研究者柳田氏を研究する、という主題です。副題の「尊皇の官僚・柳田国男」が柳田氏の基本スタイルです。しかし、この人物には、簡単には要約できないいくつかの変わった性格があって、そのなかに、クロポトキン読解に基づく影響があるのではないか、という仮説の検証を行います。過激ではないクロポトキン受容の結果、柳田氏の言説がどのような意味をもつことになったのか、を考えてみる価値はあります。
その企てを実行に移したのが本書です。中に吉本、花田両氏の組み込みがありますが、その点での情勢判断も的確であると思います。
教育の世界では、国語教育と社会科教育で成城学園初等科の教師集団とともに柳田氏は働きます。教科書作成にまで関与します。要は、理念から実践へ、実践から理念へという双方向への変化が、柳田氏には当然の両立であったので、もし「相互扶助」の理念が、視野の内に入れば、「きょうどうくみあい」の制度導入への加担などは当然のふるまいになります。その逆も言えて、欧米における「きょうどうくみあい」の制度の情報が視野に入れば、それは「相互扶助」の意味に直結し得るのです。
官僚として生きるにしても、現場中心、現場密着のスタイルは変わりません。民俗学の価値階梯は、社会科教育の理念に直接反映します。ここでの民俗学と教育の相互往還も全然不自然ではない努力であって、常に柳田氏は当たり前と思うことを当たり前に実現させるだけです。
あと、教育実践の世界で働くかたわらで、道徳の問題が、気にかかる残された未解決案件だったようです。小林秀雄氏が録音機を持って対談に赴きますが、おそらく下調べ不足で、柳田氏が言いたいことがぐるぐるまわって繰り返しに聞こえ、対談結果の公表にはいたらなかったようです。これは、惜しい事でした。
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アナキスト民俗学: 尊皇の官僚・柳田国男 (筑摩選書) 単行本 – 2017/4/12
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国民的知識人、柳田国男。その思想の底流にはクロポトキンのアナーキズムが流れ込んでいた! 尊皇の官僚にして民俗学の創始者・柳田国男の思想を徹底検証する!
- 本の長さ400ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2017/4/12
- 寸法13.1 x 2.7 x 18.8 cm
- ISBN-104480016503
- ISBN-13978-4480016508
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2017/4/12)
- 発売日 : 2017/4/12
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 400ページ
- ISBN-10 : 4480016503
- ISBN-13 : 978-4480016508
- 寸法 : 13.1 x 2.7 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 657,584位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,219位社会と文化
- - 3,629位文化人類学・民俗学 (本)
- - 5,562位社会一般関連書籍
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年5月22日に日本でレビュー済み
左右どちらの論客も、柳田について自分たちに都合のいい読み方しかしてこなかったということだろうか。この『アナキスト民俗学』を読んだあとでは、柄谷行人の『遊動論』などもう読む気にならない。従来の柳田像を塗り替える著書である。この本は、すが氏と木藤氏との共著だが、木藤氏の「柳田論」(「子午線」Vol. 4、Vol. 5に掲載)も是非合わせてお読み頂きたい。
2017年6月24日に日本でレビュー済み
全巻を通じて柳田國男がどう読まれてきたか追究した力作評論であるが、クロポトキンを軸に柳田を論じる第二編に新味がある。第一章で「クロポトキンとツルゲーネフ」の柳田の読みを紹介し、第二章になると橋浦泰雄の果たす役割が強調され、アナトール・フランスを導きとして民俗学に分け入ったとされる。第三章では生産力主義を巡ってクロポトキンが再び論じられる。
巻末の参考文献は著者の問題関心に即して網羅的でありカントーロヴィチや津村喬まで挙がっていて(本文で勤勉革命の速水融に触れながら参考文献に載っていないのが残念だが)とても有益だと思う。
<誤記誤植の訂正が先>
『アンティゴネー』の簡単な梗概を記しておく。(pp252-3)
◉ 妹クレオーン → 妹イスメネー
クレオーンはアンティゴネーの母、かつてテーバイ王であったオイディプスの妃イオカステー、の弟、つまりアンティゴネーの母方の叔父であって妹ではない(妹はイスメネー)。
p216) 農村から輩出された → 農村から排出された
「輩出」はしてもされるものでないから読者の頭のなかで自然に訂正される。しかし「なお邦訳原文では「ドン キホーテ」と表記されているが、[ドン・キホーテに] 改めた」とかっこ書きするほど表記にこだわる著者(共著者の一人は著名な文芸評論家、版元はソフォクレスを何度も出版している)にあるまじき杜撰である。
巻末の参考文献は著者の問題関心に即して網羅的でありカントーロヴィチや津村喬まで挙がっていて(本文で勤勉革命の速水融に触れながら参考文献に載っていないのが残念だが)とても有益だと思う。
<誤記誤植の訂正が先>
『アンティゴネー』の簡単な梗概を記しておく。(pp252-3)
◉ 妹クレオーン → 妹イスメネー
クレオーンはアンティゴネーの母、かつてテーバイ王であったオイディプスの妃イオカステー、の弟、つまりアンティゴネーの母方の叔父であって妹ではない(妹はイスメネー)。
p216) 農村から輩出された → 農村から排出された
「輩出」はしてもされるものでないから読者の頭のなかで自然に訂正される。しかし「なお邦訳原文では「ドン キホーテ」と表記されているが、[ドン・キホーテに] 改めた」とかっこ書きするほど表記にこだわる著者(共著者の一人は著名な文芸評論家、版元はソフォクレスを何度も出版している)にあるまじき杜撰である。
2020年9月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ジェームズ・C.スコット『実践 日々のアナキズム―世界に抗う土着の秩序の作り方』(岩波書店)の訳者あとがきに、民俗学者の柳田国男が、アナキストたるピョートル・クロポトキンの影響を受けたとする研究が、本書にあるとあったのでさっそく購入した。
柳田国男(1875-1962)は1951年に文化勲章を授与されており、およそ過激な印象のアナキズムとは縁遠い存在である。柳田がアナキストであるはずがないと思われるのだが。
1.クロポトキンの日本への受け入れ
日本はクロポトキンをどのように受け入れてきたのか。以下のような受け入れの歴史があり(p.099-112)、クロポトキンは遠ざけられてきたのではないか。
・自由民権運動;
1860~70年代のロシアにおける、“人民のなかへ”を掲げた革命運動:ナロードニキを虚無思想ととらえ、クロポトキンをその指導者とする見方は広く流布していた。
・幸徳秋水;
1905年の獄中で、クロポトキン『田園・工場・仕事場』を読み、クロポトキンを直接行動主義の過激な革命思想家と受け取った。これが1910年の大逆事件につながることになる。1906年の幸徳秋水の米国からの帰国後、クロポトキンの翻訳が爆発的に増えていく。
・北一輝;
1906年の北一輝『国体論及び純正社会主義』に、「クロポトキンの相互扶助による生存競争」という小見出しがある。ダーウィンの進化論を超えるものとしてクロポトキンの相互扶助論を捉えている。もっともダーウィンの進化論とは、スペンサーの社会ダーウィニズムのことであり、ダーウィン自身は「適者生存」を唱えてはいない。北一輝がクロポトキンを評価するのは、その相互扶助論が国家社会主義にとって有力な参照先であったからだ。
・農本主義者;
北一輝のクロポトキン受容は農本主義者の社稷(しゃしょく)概念へ受け継がれる。社稷とは土地の神、五穀の神のことであり、社会ないし国家のことである。それは、社稷をクロポトキン的相互扶助社会と解する「天皇アナキズム」と呼びうる思想である。そして五・一五事件、二・二六事件の青年将校たちの思想的背景となった。
2.文学論としての「クロポトキンとツルゲーネフ」
柳田が「クロポトキンとツルゲーネフ」という文章を、「KY生」の署名で、田山花袋が編集する「文章世界」誌に載せたのは1909年であった(p.119)。この論文を文学論として読む方法がある。
自然派の田山花袋が「芸術と実行は区別されうる」とするのを、柳田は「区別され得ない」と論駁したのである(p.122)。自然派の後に台頭しつつあった白樺派の武者小路実篤が信奉するトルストイも、「偏に宗教にこり固まっている人」と揶揄して、クロポトキンを芸術と実行の人と称揚する。
ツルゲーネフは二葉亭四迷の翻訳により日本に紹介され、自然主義文学に大きな影響を与えた存在であった(p.123)。またツルゲーネフは行動派のアナキストであるバクーニンと交際があり(p.124)、ツルゲーネフの『猟人日記』はロシアの農奴解放に大きな役割を果たしたとされる。その「ツルゲーネフを崇拝し推奨したのは、われわれの一派であった」と、われわれとは独歩、花袋、そして柳田のことである(p.123)。ツルゲーネフも「芸術と実行を区別しない」芸術家であった。
3.農政学としての「クロポトキンとツルゲーネフ」
著者は、「柳田はアレクサンドル三世に進言しようと目論んで失敗したツルゲーネフに、自分を擬しているのではないか」とする。宮廷官僚で山形有朋派と思われていた柳田が、神社合祀に反対の進言をしようとしたが諦めたようだ(p.146)。
大逆事件の関係では、刑死した森近運平と柳田は接点があった。森近が岡山県の農業技官であった頃、小作争議が頻発する岡山県北部を視察する柳田と会っているのではないかと著者は推測する(p.150)。協同組合論と小作料金納を主張する柳田農政学に、森近は共感していた。
4.穏健なアナキスト
戦前でアナキズムといえば、ブルードンでもバクーニンでもなく、クロポトキンのことであった(p.116)。そしてクロポトキンのアナキズムは、『相互扶助論』を読めば分かるように、穏健なものである。大逆事件の6年後に地主たちの前で行った講演で、「少しでも小民の為に利益になることを言う人間を、社会主義ででもあるかの如く言うのは慎まなければならない」と述べた(p.154)。著者は森近運平のことを言っていると解釈している。私はこれを、柳田のアナキスト宣言と受け取った。
柳田国男(1875-1962)は1951年に文化勲章を授与されており、およそ過激な印象のアナキズムとは縁遠い存在である。柳田がアナキストであるはずがないと思われるのだが。
1.クロポトキンの日本への受け入れ
日本はクロポトキンをどのように受け入れてきたのか。以下のような受け入れの歴史があり(p.099-112)、クロポトキンは遠ざけられてきたのではないか。
・自由民権運動;
1860~70年代のロシアにおける、“人民のなかへ”を掲げた革命運動:ナロードニキを虚無思想ととらえ、クロポトキンをその指導者とする見方は広く流布していた。
・幸徳秋水;
1905年の獄中で、クロポトキン『田園・工場・仕事場』を読み、クロポトキンを直接行動主義の過激な革命思想家と受け取った。これが1910年の大逆事件につながることになる。1906年の幸徳秋水の米国からの帰国後、クロポトキンの翻訳が爆発的に増えていく。
・北一輝;
1906年の北一輝『国体論及び純正社会主義』に、「クロポトキンの相互扶助による生存競争」という小見出しがある。ダーウィンの進化論を超えるものとしてクロポトキンの相互扶助論を捉えている。もっともダーウィンの進化論とは、スペンサーの社会ダーウィニズムのことであり、ダーウィン自身は「適者生存」を唱えてはいない。北一輝がクロポトキンを評価するのは、その相互扶助論が国家社会主義にとって有力な参照先であったからだ。
・農本主義者;
北一輝のクロポトキン受容は農本主義者の社稷(しゃしょく)概念へ受け継がれる。社稷とは土地の神、五穀の神のことであり、社会ないし国家のことである。それは、社稷をクロポトキン的相互扶助社会と解する「天皇アナキズム」と呼びうる思想である。そして五・一五事件、二・二六事件の青年将校たちの思想的背景となった。
2.文学論としての「クロポトキンとツルゲーネフ」
柳田が「クロポトキンとツルゲーネフ」という文章を、「KY生」の署名で、田山花袋が編集する「文章世界」誌に載せたのは1909年であった(p.119)。この論文を文学論として読む方法がある。
自然派の田山花袋が「芸術と実行は区別されうる」とするのを、柳田は「区別され得ない」と論駁したのである(p.122)。自然派の後に台頭しつつあった白樺派の武者小路実篤が信奉するトルストイも、「偏に宗教にこり固まっている人」と揶揄して、クロポトキンを芸術と実行の人と称揚する。
ツルゲーネフは二葉亭四迷の翻訳により日本に紹介され、自然主義文学に大きな影響を与えた存在であった(p.123)。またツルゲーネフは行動派のアナキストであるバクーニンと交際があり(p.124)、ツルゲーネフの『猟人日記』はロシアの農奴解放に大きな役割を果たしたとされる。その「ツルゲーネフを崇拝し推奨したのは、われわれの一派であった」と、われわれとは独歩、花袋、そして柳田のことである(p.123)。ツルゲーネフも「芸術と実行を区別しない」芸術家であった。
3.農政学としての「クロポトキンとツルゲーネフ」
著者は、「柳田はアレクサンドル三世に進言しようと目論んで失敗したツルゲーネフに、自分を擬しているのではないか」とする。宮廷官僚で山形有朋派と思われていた柳田が、神社合祀に反対の進言をしようとしたが諦めたようだ(p.146)。
大逆事件の関係では、刑死した森近運平と柳田は接点があった。森近が岡山県の農業技官であった頃、小作争議が頻発する岡山県北部を視察する柳田と会っているのではないかと著者は推測する(p.150)。協同組合論と小作料金納を主張する柳田農政学に、森近は共感していた。
4.穏健なアナキスト
戦前でアナキズムといえば、ブルードンでもバクーニンでもなく、クロポトキンのことであった(p.116)。そしてクロポトキンのアナキズムは、『相互扶助論』を読めば分かるように、穏健なものである。大逆事件の6年後に地主たちの前で行った講演で、「少しでも小民の為に利益になることを言う人間を、社会主義ででもあるかの如く言うのは慎まなければならない」と述べた(p.154)。著者は森近運平のことを言っていると解釈している。私はこれを、柳田のアナキスト宣言と受け取った。