池田さんが「御書」をひきながら対話形式で日蓮の生涯をたどるシリーズ第2弾。
本書は「御本尊」の章が3つあり、本尊について多くのページがさかれています。
私が興味をひかれたのは以下の点でした。
多くの宗教は人間の外に尊厳なるものを置く外在的本尊観。
日蓮仏法は、誰人にも等しく尊極の生命があるという人間主義の内在的本尊観。
南無妙法蓮華経と唱えることは、日蓮の顕した本尊を讃嘆し我が己心の本尊を讃嘆すること。我が仏界の生命を讃嘆すること。
そうすれば、自らの名を呼んで讃えられた仏界の生命が顕れて出てくる。
日蓮が本尊の相貌として用いたのは「寿量品が説かれた時の虚空会の儀式」。
虚空会は時空を超えて普遍的な価値をもつ「永遠の法」「永遠の仏」を象徴的に表現したもの。
虚空会は歴史的な特定の時・場所ではないので「いつでも、どこでも」虚空会につながることができる。
本尊中央の「南無妙法蓮華経」は根源の真理を示す。
生命宇宙の中心軸。虚空会の中心に屹立する宝塔。''世界を支える柱'として宇宙根源の妙法を表す。
文字で本尊をあらわしたのは、絵や彫刻ではそれを拝した時に受け止め方が違ってしまうから。
絵や彫刻は目に見える「表現」にとらわれがち。表現が象徴している「真理」に思いを致すのを妨げやすい。永遠にして普遍的な法を表現するのは困難。
たいへん難しいテーマですが、要するに日蓮のあらわした本尊は「生命の永遠性と可能性」が書かれていて、
文字で本尊を書いたのは、物体の表現でなく書かれた内容の意味が重要だということでしょうか。
とすると、大石寺の「本門戒壇の大御本尊」も、その中に書かれた内容が重要であって、物体としての存在がどうのこうのということは第二義的な話であるとも受け取れますね。
戸田会長への質問会で
「大石寺の大御本尊を拝まないと罪障消滅できないと聞いたが、大御本尊と家の御本尊の功徳の違いを教えてほしい」というのがありました。
戸田会長は
「そんな指導をするのがおかしい。各家庭の御本尊は大御本尊の血肉をわけた分身で、功徳に変わりがありません」と答えています。(戸田城聖全集第2巻)
私はこれを不思議に思っていましたが、書かれている内容が同じだから同じ功徳だということは、本書で池田さんが述べられていることと一致します。
日蓮は「この御本尊を手本にせよ」という意味で大御本尊を残したのであって、
「この大御本尊でなければ他の御本尊ではダメ」という「お宝」「レアもの」を残したわけではなかったのですね。
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御書の世界: 人間主義の宗教を語る (第2巻) 単行本 – 2004/1/2
池田 大作
(著)
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- 本の長さ382ページ
- 言語日本語
- 出版社聖教新聞社出版局
- 発売日2004/1/2
- ISBN-104412012506
- ISBN-13978-4412012509
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登録情報
- 出版社 : 聖教新聞社出版局 (2004/1/2)
- 発売日 : 2004/1/2
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 382ページ
- ISBN-10 : 4412012506
- ISBN-13 : 978-4412012509
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2014年7月12日に日本でレビュー済み
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2019年9月16日に日本でレビュー済み
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良かったです
2015年4月6日に日本でレビュー済み
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仏教観の大転換です。私たち人間が本尊であり、本当の人間主義があります。
2019年4月20日に日本でレビュー済み
「大白蓮華」での連載の8回分を収録(2002年9月号~2003年4月号)。日蓮大聖人の御生涯を軸に、御書の御文を通して、毎回のテーマが丁寧に論じられる。
第2巻には「法難」(上・下)「御本尊」(上・中・下)「佐渡流罪」(上・下)「三度の高名と予言の的中」が収められている。
本書の特徴として、次の3点を挙げたい。
①日蓮の生涯における事跡の意味が分かる
②日蓮の教義の卓越性を学べる
③読者の具体的な実践を鼓舞する
①について、年表的な出来事の羅列でも、個別の御書の背景としてでもなく、大聖人のご生涯全体からそれぞれの事跡の意味を理解できる。
例えば、「法難」の章では、極楽寺良観を中心として悪の結託の構図が作られていく背景から、大聖人の著作に真言律宗への破折が加わっていくこと、「佐渡流罪」の章では、大聖人の佐渡での戦いは、大難に耐えるだけでなく、「教義の確立」と「教団の再建」という面があったことが述べられる。
『真言律宗を中心とする、いわば“大政翼賛体制”が、叡尊の関東下向で確立したと言ってよいでしょう。
大聖人の伊豆流罪の間に、恐ろしい体制を幕府は作り上げていったわけです。良観は、その中心者に据えられたといえるのではないだろうか。
この事態を大聖人は厳しく認識されていた。そのため、弘長から文永にかけてのころから、念仏と禅に加えて、真言律宗への破折が加わってくるのです。
大聖人は、悪の結託の構図を見据え、混乱と不幸への警鐘を一段と打ち鳴らされていったのです。』(75ページ)
『大聖人が起こされた“佐渡での戦い”は、主として言論闘争です。多くの著作・書簡を認められている。この御闘争には、大きく分けて「教義の確立」と「教団の再建」の二つの面を拝することができます。いずれも末法万年の「広宣流布」を展望されての戦いであられた。』(289ページ)
②について、特に本巻では「御本尊」をテーマに人本尊・法本尊それぞれの面から多くの解説がなされているが、宗教が外在的な本尊観を示す中、全民衆を救済するためには、日蓮仏法の内在的本尊観が重要であることが述べられる点は興味深い。
『全民衆を救済するためには、どうしても、人間自身の胸中にある本尊を涌現させていく以外にない。
全人類が平等に胸中の本尊を涌現することができ、万人にその可能性が与えられる。
「観心の本尊」は、偉大なる本尊革命であり、人間の可能性を最大に尊重し、現実に変革を可能にする「人間のための宗教」の精髄です。』(150ページ)
『現代の多くの宗教は、意識的にせよ、無意識的にせよ、人間の外に究極の尊厳なるものを置く外在的な本尊観を残している。
しかし、二十一世紀こそ、誰人の生命にも等しく尊極の生命があるという、最高の人間主義を打ち立てなければならない。そのためにも日蓮仏法の内在的本尊観は重要です。』(158ページ)
③について、例えば、信仰を根本にあくまで難や宿命と戦う実践によってこそ、自身を鍛えられることが述べられている。
他にも本書全体にわたって、読者の実践を鼓舞する言葉が散りばめられている。
『信心が深まってから難に向かうのではありません。難に向かっていくなかに生命が鍛えられ、金剛の信心が築かれていくのです。』(109ページ)
『やはり現実に生きる人間にとって、宿命というものは重くのしかかります。私たちは、日蓮大聖人の御本尊を縁として、唱題によって仏界を涌現する方途を知っています。しかし、「知る」ことと、わが身で「仏界」の力を「味わう」こととの間には、まだ距離がある。
車もそうでしょう。免許が発行される。それで車の運転は可能です。しかし、実際には、運転を繰り返して本当の意味で安全な運転技術をマスター(習得)することができる。
パイロットだって、通算の飛行時間が大事だとされている。
私たちの実践でいえば、現実に宿命と戦うなかでこそ、宿命を乗り越えていく力を身に付けることができる。実際に宿命に遭遇するからこそ、誰よりも、その苦悩と戦う術を身に付けることができるのです。』(321ページ)
実践を貫くことで自身を鍛え抜き、自他共の幸福を実現できる人間になっていきたい。
第2巻には「法難」(上・下)「御本尊」(上・中・下)「佐渡流罪」(上・下)「三度の高名と予言の的中」が収められている。
本書の特徴として、次の3点を挙げたい。
①日蓮の生涯における事跡の意味が分かる
②日蓮の教義の卓越性を学べる
③読者の具体的な実践を鼓舞する
①について、年表的な出来事の羅列でも、個別の御書の背景としてでもなく、大聖人のご生涯全体からそれぞれの事跡の意味を理解できる。
例えば、「法難」の章では、極楽寺良観を中心として悪の結託の構図が作られていく背景から、大聖人の著作に真言律宗への破折が加わっていくこと、「佐渡流罪」の章では、大聖人の佐渡での戦いは、大難に耐えるだけでなく、「教義の確立」と「教団の再建」という面があったことが述べられる。
『真言律宗を中心とする、いわば“大政翼賛体制”が、叡尊の関東下向で確立したと言ってよいでしょう。
大聖人の伊豆流罪の間に、恐ろしい体制を幕府は作り上げていったわけです。良観は、その中心者に据えられたといえるのではないだろうか。
この事態を大聖人は厳しく認識されていた。そのため、弘長から文永にかけてのころから、念仏と禅に加えて、真言律宗への破折が加わってくるのです。
大聖人は、悪の結託の構図を見据え、混乱と不幸への警鐘を一段と打ち鳴らされていったのです。』(75ページ)
『大聖人が起こされた“佐渡での戦い”は、主として言論闘争です。多くの著作・書簡を認められている。この御闘争には、大きく分けて「教義の確立」と「教団の再建」の二つの面を拝することができます。いずれも末法万年の「広宣流布」を展望されての戦いであられた。』(289ページ)
②について、特に本巻では「御本尊」をテーマに人本尊・法本尊それぞれの面から多くの解説がなされているが、宗教が外在的な本尊観を示す中、全民衆を救済するためには、日蓮仏法の内在的本尊観が重要であることが述べられる点は興味深い。
『全民衆を救済するためには、どうしても、人間自身の胸中にある本尊を涌現させていく以外にない。
全人類が平等に胸中の本尊を涌現することができ、万人にその可能性が与えられる。
「観心の本尊」は、偉大なる本尊革命であり、人間の可能性を最大に尊重し、現実に変革を可能にする「人間のための宗教」の精髄です。』(150ページ)
『現代の多くの宗教は、意識的にせよ、無意識的にせよ、人間の外に究極の尊厳なるものを置く外在的な本尊観を残している。
しかし、二十一世紀こそ、誰人の生命にも等しく尊極の生命があるという、最高の人間主義を打ち立てなければならない。そのためにも日蓮仏法の内在的本尊観は重要です。』(158ページ)
③について、例えば、信仰を根本にあくまで難や宿命と戦う実践によってこそ、自身を鍛えられることが述べられている。
他にも本書全体にわたって、読者の実践を鼓舞する言葉が散りばめられている。
『信心が深まってから難に向かうのではありません。難に向かっていくなかに生命が鍛えられ、金剛の信心が築かれていくのです。』(109ページ)
『やはり現実に生きる人間にとって、宿命というものは重くのしかかります。私たちは、日蓮大聖人の御本尊を縁として、唱題によって仏界を涌現する方途を知っています。しかし、「知る」ことと、わが身で「仏界」の力を「味わう」こととの間には、まだ距離がある。
車もそうでしょう。免許が発行される。それで車の運転は可能です。しかし、実際には、運転を繰り返して本当の意味で安全な運転技術をマスター(習得)することができる。
パイロットだって、通算の飛行時間が大事だとされている。
私たちの実践でいえば、現実に宿命と戦うなかでこそ、宿命を乗り越えていく力を身に付けることができる。実際に宿命に遭遇するからこそ、誰よりも、その苦悩と戦う術を身に付けることができるのです。』(321ページ)
実践を貫くことで自身を鍛え抜き、自他共の幸福を実現できる人間になっていきたい。
2020年1月12日に日本でレビュー済み
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事実上、当時の様子が確認できない仏陀に対して、日蓮は、まだ近い過去なので、真贋合わせて様々な資料が存在します。
資料が多いということは、ある程度、当時の様子を垣間見ることができるということではあるのですが、そうなると、単なる資料の繋ぎあわせから見える合理的な解釈と、その精神世界との間に、ギャップが生まれてしまいます。
大多数の一般人にとって、金持ちは銭ゲバにしか見えないというのと同じで、その人の言動を、精神世界にまで迫って解釈するのは、難しいのです。
本書は、その、資料寄りの解釈と、精神世界の解釈のきわどいところを語っています。
史実については、結局のところよくわからないという部分に関しては、両論併記のようにしつつも、その、精神世界に関しては、創価学会の解釈を語っていくということです。
本書を読んだうえで、教科書的な日本史や、日本史の研究所を読むと、それがよくわかります。
資料が多いということは、ある程度、当時の様子を垣間見ることができるということではあるのですが、そうなると、単なる資料の繋ぎあわせから見える合理的な解釈と、その精神世界との間に、ギャップが生まれてしまいます。
大多数の一般人にとって、金持ちは銭ゲバにしか見えないというのと同じで、その人の言動を、精神世界にまで迫って解釈するのは、難しいのです。
本書は、その、資料寄りの解釈と、精神世界の解釈のきわどいところを語っています。
史実については、結局のところよくわからないという部分に関しては、両論併記のようにしつつも、その、精神世界に関しては、創価学会の解釈を語っていくということです。
本書を読んだうえで、教科書的な日本史や、日本史の研究所を読むと、それがよくわかります。