第一次世界大戦(1914-1918)を境に大作曲家たちは昂揚感のある曲を生み出せなくなってしまった。ラヴェル、リヒャルト・シュトラウス、シベリウス、ラフマニノフ、プッチーニなど、現代でもよく演奏される作曲家の曲は第一次世界大戦以前に作曲されたものである。ドビュッシーは戦争中は極端に右傾化し、終戦直前に亡くなった。クラシック音楽を享受する人々が変わる契機をもたらしたのが第一次世界大戦後に発展したレコード産業であった。音楽が社会によって作られ、社会を音楽が作るという意識も戦後のものである。
第一次世界大戦というキイ・ワードで音楽史を見直す作業は始まったばかりだという。この岡田氏の「試論」を読んで常に想起させられるのは、現代の音楽事情であった。クラシック音楽も軽音楽も大量消費され、分極化され、大衆のなかに拡散して、多様化していく「音楽」の現代。流行を追いかけても、なにも残らない世界がある。音楽という芸術はもはや消えている。オペラもいまや倒錯的な興業である。しかし、それを頽廃と思うのは前世紀的な価値観でしかないだろう。美術という芸術も消えた。マネー・ゲームとなった絵画になんの意義もない。世界から「理想」が喪失したのだ。現代の不幸も幸福もおそらくそこから始まる。
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「クラシック音楽」はいつ終わったのか?: 音楽史における第一次世界大戦の前後 (レクチャー第一次世界大戦を考える) 単行本 – 2010/9/1
岡田 暁生
(著)
- ISBN-104409511106
- ISBN-13978-4409511107
- 出版社人文書院
- 発売日2010/9/1
- 言語日本語
- 本の長さ144ページ
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登録情報
- 出版社 : 人文書院 (2010/9/1)
- 発売日 : 2010/9/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 144ページ
- ISBN-10 : 4409511106
- ISBN-13 : 978-4409511107
- Amazon 売れ筋ランキング: - 340,606位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 21,235位歴史・地理 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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音楽学者。京都大学人文科学研究所准教授、文学博士。1960年京都生まれ。大阪大学大学院博士課程単位取得満期退学、大阪大学文学部助手、神戸大学発達科学部助教授を経て、現職。『オペラの運命』(中公新書・2001年度サントリー学芸賞受賞)、『ピアニストになりたい!』(春秋社・2008年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)、『音楽の聴き方』(中公新書・2009年第19回吉田秀和賞受賞)ほか、著書多数(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『楽都ウィーンの光と陰 (ISBN-10: 4093882371)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2011年1月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2010年10月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
第一次世界大戦こそ私たちが生活している「現代世界」の基本的な枠組みをつくりだした出来事だったのではないか」という問題関心の下で、クラシック音楽の転換期が描写される作品です。第一章では、その転換がいくつかのサブテーマからわかりやすく解説されます。三章と四章では、主として、ベッカーとベッセラーの論説に依拠する中で、この転換と20年代の軌跡が取り上げられます。論旨とその展開はわかりやすく、このテーマに関わる基本的な論点の概観を得ることができます。本書の最後では、ベッセラーがナチ党に最終的に入党する事実に言及されていますが、これはこのテーマが持つ深い意味合いを示唆するものです。結語では、「人々を集団的な死に向かわせる程の力を」持つのは、「国家や軍歌であって、決してオペラや交響曲ではないと---」いう「苦い事実」が指摘されて締めくくられます。ツヴァイクの
昨日の世界〈1〉 (みすずライブラリー)
や、
春の祭典 新版――第一次世界大戦とモダン・エイジの誕生
との併読をお勧めします。音楽家の「内面生活」を、第一次世界大戦をコンテクストとして、読み解く作業は大変でしょうが、期待しています。
2011年10月11日に日本でレビュー済み
クラシック音楽は、第一次大戦まではストラヴィンスキーやラベル、シェーンベルクなどが作曲活動をしていたが、第一次大戦を境にほとんど新しいクラシックは作られなくなった。
本書では、その第一次大戦前後で起きた音楽シーンでの出来事を追っている。
100pほどの小著だが、なかなかどうして面白い
一つには、前衛音楽の出現というのがある。
しかしこれは他の芸術分野もそうで、逆にいえば「既存の手法の手詰まりの裏返し」でもある気がする。
音楽のコピー可能性と、それに適していたタイプのポピュラー音楽の台頭のいうのはかなり大きいと思う。
これと「役立たない音楽はいらない」という社会の圧力の二つ。
私はこの二点が一番聞いているように思った。
そう考えると、「純粋芸術を理解せず、役立つものばかり追い求める社会」という風潮の影響はこんなところにも出ているのかぁ、と思わされる
本書では、その第一次大戦前後で起きた音楽シーンでの出来事を追っている。
100pほどの小著だが、なかなかどうして面白い
一つには、前衛音楽の出現というのがある。
しかしこれは他の芸術分野もそうで、逆にいえば「既存の手法の手詰まりの裏返し」でもある気がする。
音楽のコピー可能性と、それに適していたタイプのポピュラー音楽の台頭のいうのはかなり大きいと思う。
これと「役立たない音楽はいらない」という社会の圧力の二つ。
私はこの二点が一番聞いているように思った。
そう考えると、「純粋芸術を理解せず、役立つものばかり追い求める社会」という風潮の影響はこんなところにも出ているのかぁ、と思わされる
2012年1月8日に日本でレビュー済み
『西洋音楽史』や『オペラの運命』がすごくおもしろかった著者が、第一次大戦の音楽史上の意義を考察するという垂涎ものの
テーマに取り組んだとあっては、いやが上にも期待は高まる。「現代音楽は一次大戦後から始まる」というテーゼには、深く
納得させられる。だが、音楽作品に見られる、ある意味破壊的な変化が一次大戦の影響だったという論証が、弱い。文献資料
がほとんどないのだと著者は言う。そうなのだろう。しかし、であればこそ、音楽以外の芸術や社会生活に関する記述を多数
利用して、傍証を積み重ねていき、説得力を付与することが必要なのではないか。残念ながら、そのような作業がほとんど
なされていない。着眼と展望が秀逸だけに、また、期待が非常に大きかっただけに、残念だ。あえて辛口の評価にする。この
路線で、より実証的な作品を期待したい。
テーマに取り組んだとあっては、いやが上にも期待は高まる。「現代音楽は一次大戦後から始まる」というテーゼには、深く
納得させられる。だが、音楽作品に見られる、ある意味破壊的な変化が一次大戦の影響だったという論証が、弱い。文献資料
がほとんどないのだと著者は言う。そうなのだろう。しかし、であればこそ、音楽以外の芸術や社会生活に関する記述を多数
利用して、傍証を積み重ねていき、説得力を付与することが必要なのではないか。残念ながら、そのような作業がほとんど
なされていない。着眼と展望が秀逸だけに、また、期待が非常に大きかっただけに、残念だ。あえて辛口の評価にする。この
路線で、より実証的な作品を期待したい。
2012年5月21日に日本でレビュー済み
“クラシック音楽が終わった”という、刺激的な題名に惹かれて、本書を手に取りました。
今や、クラシック音楽に限らず、ジャズやポピュラー音楽の多くのジャンルも、「終わった」ように、私には感じられます。
ハリウッド映画すら、CGテクノロジーの進歩がなければ、とっくの昔に「終わった」かもしれません。
ある芸術の、「終わり」とは何か?
本書が指摘するような、芸術を育んできた環境が、時代の変化とともに解体するという、“外的要因”だけに帰することはできないと、私は思います。
優れた作品が生み出され、色々なことがやり尽くされてしまった後では、“マンネリ化”が避けられず、オリジナリティを求めて“ニッチ”を探すしかない停滞状況も、ある種の「終わり」だと思います。
したがって、
・著者は、具体的に“何をもって”、クラシック音楽の「終わり」とするのか?
・芸術が“時代の子”であるならば、なぜクラシック音楽は、20世紀初頭に時代から見放された孤児になったのか?
本の題名からして、当然期待して良いはずの、そういう問題提起は、私にはとても興味があり、ワクワクして読み始めたのです。
しかし、全部読んでも、何をクラシック音楽の「終わり」と、著者が考えているのか、全くわかりませんでした。
様々なエピソードや思想が紹介されますが、みな羅列的で、本質的な問題にさしかかっても、すぐに別の話に転調してしまい、消化不良です。
さらに、「クラシック音楽が終わった」と言うのなら、もはや「“現代音楽”は、クラシック音楽ではない」ことになるはずですが、著者自身の評価は全くありません。
結局、本の題名の疑問には、きちんと答えているとは思えず、がっかりしました。
さらに、著者の掲げている“クラシック音楽衰退”の根拠は、あまり根拠になっていないような気がします。
例えば、蓄音機の普及によって、それ以前とは比較にならないくらい多数の、幅広い好みをもったファン層を獲得できたのです。
「自分で演奏しなくなった」とか、「自室で聴くだけ」などとして、“大衆化”と見なし、クラシック音楽にとってポジティブな要素としないのは、間違いだと思います。
むしろ、現代の作曲家が、過去の名曲と聴き比べられて困っているという方が、実情ではないでしょうか?
「モーツァルトが現代に生まれ変わって、“フィガロ”のような古典的な名曲オペラを作ったら」と、空想してみれば、やはり売れるのではないかと私は思います。
「もはや、大作曲家は不世出」という根拠があれば、むしろそれを語って欲しかったですね。
それだけではありません。
本の体裁だけみると、第一次世界大戦が決定的影響を与えたかのような印象を持ちますが、説得力が無いばかりか、本書の他の記述とも矛盾しています。
むしろ本書によれば、様々な変化は急激なものではなく、第一次世界大戦とは無関係に、ずっと進行し続けていたと言うべきです。
上流階級の崩壊、テクノロジーの進歩と大衆化、ジャスやポピュラー音楽の台頭などは、世界大戦と直接には全く関係ありません。
著者は、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」のクライマックスに、大砲の轟音を連想したり、「ピアノ三重奏曲」に、黙示録的絶望の表現を見い出して、世界大戦の影響を論じますが、ナンセンスでしょう。
また、大戦後のストラヴィンスキーの新古典主義を、「扇情的なワグネリズムからの決別」としていますが、純粋に内的な音楽的志向の変化とは言えないのでしょうか?
面白い本ではありますが、肝心の論点においては、少なくとも実証的ではありません。
大戦による「西欧の没落」という周知の考え方に、音楽にまつわるエピソードを補強して、読者の“気分”に訴えただけに見えます。
「終わりとは何か」という問題も、「クラシック音楽とは何か」という定義一つで、何とでも解釈できてしまいます。
結局、この本の挑発的な題名に、煽られた私が愚かだったのでしょうね。
今や、クラシック音楽に限らず、ジャズやポピュラー音楽の多くのジャンルも、「終わった」ように、私には感じられます。
ハリウッド映画すら、CGテクノロジーの進歩がなければ、とっくの昔に「終わった」かもしれません。
ある芸術の、「終わり」とは何か?
本書が指摘するような、芸術を育んできた環境が、時代の変化とともに解体するという、“外的要因”だけに帰することはできないと、私は思います。
優れた作品が生み出され、色々なことがやり尽くされてしまった後では、“マンネリ化”が避けられず、オリジナリティを求めて“ニッチ”を探すしかない停滞状況も、ある種の「終わり」だと思います。
したがって、
・著者は、具体的に“何をもって”、クラシック音楽の「終わり」とするのか?
・芸術が“時代の子”であるならば、なぜクラシック音楽は、20世紀初頭に時代から見放された孤児になったのか?
本の題名からして、当然期待して良いはずの、そういう問題提起は、私にはとても興味があり、ワクワクして読み始めたのです。
しかし、全部読んでも、何をクラシック音楽の「終わり」と、著者が考えているのか、全くわかりませんでした。
様々なエピソードや思想が紹介されますが、みな羅列的で、本質的な問題にさしかかっても、すぐに別の話に転調してしまい、消化不良です。
さらに、「クラシック音楽が終わった」と言うのなら、もはや「“現代音楽”は、クラシック音楽ではない」ことになるはずですが、著者自身の評価は全くありません。
結局、本の題名の疑問には、きちんと答えているとは思えず、がっかりしました。
さらに、著者の掲げている“クラシック音楽衰退”の根拠は、あまり根拠になっていないような気がします。
例えば、蓄音機の普及によって、それ以前とは比較にならないくらい多数の、幅広い好みをもったファン層を獲得できたのです。
「自分で演奏しなくなった」とか、「自室で聴くだけ」などとして、“大衆化”と見なし、クラシック音楽にとってポジティブな要素としないのは、間違いだと思います。
むしろ、現代の作曲家が、過去の名曲と聴き比べられて困っているという方が、実情ではないでしょうか?
「モーツァルトが現代に生まれ変わって、“フィガロ”のような古典的な名曲オペラを作ったら」と、空想してみれば、やはり売れるのではないかと私は思います。
「もはや、大作曲家は不世出」という根拠があれば、むしろそれを語って欲しかったですね。
それだけではありません。
本の体裁だけみると、第一次世界大戦が決定的影響を与えたかのような印象を持ちますが、説得力が無いばかりか、本書の他の記述とも矛盾しています。
むしろ本書によれば、様々な変化は急激なものではなく、第一次世界大戦とは無関係に、ずっと進行し続けていたと言うべきです。
上流階級の崩壊、テクノロジーの進歩と大衆化、ジャスやポピュラー音楽の台頭などは、世界大戦と直接には全く関係ありません。
著者は、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」のクライマックスに、大砲の轟音を連想したり、「ピアノ三重奏曲」に、黙示録的絶望の表現を見い出して、世界大戦の影響を論じますが、ナンセンスでしょう。
また、大戦後のストラヴィンスキーの新古典主義を、「扇情的なワグネリズムからの決別」としていますが、純粋に内的な音楽的志向の変化とは言えないのでしょうか?
面白い本ではありますが、肝心の論点においては、少なくとも実証的ではありません。
大戦による「西欧の没落」という周知の考え方に、音楽にまつわるエピソードを補強して、読者の“気分”に訴えただけに見えます。
「終わりとは何か」という問題も、「クラシック音楽とは何か」という定義一つで、何とでも解釈できてしまいます。
結局、この本の挑発的な題名に、煽られた私が愚かだったのでしょうね。
2011年3月24日に日本でレビュー済み
人類が初めて経験した世界大戦である、第一次世界大戦は四つの大帝国(ドイツ、オーストリア、ロシア、トルコ)の崩壊をもたらし、王侯貴族にとどまらず、富裕な教養層の没落を招いた。その一方、大衆文化が興隆し、人々はアメリカのジャズやポピュラーミュージックに熱狂するのである。社会に深刻な亀裂を生んだ戦争の未曾有の破壊力の前に、ヨーロッパのクラシック音楽も次のような大きな影響を蒙った。
1.色彩や熱を失い、情緒欠乏に陥る。
2.ロマン主義や民族主義と決別し、国際性(換言すれば無国籍性)の希求、もしくは古典へ回帰する(新古典主義)。
3.12音技法、騒音音楽に代表される新音楽が試みられる。
4.大衆に迎合する音楽(映画音楽、軽音楽)が作曲されるようになる。
第一次世界大戦を境に創作能力が枯渇・衰退した作曲家も多い。R・シュトラウス、ストラヴィンスキー、ラヴェル、シベリウス、プッチーニらである。
「音楽は社会が作る/音楽が社会を作る」と唱え、ベートーヴェンの第九を象徴とする音楽に共同体を形成する力があると主張したP・ベッカーは、戦時中、交響曲やピアノ・ソナタには軍歌ほどにも社会を動かす力がないという現実に直面し、戦後はその世界を実現不可能なユートピアと認めるのである。その一方、芸術が政治的に従属することへの危惧は全体主義国家と社会主義国家において、規模を拡大して実現することになる。
日本にとって、第一次世界大戦は連合国として参戦したとはいえ、遠い世界の戦争であった。しかし、ヨーロッパにおいて、その文明に与えた衝撃を考慮すれば、第一次世界大戦こそ本震であり、第二次世界大戦は余震ではなかったかと思う。本書はヨーロッパの近現代史に関心を持つ人々に広く読まれるべき好著である
1.色彩や熱を失い、情緒欠乏に陥る。
2.ロマン主義や民族主義と決別し、国際性(換言すれば無国籍性)の希求、もしくは古典へ回帰する(新古典主義)。
3.12音技法、騒音音楽に代表される新音楽が試みられる。
4.大衆に迎合する音楽(映画音楽、軽音楽)が作曲されるようになる。
第一次世界大戦を境に創作能力が枯渇・衰退した作曲家も多い。R・シュトラウス、ストラヴィンスキー、ラヴェル、シベリウス、プッチーニらである。
「音楽は社会が作る/音楽が社会を作る」と唱え、ベートーヴェンの第九を象徴とする音楽に共同体を形成する力があると主張したP・ベッカーは、戦時中、交響曲やピアノ・ソナタには軍歌ほどにも社会を動かす力がないという現実に直面し、戦後はその世界を実現不可能なユートピアと認めるのである。その一方、芸術が政治的に従属することへの危惧は全体主義国家と社会主義国家において、規模を拡大して実現することになる。
日本にとって、第一次世界大戦は連合国として参戦したとはいえ、遠い世界の戦争であった。しかし、ヨーロッパにおいて、その文明に与えた衝撃を考慮すれば、第一次世界大戦こそ本震であり、第二次世界大戦は余震ではなかったかと思う。本書はヨーロッパの近現代史に関心を持つ人々に広く読まれるべき好著である
2011年1月8日に日本でレビュー済み
本書では”「クラシック音楽時代」の「終わりの始まり」”としての
第一次世界大戦前後の音楽の変質について論じられており、
そのポイントとなる出来事として以下のことが指摘されています。
1)前衛音楽の登場
2)アメリカのポピュラー音楽の普及
3)レコードの一般化
4)音楽における国際主義
5)音楽の政治化
また当時のドイツの音楽思想は、
「音楽は社会が作る/音楽が社会を作る」という音楽によるユートピアを夢見る戦中のベッカー
音楽の「社会を変える力」への信憑を失い「第九」に人民集会の偽善を見る戦後のアドルノ
さらに享受するだけの芸術音楽の価値を否定し参加型の芸術創造を唱えるベッセラー
と紆余曲折をたどり、最後はユーゲント運動を経由しナチスにつながっていくとのことです。
意外にも第一次世界大戦と音楽史を結びつける著作はほとんどないとのこと。
とても興味深く読ませていただきました。
第一次世界大戦前後の音楽の変質について論じられており、
そのポイントとなる出来事として以下のことが指摘されています。
1)前衛音楽の登場
2)アメリカのポピュラー音楽の普及
3)レコードの一般化
4)音楽における国際主義
5)音楽の政治化
また当時のドイツの音楽思想は、
「音楽は社会が作る/音楽が社会を作る」という音楽によるユートピアを夢見る戦中のベッカー
音楽の「社会を変える力」への信憑を失い「第九」に人民集会の偽善を見る戦後のアドルノ
さらに享受するだけの芸術音楽の価値を否定し参加型の芸術創造を唱えるベッセラー
と紆余曲折をたどり、最後はユーゲント運動を経由しナチスにつながっていくとのことです。
意外にも第一次世界大戦と音楽史を結びつける著作はほとんどないとのこと。
とても興味深く読ませていただきました。