのこと。しかし、驚異でも冒険でもない。
このような凡作でも、サルトルの作品として、丁寧な和訳を施し、刊行してくれた出版社には感謝したい。
もとの候補であったタイトルは『アントワーヌ・ロカンタンの驚異の冒険』とのこと。しかし、驚異でも冒険でもない。
このような凡作でも、サルトルの作品として、丁寧な和訳を施し、刊行してくれた出版社には感謝したい。
2023年11月19日に日本でレビュー済み
デカルトの「我思う故に我あり」という気づきは、近代ヨーロッパの哲学に根底的な転換をもたらした。これに対してサルトルは、「思う」よりも「感じる」方が根源的であることに気づく。
肉体としてのボッテリした「感覚」の方が人間の実態に近く、「思考」が生み出した綺麗事はその派生物に過ぎない。自己の存在理由など幻想であり、人間は世界の一部として偶然そこに存在する物体に過ぎない。主人公は自分がそうした存在であることに気づき、吐き気を覚える。その一方で、人間は思考が生み出した派生物を纏って自己を純化しようとする。そして、それをヒューマニズムと呼ぶ。主人公はそうした欺瞞にも嫌悪感を覚える。
この小説は、フッサールの現象学的還元を小説で表現したような印象を受ける。フッサールの「イデーン」や「内的時間意識の現象学」の後に読むことで、その味わい深さを実感できる。
人間の意識に世界の現象がどのように立ち現れるのか、その前提として意識は空間や時間をどのように捉えているのか。こうした探究を通じて、フッサールは人間が世界の形相的本質を把握できると考えた。
これに対してサルトルは、そうした真理は思考が生み出した派生物に過ぎず、普遍的本質のように見えるものは習慣でしかないと断じる。形相的本質や理想を追求しても、そこで人間を待っているのは挫折だ。その一方で、ただ肉体として生きているだけの状態には吐き気を覚える。
人間にとって分不相応な理想を追求することなく、かと言って挫折を怖れて余生を送るだけでもない生き方。偶然に与えられた世界と自己との関係や文脈から脱却する自由と勇気。サルトルはそうした、生の人間に相応しい生き方を見出そうとした人であるように感じる。
肉体としてのボッテリした「感覚」の方が人間の実態に近く、「思考」が生み出した綺麗事はその派生物に過ぎない。自己の存在理由など幻想であり、人間は世界の一部として偶然そこに存在する物体に過ぎない。主人公は自分がそうした存在であることに気づき、吐き気を覚える。その一方で、人間は思考が生み出した派生物を纏って自己を純化しようとする。そして、それをヒューマニズムと呼ぶ。主人公はそうした欺瞞にも嫌悪感を覚える。
この小説は、フッサールの現象学的還元を小説で表現したような印象を受ける。フッサールの「イデーン」や「内的時間意識の現象学」の後に読むことで、その味わい深さを実感できる。
人間の意識に世界の現象がどのように立ち現れるのか、その前提として意識は空間や時間をどのように捉えているのか。こうした探究を通じて、フッサールは人間が世界の形相的本質を把握できると考えた。
これに対してサルトルは、そうした真理は思考が生み出した派生物に過ぎず、普遍的本質のように見えるものは習慣でしかないと断じる。形相的本質や理想を追求しても、そこで人間を待っているのは挫折だ。その一方で、ただ肉体として生きているだけの状態には吐き気を覚える。
人間にとって分不相応な理想を追求することなく、かと言って挫折を怖れて余生を送るだけでもない生き方。偶然に与えられた世界と自己との関係や文脈から脱却する自由と勇気。サルトルはそうした、生の人間に相応しい生き方を見出そうとした人であるように感じる。
2015年3月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この作品を有名にしたのは、日常まったく意識していなかった「存在」が剥き出しの姿を現し、この「怪物じみた、ぶよぶよした、混乱した塊」に対して主人公が嘔吐をもよおすシーンだ。
ここで語られているのは、何とも奇妙な体験だ。
世界や実存についての漠然とした「不安」「空虚感」そして「恐怖」は、現代の思想や文学の定番とも言えるが、まさか「嘔吐」とは!
もっとも、この作品の魅力は、このいささか誇張された、哲学的(?)体験に尽きない。
毎日決められた時間に図書館に来ては、アルファベット順にタイトルを選んで読書に耽る「独学者」や主人公の元恋人アニーら、脇役も充実している。
主人公が美術館で町の過去の名士たちを描いた一連の絵を眺めるシーンや「独学者」の「ヒューマニズム」を揶揄するシーンは、ブルジョア的な精神に対する主人公の軽蔑をみごとに浮き彫りにしている。
とりわけ興味深いのは、酒場で古いレコード「ラブタイム」を聞いて主人公が幸福感を感じるシーンだ。
要するに、この作品は様々な要素を併せ持つ勝れた小説なのだ。
嘔吐のシーンはもちろん重要だが、それだけで判断されるには惜しい作品だ。
ここで語られているのは、何とも奇妙な体験だ。
世界や実存についての漠然とした「不安」「空虚感」そして「恐怖」は、現代の思想や文学の定番とも言えるが、まさか「嘔吐」とは!
もっとも、この作品の魅力は、このいささか誇張された、哲学的(?)体験に尽きない。
毎日決められた時間に図書館に来ては、アルファベット順にタイトルを選んで読書に耽る「独学者」や主人公の元恋人アニーら、脇役も充実している。
主人公が美術館で町の過去の名士たちを描いた一連の絵を眺めるシーンや「独学者」の「ヒューマニズム」を揶揄するシーンは、ブルジョア的な精神に対する主人公の軽蔑をみごとに浮き彫りにしている。
とりわけ興味深いのは、酒場で古いレコード「ラブタイム」を聞いて主人公が幸福感を感じるシーンだ。
要するに、この作品は様々な要素を併せ持つ勝れた小説なのだ。
嘔吐のシーンはもちろん重要だが、それだけで判断されるには惜しい作品だ。
2019年1月14日に日本でレビュー済み
実はかなり古い版を読んだため、記述がちょっと違うかもしれませんが私なりの感想を書かせていただこうと思います。
日本でも戦後サルトルがブームとなり、それは、軍国主義が敗れ、これから自分は資本主義か社会主義か、どちらを拠り所にして生きていったらよいかと人々が迷っていたからだと思います。
サルトルは実存主義の例えとして「ペーパーナイフ」は封書を開ける目的で造られたもので先に存在する意味(=本質)がある、ゆえにその存在に迷いがない。
しかし「人間」は物心ついた時には、本質よりまず存在している(=実存が先立っている)と言いました。
自分の「存在意義」を迷い探し求めるために生まれたのだと。
『嘔吐』の中でサルトルは「独学者」の身を借りて私達に語りかけていると私は思います。(なぜなら、戦時中兵士として捕虜になった経験があるなど、サルトルと独学者の共通点があると私は思うからです。)
長く先の見えない人生の、その不安な虚無感に時々「吐き気」を催す主人公。(実は私もその一人です。)
その主人公ロカンタンに独学者は語りかけます。
「人生はそれに意義を与えようとすれば意義があるのです。先ず行動し、企ての中に飛び込まなければならない。そのあとで反省をすれば、運命の賽は投げられたのであり、すでに途は決まっているのです...」
人生において、歩んできた道からたとえ違う道に進んだとしても、その道に向かって一歩でも前を向いて歩めたとしたら、その人にとっては価値のある一歩なのだと言っているようです。
「僕は自殺を考えたほど、怖ろしい孤独に浸っていました。でも、僕はもう一人ではありません、もう決して。社会主義の会の仲間ができたというそんな狭い範囲ではありません。例えば、朝、事務所に行くとき、前にも後ろにも仕事にゆく人々がいます。彼らこそ僕の人生の目標であり努力の対象です...」
サルトルは、この小説により左翼主義者のレッテルを貼られ非難も浴びました。しかし、サルトルの訴えたかったものは、ただ右だ左だという画一的で浅いものではなかったと私は思います。
(マルクスも「社会主義は、成熟した資本主義を確立した者こそが成しえる社会である」と言っています)
独学者の
「彼らを愛さなければなりません。愛さなければ」という言葉が「自分の人生を愛さなければなりません。愛さなければ」と私には聞こえます。
物心ついた時にすでにハンデがあり(きっと「神様なんていない」と思っていたでしょう)もしかしたら、独りぼっちで学んでいた彼。でも対話する人々ができ、孤独から人を愛することができた彼。
どんな栄誉のある賞より、かけがえのないものだったのかもしれません。
そんな「生まれてきた意味」を常人よりも早く深く考えたサルトルからのメッセージ。
若い方にもおすすめします。
日本でも戦後サルトルがブームとなり、それは、軍国主義が敗れ、これから自分は資本主義か社会主義か、どちらを拠り所にして生きていったらよいかと人々が迷っていたからだと思います。
サルトルは実存主義の例えとして「ペーパーナイフ」は封書を開ける目的で造られたもので先に存在する意味(=本質)がある、ゆえにその存在に迷いがない。
しかし「人間」は物心ついた時には、本質よりまず存在している(=実存が先立っている)と言いました。
自分の「存在意義」を迷い探し求めるために生まれたのだと。
『嘔吐』の中でサルトルは「独学者」の身を借りて私達に語りかけていると私は思います。(なぜなら、戦時中兵士として捕虜になった経験があるなど、サルトルと独学者の共通点があると私は思うからです。)
長く先の見えない人生の、その不安な虚無感に時々「吐き気」を催す主人公。(実は私もその一人です。)
その主人公ロカンタンに独学者は語りかけます。
「人生はそれに意義を与えようとすれば意義があるのです。先ず行動し、企ての中に飛び込まなければならない。そのあとで反省をすれば、運命の賽は投げられたのであり、すでに途は決まっているのです...」
人生において、歩んできた道からたとえ違う道に進んだとしても、その道に向かって一歩でも前を向いて歩めたとしたら、その人にとっては価値のある一歩なのだと言っているようです。
「僕は自殺を考えたほど、怖ろしい孤独に浸っていました。でも、僕はもう一人ではありません、もう決して。社会主義の会の仲間ができたというそんな狭い範囲ではありません。例えば、朝、事務所に行くとき、前にも後ろにも仕事にゆく人々がいます。彼らこそ僕の人生の目標であり努力の対象です...」
サルトルは、この小説により左翼主義者のレッテルを貼られ非難も浴びました。しかし、サルトルの訴えたかったものは、ただ右だ左だという画一的で浅いものではなかったと私は思います。
(マルクスも「社会主義は、成熟した資本主義を確立した者こそが成しえる社会である」と言っています)
独学者の
「彼らを愛さなければなりません。愛さなければ」という言葉が「自分の人生を愛さなければなりません。愛さなければ」と私には聞こえます。
物心ついた時にすでにハンデがあり(きっと「神様なんていない」と思っていたでしょう)もしかしたら、独りぼっちで学んでいた彼。でも対話する人々ができ、孤独から人を愛することができた彼。
どんな栄誉のある賞より、かけがえのないものだったのかもしれません。
そんな「生まれてきた意味」を常人よりも早く深く考えたサルトルからのメッセージ。
若い方にもおすすめします。