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ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫) 文庫 – 1988/12/1

4.2 5つ星のうち4.2 262個の評価

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出版社より

マルクト教会のガラス絵から模写した現存する最古の<ハーメルンの笛吹き男>の絵(1592)

ハーメルンの笛吹き男 マルクト教会 最古 ハーメルン 伝説

<ハーメルンの笛吹き男>伝説とは

日本では鎌倉時代後期にあたる1284年。ドイツ北部の小都市ハーメルンの町にネズミが大繁殖し、人々を悩ませていた。ある日、町に笛を持ち、色とりどりの布で作った衣装を着た男が現れ、報酬をくれるなら街を荒らしまわるネズミを退治してみせると持ちかけた。ハーメルンの人々は男に報酬を約束した。男が笛を吹くと、町じゅうのネズミが男のところに集まってきた。男はそのままヴェーザー川に歩いてゆき、ネズミを残らず溺死させた。しかしネズミ退治が済むと、ハーメルンの人々は笛吹き男との約束を破り、報酬を払わなかった。

約束を破られ怒った笛吹き男は捨て台詞を吐きいったんハーメルンの街から姿を消したが、6月26日の朝(一説によれば昼間)に再び現れた。住民が教会にいる間に、笛吹き男が笛を鳴らしながら通りを歩いていくと、家から子供たちが出てきて男のあとをついていった。130人の少年少女たちは笛吹き男の後に続いて町の外に出てゆき、市外の山腹にあるほら穴の中に入っていった。そして穴は内側から岩でふさがれ、笛吹き男も子供たちも、二度と戻ってこなかった。物語によっては、足が不自由なため他の子供達よりも遅れた1人の子供、あるいは盲目と聾唖の2人の子供だけが残されたと伝える。

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より一部引用』)

商品の説明

著者について

1935年、東京に生まれる。1963年、一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。小樽商科大学教授、一橋大学教授、一橋大学学長、共立女子大学学長などを歴任。『中世を旅する人びと』『西洋中世の男と女』『中世の星の下で』『自分のなかに歴史をよむ』『ハーメルンの笛吹き男』『「世間」への旅』「阿部謹也著作集」全10巻(以上、筑摩書房)、『「世間」とは何か』(講談社)、『物語 ドイツの歴史』(中央公論新社)、『阿部謹也自伝』(新潮社)など多数の著書がある。2006年9月没

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 筑摩書房 (1988/12/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1988/12/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 319ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4480022724
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480022721
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 262個の評価

著者について

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阿部 謹也
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答は簡単。子供たちはトランシルヴァニアに送られたのだ。
5 星
答は簡単。子供たちはトランシルヴァニアに送られたのだ。
子供の頃おおくの人が読み聞かされたであろう『ハーメルンの笛吹男』。子供たちはいったいどこに行ってしまったのか?このお話は「約束は守らなければいけない」ということを揶揄した寓話と思っていた。本書はドイツ留学中に「1284年6月24日に北ドイツのハーメルンの街から130人の子供たちが失踪したこと」が事実であったことをたまたま知った知った一橋大学教授(当時)の阿部謹也氏が、それに関連する膨大なドイツ語文献を並調べ上げ、その事件の背景にあった中世ドイツの社会状況を細かに考察したものである。だだその結論は最後まで明示されず、読者に委ねられている。しかし、賢明な読者ならその答は明らかだろう。子供たちはジーベンビュルゲンまたは他のドイツ人東欧入植地に送られたのだ。ヴォルフガング・ヴァンの説が正解である。笛吹男は実は移民請負人だったのだ。欧州中世は暗黒時代とも言われてるが、本書によればドイツでは様々な商工業が興り、また三圃式農業の発展により人口も増えていった時代であった。しかし身分制度は強固で、下から這い上がることは難しかった。よって、あぶれた下層市民・農民などの子弟たちは、11世紀頃より近くはプロシャ、シレジア、さらにはバルト諸国、ポーランド、ボヘミア、モラビア、スロバキア、ハンガリー、トランシルヴァニア(独語名:ジーベンビュルゲン)、ガリチア(現ウクライナ西部)さらにももっと東のウクライナ、ロシアへと向った。これを『ドイツ人の東方植民』(Ostsiedlung)という。W.ヴァンがジーベンビュルゲン説を唱えた背景にはトランシルヴァニアのドイツ人がトランシルヴァニア・ザクセン人と呼ばれ、ザクセン地方からの移住者が多かったことによるものと思われる。ハーメルンはザクセン人の故地であるニーダーザクセン地方の町である。そしてザクセン人の多くは、中世以降ニーダーザクセンからエルベ川を越え東へ向かい、ソルブ族らスラブ人の土地であったオーバーザクセン地方(ドレスデンを州都とする現在のドイツ・ザクセン州あたり)、さらに東の現チェコ共和国ボヘミア、現ポーランド領シレジア方面に移住したが、一部は遠く当時ハンガリー領だった現ルーマニア領のトランシルバニアに向かった。このようなドイツ人東方移民の子孫をアウスジードラー(Aussiedler)と呼ぶ。そのなかには高級スポーツカーで知られるファーディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche)やメンデルの法則で有名なグレゴーア・メンデル(Gregor Johann Mendel)のような著名人も多い。多くのアウスジードラーは第二次大戦後、ながい者では7~800年も住み慣れた東欧諸国から追放され、主として旧西ドイツに帰還した。その際に命を落としたものは百万人を超えるともいわれる。しかし一部は現地に残りチェコ初代大統領のバーツラフ・クラウス(vàclav Klaus)やポーランド生まれのサッカー元ドイツ代表のミロスラフ・クローゼ(Miroslav Klose)の一族のように現地人と同化して東方諸国に残った。では、鼠捕り男、笛吹男(楽士)とは一体何者であろう?彼らは中世の身分制度のなかで最下層を占める”漂流民”であった。ハーメルンの笛吹男は実は植民(移民)請負人でもあったのだ。日本の中世も同様だが(阿部謹也氏には日本とヨーロッパの中世の類似性についての研究がある)、定住社会においては漂流民はえてして化外の民として異端視されるのが常である。子供たちは本当に笛の音につられて失踪してまったのか?いや、彼らは笛吹男につれられてはるか東方のドイツ人入植地に送られていったのだ。ではなぜ子供だったのか?20世紀の初めまでは、ドイツ語圏では貧しい農民や下級市民の子供たちは、アルプスの少女ハイジのように数年あるいは季節ごとに連れだって(列をなして)各地の農園や工房・家庭に奉公に出るのという習慣があった。ただ、トランシルヴァニアはあまり故地に遠く、故郷に帰還した者はほとんどなかったのだろう。こうしてこの出来事は伝説と化したのだろう。前述のごとくW.ヴァンの説にあるジーベンビュルゲン(Siebenbürgen)とは、”ドラキュラ男爵”の物語で有名な現ルーマニア領の”トランシルヴァニア地方”の”ドイツ語名”であるが、本書では現チェコ共和国のボヘミアについてベーメン(Böhmen)、モラビアをメーレン(Mähren)、ブルノをブリュン(Brün)とするなど、東欧の地名はドイツ語名でしか示されていない。トランシルヴァニアはルーマニア中西部の山岳地帯だが、当時はハンガリー王国の領土であった(第一次大戦後、敗戦国のハンガリーからルーマニアに割譲)。ドイツ人のトランシルヴァニアへの植民活動は、主に12、13世紀に行われ、それはハーメルンの失踪事件の時期とズバリ重なる。トランシルヴァニアは当時も今もハンガリー人、ルーマニア人、ドイツ人、スロバキア人、ジプシー、ヴラフ、ユダヤ人、ウクライナ人、タタール人、トルコ人などが混住する欧州有数の多民族空間で、クラウゼンブルク(Klausenburg/クルージ)、ヘルマンシュタット(Hermannstadt/シビウ)などのドイツ語地名が、ルーマニア語・ハンガリー語地名とともに今も残ってる。そして、これらの都市はトランシルヴァニア・ザクセン人が建設したドイツ風の街並みを今に伝えている。トランシルヴァニアには最盛期には100万人近いドイツ人人口があったということだ。現代のトランシルヴァニア・ドイツ人では、2009年のノーベル文学賞受賞者のヘルタ・ミュラー(Herta Müller)やルーマニア現大統領のクラウス・ヨハニス(Klaus Werner Johannis、ルーマニア語名Iohanis)などが有名である。蛇足だが、図は、第二次大戦前夜のドイツ人の生存空間"Lebensraum"の分布図である。ドイツ本国・オーストリア・スイス国境外の東欧地域に幅広くドイツ人居住地が点在していたことがわかる。なお、黒矢印は戦前のドイツ国(Deutsches Reich)の東方領土で、第二次大戦敗戦により失われ、現在はポーランド・ロシア・リトアニア領となっている旧ドイツ東部領土である(阿部氏はここについて”東ドイツ”と記している)。また、写真は現ルーマニア・トランシルヴァニア地方のフネドアラ/独名アイゼンマルクト(Eisenmarkt)にあるドイツ風のお城。
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