とても状態の綺麗な本でした。
お世話になりました。
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愛と死をみつめて ポケット版 (だいわ文庫 D 4-1) 文庫 – 2006/2/9
- 本の長さ320ページ
- 言語日本語
- 出版社大和書房
- 発売日2006/2/9
- ISBN-10447930004X
- ISBN-13978-4479300045
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登録情報
- 出版社 : 大和書房 (2006/2/9)
- 発売日 : 2006/2/9
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 320ページ
- ISBN-10 : 447930004X
- ISBN-13 : 978-4479300045
- Amazon 売れ筋ランキング: - 456,540位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 553位だいわ文庫
- - 80,500位ノンフィクション (本)
- - 124,268位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年5月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「愛と死をみつめて」は、わたしが入院していた大学時代、母から送られた本でした。
およそ400通にもなる、河野実さんと大島みち子さんとの往復書簡から見える、二人の美しい「愛」が感動的で、泣けてしまいます。
そしてあの若さで「顔面肉腫」に冒され、時に、くじけそうになりつつも、「生きること」を諦めず戦う、みち子さんの姿に、そして支える河野さんの姿に。わたしは励まされ、救われたひとりです。
時代は違いますが、みち子さんと同じ年の頃、わたしは「血液系のガン」が発覚して生死をさまよったことがあります。
せっかく頑張って入った大学で、さあ、これからという二年目の頃、二十歳の時でした。
K大医学部に入学したのは、こんな病気で入院して「死」を覚悟するためだったのかと、当時、先生から、親や友達を困らせていた自分は、今読み返しても、余りにも幼過ぎて、恥ずかしいです。
みち子さんは、限られた時間の中で、精いっぱい河野さんを愛して、残していかなければならなかった「想い」を受け止めて、河野さんの「幸せ」を願って旅立ってしまいますが・・・・
その姿が描かれている本書を、母から看護師さんを通じて手渡されて読んだときに、本書が泣けることもありましたが、育児ノイローゼで父に育児を任せて、実家へ戻った母のことしか記憶になかった私にとっては、この時に、わからないまま来た、母の思いも同時に知り、病室で泣きました。
そんな思い出がこもっていることもあって、尚更に、大島みち子さんと河野実さんの著書は、いろいろと学び、教えられた本であり。
「愛すること」「愛されること」を教えられた本でもありました。
わたしは、幸い、乗り越えて命をながらえ、20年以上も生きています。
みち子さんが、できることなら河野さんと共に生きたかった「人生」を思って、命ながらえたあと。
自分なりに、懸命に生きているかと、時に自問自答しながら「今日も」元気に生きています。
「愛と死をみつめて」と、もう一冊の 若きいのちの日記―愛と死の記録 は、わたしが母から送られた大切な本でもあり、何度も繰り返し読んでいます。
今回、2冊とも、かなりボロボロになってしまったので、買いなおしました。
何度読んでも、感動します。そしてみち子さんと河野さんの姿に正される思いがあります。
こういった素晴らしい本は、ずっと読み継がれて欲しいです。
およそ400通にもなる、河野実さんと大島みち子さんとの往復書簡から見える、二人の美しい「愛」が感動的で、泣けてしまいます。
そしてあの若さで「顔面肉腫」に冒され、時に、くじけそうになりつつも、「生きること」を諦めず戦う、みち子さんの姿に、そして支える河野さんの姿に。わたしは励まされ、救われたひとりです。
時代は違いますが、みち子さんと同じ年の頃、わたしは「血液系のガン」が発覚して生死をさまよったことがあります。
せっかく頑張って入った大学で、さあ、これからという二年目の頃、二十歳の時でした。
K大医学部に入学したのは、こんな病気で入院して「死」を覚悟するためだったのかと、当時、先生から、親や友達を困らせていた自分は、今読み返しても、余りにも幼過ぎて、恥ずかしいです。
みち子さんは、限られた時間の中で、精いっぱい河野さんを愛して、残していかなければならなかった「想い」を受け止めて、河野さんの「幸せ」を願って旅立ってしまいますが・・・・
その姿が描かれている本書を、母から看護師さんを通じて手渡されて読んだときに、本書が泣けることもありましたが、育児ノイローゼで父に育児を任せて、実家へ戻った母のことしか記憶になかった私にとっては、この時に、わからないまま来た、母の思いも同時に知り、病室で泣きました。
そんな思い出がこもっていることもあって、尚更に、大島みち子さんと河野実さんの著書は、いろいろと学び、教えられた本であり。
「愛すること」「愛されること」を教えられた本でもありました。
わたしは、幸い、乗り越えて命をながらえ、20年以上も生きています。
みち子さんが、できることなら河野さんと共に生きたかった「人生」を思って、命ながらえたあと。
自分なりに、懸命に生きているかと、時に自問自答しながら「今日も」元気に生きています。
「愛と死をみつめて」と、もう一冊の 若きいのちの日記―愛と死の記録 は、わたしが母から送られた大切な本でもあり、何度も繰り返し読んでいます。
今回、2冊とも、かなりボロボロになってしまったので、買いなおしました。
何度読んでも、感動します。そしてみち子さんと河野さんの姿に正される思いがあります。
こういった素晴らしい本は、ずっと読み継がれて欲しいです。
2017年6月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
このポケット版とは別に「若きいのちの日記―「愛と死をみつめて」を同時購入し並行して読書をし大嶋みち子さんの生涯に触れました。残念なことに私の印象としてはこれを読んだことによってみち子さんの余りにもいたわしい死まででの状況をうかがい知ることは出来たとしても、時々登場する河野実さんの注釈なるものが余りにも商業目的な印象としか取れない場面もあるのを感じ、かえってみち子さんに対するお悔やみの念が強くなりました。みち子さん個人に対しては是非とも私個人も命のあるうちに一度お墓をお参りし手を合わせたいと思っております。ただただ合唱
2018年12月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
同時代に幼児期から小学生期にあったものとしての読後感である。当時の記憶をたどりながら、読むこととなった。
まこさん、みこさんともに舗装されていない道を一歩づつ、二人で歩んでいたのであろう。
その道を二人でつくりながらであった。
また、二人と同年代になった頃の記憶が蘇って来る。
恋愛に対して真摯に向き合い、二人の歴史を創造した営みに賛辞を送りたい。
二人と同年齢の時には、読むことが出来なかったようである。
まこさん、みこさんともに舗装されていない道を一歩づつ、二人で歩んでいたのであろう。
その道を二人でつくりながらであった。
また、二人と同年代になった頃の記憶が蘇って来る。
恋愛に対して真摯に向き合い、二人の歴史を創造した営みに賛辞を送りたい。
二人と同年齢の時には、読むことが出来なかったようである。
2023年2月25日に日本でレビュー済み
60年前に出版された「愛と死をみつめて」、「若きいのちの日記」は大ベストセラーとなりさらに20年ほど前に河野氏が出された「愛と死をみつめて終章」を併せて読むことにより短かったみち子さんの生涯がより鮮明に浮かび上がる。
みち子さんが手術前に自殺を考えていた時期に河野氏は「人間はいつかは死んでしまうんだから生きなければならない」と言って説得している。当たり前過ぎるこの言葉に重みを感じる。
反面それは健康すぎるほど健康な人間が間もなく顔の半分を失い死に直面している人間に言うには酷ではないかという批判もあるかもしれない。しかし薄っぺらな同情や慰めなど通用しない彼女にはそう言うしかなかったのだろう。
手術後間もなく再発した病の中でみち子さんは体が動く間は一生懸命他の患者の世話をしたりあるいは手作りの刺繍を知人に配り内心「さようなら」を言って死への準備を始めている。
往復書簡出版直後週刊誌の取材で河野氏は「みち子さんは、僕が電話をかけてあげるととても喜んでくれました。ものすごく元気な声で嬉しそうに話す声を聞くと無理してでも電話したくなるのです。・・・」と答えている。河野氏はみち子さんのことが本当に好きで好きでしょうがなかったのだ。またみち子さんも河野氏からの電話を通じて病院外の空気を吸い新鮮な気持ちになったのだろう。しかしみち子さんの死期が近いと知ってから河野氏は「自分も死んでしまいたい」とかみち子さんを過去の人扱いにして彼女を当惑させる。これに対して「あなたは駄々っ子になりましたね」と母親のように窘めている。健康な河野氏は死期が迫っている人にどう対応していいか分からず混乱していたのだ。そんな河野氏もみち子さんが日記も手紙も書けなくなってしまってからは毎日のように電話をかけ励まし続け、日夜アルバイトで旅費を工面して大阪の彼女の病床に駆けつけている。やがてみち子さんは死期を悟りを死を受け入れる心境に達していったのだろう。だから亡くなる10日前まで激しい頭痛や吐き気が有りながらも付き添いを断り病魔と闘っていたのである。みち子さんの21歳6ヶ月という短い人生は最期までその瞬間その瞬間を懸命に生き燃焼させ凝縮したものだったと思う。
人生100年時代と言われるがそれでも死は必ず訪れる。それが短い長いに拘らず死ぬ時に燃焼し尽くしたと思えるよう今日を生きていきたい、みち子さんの人生からそのことを学んだ。
みち子さんが手術前に自殺を考えていた時期に河野氏は「人間はいつかは死んでしまうんだから生きなければならない」と言って説得している。当たり前過ぎるこの言葉に重みを感じる。
反面それは健康すぎるほど健康な人間が間もなく顔の半分を失い死に直面している人間に言うには酷ではないかという批判もあるかもしれない。しかし薄っぺらな同情や慰めなど通用しない彼女にはそう言うしかなかったのだろう。
手術後間もなく再発した病の中でみち子さんは体が動く間は一生懸命他の患者の世話をしたりあるいは手作りの刺繍を知人に配り内心「さようなら」を言って死への準備を始めている。
往復書簡出版直後週刊誌の取材で河野氏は「みち子さんは、僕が電話をかけてあげるととても喜んでくれました。ものすごく元気な声で嬉しそうに話す声を聞くと無理してでも電話したくなるのです。・・・」と答えている。河野氏はみち子さんのことが本当に好きで好きでしょうがなかったのだ。またみち子さんも河野氏からの電話を通じて病院外の空気を吸い新鮮な気持ちになったのだろう。しかしみち子さんの死期が近いと知ってから河野氏は「自分も死んでしまいたい」とかみち子さんを過去の人扱いにして彼女を当惑させる。これに対して「あなたは駄々っ子になりましたね」と母親のように窘めている。健康な河野氏は死期が迫っている人にどう対応していいか分からず混乱していたのだ。そんな河野氏もみち子さんが日記も手紙も書けなくなってしまってからは毎日のように電話をかけ励まし続け、日夜アルバイトで旅費を工面して大阪の彼女の病床に駆けつけている。やがてみち子さんは死期を悟りを死を受け入れる心境に達していったのだろう。だから亡くなる10日前まで激しい頭痛や吐き気が有りながらも付き添いを断り病魔と闘っていたのである。みち子さんの21歳6ヶ月という短い人生は最期までその瞬間その瞬間を懸命に生き燃焼させ凝縮したものだったと思う。
人生100年時代と言われるがそれでも死は必ず訪れる。それが短い長いに拘らず死ぬ時に燃焼し尽くしたと思えるよう今日を生きていきたい、みち子さんの人生からそのことを学んだ。
2013年8月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
書簡のやり取りを記した本です。
本の内容は、大変考えさせられるもので、一言では言い尽くせないものでした。私に取って紙でできた本を買うこと、それはささやかなぜいたくなのです。
本の内容は、大変考えさせられるもので、一言では言い尽くせないものでした。私に取って紙でできた本を買うこと、それはささやかなぜいたくなのです。
2006年4月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
人を愛するということ、生きるということはどういうことか、を教えてくれる1冊だと思います。内容は、マコとミコが阪大病院で知り合って文通を始めて2年後、ミコが不治の病で再入院するところから、最後までの手紙収められています。あとがきによると、収録したのは手紙全体の2/3程度であり、文庫本にする際にさらに冗漫な部分や、二人に関係ない部分をカットして読みやすくした、となっています。
本書はあくまで実際にあった「手紙」です。小説のように読者をどこかに導こうという意図はありません。どういう感じ方をするかは、読み手に任されています。しかし、いわゆる「恋愛」ではなく、人を愛するということがどういうことなのかは分かると思います。
実際にあった話ですので、マコさんはこの数年後に結婚されたと聞いています。当時も現在も、異論はあろうかと思います。詳細は私が知る由もありませんが、その事実だけで批判をするのは、この本をよく読めば、間違いであるkとにすぐ気がつくはずです。むしろ、ミコさんを愛しているからこそ、そうされたのではないか、と私は思います。そういう愛を感じられる本だと思います。
なお、書中で一部引用してありますが、「若きいのちの日記」は本書と同時進行のミコさんの日記です。こちらも読めばより詳細が分かるでしょう。そして、マコとミコの愛だけでなく、ミコサンの周りにあったたくさんの愛も・・・。
本書はあくまで実際にあった「手紙」です。小説のように読者をどこかに導こうという意図はありません。どういう感じ方をするかは、読み手に任されています。しかし、いわゆる「恋愛」ではなく、人を愛するということがどういうことなのかは分かると思います。
実際にあった話ですので、マコさんはこの数年後に結婚されたと聞いています。当時も現在も、異論はあろうかと思います。詳細は私が知る由もありませんが、その事実だけで批判をするのは、この本をよく読めば、間違いであるkとにすぐ気がつくはずです。むしろ、ミコさんを愛しているからこそ、そうされたのではないか、と私は思います。そういう愛を感じられる本だと思います。
なお、書中で一部引用してありますが、「若きいのちの日記」は本書と同時進行のミコさんの日記です。こちらも読めばより詳細が分かるでしょう。そして、マコとミコの愛だけでなく、ミコサンの周りにあったたくさんの愛も・・・。
2016年7月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
何度も泣きました。
まことみこの二人の純愛に感動しました。
そして、公私ともにそれなりにいろいろある自分は、実は幸せなのだと思い至りました。
今、この瞬間を大切に味わって生きようと思いました。
まことみこの二人の純愛に感動しました。
そして、公私ともにそれなりにいろいろある自分は、実は幸せなのだと思い至りました。
今、この瞬間を大切に味わって生きようと思いました。