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問題な日本語―どこがおかしい?何がおかしい? 単行本(ソフトカバー) – 2004/12/10
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へんな日本語にも理由(わけ)がある!
「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」「こちら和風セットになります」「全然いい」などの“問題な日本語”を
取りあげ、それがどのような理由で生まれてきたか、どのように使えばよいかを、日本語の達人、『明鏡国語辞典』の
編者・編集委員がわかりやすく解説。一読して言葉の常識がわかる「使うのはどっち?」も収録。
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- ISBN-104469221686
- ISBN-13978-4469221688
- 出版社大修館書店
- 発売日2004/12/10
- 言語日本語
- 本の長さ168ページ
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登録情報
- 出版社 : 大修館書店 (2004/12/10)
- 発売日 : 2004/12/10
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 168ページ
- ISBN-10 : 4469221686
- ISBN-13 : 978-4469221688
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- - 136位日本語研究
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年8月10日に日本でレビュー済み
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Good one!
2024年3月31日に日本でレビュー済み
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今までおかしい使い方ではないかと思っていた言葉が,時代の変化につれておかしい使い方ではないこと,またなんとなくおかしいと思っていた言葉のどこがおかしいのか,よくわかりました.
2013年5月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とても良かったです。想像以上綺麗だった。。。。。。。。。。。
2021年12月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まず、筆者は国文学を学んだことがないので、本書に書かれていることは全て参考になりました。その点は星4つを獲得。但し、著者の方々は辞書編纂に携わっておられる由。筆者は昨今の『辞書の「劣化」』を(自分勝手に)憂えているため(笑)、「どうか劣化させないで下さい」というお願い含みで、「星1つ減点」ということで。
一例を挙げます。
最近、なんでもかんでも「ひもとき」ますよね?(笑)。恐らく、昔々、誰かが最初に誤用したのが、書物やマスコミ(新聞、TV)の「拡散力」に乗じて、延々と拡がって来たのだと思います。
※「言語文化研究所」を持つNHKですら、特集番組などで、なんでもかんでも「ひもとい」ちゃってます(笑)。
そもそも(笑)、「繙(く)」とは、「漢字源」によりますと、次の意味です。
『繙』 ⇒『ひもと―く。巻物の形の書物を広げて読む。また、広く、書物を開いて読む。「繙書=書ショを繙く」「於是繙十二経以説=是ここに於(お)いて十二経を繙きて以(もつ)て説(と)けり」〔荘子・天道〕』
ということは、『歴史「書」を繙く』ことはできますが、『歴史を繙く』ことはできないわけですよね?(笑)
だって、そもそも、抽象概念である「歴史」に具象物体である「ひも」を掛けること自体できないわけですから(笑)、当然、「解(と)く」こともできませんので。
勿論、筆者の推測ですが、最初に誤用した人は、「繙く」という言葉を「音」で聞き、『この動詞は、「縺(もつ)れている紐(ひも)」を解(ほど)く、という意味だ』と、勘違いしたのでしょう。
※実際に、別の意味の「紐解く」(脚注1)という言葉もありますし、勘違いしやすいと言えばそれまでです。
別の言い方をすれば、『種々の概念が入り組み過ぎて、その「像」が見えにくいときに、その概念をひとつひとつ解(と)きほぐしていって、「像」を明確に浮かび上がらせる』という思考過程を、『「縺れた紐」を解く』ことに準/擬(なぞら)えた、「(いわば)詩的表現」だと思ったんでしょうね(笑)。
仮にこれが正当だとしたら、抽象概念はなんでも「繙」けますよね(笑)。人文科学系の「歴史」や「存在」に留まらず、「リーマン予想」や「P≠NP予想」みたいな理科系の概念だって「繙」けるでしょう(「ひもとく」のがお得意なTVコメンテーター諸氏に、是非、さっさと「ひもといて」頂きたいものですが[笑])。
さて、以上は巷の風潮として仕方のないこととしても、問題は、「辞書(国語辞典)」のほうの対応です。
まずは、代表的な国語辞典と言われる「広辞苑」につき、わざわざ「第四版」から「第七版」まで確認しましたが(笑)、結果は以下の通りでした。
【第四版】・【第五版】・【第六版】
「繙く」⇒ 書物の帙(脚注2)の紐を解く。一般に、書物をひらいて読む。ひもどく。「古典を―・く」
【第七版】
「繙く」⇒ ①書物の帙の紐を解く。一般に、書物をひらいて読む。ひもどく。「古典を―・く」②隠れた事実を明らかにする。「天才画家の人生を―・く」
いかがでしょうか。つまり、広辞苑の「劣化」が始まったのは、2018年1月12日、即ち「第七版」が出版された日であり、岩波書店(といいますか、同書店内の広辞苑編集部門)が「誤用」を正当と認定した日ですね(勿論、「この日本語(or 使用方法)は、正しい!」などと「認定」する権限は、彼(女)等には毛頭ありませんが[笑])。
「辞書」というのは、言葉の意味に関して、最後に頼る「砦」ですよね。
それに堂々と誤用が掲載されているとすれば、もはや「広辞苑」は、かつて存在した「現代用語の基礎知識」に堕したと言われても、仕方ないのでは?
また、敢えて付け加えさせて頂くならば、『(現在流行している意味での)「ひもとく」という動詞で言わんとすることを、旧来の他の言葉使いで表現できない』のならともかく(笑)、旧来の方法で表現しようとすれば、幾らでも方法があるわけですよね(笑)。例えば「今回、いままでの色々の見方を丁寧に解きほぐしてみた結果、新たに明らかになった事実がありますので、皆さんにご紹介したいと思います」でも、なんでも良いじゃないですか(笑)。
ここで筆者の言わんとしているのは、『互いに「キモい」で通じんだから、「キモい」で良いじゃん!』という「利便性」とは、全く別の話です(笑)。早い話が、末尾掲載の事例通りの現象が、現在我が国で起こっているということなのでしょう。
いま二十歳(はたち)の人も、あと、「たった」20年もすれば、若い方々の言う「ジジイ(or ババア)」になるわけですよね(笑)。将来、介護施設で、「これキモいじゃん!」⇒「うぜえな!いちいち文句付けんじゃねーよ!」てな会話を、80代の「老人」同士が交わしているとしたら、この国の行く末が不安になりませんか?(笑?)。国語(学習教科の「国語」の意味ではなく、「それぞれの国で、共通語または公用語として使っている言語」の意)は、その国の文化(水準)の基本ですよ。
余談は措いて、ご参考までに、別の国語辞典の記載を転載しておきます(順不同)。
【新明解国語辞典・第七版】
〔巻物や本の帙(チツ)の ひもを解く意〕本を出して読む。ひもどく 。用例 史書を-
【日本国語大辞典(筆者注:「紐解く」と「繙く」を区分していません)】
■一 〘自カ四〙 蕾(つぼみ)が開く。蕾がほころびる。ひぼとく。▷ 古今(905‐914)秋上・二四六「ももくさの花のひもとく秋ののに思ひたはれむ人なとがめそ〈よみ人しらず〉」
■二 〘他カ五(四)〙 (書物の帙(ちつ)の紐を解く意。後世「ひもどく」とも) 書物を開く。また、本を読む。ひぼとく。▷ 玉葉(1312)釈教・二六八六「しなじなにひもとく法の教にて今ぞさとりの花は開くる〈藤原実兼〉」
【明鏡国語辞典】
書物を開いて読む。本を読む。ひもどく。「史書を─」◇書物の帙のひもを解く意から。
繙く
【岩波国語辞典・第七版】
〘五他〙本をひらいて、読む。▷「ひもどく」とも言う。巻物のひもを解く意から。
つまり、(筆者の手許で参照できる限りにおいては)世間に迎合して「劣化」したのは、「広辞苑」の最新版(第七版)だけ、ということになりますね(笑)。文字通りの「曲学阿世」です(笑)。
ひょっとしたら「第十版」あたりでは、「書物を読む」という意味自体が削除されているかも知れません(笑)。
「辞書」から一旦離れますと、このような誤用は「繙く」に留まりません(幸いなことに(笑)、いまのところ、以下の誤用を正当のものとして記載した辞書はありませんが)。
例えば「鑑(かが/かんが)みる」という動詞がありますよね。
もちろん、『先例に照らして考える。他とくらべあわせて考える。「時局に―・みて生産の増大をはかる」』(広辞苑第六版)という意味ですが、問題は、「先例に照らして」の、「に」です(笑)。
これまた、過去に誰かが、「かんがみる」という「音」から「かんがえる(考える)」と同じ意味だと誤認したんでしょうね。
しかも、これを使うと、単に「考える」と言うよりは、「文語っぽ」くて、「格調が高く」、「考慮する」のような意味も含む「感じ」がしたんでしょう(笑)。
その結果、『過去の例「を」鑑みる』といった誤用が星の数ほど見られ、ネット記事や「意見」などでこの言葉を使う人の大半が、この用法を愛好しているようです(以下、「を用法」と称することにします[笑])。
しかしながら(笑)。
まず、「鑑みる」とは、『「鏡」の動詞化』なんだそうです。
では「鑑」とは、そもそもどういう意味かというと(広辞苑第六版より抜粋)・・
(1)物の姿を写す道具。かがみ。てほん。例:図鑑
(2)照らし合わせて真正であることを保証する(もの)。例:印鑑
(3)かんがみる。前例にてらしてよしあしを考える。見わける。例:鑑定
念のため「鏡」とはどういう意味かというと、『(「鑑」とも書く)手本。模範。万葉集20「見る人の語りつぎてて聞く人の―にせむを」。「武士の―」(広辞苑第六版:第二義)』ということであり、「鏡」=「鑑」なんですね。
従って、過去の事例「を」「かんがえる」ことは可能でも、「かがみる」ことはできないわけです。「を用法」は、いわば、『お手本「に」従って書き取りをしなさい』を、『お手本「を」従って~』と言うのに似ています(笑)。
類義の言葉に「照らす」(みくらべる、てらしあわせる)がありますが、『過去の事例「に」照らして』を、『~「を」照らして』という人は、あまりいませんよね(ネット記事で『過去の事例「から」照らして』という、珍妙な用例を見たことはありますが[笑])。
『過去の事例「を」照らした』場合、単に、「過去の事例に光を照射した」という行為で終わってしまって(笑)、「それからどうするの?」(照らし合わせる、見比べる)の意味が欠落してしまうからです(笑)。「を用法」愛好者の皆さんも、ぜひご一考を(笑)。
(脚注1)「ひも‐と・く【紐解く】」(「広辞苑」第四版)
_自四__下紐を解く。万葉集14「香取をとめのゆひし―・く」_つぼみが開く。ほころびる。源氏物語蜻蛉「花の―・く御前のくさむらを」
(脚注2)和書の損傷防止のための「覆い」を「帙/ちつ」というらしく、それを留めてある紐を解くの意です。
以下、余談です(笑)。
世の中には、次のようなご意見をお持ちの方がおられます。
『言葉というものは、どんどん進化していくものであり、古い言葉を正しく使えていないからといって「言語警察」みたいに「これは違う、あれも違う」などと揚げ足を取るのは間違っている。仮に自分と友人の間でしか通じない言葉があるとして、それも立派な「言葉」なのであるから、いちいち他人に文句を言われる筋合いはない。』
この論の誤りは明白で(笑)、次の点を考えてみて頂ければ、すぐにお分かりかと思います(笑)。
(1)言葉というものは、「1言語につき、言葉の数は3万語に限る」などと絶対数が決められているわけではありません(笑)。つまり、誰かが「新しい言葉」や、旧来の言葉の誤認による誤用を「発明」し、多数の人間がそれを使うようになったからといって、その数だけ古い言葉や本来の意味が消滅していくわけではありませんし(笑)、その(古来の)「正しい用法」は、厳然と存在し続けるわけです(注1)。換言すれば、このご意見を提唱されている方は、「変化」と「進化」を混同されているに過ぎません(笑)。
従って、仮に「Aさん」がそれら(古来使われ続けて来た言葉や用法)を誤って使用していたら、指摘するべきなのは当然です(笑)。そうでないと、「言葉の進化(実は単なる「変化形の出現」)」云々以前に、「Aさん」の言語能力(ひいては意思伝達能力)の、それこそ「進化」が止まってしまいますよね(注2)。
(注1)
思うに、消滅したり、新たに生成される言葉や用法というのは、いわば、言語という堅固な山の上を去来する、流れ雲のようなものです。雲が流れていくからといって、山自体には、なんの影響もありませんよね(笑)。いまは使われていない「いかす」とか「ぎゃふん」とか(笑)、そういった数多の死語の代わりに、「超・鬼・激○○」(程度が著しく大きいことを表すための接頭辞らしい[笑])とか「きもい」(「気持ちが悪い」=「不快感を覚える」の変型)などが現れただけであって、別の言い方をすれば、単なる「はやりことば」の層ですね(※)。
(※)因みに、「現代用語の基礎知識・広辞苑第七版」(笑)には、もちろん?「きもい」も載っています(笑)。また、接頭辞としての「激」については、同書掲載の例は「激辛」ですが(笑)、他の殆どの辞書は「激流」「激論」などでした(笑)。
多分、広辞苑編集部門の方々は、『僕(私)らは、過去に流通していた「国語辞典」という古くさい形式を捨てました!「いま、みんなが使っている言葉」こそ、日本語なんです!僕(私)らは、これから先も、どんどん「進化」して行きますよ~!だから、「みんなの国語辞典」、広辞苑を、今後とも末永くよろしく!新版が出たら、必ず買ってね!』と仰せになりたいのでしょう(笑)。筆者に言わせれば、これはもはや、「辞典」ですらありません(笑)。
(注2)
仮にAさんが、「自分が物心(ものごころ)つく以前の言語で表現されたものは、いかなる媒体(書物、映像表現など)であれ、理解する気はなく、自ら使用する気もなく、その価値も認めない」の趣旨で、「そんな、ジジババの言葉なんて、分かる必要ねーよ」と仰せになるとします。でも、Aさんが使っているのは、「ジジババ」どころか、ご先祖様方が生成してきた、紛れもない日本語ですよね(笑)。つまり、「そのような、老爺・老婆どもの用いる言葉など、理解する必要はない」を口語にしただけでは?(笑)この自己矛盾を解決しない限り、只の空論に過ぎません(笑)。
(2)そもそも言葉とは何のためにあるかといえば(笑)、発話を始めとする様々の媒体で、自分の思考を他者に伝え、他者の思考を自分が理解するためですよね。世界の言語の中で、話者が最も少ない言葉は、(一説に依れば)「Yahgan」と「Kaixana」という言葉だそうで、なんと、各々話者が1人なんだそうです。その上位には、各々話者が2人という言語が3つあるとのこと。「自分と友人の間でしか通じない言葉」は、これらに相当し(笑)、もはや言語としての役割を放棄しており、言葉一般に関する、いかなる主張の根拠にもなり得ません(笑)。
もう半世紀前のことになりますが、「リーダーズ・ダイジェスト」社(The Reader's Digest Association, Inc.)発行の「言葉」をテーマにした本を読んだところ、「米国の若者の言語能力」のような項に、次のような事例が載っていました。
言語研究者が或る若い男に「(君達のよく使う)”groovy”を、別の言葉で表現してくれないか」と依頼したところ、若者は、やや考えた後、” Groovy’s groovy, man! ”( ”groovy”は”groovy”だよ、おっさん!)と答えたそうです(笑)。(因みに”groovy”の意味の変遷についても興味深いのですが、それは省略。)
この事例は、とても興味深いと思います。
つまり、「自分が言葉をどういう意味で使っているのか、他者に説明できない」一定数の人間が、いつの世にも存在する、ということですね。理由のひとつは至極単純で、操れる語彙が少ないからです。件の「Aさん」がそうはならないと、誰が保証できるでしょうか(笑)。
まあ、当の「Aさん」が、「俺はそれで良い、しかも俺は正しい!」と仰せになるなら、何をか況んや、ですが(笑)。
一例を挙げます。
最近、なんでもかんでも「ひもとき」ますよね?(笑)。恐らく、昔々、誰かが最初に誤用したのが、書物やマスコミ(新聞、TV)の「拡散力」に乗じて、延々と拡がって来たのだと思います。
※「言語文化研究所」を持つNHKですら、特集番組などで、なんでもかんでも「ひもとい」ちゃってます(笑)。
そもそも(笑)、「繙(く)」とは、「漢字源」によりますと、次の意味です。
『繙』 ⇒『ひもと―く。巻物の形の書物を広げて読む。また、広く、書物を開いて読む。「繙書=書ショを繙く」「於是繙十二経以説=是ここに於(お)いて十二経を繙きて以(もつ)て説(と)けり」〔荘子・天道〕』
ということは、『歴史「書」を繙く』ことはできますが、『歴史を繙く』ことはできないわけですよね?(笑)
だって、そもそも、抽象概念である「歴史」に具象物体である「ひも」を掛けること自体できないわけですから(笑)、当然、「解(と)く」こともできませんので。
勿論、筆者の推測ですが、最初に誤用した人は、「繙く」という言葉を「音」で聞き、『この動詞は、「縺(もつ)れている紐(ひも)」を解(ほど)く、という意味だ』と、勘違いしたのでしょう。
※実際に、別の意味の「紐解く」(脚注1)という言葉もありますし、勘違いしやすいと言えばそれまでです。
別の言い方をすれば、『種々の概念が入り組み過ぎて、その「像」が見えにくいときに、その概念をひとつひとつ解(と)きほぐしていって、「像」を明確に浮かび上がらせる』という思考過程を、『「縺れた紐」を解く』ことに準/擬(なぞら)えた、「(いわば)詩的表現」だと思ったんでしょうね(笑)。
仮にこれが正当だとしたら、抽象概念はなんでも「繙」けますよね(笑)。人文科学系の「歴史」や「存在」に留まらず、「リーマン予想」や「P≠NP予想」みたいな理科系の概念だって「繙」けるでしょう(「ひもとく」のがお得意なTVコメンテーター諸氏に、是非、さっさと「ひもといて」頂きたいものですが[笑])。
さて、以上は巷の風潮として仕方のないこととしても、問題は、「辞書(国語辞典)」のほうの対応です。
まずは、代表的な国語辞典と言われる「広辞苑」につき、わざわざ「第四版」から「第七版」まで確認しましたが(笑)、結果は以下の通りでした。
【第四版】・【第五版】・【第六版】
「繙く」⇒ 書物の帙(脚注2)の紐を解く。一般に、書物をひらいて読む。ひもどく。「古典を―・く」
【第七版】
「繙く」⇒ ①書物の帙の紐を解く。一般に、書物をひらいて読む。ひもどく。「古典を―・く」②隠れた事実を明らかにする。「天才画家の人生を―・く」
いかがでしょうか。つまり、広辞苑の「劣化」が始まったのは、2018年1月12日、即ち「第七版」が出版された日であり、岩波書店(といいますか、同書店内の広辞苑編集部門)が「誤用」を正当と認定した日ですね(勿論、「この日本語(or 使用方法)は、正しい!」などと「認定」する権限は、彼(女)等には毛頭ありませんが[笑])。
「辞書」というのは、言葉の意味に関して、最後に頼る「砦」ですよね。
それに堂々と誤用が掲載されているとすれば、もはや「広辞苑」は、かつて存在した「現代用語の基礎知識」に堕したと言われても、仕方ないのでは?
また、敢えて付け加えさせて頂くならば、『(現在流行している意味での)「ひもとく」という動詞で言わんとすることを、旧来の他の言葉使いで表現できない』のならともかく(笑)、旧来の方法で表現しようとすれば、幾らでも方法があるわけですよね(笑)。例えば「今回、いままでの色々の見方を丁寧に解きほぐしてみた結果、新たに明らかになった事実がありますので、皆さんにご紹介したいと思います」でも、なんでも良いじゃないですか(笑)。
ここで筆者の言わんとしているのは、『互いに「キモい」で通じんだから、「キモい」で良いじゃん!』という「利便性」とは、全く別の話です(笑)。早い話が、末尾掲載の事例通りの現象が、現在我が国で起こっているということなのでしょう。
いま二十歳(はたち)の人も、あと、「たった」20年もすれば、若い方々の言う「ジジイ(or ババア)」になるわけですよね(笑)。将来、介護施設で、「これキモいじゃん!」⇒「うぜえな!いちいち文句付けんじゃねーよ!」てな会話を、80代の「老人」同士が交わしているとしたら、この国の行く末が不安になりませんか?(笑?)。国語(学習教科の「国語」の意味ではなく、「それぞれの国で、共通語または公用語として使っている言語」の意)は、その国の文化(水準)の基本ですよ。
余談は措いて、ご参考までに、別の国語辞典の記載を転載しておきます(順不同)。
【新明解国語辞典・第七版】
〔巻物や本の帙(チツ)の ひもを解く意〕本を出して読む。ひもどく 。用例 史書を-
【日本国語大辞典(筆者注:「紐解く」と「繙く」を区分していません)】
■一 〘自カ四〙 蕾(つぼみ)が開く。蕾がほころびる。ひぼとく。▷ 古今(905‐914)秋上・二四六「ももくさの花のひもとく秋ののに思ひたはれむ人なとがめそ〈よみ人しらず〉」
■二 〘他カ五(四)〙 (書物の帙(ちつ)の紐を解く意。後世「ひもどく」とも) 書物を開く。また、本を読む。ひぼとく。▷ 玉葉(1312)釈教・二六八六「しなじなにひもとく法の教にて今ぞさとりの花は開くる〈藤原実兼〉」
【明鏡国語辞典】
書物を開いて読む。本を読む。ひもどく。「史書を─」◇書物の帙のひもを解く意から。
繙く
【岩波国語辞典・第七版】
〘五他〙本をひらいて、読む。▷「ひもどく」とも言う。巻物のひもを解く意から。
つまり、(筆者の手許で参照できる限りにおいては)世間に迎合して「劣化」したのは、「広辞苑」の最新版(第七版)だけ、ということになりますね(笑)。文字通りの「曲学阿世」です(笑)。
ひょっとしたら「第十版」あたりでは、「書物を読む」という意味自体が削除されているかも知れません(笑)。
「辞書」から一旦離れますと、このような誤用は「繙く」に留まりません(幸いなことに(笑)、いまのところ、以下の誤用を正当のものとして記載した辞書はありませんが)。
例えば「鑑(かが/かんが)みる」という動詞がありますよね。
もちろん、『先例に照らして考える。他とくらべあわせて考える。「時局に―・みて生産の増大をはかる」』(広辞苑第六版)という意味ですが、問題は、「先例に照らして」の、「に」です(笑)。
これまた、過去に誰かが、「かんがみる」という「音」から「かんがえる(考える)」と同じ意味だと誤認したんでしょうね。
しかも、これを使うと、単に「考える」と言うよりは、「文語っぽ」くて、「格調が高く」、「考慮する」のような意味も含む「感じ」がしたんでしょう(笑)。
その結果、『過去の例「を」鑑みる』といった誤用が星の数ほど見られ、ネット記事や「意見」などでこの言葉を使う人の大半が、この用法を愛好しているようです(以下、「を用法」と称することにします[笑])。
しかしながら(笑)。
まず、「鑑みる」とは、『「鏡」の動詞化』なんだそうです。
では「鑑」とは、そもそもどういう意味かというと(広辞苑第六版より抜粋)・・
(1)物の姿を写す道具。かがみ。てほん。例:図鑑
(2)照らし合わせて真正であることを保証する(もの)。例:印鑑
(3)かんがみる。前例にてらしてよしあしを考える。見わける。例:鑑定
念のため「鏡」とはどういう意味かというと、『(「鑑」とも書く)手本。模範。万葉集20「見る人の語りつぎてて聞く人の―にせむを」。「武士の―」(広辞苑第六版:第二義)』ということであり、「鏡」=「鑑」なんですね。
従って、過去の事例「を」「かんがえる」ことは可能でも、「かがみる」ことはできないわけです。「を用法」は、いわば、『お手本「に」従って書き取りをしなさい』を、『お手本「を」従って~』と言うのに似ています(笑)。
類義の言葉に「照らす」(みくらべる、てらしあわせる)がありますが、『過去の事例「に」照らして』を、『~「を」照らして』という人は、あまりいませんよね(ネット記事で『過去の事例「から」照らして』という、珍妙な用例を見たことはありますが[笑])。
『過去の事例「を」照らした』場合、単に、「過去の事例に光を照射した」という行為で終わってしまって(笑)、「それからどうするの?」(照らし合わせる、見比べる)の意味が欠落してしまうからです(笑)。「を用法」愛好者の皆さんも、ぜひご一考を(笑)。
(脚注1)「ひも‐と・く【紐解く】」(「広辞苑」第四版)
_自四__下紐を解く。万葉集14「香取をとめのゆひし―・く」_つぼみが開く。ほころびる。源氏物語蜻蛉「花の―・く御前のくさむらを」
(脚注2)和書の損傷防止のための「覆い」を「帙/ちつ」というらしく、それを留めてある紐を解くの意です。
以下、余談です(笑)。
世の中には、次のようなご意見をお持ちの方がおられます。
『言葉というものは、どんどん進化していくものであり、古い言葉を正しく使えていないからといって「言語警察」みたいに「これは違う、あれも違う」などと揚げ足を取るのは間違っている。仮に自分と友人の間でしか通じない言葉があるとして、それも立派な「言葉」なのであるから、いちいち他人に文句を言われる筋合いはない。』
この論の誤りは明白で(笑)、次の点を考えてみて頂ければ、すぐにお分かりかと思います(笑)。
(1)言葉というものは、「1言語につき、言葉の数は3万語に限る」などと絶対数が決められているわけではありません(笑)。つまり、誰かが「新しい言葉」や、旧来の言葉の誤認による誤用を「発明」し、多数の人間がそれを使うようになったからといって、その数だけ古い言葉や本来の意味が消滅していくわけではありませんし(笑)、その(古来の)「正しい用法」は、厳然と存在し続けるわけです(注1)。換言すれば、このご意見を提唱されている方は、「変化」と「進化」を混同されているに過ぎません(笑)。
従って、仮に「Aさん」がそれら(古来使われ続けて来た言葉や用法)を誤って使用していたら、指摘するべきなのは当然です(笑)。そうでないと、「言葉の進化(実は単なる「変化形の出現」)」云々以前に、「Aさん」の言語能力(ひいては意思伝達能力)の、それこそ「進化」が止まってしまいますよね(注2)。
(注1)
思うに、消滅したり、新たに生成される言葉や用法というのは、いわば、言語という堅固な山の上を去来する、流れ雲のようなものです。雲が流れていくからといって、山自体には、なんの影響もありませんよね(笑)。いまは使われていない「いかす」とか「ぎゃふん」とか(笑)、そういった数多の死語の代わりに、「超・鬼・激○○」(程度が著しく大きいことを表すための接頭辞らしい[笑])とか「きもい」(「気持ちが悪い」=「不快感を覚える」の変型)などが現れただけであって、別の言い方をすれば、単なる「はやりことば」の層ですね(※)。
(※)因みに、「現代用語の基礎知識・広辞苑第七版」(笑)には、もちろん?「きもい」も載っています(笑)。また、接頭辞としての「激」については、同書掲載の例は「激辛」ですが(笑)、他の殆どの辞書は「激流」「激論」などでした(笑)。
多分、広辞苑編集部門の方々は、『僕(私)らは、過去に流通していた「国語辞典」という古くさい形式を捨てました!「いま、みんなが使っている言葉」こそ、日本語なんです!僕(私)らは、これから先も、どんどん「進化」して行きますよ~!だから、「みんなの国語辞典」、広辞苑を、今後とも末永くよろしく!新版が出たら、必ず買ってね!』と仰せになりたいのでしょう(笑)。筆者に言わせれば、これはもはや、「辞典」ですらありません(笑)。
(注2)
仮にAさんが、「自分が物心(ものごころ)つく以前の言語で表現されたものは、いかなる媒体(書物、映像表現など)であれ、理解する気はなく、自ら使用する気もなく、その価値も認めない」の趣旨で、「そんな、ジジババの言葉なんて、分かる必要ねーよ」と仰せになるとします。でも、Aさんが使っているのは、「ジジババ」どころか、ご先祖様方が生成してきた、紛れもない日本語ですよね(笑)。つまり、「そのような、老爺・老婆どもの用いる言葉など、理解する必要はない」を口語にしただけでは?(笑)この自己矛盾を解決しない限り、只の空論に過ぎません(笑)。
(2)そもそも言葉とは何のためにあるかといえば(笑)、発話を始めとする様々の媒体で、自分の思考を他者に伝え、他者の思考を自分が理解するためですよね。世界の言語の中で、話者が最も少ない言葉は、(一説に依れば)「Yahgan」と「Kaixana」という言葉だそうで、なんと、各々話者が1人なんだそうです。その上位には、各々話者が2人という言語が3つあるとのこと。「自分と友人の間でしか通じない言葉」は、これらに相当し(笑)、もはや言語としての役割を放棄しており、言葉一般に関する、いかなる主張の根拠にもなり得ません(笑)。
もう半世紀前のことになりますが、「リーダーズ・ダイジェスト」社(The Reader's Digest Association, Inc.)発行の「言葉」をテーマにした本を読んだところ、「米国の若者の言語能力」のような項に、次のような事例が載っていました。
言語研究者が或る若い男に「(君達のよく使う)”groovy”を、別の言葉で表現してくれないか」と依頼したところ、若者は、やや考えた後、” Groovy’s groovy, man! ”( ”groovy”は”groovy”だよ、おっさん!)と答えたそうです(笑)。(因みに”groovy”の意味の変遷についても興味深いのですが、それは省略。)
この事例は、とても興味深いと思います。
つまり、「自分が言葉をどういう意味で使っているのか、他者に説明できない」一定数の人間が、いつの世にも存在する、ということですね。理由のひとつは至極単純で、操れる語彙が少ないからです。件の「Aさん」がそうはならないと、誰が保証できるでしょうか(笑)。
まあ、当の「Aさん」が、「俺はそれで良い、しかも俺は正しい!」と仰せになるなら、何をか況んや、ですが(笑)。
2014年10月31日に日本でレビュー済み
普段気になっている日本語はもれなくカバーしています。
説明も文法的すぎず、既成事実にとらわれすぎず、バランスもいいです。
知らなかった原理に気づかされ、はっと思った部分もありました。
ただ、国語辞典の編集委員とは思えない説明も見受けられました。
「とんでもございません」と「おられる」については強い違和感を覚えます。
丁寧に言うなら、「とんでもないことでございます」が正しい、の部分で、
「ない」は否定だけでなく、強調の意味があるとの説明がありませんでした。
「とんだ(ことだ)」→「とんでもない(ことだ)」
「せわしい」→「せわしない」
「(不愉快)極まる」→「(不愉快)極まりない」
強調の「ない」だから、丁寧にするとき、
「〜ありません」や「〜ございません」にはならない、
という説明がないのは、残念でした。
また、高い地位にいる社会人も電話をかけて、
「○○さん、おられますか?」と言ったり、
書籍や新聞でも「そういう方もおられることだろう。」という
表現が市民権を得たように見えます。
「おられる」と尊敬の形をとっても、元が「おる」という「いる」の謙譲語であっては、
尊敬語とは思えません。「いらっしゃる」が正しいものと信じています。
私は、この本でも書かれている「根強い反対派」のひとりなのでしょうか。
説明も文法的すぎず、既成事実にとらわれすぎず、バランスもいいです。
知らなかった原理に気づかされ、はっと思った部分もありました。
ただ、国語辞典の編集委員とは思えない説明も見受けられました。
「とんでもございません」と「おられる」については強い違和感を覚えます。
丁寧に言うなら、「とんでもないことでございます」が正しい、の部分で、
「ない」は否定だけでなく、強調の意味があるとの説明がありませんでした。
「とんだ(ことだ)」→「とんでもない(ことだ)」
「せわしい」→「せわしない」
「(不愉快)極まる」→「(不愉快)極まりない」
強調の「ない」だから、丁寧にするとき、
「〜ありません」や「〜ございません」にはならない、
という説明がないのは、残念でした。
また、高い地位にいる社会人も電話をかけて、
「○○さん、おられますか?」と言ったり、
書籍や新聞でも「そういう方もおられることだろう。」という
表現が市民権を得たように見えます。
「おられる」と尊敬の形をとっても、元が「おる」という「いる」の謙譲語であっては、
尊敬語とは思えません。「いらっしゃる」が正しいものと信じています。
私は、この本でも書かれている「根強い反対派」のひとりなのでしょうか。
2005年2月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「その日本語ってヘンじゃぁ…」と思うこと、日常で結構ありますよね。
そんな違和感を覚える日本語に対して、どうして違和感を覚えるのかを解説してくれている本です。
(言語学上の)正答と、誤用に至った経緯なども分かりやすく解説してありますし、各項目の最後にはワンポイントとしてまとめがあり、非常に見やすいつくりです。
なにより、表紙のキツネのイラストに代表される、挿入された四コマがすばらしい!
これに大笑いです(笑)
他の方も書いていらっしゃるように、言葉は生き物です。
今の時点では通用しなくても、10年後はどうなっているか分かりません。
でもできたら、美しい日本語を話していたいですよね。
そんな違和感を覚える日本語に対して、どうして違和感を覚えるのかを解説してくれている本です。
(言語学上の)正答と、誤用に至った経緯なども分かりやすく解説してありますし、各項目の最後にはワンポイントとしてまとめがあり、非常に見やすいつくりです。
なにより、表紙のキツネのイラストに代表される、挿入された四コマがすばらしい!
これに大笑いです(笑)
他の方も書いていらっしゃるように、言葉は生き物です。
今の時点では通用しなくても、10年後はどうなっているか分かりません。
でもできたら、美しい日本語を話していたいですよね。