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漢画師: 雪舟の仕事 単行本 – 2013/10/1

2.0 5つ星のうち2.0 1個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ ブリュッケ (2013/10/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2013/10/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 394ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4434184296
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4434184291
  • カスタマーレビュー:
    2.0 5つ星のうち2.0 1個の評価

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上位レビュー、対象国: 日本

2021年9月14日に日本でレビュー済み
昔その真価が良く分からないながらも雪舟は神聖化され、また近年はそれが良く分からないながらも、反精神主義という時代風潮に乗り、皆で雪舟を俗物呼ばわりした挙句に「画聖雪舟」を神棚から引き摺り下ろしてみたはいいけれど、かといって今更雪舟画の国宝指定を簡単に取り消すわけにもいかないので、代わりに全く別の新た国宝画家たる根拠を探し出そうと試みた本。
しかしそもそも皆が雪舟の真価について「ほとんど全く何も分かっていない」のにも関わらず、瑣末な下らない理由で神棚から引き摺り下ろし、その代わりにまた新たな別の価値を探してみるなど、全く無謀で矛盾したおかしな話ではないかと思うのだが、とにかくそうして史学先行的に文献史料を探索しヒネリ出された結論と言えば「雪舟は一流の漢画師だったから」とかいう、これまたほとんどどうでもいいような話。
その程度の結論ではせいぜい良くて「そんな側面もあるかも」として重文止まりの根拠にしかなり得ないだろうし、そもそもそうした「真価」の探求は本来あくまで鑑賞論先行的に絵画作品自体の価値に求められるべきはずなのだが、早々にそんなことは見切りを付けられて、某「雪舟研究の第一人者ら」が唱えた「俗人雪舟説」の証明のために皆が文献史料漁りにムダに奔走したりとかで、こうして雪舟研究の全体がどんどん歪な呆れた方向に突き進んでいる気がする。

ところで雪舟には、今まで誰にも知られたことのない、生涯を掛けた大きな目的があり、そしてその実現のために「敢えて」京都を自ら出奔し、山口から明にまで出かけて行ったりしたのだが、そうした経緯については若い頃から晩年までの作品の中に全てが確実に語られているのである。
そしてそのことを、雪舟は弟子らはもちろん周囲の人間の誰にも言葉で明かすことはなかったゆえに、没後500年以上に渡って、雪舟の真実は、絵を見る多くの者の「ここには素晴らしい精神性の何かある(国宝だ!)」といった直観の中にのみ埋もれたままとなって来てしまったのだ、ということ。
従って「いくら絵を眺めても、もう何も見えて来ない」などと言って簡単に諦めるのではなく、今一度鑑賞論の初心に返って雪舟画を一から穴の開くほど見てみることをお勧めする。
さすれば古代縄文以来、日本人が大事にしてきたことを、室町文化がどのように禅宗と融合させて新たな「日本の美」として発展させたか、そしてその中心にいるのが、雪舟なのだということが分かってくるだろう。
ただその場合、十分に注意すべきことは、戦後の自嘲史観を未だ引きずったままの、現在の「悪しき反精神主義」に毒されたままでは絶対にダメなのだということ。
雪舟は間違いなく室町という精神主義文化全盛の時代精神にのっとって絵を描いたのに、それを現代のそうした精神主義忌避の風潮に従って考察してしまうのは明らかにおかしいことなのである。

そして雪舟のことを、やれ乱暴で逸脱だとか絵が実はヘタだったとか、精神性などなく俗物だとか、東山御物を見てないだとか、京都を逃げ出したとか、抽象画に片足突っ込んだとか、スパイだったとか、秋冬山水図は重文に格下げだとか、日本で本当の雪舟を知っている者は3人だけでオレ様がそのトップだとかの誰かさんとか・・・のウソ八百でワケの分からぬことを言ってる連中が研究の主導権を握り、その反精神主義に皆が強制洗脳されて、一般人までもがそれを信じ込まされる羽目になってしまっているという、現在のこの日本美術史の根本的な危機状況。(いやはや)
こんなことをいつまでもやっているようでは、現在の研究者らは皆、後世の人々から、「こぞって砂上の楼閣造りに勤しんだご苦労様な美術史家たち」、あるいは「100年雪舟研究を遅らせた美術史家たち」として笑い者になってしまうことは正に必定であろう。