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俺様の宝石さ (ちくま文庫 う 1-1) 文庫 – 1985/12/1
浮谷 東次郎
(著)
- 本の長さ333ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日1985/12/1
- ISBN-104480020322
- ISBN-13978-4480020321
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1985/12/1)
- 発売日 : 1985/12/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 333ページ
- ISBN-10 : 4480020322
- ISBN-13 : 978-4480020321
- Amazon 売れ筋ランキング: - 421,757位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,664位ちくま文庫
- - 26,398位歴史・地理 (本)
- - 37,757位エンターテイメント (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年9月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アメリカ・日本の時代と背景を感じます。今の時代に生きる人にないものがたくさんこの本にはありました。
2013年8月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
浮谷東次郎・・カラス・・大昔、活躍をわくわくしながら見聞きしていました。アメリカまで行っていたとは知らなかった!!!
2013年7月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
車に全く興味が無い僕が浮谷東次郎という人間に強く惹かれこの伝記にたどり着いたのは、森田信吾の漫画「栄光なき天才たち」で彼の人生と生き様を知ったことがきっかけでした。15歳にして千葉から大阪までをバイクで往復し(当時は今より道路状況が圧倒的に悪かった)、18歳にして高校を中退し単身渡米(これもまた当時の常識ではありえないことだった)、大学に入ったり仕事を見つけたりしてアメリカ中を点々と旅を続け、帰国後はプロレーサーとして伝説的な走りを見せつつも23歳にして事故死。この、常識に縛られず、自分の欲求に忠実に行動し、圧倒的なエネルギーをまき散らして生きていく様子は、理想的な「思い通りに人生を生きる」ことの興奮を教えてくれます。
本書は浮谷東次郎が高校を中退し渡米し、各地を旅し帰国するまでの二年半の、彼自身の日記と家族との手紙によって構成されています。彼がアメリカを旅する中で何を感じ、何を考え、何を思ってどんな行動をしたのか。そこには若干20歳の若者のものとは思えないパワフルな人生哲学が見え隠れしています。今の自分の人生に何か物足りなさ、閉塞感、エネルギー不足を感じている人には、是非読んでもらいたい一冊です。
本書は浮谷東次郎が高校を中退し渡米し、各地を旅し帰国するまでの二年半の、彼自身の日記と家族との手紙によって構成されています。彼がアメリカを旅する中で何を感じ、何を考え、何を思ってどんな行動をしたのか。そこには若干20歳の若者のものとは思えないパワフルな人生哲学が見え隠れしています。今の自分の人生に何か物足りなさ、閉塞感、エネルギー不足を感じている人には、是非読んでもらいたい一冊です。
2009年4月17日に日本でレビュー済み
今から約半世紀前、高校を中退し18歳で単身アメリカへ渡った少年の2年半にわたる放浪記を手紙と日記を単行本にしたもの。23歳で亡くなった天才レーサー、彼の名は浮谷東次郎。
まだケネディが大統領だった頃のアメリカ。ニューヨークからカリフォルニアまで放浪する。色んな人に助けられ、浮谷氏が成長していく過程がみられる。
若い人や車・バイク好きの人におすすめ。
まだケネディが大統領だった頃のアメリカ。ニューヨークからカリフォルニアまで放浪する。色んな人に助けられ、浮谷氏が成長していく過程がみられる。
若い人や車・バイク好きの人におすすめ。
2011年2月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
若くして亡くなったレーサー、浮谷東次郎の自伝。
今回は、高校卒業間近で単身渡米し、2年半後に帰国するまでの東次郎の軌跡を追っています。
1960年代という、海外旅行自体が冒険ともいえる時代の中、単身渡米するその東次郎の行動力には圧倒されます。
もちろん、その行動力を後押しできるほどの実家の財力があったことは否定できませんが、東次郎自身は渡った先で熱心に自分を売り込んで仕事を見つけるなど、たんなるボンボンではないところが素晴らしいです。
タイトルにある「俺様の宝石さ」は、本文での東次郎の言葉からとられていますが、それはもしかして若くして逝った東次郎自身のことを暗示していたのか、と考えるのは私だけでしょうか。
ダイヤモンドは、地中で強烈な圧力をかけられて凝縮されるがゆえに、宝石の中で最高の硬度と輝きを放ちます。
東次郎も人生も、短い一生がこの青春時代に圧縮・凝縮されたからこそ、今でも語り継がれるのではないでしょうか。
今回は、高校卒業間近で単身渡米し、2年半後に帰国するまでの東次郎の軌跡を追っています。
1960年代という、海外旅行自体が冒険ともいえる時代の中、単身渡米するその東次郎の行動力には圧倒されます。
もちろん、その行動力を後押しできるほどの実家の財力があったことは否定できませんが、東次郎自身は渡った先で熱心に自分を売り込んで仕事を見つけるなど、たんなるボンボンではないところが素晴らしいです。
タイトルにある「俺様の宝石さ」は、本文での東次郎の言葉からとられていますが、それはもしかして若くして逝った東次郎自身のことを暗示していたのか、と考えるのは私だけでしょうか。
ダイヤモンドは、地中で強烈な圧力をかけられて凝縮されるがゆえに、宝石の中で最高の硬度と輝きを放ちます。
東次郎も人生も、短い一生がこの青春時代に圧縮・凝縮されたからこそ、今でも語り継がれるのではないでしょうか。
2010年7月4日に日本でレビュー済み
浮谷東次郎は不思議な魅力をもっている。はるかに恵まれた環境にあり、それでいて慈悲のまなざしがある。そんな浮谷東次郎が抑えきれない感情を抱いてアメリカにぶつかっていった実話。
東次郎の祖父は「堀川のジイ様」としてわずか1行だけだが登場している。この堀川のジイ様は孫文とともに、革命成就のために中国大陸を駆け巡った人だが、その熱いエネルギーは東次郎の身体にも受け継がれていた。舞台は異なっても、東次郎がアメリカに飛び出ていく様はなぜか堀川のジイ様の若いころにダブってくる。血は争えないということか。
この中には世界のホンダを作り上げた本田宗一郎の話やその息子が出てくる。
7歳から車の運転をし、オートバイや車が大好きという東次郎だが、ホンダの後押しを得ることができたのも、祖父や両親の後ろ盾があったればこそと思う。それでも、気にすることなく屈託に受け入れるのも、天性の東次郎の魅力である。
何事かを急いで成し遂げようとする息子に「人生の道は長い」という母は説教し、「けど、人生は短いといってもまた正しいんです。」と返信した東次郎。自分の運命を予見していたかのような文面に心が痛む。
「人を殺すか自分が死ぬかのトッサの時は自分の死を選べ」という母の言葉通り、人を避けるためにガードレールに激突。病院に運ばれ、姉の朝江さんの懸命の看護を受けた
「ラザロの話を思いながら祈ったのですが。」との朝江さんの言葉があるが、浮谷東次郎の奇跡は一粒の麦となった。
東次郎の祖父は「堀川のジイ様」としてわずか1行だけだが登場している。この堀川のジイ様は孫文とともに、革命成就のために中国大陸を駆け巡った人だが、その熱いエネルギーは東次郎の身体にも受け継がれていた。舞台は異なっても、東次郎がアメリカに飛び出ていく様はなぜか堀川のジイ様の若いころにダブってくる。血は争えないということか。
この中には世界のホンダを作り上げた本田宗一郎の話やその息子が出てくる。
7歳から車の運転をし、オートバイや車が大好きという東次郎だが、ホンダの後押しを得ることができたのも、祖父や両親の後ろ盾があったればこそと思う。それでも、気にすることなく屈託に受け入れるのも、天性の東次郎の魅力である。
何事かを急いで成し遂げようとする息子に「人生の道は長い」という母は説教し、「けど、人生は短いといってもまた正しいんです。」と返信した東次郎。自分の運命を予見していたかのような文面に心が痛む。
「人を殺すか自分が死ぬかのトッサの時は自分の死を選べ」という母の言葉通り、人を避けるためにガードレールに激突。病院に運ばれ、姉の朝江さんの懸命の看護を受けた
「ラザロの話を思いながら祈ったのですが。」との朝江さんの言葉があるが、浮谷東次郎の奇跡は一粒の麦となった。
2013年3月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あまりお勧めできません。拙い日記を文庫本にしただけのもの。物語性もない。当時のアメリカを多少知ることができる文献です。
2005年6月10日に日本でレビュー済み
自分はあまり、偉人伝に「伝説」と名づけるのはあまり好きじゃない。
でも、彼のやった事、残した物はやはり「伝説」と呼ぶにふさわしいのかもしれない。
そんなトージの単独アメリカ旅行記。
準占領下の日本にあって、海外旅行という言葉すら思いつきもしなかった時代、
それでもトージは、「親からの独立」のためにアメリカへ発った。
勿論、15そこそこのガキがまったくの手助けなしに成し遂げる事は、
途方も無く困難で、事実できなかった事は本署を読まれれば分かる事だろう。
しかし、それと同時に彼にとって一番大事なのは出来るか出来ないかではなく、
自分で試し、そして経験する事だという事でもあった。
それは彼のポリシー「がむしゃら」とも言い換えられる。
そして帰国後、一回り大きく成長した彼は、
草レースのベテランという事以外、実質ノンキャリアというハンデに打ち勝ち、
トヨタ自工のエースドライバという地位を、確固たるものにしていった。
本署を見ていると、自分の臆病さというものに気づかされ、
だからこそ実に勿体無く生きている事を再認識させてくれる。
あなたも一度は読んでみるといいだろう。
でも、彼のやった事、残した物はやはり「伝説」と呼ぶにふさわしいのかもしれない。
そんなトージの単独アメリカ旅行記。
準占領下の日本にあって、海外旅行という言葉すら思いつきもしなかった時代、
それでもトージは、「親からの独立」のためにアメリカへ発った。
勿論、15そこそこのガキがまったくの手助けなしに成し遂げる事は、
途方も無く困難で、事実できなかった事は本署を読まれれば分かる事だろう。
しかし、それと同時に彼にとって一番大事なのは出来るか出来ないかではなく、
自分で試し、そして経験する事だという事でもあった。
それは彼のポリシー「がむしゃら」とも言い換えられる。
そして帰国後、一回り大きく成長した彼は、
草レースのベテランという事以外、実質ノンキャリアというハンデに打ち勝ち、
トヨタ自工のエースドライバという地位を、確固たるものにしていった。
本署を見ていると、自分の臆病さというものに気づかされ、
だからこそ実に勿体無く生きている事を再認識させてくれる。
あなたも一度は読んでみるといいだろう。