精神分析医ロロ・メイの著作で原版は1953年に出ているが古さなど微塵も感じない本。
主観的に”自分は不幸にもあまり愛されず育った”と感じている人には必須です。
生まれ育った家族が機能不全家族だったことに気が付いた、それは解った、じゃ、でも、あとどうすればいいかわからない・・・雲を掴む様だ…、という状況下にある方には生きるよすがになるのは保証する。
第1章から3章くらいまでは難しいが、4章以降は愛されなかったものが自律するにはどうすればいいか、その真理を悟らせてくれる。
4章以降は、夏目漱石が明暗や私の個人主義で言わんとしたことと全く同じこと、他にはイプセンがペール・ギュントやゲーテがファウストのなかで表現しようとしたことと全く同じです。
いかにして人は自分自身となるか?取り戻すか?を表している。
不幸にも育った環境において愛されなかった人間がいかに自己を再発見し自分自身になるか?自分自身に戻るか?すなわち自律するか?をその苦闘の過程を精神分析の視点から寸分狂わず徹底して表現している。
本書を手にする前に毒親やAC関連や精神分析や発達心理学、パーソナリティ障害、PTSD等の知識を少なからず吸収されている方は間違いなくさらに新しい扉を開けるだろうし(回復への階段を登る)、けっきょくのところ愛されなかった者や傷ついた者が辿る道は紆余曲折し各人で多かれ少なかれ違いがあってもその中心は同じだというのがわかるはず。
とにかく、無限に味が出てくるスルメみたいな本で他書から得られた精神医学的知識を肉付けしていく骨格として最上最高級の本です。
巷に溢れている所謂ところの”毒親”本が束になってかかったところでこの1冊に勝つことなど絶対に出来ん。
私はこの本だけは墓場まで持って行く予定である。
人間は真に愛されずに育てばどうしても自分自身を見失い自己喪失してナルシシズムの障害を持った大人になるので(自我が未確立、つまり精神的自律が出来ないまま)。
成長期に機能不全家族とかいじめとか、そういう不幸な体験を置かれた環境の中でせざるをえず育った人は黙って読んでおいたほうが良いでしょう。
自己確立し大人になるためのバイブル。
ちなみに旧版の『失われし自我をもとめて』との違いは、新版のこちらは古い言葉が少なくなって若干読みやすいのと、文字のサイズが大きくなったくらいでほとんど違いはない。
私は旧版を書き込みで1冊ボロボロにしてもう1冊書い足し、そのうえで実質的に同書3冊目としてこちらも買ったので旧版の方が馴染み深くて好きですが。
これから買う人はどっちでも安くなってる方を買えば良いです。
以下、旧版からですが目次を
第一部 現代の精神的状況
第1章 現代人の孤独と不安
うつろな人間
孤独
不安と自我への脅威
不安とは何か
第2章 現代社会における中心的価値の喪失
自我感の喪失
コミュニケーション用語の喪失
自然への共感の喪失
悲劇に対する感受性の喪失
第二部 主体的自我の回復
第3章 人間形成
自我意識ー人間の独自性
自己蔑視ー自我評価の代用
自我意識は内向きではない
自己の身体体験と感情体験
第4章 存在への闘い
心理的なへその緒の切断
母親に対する闘い
依存性への反抗
自我意識の諸段階
第三部 人格統合の目標
第5章 自由と内なる生命力
檻の中に閉じ込められた人間
自由否定の代償としての憎しみと恨み
自由にあらざるもの
自由とは何か
自由と構造
自らの自我の選択
第6章 創造的良心
アダムとプロメテウス
宗教ーそれは力の根源かそれとも柔弱のみなもとか
過去の創造的活用
人間の価値づけ能力
第7章 勇気・成熟の徳
自我になりきる勇気
愛への序章
真実を見る勇気
第8章 人間、時間の超越者
人間は物理的時間だけで生きるのではない
満たされた時
永遠の光のもとで
いかなる時代にめぐり会おうとも
あとがき
1人でも多くの人が幸せになれますように・・・。
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失われし自己をもとめて 改訳版 単行本 – 1995/6/1
- 本の長さ338ページ
- 言語日本語
- 出版社誠信書房
- 発売日1995/6/1
- ISBN-104414421071
- ISBN-13978-4414421071
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
依るべき規準や価値の混乱している現代人の孤独さと不安の原因を分析。著者の豊富な臨床体験を踏まえ、自分自身および自らの体験を省察し、主体的に自己実現をはかっていく手がかりを示す。1982年刊の改題改訳版。
登録情報
- 出版社 : 誠信書房 (1995/6/1)
- 発売日 : 1995/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 338ページ
- ISBN-10 : 4414421071
- ISBN-13 : 978-4414421071
- Amazon 売れ筋ランキング: - 735,977位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,208位臨床心理学・精神分析
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
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2018年8月21日に日本でレビュー済み
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2011年2月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者のロロ・メイは精神科医である。本書は1953年の本。第3次世界大戦に対する危機感など、なんとなく重たい時代背景が感じられる。このような「不安の時代」の正体を精神科医として解きほぐしていく。60年近く昔の本だが、現代でも違和感はない。
複雑で読みにくいところもあるのだが、このような不安の時代を生きるためには「自己」を確立することが大切、というのが基本テーマだと思う。システマティックな社会の中で自由を否定されるとき、表面的にはその状況を受け入れているようにみえても、自由の断念を強いられることによる憎しみや恨みが生じ、しかもその恨みは抑圧される。全体主義国家のような自由を強く抑圧する社会では、人民の鬱積憎悪をむけるための「敵」が必要となる。更に、文明生活においては憎しみはむしろ「恨み」のかたちで沈潜し、しばしば自己憐憫に至る。ニーチェによれば、この「恨み」は「道徳」のかたちで間接的に出現している。所属集団の規準に適応することが「道徳」となるというかたちで。現代人の生活は、日常のきまりきった仕事や社会的因習によりパターン化されており、自由の証とは「経済的に強大になること」と理解してしまっている。
・・・2013年10月8日再読・・・
曰く・・・
たいていの親は子どもの潜在力をのばさせてやりたいというが、子どもにしがみつきたいという無意識的欲求に気づいていない。子どもがなにかを成し遂げることは親の支配下にとどまっていることによってのみ達成されるはずだという風に振る舞う。子どもが自由になることは親の心になにか深い不安をかきたてる。この不安は、子どもの潜在力を信じることの難しさ、権力者傾向の強さを示している。
宗教は、人生には意味があるのだという仮定の上に立つ。
驚きの感情にはへりくだりの心がともなう。
現代人は、ある価値を肯定し、それを信じうる力を大幅に喪失してしまった。
価値をめぐって知的議論をしても、価値についての確信をもつことにはならない。
勇気とは、人間が成長し前進するかぎり、基本的な徳であり、自らの自由を達成しようとするときに生じてくる不安に遭遇できる能力である。ある人が臆病であるというのは、その人間が怠け者であるというのと同じ意味である。簡単にいえば、潜在力が実現されていないか阻止されている状況を示す。
人の勇気を発達させるに当たって最大の邪魔ものは、自分自身の力に根ざさない生き方を強いられることである。
などなど。
複雑で読みにくいところもあるのだが、このような不安の時代を生きるためには「自己」を確立することが大切、というのが基本テーマだと思う。システマティックな社会の中で自由を否定されるとき、表面的にはその状況を受け入れているようにみえても、自由の断念を強いられることによる憎しみや恨みが生じ、しかもその恨みは抑圧される。全体主義国家のような自由を強く抑圧する社会では、人民の鬱積憎悪をむけるための「敵」が必要となる。更に、文明生活においては憎しみはむしろ「恨み」のかたちで沈潜し、しばしば自己憐憫に至る。ニーチェによれば、この「恨み」は「道徳」のかたちで間接的に出現している。所属集団の規準に適応することが「道徳」となるというかたちで。現代人の生活は、日常のきまりきった仕事や社会的因習によりパターン化されており、自由の証とは「経済的に強大になること」と理解してしまっている。
・・・2013年10月8日再読・・・
曰く・・・
たいていの親は子どもの潜在力をのばさせてやりたいというが、子どもにしがみつきたいという無意識的欲求に気づいていない。子どもがなにかを成し遂げることは親の支配下にとどまっていることによってのみ達成されるはずだという風に振る舞う。子どもが自由になることは親の心になにか深い不安をかきたてる。この不安は、子どもの潜在力を信じることの難しさ、権力者傾向の強さを示している。
宗教は、人生には意味があるのだという仮定の上に立つ。
驚きの感情にはへりくだりの心がともなう。
現代人は、ある価値を肯定し、それを信じうる力を大幅に喪失してしまった。
価値をめぐって知的議論をしても、価値についての確信をもつことにはならない。
勇気とは、人間が成長し前進するかぎり、基本的な徳であり、自らの自由を達成しようとするときに生じてくる不安に遭遇できる能力である。ある人が臆病であるというのは、その人間が怠け者であるというのと同じ意味である。簡単にいえば、潜在力が実現されていないか阻止されている状況を示す。
人の勇気を発達させるに当たって最大の邪魔ものは、自分自身の力に根ざさない生き方を強いられることである。
などなど。
2022年11月24日に日本でレビュー済み
レビュアーさんのレビューを見て買いました。すごく良かったです。
毒親本、虐待、トラウマ、PTSD、ポリヴェーガル、スピリチュアル、マインドフルネス、その他治療、セラピー本のジプシーがこれで終わるなぁと感慨深いです。親との関係にお悩みの方は背中を強く押してもらえる本だと思います。
私は旧版を読みました。日本語が古いですが読めます。
たくさん書き込み線を引き、何度も止まって考えそんなに厚い本ではないのに時間がかかりました。得たものは多すぎるくらいです。
もっと早くに出会いたかったと思ってしまうけれど、こういうのは出会うべきときに出会うのでしょう。
1番支えになったのは、ギリシャ神話の毒母を殺そうとした息子を許すのか?という裁判の話です。投票の結果は五分五分だったので知恵の神アテナが最終審判をくだすのですが、アテナは人類の自由、進歩のためにその息子を許します。
親のコントロールの問題は神話になるほど古代から皆が悩んできたありふれた問題であり、解決策は子供側が勇気を持って関係を断ち切る以外ないというメッセージとして受けとりました。
愛があればそもそも悩むことはないのです。罪悪感という無益な呪縛から抜け出して自由に楽しくいきようと思います!
毒親本、虐待、トラウマ、PTSD、ポリヴェーガル、スピリチュアル、マインドフルネス、その他治療、セラピー本のジプシーがこれで終わるなぁと感慨深いです。親との関係にお悩みの方は背中を強く押してもらえる本だと思います。
私は旧版を読みました。日本語が古いですが読めます。
たくさん書き込み線を引き、何度も止まって考えそんなに厚い本ではないのに時間がかかりました。得たものは多すぎるくらいです。
もっと早くに出会いたかったと思ってしまうけれど、こういうのは出会うべきときに出会うのでしょう。
1番支えになったのは、ギリシャ神話の毒母を殺そうとした息子を許すのか?という裁判の話です。投票の結果は五分五分だったので知恵の神アテナが最終審判をくだすのですが、アテナは人類の自由、進歩のためにその息子を許します。
親のコントロールの問題は神話になるほど古代から皆が悩んできたありふれた問題であり、解決策は子供側が勇気を持って関係を断ち切る以外ないというメッセージとして受けとりました。
愛があればそもそも悩むことはないのです。罪悪感という無益な呪縛から抜け出して自由に楽しくいきようと思います!
2009年10月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いろいろな引用があるので、哲学、宗教にそれなりの知識がないとピンと来ない文章もありますが、必ず引用の後には具体的な例が書いてあるので理解を助けてくれます。 前半20%はちょっと難解な文章に思いました。 そこを過ぎれば大分理解しやすくなります。 2度3度と読み返す価値がある本だと思います。
2003年1月14日に日本でレビュー済み
現代の人々は、空虚感からまぬがれることができない。そのように著者ロロ・メイは説く。どのように明るく振舞っても、どのように大きな声で笑っても、そのあとに空しさが到来する。私たちは、あるひとつの価値を無条件で受け入れることは出来ない。なぜなら、あらゆる価値観が存在していて、どれを自分の指針にすればよいのか分からないのである。
私たちは、生まれてからすぐに様々な価値観に晒されるので、自分がどういう人間であるのか、何が好きで、何を求めているのか、本当に感じる余裕がない。現代に生きる我々に必要な勇気は、ただ単にある決まった目標に突き進むといった、単純なものではない。むしろ、いかにして本来の自己を認めて、自己に基づいた価値観を築けるかというところにあるのである。この本は、約50年前に書かれたものである。しかしこの本のテーマは実はいつの時代の人間にもあてはまるのかもしれない。
私たちは、生まれてからすぐに様々な価値観に晒されるので、自分がどういう人間であるのか、何が好きで、何を求めているのか、本当に感じる余裕がない。現代に生きる我々に必要な勇気は、ただ単にある決まった目標に突き進むといった、単純なものではない。むしろ、いかにして本来の自己を認めて、自己に基づいた価値観を築けるかというところにあるのである。この本は、約50年前に書かれたものである。しかしこの本のテーマは実はいつの時代の人間にもあてはまるのかもしれない。