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医療・合理性・経験 :バイロン・グッドの医療人類学講義 単行本 – 2001/5/20
原書名: Medicine, rationality, and experience
【目次】
第1章 医療人類学と信念の問題
第2章 医療人類学における病い再現=表象 ――この分野へのひとつの見解
第3章 医学はいかにしてその対象を構成するか
第4章 症候学=記号学と医学的現実の研究
第5章 身体・病いの経験・生活世界 ――慢性の痛みの現象学的記述
第6章 病いの物語的再現=表象
第7章 美学・合理性・医療人類学
- 本の長さ411ページ
- 言語日本語
- 出版社誠信書房
- 発売日2001/5/20
- ISBN-104414428564
- ISBN-13978-4414428568
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ケアをすることの意味 病む人とともに在ることの心理学と医療人類学現代においても、ケアはそれがどこでなされるにしろ人間の体験におけるひとつの基礎となる道徳的・人間的な意味のある実践であることは確かである。それは人間であるということの価値に深く関わっており、経済性や合理性によってその価値が乱暴に貶められることにあらがうものである。本書では、ケアをすることに関する深刻な議論を喚起し、医学・看護・心理学教育と実践・研究におけるケアの位置づけの再考を促す。その一方で、患者や家族やコミュニティにおいてケアをすることの意義を訴える。 |
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八つの人生の物語 不確かで危険に満ちた時代を道徳的に生きるということ | ケアをすることの意味 病む人とともに在ることの心理学と医療人類学 | 病いの語り 慢性の病いをめぐる臨床人類学 | 医療・合理性・経験 バイロン・グッドの医療人類学講義 | |
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価格 | ¥3,790¥3,790 | ¥2,640¥2,640 | ¥4,620¥4,620 | ¥4,685¥4,685 |
著者 | アーサー・クラインマン 著 | アーサー・クラインマン 著 | アーサー・クラインマン 著 | B.J.グッド 著 |
訳 | 皆藤 章 監訳 高橋 洋 訳 | 皆藤 章 編 江口 重幸 著 | 江口 重幸 訳 五木田 紳 訳 上野 豪志 訳 | 江口 重幸 訳 五木田 紳 訳 下地 明友 訳 大月 康義 訳 三脇 康生 訳 |
内容紹介 | 人間であることの意味を問い、生存に関わる道徳的体験をくぐることを余儀なくされた激しい人生を生きた八人の男女の物語。戦争、グローバリゼーション、貧困、社会的な不正等、現代の混乱した問題点を通して、「私たちはいったい誰なのか」を探求する倫理への画期的なアプローチ。 | 現代においても、ケアはそれがどこでなされるにしろ人間の体験におけるひとつの基礎となる道徳的・人間的な意味のある実践であることは確かである。それは人間であるということの価値に深く関わっており、経済性や合理性によってその価値が乱暴に貶められることにあらがうものである。本書では、ケアをすることに関する深刻な議論を喚起し、医学・看護・心理学教育と実践・研究におけるケアの位置づけの再考を促す。その一方で、患者や家族やコミュニティにおいてケアをすることの意義を訴える。 | 本書は、慢性の病いをかかえた患者やその家族が肉声で語る物語を中心に構成されている。生物医学が軽視しがちな病いの「経験」と「語り」に耳を傾けてその意味を理解することが、現代の医療やケアに最も必要であることが明らかにされる。 | 医療人類学の四半世紀の流れを俯瞰する本書は、意味を中心とするアプローチ、病いの再現=表象理論、批判的現象学、物語論、読者反応論等を駆使しながら、医療・病いを社会的・文化的・美学的文脈から描き出す。病いや患うことの意味を徹底して問おうとする本書は、豊かな臨床知の宝庫であり、21世紀に架橋する記念碑的な著作である。 |
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著者 | 東畑 開人 著 | 東畑 開人 著 | ジェイムス・デイビス 著 |
訳 | 東畑 開人 監訳 中藤 信哉 訳 小原 美樹 訳 | ||
内容紹介 | ふとしたきっかけから怪しいヒーラーの世界に触れた若き臨床心理士は、「心の治療とは何か」を問うために、彼らの話を聴き、実際に治療を受けて回る。次から次へと現れる不思議な治療! そしてなんと自身の人生も苦境に陥る……。それでも好奇心は怪しい世界の深奥へと著者を誘っていく。武器はユーモアと医療人類学。冒険の果てに見出された心の治療の本性とはなんだったのか。「心が病むってどういうことか?」「心の治療者とは何者か」そして「心が癒やされるとはどういうことか?」 | 心理療法は必ず文化の中で行われる。だから、欧米で生まれた心理療法は、日本文化に合わせて変形したし、教科書に描かれる心理療法は、それぞれのローカルな現場の事情に合わせて妥協されざるをえない。そうやって、私たちのありふれた心理療法は営まれる。本書は、臨床心理学と医療人類学の二つの視点から、そのような文化と心理療法のダイナミズムを明らかにする。臨床心理学の専門性が問われる今、刺激的な心理臨床論が誕生。 | 「心理療法家とは何者か?」「心理療法家になるとはどういうことなのか?」本書はこの問いに対して人類学的に答えようとする。人類学者であり、心理療法家でもある著者は、訓練機関の本格的フィールドワークを行い、心理療法家に人類学の光を当てることを試みた。すると見えてきたのは、心理療法の「神話」が内面の奥深いところにまで浸透していくプロセスである。「心理療法家になる」とは、人間としての「変容」を含んでいるのである。従来とは異なる視点から心理療法家を読み解く書。 |
商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
登録情報
- 出版社 : 誠信書房 (2001/5/20)
- 発売日 : 2001/5/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 411ページ
- ISBN-10 : 4414428564
- ISBN-13 : 978-4414428568
- Amazon 売れ筋ランキング: - 394,646位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 547位医学
- - 20,160位医学・薬学・看護学・歯科学
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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アルジェリアの精神科医、フランツ・ファノンの問題提起がその嚆矢となったポストコロニアリズムという思想は、従来の学問領域、特に文化人類学のような比較文化的な装いをもつ学問に対して、その正当性の次元に鋭い疑問を投げかけた。エドワード・サイードはその代表作の一つで、その発想を「オリエンタリズム」と呼んだが、西欧文明を唯一の進んだ正しい文明とみなし、そこから未開の文化を劣ったものとみなす思想が糾弾されたのである。そういった観点からの反省が文化人類学のパラダイムを大きく変えることになった。
たとえば、ベトナムにおいて以下の有名な話がある。アメリカ軍はベトナム人の子供に予防接種を行おうとしたが、軍が去った後で大人たちは子供の注射された腕を悉く切り落としたのである。これを野蛮の一言のもとに切って捨ててよいのか。これは西洋医学の側から土着の医学に介入した場合のひとつの悲惨な事例であるが、実際の医療政策においても単に西洋医学を接ぎ木したのみではうまくいかないことがある。
ここでバイロン・グッドが展開しているのは、このようなポストコロニアルの時代における医療人類学の展開に関する方法論的・哲学的議論である。なので、抽象的議論が多く、同じ誠信書房から出版されている同僚アーサー・クラインマンの名著「病いの語り」のような分かりやすい臨床事例はほとんど挙げられていないため、そのような内容を期待する読者にとっては不向きである。
そういう理由からこの本は学術的論文の集合であり、全く一般向けの書物ではない。逆に言えば、医療人類学の専攻を志す人にとっては絶対に外すことのできない基本文献である、ということになる。もちろん、ポストコロニアルな時代における異文化圏における医療との関わりについて関心のある読者にとってもお薦めの書物である。
病=疾患は身体内に進行する物理的過程である以上に、文化的構築物であり、未開社会の呪術的医療も生物医学の物理的治療行為もいずれも等しく疾患の意味そのものを構成する文化的媒体の一部なのだというわけです。
グッドは医療文化というものを、各社会が疾患という特殊な対象を記述し表現する単なる概念のストック以上のものと考えています。疾患は文化を通じて生きられた生のリアリティとなり、人間はその現実に直面した生を生きることになります。
病の切実さとは身体的な苦痛だけではなく、社会生活の現実を構成している「意味」の世界がもたらす苦悩でもあるのです。つまり、病は「解釈」されるものです。
生物医学は、その解釈から極力「患者の私的生」を除外して患者を物理的治療プログラムの客体としての身体にまで切り詰めようとします(第3章)。
しかし、それだけが病へのありうべきただひとつの解釈の様式ではありません。異文化社会の伝統的な医療行為、それと結びついた「病の経験」のありかたは生物医学とは異なる解釈の様式の存在を我々に教えてくれます。
もちろん文化が全ての意味を決定できるほど病の経験は単純なものではありません。患者個人の自らの苦悩をめぐる自己解釈の実践が不可欠です。
グッドがもっとも強調するのもこの点です。患者は自分の病との関わりの「意味」を絶えず自問しているものなのです。
病のリアリティとは、生物医学その他の文化的解釈体系が疾患の診断を下すことによって切実になるのではなくて、患者の人生における苦悩がそれに適応したり抵抗したりしようとすることにおいて切実なものとなるのです。
以上が本書の内容の概要です。
重症というわけではないですけど、アトピー性皮膚炎と長らく付き合ってきた(そしてこれからもずっと付き合っていくであろう)自分としては、この本は心から賛同してしまう洞察に満ちた傑作です。