布施英利氏が35歳のときの著書である。著者は、昨年『養老孟司入門』を著したことで有名になった。
本書の副題に『東京大学・解剖学教室でぼくが出会ったもの』とあり、師との思い出や師の指導法が書かれているかと思って購入したが、期待はずれであった。特に、指導法に関しては全く書かれていなかった。それを期待したのは私の勝手ではあるが。
養老氏の著書を読んできた人にとって、本書に新しい発見はないだろう。「脳化社会」や「死体は自然」という言葉も師の受け売りだと思われる。
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禁じられた死体の世界: 東京大学・解剖学教室でぼくが出会ったもの 単行本 – 1995/10/1
布施 英利
(著)
- 本の長さ207ページ
- 言語日本語
- 出版社青春出版社
- 発売日1995/10/1
- ISBN-104413030532
- ISBN-13978-4413030533
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
人は死体を見た瞬間から変わる。現代人が眼をそむけてきたグロテスク、あるいはタブーと呼ばれる世界を、リアルに描き出す。解剖学教室で数限りなく死体と接してきた著者の、これまでの「死生観」を覆すエッセイ。
登録情報
- 出版社 : 青春出版社 (1995/10/1)
- 発売日 : 1995/10/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 207ページ
- ISBN-10 : 4413030532
- ISBN-13 : 978-4413030533
- Amazon 売れ筋ランキング: - 817,623位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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布施英利(ふせひでと)
芸術学者、批評家。1960年群馬県生まれ。東京藝術大学美術学部芸術学科卒業、同大学院美術研究科博士課程(美術解剖学専攻)修了。学術博士。大学院在学中に最初の著書『脳の中の美術館』を出版。以後、これまでの著書は60冊ほど。東京大学医学部助手(養老孟司研究室)を経て、現在は東京藝術大学美術学部教授。著書に『脳の中の美術館』をはじめ、『死体を探せ!』『子どもに伝える美術解剖学』『構図がわかれば絵画がわかる』『人体 5億年の記憶』『洞窟壁画を旅して』など多数。オンラインでは電脳アカデミア「美の教室」と「自然の教室」の講座に取り組んでいる。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年2月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は死体についての本である。布施さんは死体が現代社会から隠されており、それが様々な問題を生んでいるという主張を繰り返している。しかし、私にはその意味がよく分からなかったが死体が解剖されるとはどういうときであり、どのようにされるのかなどについては興味深く読むことができた。解剖写真も生々しいリアルさがあり、かなりエグイ。怖い物見たさでつい見てしまうが気持ちのいい物ではない。特にハイデルベルク大学で開発された「プラスティネーション」には驚愕する。人間の顔を冷凍し、のこぎりで切り、樹脂を注入し、一種のデスマスクを作るのである。これは怖い。今にも目を開け笑うのではないかと妄想してしまう。生と死の境界はないと著者は言うが、それは学問上のこと。現実には明らかである。死体が隠されるのもある意味で当然である。葬送が始まった理由は、人間が死体をあるいは死体の変容を怒れたからであると私は思う。死体はこれからも社会からあるいは、残された遺族からも隠されるべきである。解剖学者というのは科学者であり、一般人とは明らかに感覚が違う。布施さんはこのことがよく分かってないのではと思う。気の弱い人は読まない方がいい。
2019年2月15日に日本でレビュー済み
再掲
図書館本
布施さん(1960-)の東大養老教室時代のお話。布施さん自身は芸大出身で現在(2010時点)はまた芸大に戻られている。
養老さんの高弟と言われていたとことは知っていましたが、初めてその著作に触れました。
現在は死を隠蔽し続ける社会だといわれる。そのことを死体を通して語る。
こんな文章がさすが養老門下だと思うのである。
生の始まりの「瞬間」などというものは、ない。
死にも、それを生とへだてる瞬間などない。
死を「瞬間」に押し込めてしまうことで、死がわかったつもりになる。おかげで、死を真正面から見据えることがなくなる。
死を瞬間の彼方へと消し去ってしまった現代に、もう一度「死」を見据える。それによって「現代」が直面しているさまざまな問題を、解決へと方向づけることができるのではないだろうか。
ちなみに、本書は人ごみの電車やバスの中で開かないことをお勧めします。結構見る人によっては怖い写真がありますので。
図書館本
布施さん(1960-)の東大養老教室時代のお話。布施さん自身は芸大出身で現在(2010時点)はまた芸大に戻られている。
養老さんの高弟と言われていたとことは知っていましたが、初めてその著作に触れました。
現在は死を隠蔽し続ける社会だといわれる。そのことを死体を通して語る。
こんな文章がさすが養老門下だと思うのである。
生の始まりの「瞬間」などというものは、ない。
死にも、それを生とへだてる瞬間などない。
死を「瞬間」に押し込めてしまうことで、死がわかったつもりになる。おかげで、死を真正面から見据えることがなくなる。
死を瞬間の彼方へと消し去ってしまった現代に、もう一度「死」を見据える。それによって「現代」が直面しているさまざまな問題を、解決へと方向づけることができるのではないだろうか。
ちなみに、本書は人ごみの電車やバスの中で開かないことをお勧めします。結構見る人によっては怖い写真がありますので。
2004年10月22日に日本でレビュー済み
著者の並々ならぬこの本にかけた決意が感じ取れる
文庫本には珍しく死体の写真が要所要所にあり「ぞっ」とする
人間は「死体」と言う物を現実から隠そうとしている。
しかし、人間は確実に死んでいく物でそれはさけられない。
その矛盾を著者は鋭く指摘している。
かくいう僕は買う勇気が出なかった・・・。
まだ死と対峙する決意がないようだ・・・。
文庫本には珍しく死体の写真が要所要所にあり「ぞっ」とする
人間は「死体」と言う物を現実から隠そうとしている。
しかし、人間は確実に死んでいく物でそれはさけられない。
その矛盾を著者は鋭く指摘している。
かくいう僕は買う勇気が出なかった・・・。
まだ死と対峙する決意がないようだ・・・。