副題は現代ロシアにおける呪術の民族誌。
内容は著者のロシアでのフィールドワークに基づき
呪術を迷信と定義する無神論、社会主義を経験し
地下社会にもぐっていった呪術の世界と
それが現在の人々により徐々に表にでていく過程。
社会主義の世界で育った世代が現代のロシアで呪術を‘体験’し
それに‘リアリティ’を感じ始めるさまを
ナターシャという人物を中心に描いていてとてもわかりやすい。
本書は著者の博士論文が元になっているが
一般読者にも興味深く読める構成になっている。
特に呪いの構造が日本のそれと似ていて身近に感じられ
たいへんおもしろかった。
星4つとしたいが価格が少々高いので−1です。
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呪われたナターシャ: 現代ロシアにおける呪術の民族誌 単行本 – 2010/6/1
藤原 潤子
(著)
1991年のソ連崩壊以降、ロシアでは呪術やオカルトへの興味が高まった。本書は、三代にわたる「呪い」に苦しむナターシャというひとりの女性の語りを出発点とした現代ロシアの民族誌である。呪術など信じていなかった人びと―研究者をふくむ―が呪術を信じるようになるプロセス、およびそれに関わる社会的背景を描く。
- 本の長さ270ページ
- 言語日本語
- 出版社人文書院
- 発売日2010/6/1
- 寸法18.3 x 13.5 x 2 cm
- ISBN-104409530402
- ISBN-13978-4409530405
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商品の説明
レビュー
藤原潤子(ふじわら・じゅんこ) 1972年生まれ、学術博士(2005年、大阪外国語大学)。現在、神戸市外国語大学ロシア学科准教授、かけはし出版代表。ロシアをフィールドとして文化人類学的な研究を行いつつ、絵本などの翻訳にもたずさわる。共著に『水・雪・氷のフォークロア:北の人々の伝承世界』(勉誠出版、2014年)、『世界ぐるぐる怪異紀行:どうして"わからない"ものはこわいの?』(河出書房新社、2024年)など。翻訳に、アントン・ロマーエフ作『パパかいぞくのこもりうた』(成山堂書店、2022年)、コンスタンチン・ザテューポ作『ぼくのとってもふつうのおうち:「ふつう」のくらしをうばわれたなんみんのはなし』(かけはし出版、2023年)など。https://kakehashi-pub.com/
著者について
藤原 潤子
About this Title
呪術を信じはじめる人びと
「私は馬鹿なことをたくさんしてしまいました。ソ連時代こういうことは信じられていませんでしたから。隠されていたのです。でも、どうして私たちはこうなんでしょう?」
─彼女はいま、「迷信」など信じなかった過去を振り返り、無念の涙を流している・・・・・・。
登録情報
- 出版社 : 人文書院 (2010/6/1)
- 発売日 : 2010/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 270ページ
- ISBN-10 : 4409530402
- ISBN-13 : 978-4409530405
- 寸法 : 18.3 x 13.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 987,920位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 829位民間信仰・俗信
- - 1,657位社会と文化
- - 2,382位文化人類学一般関連書籍
- カスタマーレビュー:
著者について
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年10月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
近代化、社会主義化を通じて迷信のレッテルを貼られるようになった呪術が、ポスト社会主義のこの時代に再活性化しているのはなぜか? そこにはマルクス・レーニン主義の権威失墜で伝統的なものが息を吹き返したという、ありがちな説明では汲みとれない、生活に根差した事情や経緯がある。
呪術信仰が脈々と受け継がれてきている風土では、人々は頭から信じていなくても、呪術を問題解決の手段として試してみることにそれほどの抵抗はない。そうして試してみたことで効果が得られた場合、呪術的世界が身近なものになる。すると別の問題解決にも呪術を使う動機ができ、そこで効果が得られた場合、さらに呪術の適用範囲を広げていく……。このようなポジティブフィードバックループが生じると、合理的で論理的な無神論者でも比較的容易に呪術の世界に絡めとられていく、と本書は説く。
民話的ともいえる素朴な呪術信仰が残っているロシアのカレリア共和国で、一般の人々の呪術に関する「語り」を収拾し、21世紀のロシアにおける呪術の「リアリティ」、その背後にある社会のありかたとその変化を読み解いた本書は、文化人類学者の博士学位論文に加筆したものだというが、「語り」によって徐々に明らかにされる個々人の「呪い体験」には、サイコスリラー的な要素もあって、ぐいぐい引き込まれる。
かつては地域コミュニティで共有されていた呪術的なおしえが、現在はマスメディアを通じて全国レベルで広がるようになったという指摘も興味深い。呪術を信じている人が社会全体のなかではきわめて少数派だとしても、彼らは以前に比べてずっと密につながっており、そのネットワークから発信されるメッセージは「信じていない」人にも絶えずアクセス可能なのである。日本における昨今のパワースポットブームも、本書のテーマである「呪術のコスモロジーに引き込まれるメカニズム」で解明できるかもしれない。
呪術信仰が脈々と受け継がれてきている風土では、人々は頭から信じていなくても、呪術を問題解決の手段として試してみることにそれほどの抵抗はない。そうして試してみたことで効果が得られた場合、呪術的世界が身近なものになる。すると別の問題解決にも呪術を使う動機ができ、そこで効果が得られた場合、さらに呪術の適用範囲を広げていく……。このようなポジティブフィードバックループが生じると、合理的で論理的な無神論者でも比較的容易に呪術の世界に絡めとられていく、と本書は説く。
民話的ともいえる素朴な呪術信仰が残っているロシアのカレリア共和国で、一般の人々の呪術に関する「語り」を収拾し、21世紀のロシアにおける呪術の「リアリティ」、その背後にある社会のありかたとその変化を読み解いた本書は、文化人類学者の博士学位論文に加筆したものだというが、「語り」によって徐々に明らかにされる個々人の「呪い体験」には、サイコスリラー的な要素もあって、ぐいぐい引き込まれる。
かつては地域コミュニティで共有されていた呪術的なおしえが、現在はマスメディアを通じて全国レベルで広がるようになったという指摘も興味深い。呪術を信じている人が社会全体のなかではきわめて少数派だとしても、彼らは以前に比べてずっと密につながっており、そのネットワークから発信されるメッセージは「信じていない」人にも絶えずアクセス可能なのである。日本における昨今のパワースポットブームも、本書のテーマである「呪術のコスモロジーに引き込まれるメカニズム」で解明できるかもしれない。
2015年3月29日に日本でレビュー済み
自分が呪いにかかったかどうかを確かめる方法が載っていた。
これは生卵を使った方法で、
①.生卵を用意する。
②.卵を枕の下にセット。
③.一晩寝る。
④.起きる。
⑤.卵が割れていたら呪われている可能性あり。
⑥.割れていなかったら次に、その卵を白身と黄身に分ける。
⑦.上手く分けられたら、呪われていない。
黄身が途中でやぶれたら、呪われているかもしれない。
不器用な人と寝相が悪い人には明らかに向かない方法です。
上記のことをやってみたところ、寝付けず、①~⑥まで終え、黄身と白身を綺麗に分け、安心した後、
2度寝しました。
因みにやぶれた卵と途中で壊れた卵は食べないほうがよい。
と載っていました。
これは生卵を使った方法で、
①.生卵を用意する。
②.卵を枕の下にセット。
③.一晩寝る。
④.起きる。
⑤.卵が割れていたら呪われている可能性あり。
⑥.割れていなかったら次に、その卵を白身と黄身に分ける。
⑦.上手く分けられたら、呪われていない。
黄身が途中でやぶれたら、呪われているかもしれない。
不器用な人と寝相が悪い人には明らかに向かない方法です。
上記のことをやってみたところ、寝付けず、①~⑥まで終え、黄身と白身を綺麗に分け、安心した後、
2度寝しました。
因みにやぶれた卵と途中で壊れた卵は食べないほうがよい。
と載っていました。
2016年9月20日に日本でレビュー済み
本の概要については内容紹介と他のレビュワーが書いているものがあるので、繰り返す必要はないだろう。筆者は最終的に呪いのリアリティを、その①形成②合理化③循環という形で整理し、現代ロシアにおける呪術のコスモロジーを描写している。筆者が紹介している事例はいずれも興味深く読んでいて面白かったのだが、ここでは①と②について疑問に思ったことについて簡単に述べておきたい。
筆者は呪術を信じない人が呪術のリアリティを信じる契機を、「偶然の体験」に求めている。つまり、藁にも縋る気で呪術に頼ったらたまたまうまくいった。だから呪術にリアリティが感じられるようになる、というわけである。そしてこうした偶然が繰り返されることによってそのリアリティは強まり、「科学的説明」や宗教界からの反発などがこうしたリアリティをさらに「合理化」していくことになる。
ところが、筆者は本書のどこでも、「科学」や「合理化」が何を意味しているのかについてほとんど記述をしていないし、そのため「偶然」がどのような意味で用いられているのかも判然としない。筆者は自身の人文科学的立場を実用書の立場と対比したり、「オカルト」「呪術」と科学を最初から対置している。しかしどこにも、両者がどのように違うものかが示されていない。このことは、現代日本において民族誌を提出する立場からすればそれこそ「自明の事柄」なのかもしれない。しかし、上で筆者が述べる「リアリティの形成と合理化」が果たして科学については同じように言えないのか、ないしは科学とオカルトの境目は何処にあるのかを考え始めるとき、筆者が「科学」を何だと考えているかは見過ごせない問題になってくるように思う。というのも、科学のリアリティを当然視し呪術のリアリティを当然視しない私たちにとって(このことは筆者のテクストから十分に示唆されているように思う)、両者が同じように扱われることはリアリティに対するある種の危機を起こしかねないからである。そして後者の問題はまさに、「科学の人」であるはずのイリイチが呪術にリアリティを感じていることに衝撃を受けた、序文における筆者の関心に含まれていてもおかしくないように思う(それとも筆者から見てイリイチは科学者というよりオカルト家なのだろうか)。
科学哲学チックな「説明」や「合理化」の問題に踏み込まずとも、科学と呪術の境目についての疑問は本書のなかでも示唆されている。筆者はオカルト書店に並べられる本のキーワードのなかに、特に触れることもなく「心理学」と「心理療法」を入れている。しかしこれは大学の文学部や看護学科に所属する人間からすれば、奇妙なことに感じられるに違いない。たとえ近年問題になったように心理学が再現性に問題を抱えていたからと言って、心理学がオカルトだと主張する人はそれほど多くはないだろう。さらに「疑似科学」と呼ばれるホメオパシーなどを加えれば、話はさらにややこしくなるだろう。
筆者の議論の一部(そして割と重要な一部)は、筆者の言う「科学」(そしてそれに付随する様々な概念)が何を意味しているのかにかかっている。その辺りが明らかになれば、よりよく本書を楽しめるのではないかと思わなくもない。
筆者は呪術を信じない人が呪術のリアリティを信じる契機を、「偶然の体験」に求めている。つまり、藁にも縋る気で呪術に頼ったらたまたまうまくいった。だから呪術にリアリティが感じられるようになる、というわけである。そしてこうした偶然が繰り返されることによってそのリアリティは強まり、「科学的説明」や宗教界からの反発などがこうしたリアリティをさらに「合理化」していくことになる。
ところが、筆者は本書のどこでも、「科学」や「合理化」が何を意味しているのかについてほとんど記述をしていないし、そのため「偶然」がどのような意味で用いられているのかも判然としない。筆者は自身の人文科学的立場を実用書の立場と対比したり、「オカルト」「呪術」と科学を最初から対置している。しかしどこにも、両者がどのように違うものかが示されていない。このことは、現代日本において民族誌を提出する立場からすればそれこそ「自明の事柄」なのかもしれない。しかし、上で筆者が述べる「リアリティの形成と合理化」が果たして科学については同じように言えないのか、ないしは科学とオカルトの境目は何処にあるのかを考え始めるとき、筆者が「科学」を何だと考えているかは見過ごせない問題になってくるように思う。というのも、科学のリアリティを当然視し呪術のリアリティを当然視しない私たちにとって(このことは筆者のテクストから十分に示唆されているように思う)、両者が同じように扱われることはリアリティに対するある種の危機を起こしかねないからである。そして後者の問題はまさに、「科学の人」であるはずのイリイチが呪術にリアリティを感じていることに衝撃を受けた、序文における筆者の関心に含まれていてもおかしくないように思う(それとも筆者から見てイリイチは科学者というよりオカルト家なのだろうか)。
科学哲学チックな「説明」や「合理化」の問題に踏み込まずとも、科学と呪術の境目についての疑問は本書のなかでも示唆されている。筆者はオカルト書店に並べられる本のキーワードのなかに、特に触れることもなく「心理学」と「心理療法」を入れている。しかしこれは大学の文学部や看護学科に所属する人間からすれば、奇妙なことに感じられるに違いない。たとえ近年問題になったように心理学が再現性に問題を抱えていたからと言って、心理学がオカルトだと主張する人はそれほど多くはないだろう。さらに「疑似科学」と呼ばれるホメオパシーなどを加えれば、話はさらにややこしくなるだろう。
筆者の議論の一部(そして割と重要な一部)は、筆者の言う「科学」(そしてそれに付随する様々な概念)が何を意味しているのかにかかっている。その辺りが明らかになれば、よりよく本書を楽しめるのではないかと思わなくもない。