養老先生とサシで話をうかがっている気がする
すてきな講演録。
大災害の時も、日本では暴動も略奪もおきず
行列も乱れないことが、世界でよく話題になる。
なぜだろう、とずっと考えていた。
本書に答えがあった。神道。ひとりの人格神が天地を創造したのでなく、
自然の中に八百万の神を見出し、その神々も含む万物は自然から生じた、と考える。
経典も伝道者も戒律もないのに、日本人はよく社会の秩序を守り、
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの一神教の国々より、ずっと犯罪が少ない。
それは「汝の敵を愛せ」などという教えがなくても
神道が言葉以前の道徳として日本人の胸に刻まれ、
日本人の心を繋ぐ絆となっているからではないか…。
読んでいて、いろいろな霧が晴れた。
養老先生は4歳の時、死にゆく父への「さようなら」を
まわりに促されたのにどうしても言えず、
高校生ぐらいまで、人に挨拶がうまくできなかった。
そして50歳になってハッと気づいた。
「父という親しく大切な人に
できなかったあいさつを、他人にするわけにはいかないと
自分は思っていたのではないか。
さよならを言うと、父と本当に別れることになる。
それは理不尽で納得いかないから、さよならを言わない。
父との間に、この果されない約束がひとつある限り、
父は死なないと思っていたのではないか」
そこに気づいた時、父の死から46年目にようやく
「自分の中の父は死んだ」と思い、さっと涙が出たという。
考えることは、前頭葉の発達した人間だけにできる
人間ならではの営み。
きちんと考えること。何十年かかろうと、
納得するまで考え抜くことの尊さを
養老先生に教わった。
深く考えることは、深く生きること。
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自分は死なないと思っているヒトへ―知の毒 (だいわ文庫) 文庫 – 2006/12/10
養老 孟司
(著)
自分は死なないと思っているヒトへ—知の毒 (だいわ文庫) [文庫] [Dec 10, 2006] 養老 孟司
- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社大和書房
- 発売日2006/12/10
- ISBN-104479300627
- ISBN-13978-4479300625
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登録情報
- 出版社 : 大和書房 (2006/12/10)
- 発売日 : 2006/12/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 272ページ
- ISBN-10 : 4479300627
- ISBN-13 : 978-4479300625
- Amazon 売れ筋ランキング: - 419,316位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 381位死生観
- - 504位だいわ文庫
- - 43,082位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年12月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2007年3月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
予定がいっぱいで生活がカチンカチンになってしまう「時間病」、そして頭で理解できないことは拒絶する「脳化」=都市化の中で、自然な出来事であるはずの死はどんどん疎外され続けてきた。我々人間こそが無意識の中で日々変化し続けていることを再認識し、仕方ないものは仕方ないと受け止め、目を向けるべきものはしっかり言語化していこう、という本。
内容的には『死の壁』とあまり変わらないどころか、8つの講演を1冊にまとめた本書の中にさえ、同じ話(ブータンの虫取りなど)が何度も繰り返されていてうんざりしたり、宗教や経済など著者の専門外のことについての考察(仏教は自然宗教であるなど※)などについては稚拙とさえ思われる箇所もあったりしたけれども、生と死について考えるときには貴重な視点を提供してくれる。
死体は「もの」、生きている人は「人」だが、二人称の死体(家族など)については「もの」とはいかないところから、「もの」や「人」というのはその共同体(「世間」)で決められた約束事であり、つまるところ恣意的な名前の付け方であるというところや、ものを知ることは自分が変わっていくことであるはずだという卓見は、なるほどと思うだけでなく、自分の問題として深く考えさせる。
著者の本が刊行過多なのは著者のせいだけではないと思うが、あまり大風呂敷を広げず、解剖学から言えることをもっと発信してほしいと思う。
※仏教は自然宗教
インド仏教は都市を基盤にしており、また日本仏教も都市生活者である貴族・皇族のものとして広がった以上、今のお寺が「山」にある程度で単純に自然宗教などということはできないはずである。
内容的には『死の壁』とあまり変わらないどころか、8つの講演を1冊にまとめた本書の中にさえ、同じ話(ブータンの虫取りなど)が何度も繰り返されていてうんざりしたり、宗教や経済など著者の専門外のことについての考察(仏教は自然宗教であるなど※)などについては稚拙とさえ思われる箇所もあったりしたけれども、生と死について考えるときには貴重な視点を提供してくれる。
死体は「もの」、生きている人は「人」だが、二人称の死体(家族など)については「もの」とはいかないところから、「もの」や「人」というのはその共同体(「世間」)で決められた約束事であり、つまるところ恣意的な名前の付け方であるというところや、ものを知ることは自分が変わっていくことであるはずだという卓見は、なるほどと思うだけでなく、自分の問題として深く考えさせる。
著者の本が刊行過多なのは著者のせいだけではないと思うが、あまり大風呂敷を広げず、解剖学から言えることをもっと発信してほしいと思う。
※仏教は自然宗教
インド仏教は都市を基盤にしており、また日本仏教も都市生活者である貴族・皇族のものとして広がった以上、今のお寺が「山」にある程度で単純に自然宗教などということはできないはずである。
2015年7月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
人は必ず死ぬ、しかし、死なないと思っている人はかなりいる
そういう意味でとても勉強になる本だった
そういう意味でとても勉強になる本だった
2014年4月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とても面白く読みました。
死は永遠のテーマ、何時訪れるかは分からないが、死を意識して生きることの大切さを学ぶ。
死は永遠のテーマ、何時訪れるかは分からないが、死を意識して生きることの大切さを学ぶ。
2012年12月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
それが、僕がこの本から見つけられた言葉。
何かを知るということは、自分が変わることかと、思う。
何かを知るということは、自分が変わることかと、思う。
2010年6月13日に日本でレビュー済み
たまに読み返しています。一度読んでいるのに、再読すると、またおもしろい。
例えば一例だが
日本人は予定調和が崩れると怒りだす。イライラする。上手く行かない事を怨む。
世の中はどんどん便利になっているのになぜこんな変な社会なんだ?!
携帯電話、パソコン、コンビニ、誰もが持っており、それが普通であり、みんな基本的に都会人を目指していきます。
しかし、なぜこんなにイライラした社会、せわしい世界になって行くんだろうと思う!どうしてそんなに人を責める社会になっていくんだろう!?
著者によると都会になればなるほどカチンカチンに固める社会を目指すようになるって、言っています。
とにかくいろいろな物を固めだす。昔だったらミイラだったり、ピラミッドだったりするわけです。日本でいえば平安京もそうかもしれません。固定された物を好むのが都市化なんだそうです。
だから間違いもゆるされないのかな。間違いをゆるさない社会が都市化かもしれません。
もっと、ゆとりある社会をといいますが、著者いわく予定調和にいかないがそれを許せる。これが実はゆとりという奴ではないかと言っています。
思い通りに行かない事を楽しむ。金にならない様な事をやっている。無駄な事をやっているようにみえる。子供の虫取りは金にならないけどやっている。それを例えにしていました。私はここに、はっとさせられました。これがないって!今の世界ってこれがないって!合理主義ってこれがない。だから世間がつまらなくなっているって。
変な趣味とか趣向って人それぞれありますよね。時々自分も思うけど金にもならない趣味てありますよね。時間も金も浪費するような趣味。
例えばボウリングにしたって球を転がしているだけ、サッカー観戦だって野球観戦だって他人を応援してるだけ・・・。なにも得するわけではない。
でもこういった事ができるのがゆとりであると。そう言っていただけると人間は、ほっとできるような気がします。
ゆとりがないと自分の趣味にもなんだか疑問さえでてきてしまう。
最近、不条理な事件が多いですよね。一方的な都会よりなガチガチ社会から田舎にあこがれもでてくるのはこのためでしょうか?
例えば一例だが
日本人は予定調和が崩れると怒りだす。イライラする。上手く行かない事を怨む。
世の中はどんどん便利になっているのになぜこんな変な社会なんだ?!
携帯電話、パソコン、コンビニ、誰もが持っており、それが普通であり、みんな基本的に都会人を目指していきます。
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とにかくいろいろな物を固めだす。昔だったらミイラだったり、ピラミッドだったりするわけです。日本でいえば平安京もそうかもしれません。固定された物を好むのが都市化なんだそうです。
だから間違いもゆるされないのかな。間違いをゆるさない社会が都市化かもしれません。
もっと、ゆとりある社会をといいますが、著者いわく予定調和にいかないがそれを許せる。これが実はゆとりという奴ではないかと言っています。
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変な趣味とか趣向って人それぞれありますよね。時々自分も思うけど金にもならない趣味てありますよね。時間も金も浪費するような趣味。
例えばボウリングにしたって球を転がしているだけ、サッカー観戦だって野球観戦だって他人を応援してるだけ・・・。なにも得するわけではない。
でもこういった事ができるのがゆとりであると。そう言っていただけると人間は、ほっとできるような気がします。
ゆとりがないと自分の趣味にもなんだか疑問さえでてきてしまう。
最近、不条理な事件が多いですよね。一方的な都会よりなガチガチ社会から田舎にあこがれもでてくるのはこのためでしょうか?
2014年2月22日に日本でレビュー済み
子どもの頃は自分だけは死なないなどと思い込んでいることもあるが、それはそれで子ども特有の世界の認識の仕方として間違っていないと思う。
しかし、現代ではいい大人が無意識のうちに自分だけは特別であり、死は現実ではなく避けられるものであり、「諸行無常」は単なる抽象的な言葉であると思い込む時代になってしまった。
はたしてそれは、世界の認識としていかがなものだろうか。
今私たちは無意識にそう思いこんでいるだけに、疑問にすら思わない。
この本は、現代人が忘れかけている、そして当然だと思い込んで疑問にすら思わなくなってしまった死についてのとらえ方を養老氏の独特のリズムで語りかけてくれる最良の1冊であると思う。
しかし、現代ではいい大人が無意識のうちに自分だけは特別であり、死は現実ではなく避けられるものであり、「諸行無常」は単なる抽象的な言葉であると思い込む時代になってしまった。
はたしてそれは、世界の認識としていかがなものだろうか。
今私たちは無意識にそう思いこんでいるだけに、疑問にすら思わない。
この本は、現代人が忘れかけている、そして当然だと思い込んで疑問にすら思わなくなってしまった死についてのとらえ方を養老氏の独特のリズムで語りかけてくれる最良の1冊であると思う。
2007年2月20日に日本でレビュー済み
ゴキブリが嫌いな人間は多い。
大の大人が、素っ裸で街を歩いていたら、わいせつ罪で逮捕される。
それはなんでか?
意識の中で設計書にないことだからだそうです。
頭の中で合理的ではない、と判断することを都市や脳みそは排除するのだそうです。
バカの壁か何かでよみましたが、
「脳化」が進むと、非合理的なことというのは排除される。
ゴキブリ、裸で闊歩する大人、これはとても非合理です。
自然というのは非合理です。
都市の中で生きていると「理にかなう(合理)」ということが
人間のある種の判断の基準になっていきますが、養老氏はそういう合理的な判断を行おうとする人間そのものが「自然」であり、「不合理」な部分があると指摘しています。
普段、「合理」「理屈」、「ああなればこうなる」式で考えていた頭に、新鮮な考え方に移りました。良書です。
大の大人が、素っ裸で街を歩いていたら、わいせつ罪で逮捕される。
それはなんでか?
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ゴキブリ、裸で闊歩する大人、これはとても非合理です。
自然というのは非合理です。
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人間のある種の判断の基準になっていきますが、養老氏はそういう合理的な判断を行おうとする人間そのものが「自然」であり、「不合理」な部分があると指摘しています。
普段、「合理」「理屈」、「ああなればこうなる」式で考えていた頭に、新鮮な考え方に移りました。良書です。