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希望の思想 プラグマティズム入門 (筑摩選書 108) 単行本 – 2015/1/13
大賀 祐樹
(著)
暫定的で可謬的な「正しさ」を肯定し、誰もが共生できる社会構想を可能にするプラグマティズム。デューイ、ローティらの軌跡を辿り直し、現代的意義を明らかにする。
- 本の長さ221ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2015/1/13
- 寸法13.1 x 1.8 x 18.8 cm
- ISBN-104480016147
- ISBN-13978-4480016140
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2015/1/13)
- 発売日 : 2015/1/13
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 221ページ
- ISBN-10 : 4480016147
- ISBN-13 : 978-4480016140
- 寸法 : 13.1 x 1.8 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 265,116位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,388位文化人類学・民俗学 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年12月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
文章も面白く、初心者には分かりやすく書かれているとおもいました。
2020年4月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
究極の真理を探究するプラトン以来の哲学の伝統が神や理性といった曖昧な概念に依っていることを批判したニーチェの実存主義に代表される大陸哲学。哲学の対象は論理的かつ経験的に検証しうる領域に限られるべき(語りえないものについては沈黙しなければならない)としたウィトゲンシュタインに代表される分析哲学。どちらも「唯一の正しさ」としての「心理」には到達し得ないし、「心理」は可謬的で多元的、という点では共通だったがその根拠が違い過ぎて相容れないままそれぞれに発展していった一方で、アメリカでは同様の思想をまったく別の角度からアプローチする思想運動が始まっていた。それがプラグマティズム。
古典的プラグマティズムからネオプラグマティズムまでを俯瞰しているが、若い研究者だけあって「今」の文脈にひきよせた説明をところどころ入れている。現代は「人それぞれ」という信仰のかたちが一般化しているが、それをそのまま是とするとなんでもありの多元主義となってしまい、それは思想でもなんでもないということになってしまう。そこで著者は次のような問を立てる。「一人ひとりが自己の価値観に基づき自己の利益を追求するような社会において、人々が協力し合いながら相互の利益を追求することは、果たして本当に可能なのだろうか」。
その答えを著者はまずジョン・デューイの「公衆」概念に求める。デューイは「ある行為が公的であるか否かは、その行為者の社会的な立場とは関係がないし、その行為者の意図とも関係がなく、結果的にどのような影響がどのような範囲に及ぶのかで決まる」と考える。その公的なものを制御するために「公衆」が生まれる。その公衆が組織化されてコミュニティが生まれる。これが民主主義の原点とデューイは考える。著者は、インターネットが普及したいま、デューイのビジョンで描かれるようなコミュニティが生まれる契機はむしろ増していると指摘する。
次に参照するのは、政治哲学者のジョン・ロールズの「重なり合うコンセンサス」という考え方だ。相容れない価値観を持つ人々が暫定的に合意したものが少しずつ安定性を強めていきながら形成されるのが「重なり合うコンセンサス」というものだ。著者は、「こうしたプロセスは、プラグマティズムにおける探求のプロセスと共通している」と言う。このコンセンサスが「うまく機能し、さらなる疑念を生むことがなければ」、それがその社会における道徳的信念になる。ただこの考えは西洋近代における「市民」社会を前提としており、それ以外の文化圏でも通用するのか、と著者はさらに問いを深める。
そこで本書の真打、ネオ・プラグマティスト、リチャード・ローティが登場する。著者はローティの研究者でもあるから結局ここの部分がもっとも言いたいところなのだろう。ローティは、プラグマティズムを「ロマン主義的な功利主義」と解釈し、それによって「共感のための感受性をより高める契機を得る」ことができるとした。ロマン主義的では一人ひとりの個性が強調されるが、その差異やそこから生じる多元性が社会全体をよりよく豊かにしていくのであればそれでよい、という話である(そうなのか??)。ローティは相容れない価値観の人同士の対立や断絶を乗り越えて連帯するためには、感受性や想像力を鍛える「感情教育」が重要であると考えた。その感情教育を受ける主体には核となる中心はなく、「信念と欲望によって織りなされるネットワーク上のもの」であるとローティは見ており、そのような存在にとって「唯一の正しさ」などはなく、各人各様の正しさをアイデンティティの一環として語り続けるだけである。だからこそ自己は再編成可能であり、そこに相互理解が叶わぬような相手との対話の余地が生まれるのである。そして著者はこのように結ぶ。
「プラグマティズムとは相容れない『信念』をもち、対立し合う人々が、そうした相剋を乗り越えて連帯し、一つの『大きなコミュニティ』を形成するための指針であり、共生を可能ならしめる思想なのである」。
本書の特徴は、パース、ジェイムズ、デューイからロールズ+ローティ、とつなげているところだと思うが、ローティの箇所では飛躍と重複が発生しているように感じた。この紙幅では仕方がないことなのかもしれないが。プラグマティズムを極力今日の、西欧市民社会以外の文脈で説明しようとしている姿勢は感じられる。
古典的プラグマティズムからネオプラグマティズムまでを俯瞰しているが、若い研究者だけあって「今」の文脈にひきよせた説明をところどころ入れている。現代は「人それぞれ」という信仰のかたちが一般化しているが、それをそのまま是とするとなんでもありの多元主義となってしまい、それは思想でもなんでもないということになってしまう。そこで著者は次のような問を立てる。「一人ひとりが自己の価値観に基づき自己の利益を追求するような社会において、人々が協力し合いながら相互の利益を追求することは、果たして本当に可能なのだろうか」。
その答えを著者はまずジョン・デューイの「公衆」概念に求める。デューイは「ある行為が公的であるか否かは、その行為者の社会的な立場とは関係がないし、その行為者の意図とも関係がなく、結果的にどのような影響がどのような範囲に及ぶのかで決まる」と考える。その公的なものを制御するために「公衆」が生まれる。その公衆が組織化されてコミュニティが生まれる。これが民主主義の原点とデューイは考える。著者は、インターネットが普及したいま、デューイのビジョンで描かれるようなコミュニティが生まれる契機はむしろ増していると指摘する。
次に参照するのは、政治哲学者のジョン・ロールズの「重なり合うコンセンサス」という考え方だ。相容れない価値観を持つ人々が暫定的に合意したものが少しずつ安定性を強めていきながら形成されるのが「重なり合うコンセンサス」というものだ。著者は、「こうしたプロセスは、プラグマティズムにおける探求のプロセスと共通している」と言う。このコンセンサスが「うまく機能し、さらなる疑念を生むことがなければ」、それがその社会における道徳的信念になる。ただこの考えは西洋近代における「市民」社会を前提としており、それ以外の文化圏でも通用するのか、と著者はさらに問いを深める。
そこで本書の真打、ネオ・プラグマティスト、リチャード・ローティが登場する。著者はローティの研究者でもあるから結局ここの部分がもっとも言いたいところなのだろう。ローティは、プラグマティズムを「ロマン主義的な功利主義」と解釈し、それによって「共感のための感受性をより高める契機を得る」ことができるとした。ロマン主義的では一人ひとりの個性が強調されるが、その差異やそこから生じる多元性が社会全体をよりよく豊かにしていくのであればそれでよい、という話である(そうなのか??)。ローティは相容れない価値観の人同士の対立や断絶を乗り越えて連帯するためには、感受性や想像力を鍛える「感情教育」が重要であると考えた。その感情教育を受ける主体には核となる中心はなく、「信念と欲望によって織りなされるネットワーク上のもの」であるとローティは見ており、そのような存在にとって「唯一の正しさ」などはなく、各人各様の正しさをアイデンティティの一環として語り続けるだけである。だからこそ自己は再編成可能であり、そこに相互理解が叶わぬような相手との対話の余地が生まれるのである。そして著者はこのように結ぶ。
「プラグマティズムとは相容れない『信念』をもち、対立し合う人々が、そうした相剋を乗り越えて連帯し、一つの『大きなコミュニティ』を形成するための指針であり、共生を可能ならしめる思想なのである」。
本書の特徴は、パース、ジェイムズ、デューイからロールズ+ローティ、とつなげているところだと思うが、ローティの箇所では飛躍と重複が発生しているように感じた。この紙幅では仕方がないことなのかもしれないが。プラグマティズムを極力今日の、西欧市民社会以外の文脈で説明しようとしている姿勢は感じられる。
2023年1月12日に日本でレビュー済み
プラグマティズムは「信じることを」肯定する。
たとえ真理ではなくとも(そもそも真理はわからない)、よい人生に、つながることは「正しい」として肯定する。真理が分からないという前提の世界に対して、ニーチェは超人になることを主張したが、プラグマティズムは信じることを肯定するという。作者はこれを凡人のための思想と呼ぶ。
ここから多様なひとが多様に信じる「正しさ」を前提とする世界で、どのような社会がありえるかが、多元主義や正義論、民主主義、連帯という流れで議論されていく。
このような議論の結論として、作者がいうプラグマティズムの意義とは、「相容れない信念(正しさ)を持ち、対立しあう人たちが、それらを相克し連帯し、ひとつの大きなコミュニティを形成するための指針であり、共生を可能ならしめる思想」。
たとえ真理ではなくとも(そもそも真理はわからない)、よい人生に、つながることは「正しい」として肯定する。真理が分からないという前提の世界に対して、ニーチェは超人になることを主張したが、プラグマティズムは信じることを肯定するという。作者はこれを凡人のための思想と呼ぶ。
ここから多様なひとが多様に信じる「正しさ」を前提とする世界で、どのような社会がありえるかが、多元主義や正義論、民主主義、連帯という流れで議論されていく。
このような議論の結論として、作者がいうプラグマティズムの意義とは、「相容れない信念(正しさ)を持ち、対立しあう人たちが、それらを相克し連帯し、ひとつの大きなコミュニティを形成するための指針であり、共生を可能ならしめる思想」。
2015年2月25日に日本でレビュー済み
自称イスラムの暴挙、EUの存立の壁、中露の力による現状変更など、今、多様な価値観のぶつかり合いで世界は揺れています。異なる価値観を持つ人々が共存することが出来るかを語る本書は、哲学には素人の私にも、タイムリーなひとつの示唆を示してくれました。一読の価値がある、おすすめの本です。
2015年1月23日に日本でレビュー済み
プラグマティズム入門書は数が少なく、アメリカ現代思想は難解で、なかなか入りにくいと感じている人も多いのではないのでしょうか。そのような人にとって本書は格好の入門書といえましょう。パースからデヴィドソンまでのアメリカ思想を概観し、プラグマティズムが希望の思想として今日に至っても有益な思想であることを論じていきます。特に面白いのはプラグマティズムの創始者パースやジェイムズ、デューイを論じた箇所です。パースの数奇な生涯とジェイムズの献身的な支援、パース独自の素晴らしい思想の記述は魅力的です。ジェイムズの多元的宇宙論、デューイのプラグマティズムの拡大解釈など、本書の魅力は前半部分にあると言っても過言ではないでしょう。もう少し、前半部分に多くのスペースを割いて欲しかったところです。プラグマティズムが希望の思想である理由は、科学的な真理の検証を行為の結果に求め、普遍的・客観的真理であるか否かで真理を結論づけないことにあると読み取れますが、科学というものは唯一の普遍的真理、法則を追求するものと理解している者にとっては果たしてこれで良いのかと思ってしまいます。ダーウィンの進化論的解釈を適用し、今までよりもよくよく環境に適応できるような結果が出たなら「よい」と判断するという考えは、行動の結果で思想の真偽を判断するプラグマティズムにとっては漸進的な真理解釈ということが分かりますが、なぜ行動の結果が良ければその考えは真理と言えるのか、という核心部分が本書を読んでもよく分かりませんでした。ということはプラグマティズムがなぜ希望の思想なのかという肝心のところが私にはよく分からなかったということです。しかし、本書の中心部分はローティやロールズ、デヴィドソンなどの現代アメリカ思想の概観にあるので、その点については分かりやすい記述が理解の参考になります。いずれにせよ、本書はプラグマティズムを学ぶ入門書として、分かりやすさが魅力です。お勧めの一冊です。
2015年1月18日に日本でレビュー済み
本書は、パースからはじまり、ロールズ、ローティに至るアメリカ哲学の思想史だ。
価値観が多様化している現代において、共通の価値観を見出すことができるのかが、本書を貫く問題意識であり、その観点からアメリカ思想が概観される。その試みはしかし、あまり成功していないように思う。それは、筆者が現代における価値観の多様性を甘く見ているからだ。
例えば、クワインやデイヴィッドソンなどを引き合いに出しながら、未知の言語の理解可能性について論じるのだが、異なった価値観の持ち主の相互理解と、多言語間の相互理解とでは話は全く違うだろう。現代における価値観の相違は、相手の言うことは十分わかったうえでのものなのだから。筆者は、なにか勘違いをしているのではないか。
ただ、本書は読みやすく、アメリカ哲学について、一通りの知識を得たいという向きには推薦できる。
価値観が多様化している現代において、共通の価値観を見出すことができるのかが、本書を貫く問題意識であり、その観点からアメリカ思想が概観される。その試みはしかし、あまり成功していないように思う。それは、筆者が現代における価値観の多様性を甘く見ているからだ。
例えば、クワインやデイヴィッドソンなどを引き合いに出しながら、未知の言語の理解可能性について論じるのだが、異なった価値観の持ち主の相互理解と、多言語間の相互理解とでは話は全く違うだろう。現代における価値観の相違は、相手の言うことは十分わかったうえでのものなのだから。筆者は、なにか勘違いをしているのではないか。
ただ、本書は読みやすく、アメリカ哲学について、一通りの知識を得たいという向きには推薦できる。