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エレンディラ (ちくま文庫) 文庫 – 1988/12/1
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コロンビアのノーベル賞作家ガルシア=マルケスの異色の短篇集。
“大人のための残酷な童話"として書かれたといわれる6つの短篇と中篇「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」を収める。
“大人のための残酷な童話"として書かれたといわれる6つの短篇と中篇「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」を収める。
- 本の長さ205ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日1988/12/1
- ISBN-104480022775
- ISBN-13978-4480022776
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商品の説明
出版社からのコメント
大人のための残酷物語として書かれたといわれる中・短篇。
「孤独と死」をモチーフに、大著『族長の秋』につらなるマルケスの真価を発揮した作品集。
「孤独と死」をモチーフに、大著『族長の秋』につらなるマルケスの真価を発揮した作品集。
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1988/12/1)
- 発売日 : 1988/12/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 205ページ
- ISBN-10 : 4480022775
- ISBN-13 : 978-4480022776
- Amazon 売れ筋ランキング: - 3,175位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1位スペイン文学
- - 4位スペイン・ポルトガル文学研究
- - 9位その他の外国文学研究関連書籍
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年9月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
知人のお嬢さんへのプレゼントとして購入。読書好きだとのことだが、ガルシア・マルケスを読んだことがないと言っていたので、マルケスの入門編としてはまずこの一冊。短編が多く読みやすい。
2022年1月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
好きな本なので幸せ
2012年2月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本が好きな人なら、自分の人生に影響を与えてくれたり、悩んでいた時に道を示してくれた作品と出逢った事が少なからずあると思う。自分にとってガルシア・マルケスの作品との出逢いはまさにそれで、その時読んだのがこの作品集『エレンディラ』だった。
マルケスの作風には、大きく分けて2つのタイプがあると思うが、一つは記者時代のキャリアから生まれたスタイルで、実際の事件を基にしたり、あるいはジャーナリスティックな手法で書かれた、『予告された殺人の記録』や『族長の秋』に代表されるような小説。
もうひとつは、マルケスの少年時代に祖母が物語を語ってくれた時の、その独特の話法を小説に取り入れた幻想的な物語、シュールなものが日常の当たり前の出来事のように語られる不思議な文体で、その集大成ともいえるのが『百年の孤独』だが、本短編集はそこに至る試行錯誤の過程で、マルケス・スタイルが限りなく完成形に近づいたものだと思う。
多くの短編集と比べても、全7篇、いずれも奇想・幻想的で豊穣な語り口で突出している。
「大きな翼のある、ひどく年取った男」
とある海辺の村に行き倒れていた、翼のはえた老人を巡って巻き起こる騒動。
「失われた時の海」
海から漂ってくるバラの香りに一喜一憂する人々。主人公が潜った海底でゆらめく、死者たちの世界が幻想的な筆致で描かれる。
「この世でいちばん美しい水死人」
世にも稀なる巨躯にして、みめ麗しき青年の遺体が漂着した村。まずは女衆、ついで男衆もその水死体の美貌に魅せられて・・・。
「愛の彼方の変わることなき死」
死の宣告をされた政治家の、美少女との運命的な出逢い。
「幽霊船の最後の航海」
毎年、村の沖合いにやってくる、その村よりも大きな一隻の幽霊船。その存在を主張する若者の声に、誰も耳を傾けなかったために・・・。
「奇跡の行商人、善人のブラカマン」
毒消しの万能薬を売り歩く男が、口上の最中にいきなり毒蛇に咬まれて、塩漬けにした鹿肉にように身体が変色し、全身を震わせながら膨張し、身体にぶら下げた無数の鈴を鳴らし、尻から断末魔の音を漏らしながら笑い転げる冒頭の描写から、いきなりシュールで最高。主人公は「ぼく」で、もちろん物語はここから始まる訳だが。
マジック・リアリスムの坩堝でぐつぐつ煮込んだ、言葉の錬金術とも云うべき猥雑なエネルギーが開巻から開幕まで迸り続ける「語り」の奇術。本収録作でも1、2を争う珠玉の逸品。
多くの作品に、「とある寒村に奇妙な来訪者が訪れる」ことで起こる騒動と「海辺が舞台」になっている、という共通点があることに気づかされる。さわさわと蠢く蟹の群れや、色んなものが一緒くたになったような生臭い海辺の臭い、人生にくたびれたような人々の表情や物腰と、対照的な浮かれ騒ぎの様子が、ねっとりとした肌触りの風と共に紙面から吹き付けてくるようだ。何よりマルケスの、独特の語り口が魅力的。例えば、
“海も空も灰のひと色、三月になれば火の粉のようにきらきら光る砂の海岸までが、腐った貝まじりの泥のスープに成り下がっていた。”
“ 二人は中庭のドアを開け放ったままベッドの上で戯れた。初めはミミズのように、ついで兎のように、最後は海亀のように愛し合った。 ”
また、“海兵隊は黄熱病を撲滅するという名目で国内に侵入し(中略)万一のことを考えて原住民を、気晴らしで中国人を、習慣で黒人を、蛇使いだという理由でヒンズー教徒を見つけしだい首を刎ね、さらに動植物をはじめ鉱物にいたるまでことごとく荒廃させてしまった。”という一文は、南米が経てきた西欧による侵略の屈辱的な歴史を、物語の中でさりげなく、しかし痛烈な皮肉を込めて描いていて、ラテンアメリカ文学の特色を見出すことができる。
そして、本作の表題にもなっている、
「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」
は、80頁に及ぶ中篇小説で、マルケスの代表作のひとつ。
少女エレンディラの不注意で館を全焼させてしまった償いに、祖母がエレンディラに春をひさがせるが、ひとりの少年、ウリセスが彼女に恋をして・・・という物語。
南米文学は、その社会が辿ってきた歴史的背景を、何らかの形で投影している。『無垢なエレンディラ〜』は、一見政治色は感じさせない物語に見えるが、実は:祖母=「権力者」、エレンディラ=「権力者に搾取される民衆」、ウリセス=「権力を倒そうとする革命家」、という物語構造を、最小限の登場人物で描こうとした実験的な側面をもった小説でもあることが判る。この視点で読むと、ラストのエレンディラの一見無情に見える行動に、マルケス流の痛烈な皮肉が込められているのが理解できる。
ちょっと理屈っぽい事を書いてしまったが、しかしこの作品集の最大の魅力は、やっぱりその独特の幻想的な語り口なのだ。
私事になって恐縮だが、自分がはじめてこの本に接したのは、ちょうど21世紀に入ったばかりの頃だった。ちょうど'90年代末から21世紀にかけて、「リアル」という言葉が流行った時代があって、未来に目を向け続けた'80年代から一転して「等身大」「ミニマリズム」「ミーイズム」に大きな価値観が見出された。その潮流の中から、例えば等身大の人間ドラマを描いたインディペンデント・ムービーが高い評価を得たり、漫画でいうと岡崎京子さんに連なるニューウェーブの女性漫画家たちが次々と登場したりと、サブカルチャーの中での「リアル」ブームは決して悪いものではなかった。むしろ新鮮で、刺激的なものだった。
ただ、その一方でファンタスティックなものは「幼稚」と思われるような風潮に時代が傾いていったのも事実だった。本来怪奇・幻想的なものに惹かれる性向が強い自分は、そうした時代の流れの中で疎外感のようなものを少なからず感じていて、とはいえ、あくまで趣味の世界のことだけならば大した問題ではないのだが、その当時の自分は公私共に、色々な意味でつらい状況にあって、心の居場所がどこにも見つけることができなかった。出口の見えない真っ暗なトンネルの中を這いずり回っているような・・・そんな精神状態が何年も続いていて、かろうじて正気を保っていたような状況だったので、そうした世の中の流れも含めて、もう自分の居場所は世界のどこにもないのだろうかと深刻に思い込んでいた。
そんな時に出逢ったのが、この本だった。そして、漂流する溺死体のような格好で眠るエレンディラ、そのエレンディラに恋した少年が触れたグラスが次々と色を変えていく様子や、嵐で屋敷の中が魚と貝でいっぱいになり、エイが空を飛んでいったと語る祖母、そうしたことが、ごく自然なもののように描写された文体が、自分の心を一気に10代、20代の頃に戻してくれたのだ。こんな幻想的な作風の作家が、ノーベル文学賞を獲って世界で認められているなら、自分の居場所だってあるはずだと・・・。
『エレンディラ』は、真っ暗闇だった自分の心に、小さな明かりを灯してくれた小説だ。ほぼ同じ頃に出逢った、シオドア・スタージョンの小説や五十嵐大介氏の漫画も、同じように自分の心の道しるべになってくれた作品だった。本当にありがとう。
このちくま文庫版は、「ラテンアメリカにおいては現実そのものが驚異的なので、シュルレアリストのように人工的に驚異を作り出す必要がない」との言葉を紹介した、訳者の木村榮一氏による解説もすばらしく、その事も書きたかったのだが、個人的なことも含めつらつらと長い文章になってしまったので、この辺で切り上げる事にします。
ご興味をお持ちの方は、ぜひ手にとってお楽しみ頂ければと思います。
マルケスの作風には、大きく分けて2つのタイプがあると思うが、一つは記者時代のキャリアから生まれたスタイルで、実際の事件を基にしたり、あるいはジャーナリスティックな手法で書かれた、『予告された殺人の記録』や『族長の秋』に代表されるような小説。
もうひとつは、マルケスの少年時代に祖母が物語を語ってくれた時の、その独特の話法を小説に取り入れた幻想的な物語、シュールなものが日常の当たり前の出来事のように語られる不思議な文体で、その集大成ともいえるのが『百年の孤独』だが、本短編集はそこに至る試行錯誤の過程で、マルケス・スタイルが限りなく完成形に近づいたものだと思う。
多くの短編集と比べても、全7篇、いずれも奇想・幻想的で豊穣な語り口で突出している。
「大きな翼のある、ひどく年取った男」
とある海辺の村に行き倒れていた、翼のはえた老人を巡って巻き起こる騒動。
「失われた時の海」
海から漂ってくるバラの香りに一喜一憂する人々。主人公が潜った海底でゆらめく、死者たちの世界が幻想的な筆致で描かれる。
「この世でいちばん美しい水死人」
世にも稀なる巨躯にして、みめ麗しき青年の遺体が漂着した村。まずは女衆、ついで男衆もその水死体の美貌に魅せられて・・・。
「愛の彼方の変わることなき死」
死の宣告をされた政治家の、美少女との運命的な出逢い。
「幽霊船の最後の航海」
毎年、村の沖合いにやってくる、その村よりも大きな一隻の幽霊船。その存在を主張する若者の声に、誰も耳を傾けなかったために・・・。
「奇跡の行商人、善人のブラカマン」
毒消しの万能薬を売り歩く男が、口上の最中にいきなり毒蛇に咬まれて、塩漬けにした鹿肉にように身体が変色し、全身を震わせながら膨張し、身体にぶら下げた無数の鈴を鳴らし、尻から断末魔の音を漏らしながら笑い転げる冒頭の描写から、いきなりシュールで最高。主人公は「ぼく」で、もちろん物語はここから始まる訳だが。
マジック・リアリスムの坩堝でぐつぐつ煮込んだ、言葉の錬金術とも云うべき猥雑なエネルギーが開巻から開幕まで迸り続ける「語り」の奇術。本収録作でも1、2を争う珠玉の逸品。
多くの作品に、「とある寒村に奇妙な来訪者が訪れる」ことで起こる騒動と「海辺が舞台」になっている、という共通点があることに気づかされる。さわさわと蠢く蟹の群れや、色んなものが一緒くたになったような生臭い海辺の臭い、人生にくたびれたような人々の表情や物腰と、対照的な浮かれ騒ぎの様子が、ねっとりとした肌触りの風と共に紙面から吹き付けてくるようだ。何よりマルケスの、独特の語り口が魅力的。例えば、
“海も空も灰のひと色、三月になれば火の粉のようにきらきら光る砂の海岸までが、腐った貝まじりの泥のスープに成り下がっていた。”
“ 二人は中庭のドアを開け放ったままベッドの上で戯れた。初めはミミズのように、ついで兎のように、最後は海亀のように愛し合った。 ”
また、“海兵隊は黄熱病を撲滅するという名目で国内に侵入し(中略)万一のことを考えて原住民を、気晴らしで中国人を、習慣で黒人を、蛇使いだという理由でヒンズー教徒を見つけしだい首を刎ね、さらに動植物をはじめ鉱物にいたるまでことごとく荒廃させてしまった。”という一文は、南米が経てきた西欧による侵略の屈辱的な歴史を、物語の中でさりげなく、しかし痛烈な皮肉を込めて描いていて、ラテンアメリカ文学の特色を見出すことができる。
そして、本作の表題にもなっている、
「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」
は、80頁に及ぶ中篇小説で、マルケスの代表作のひとつ。
少女エレンディラの不注意で館を全焼させてしまった償いに、祖母がエレンディラに春をひさがせるが、ひとりの少年、ウリセスが彼女に恋をして・・・という物語。
南米文学は、その社会が辿ってきた歴史的背景を、何らかの形で投影している。『無垢なエレンディラ〜』は、一見政治色は感じさせない物語に見えるが、実は:祖母=「権力者」、エレンディラ=「権力者に搾取される民衆」、ウリセス=「権力を倒そうとする革命家」、という物語構造を、最小限の登場人物で描こうとした実験的な側面をもった小説でもあることが判る。この視点で読むと、ラストのエレンディラの一見無情に見える行動に、マルケス流の痛烈な皮肉が込められているのが理解できる。
ちょっと理屈っぽい事を書いてしまったが、しかしこの作品集の最大の魅力は、やっぱりその独特の幻想的な語り口なのだ。
私事になって恐縮だが、自分がはじめてこの本に接したのは、ちょうど21世紀に入ったばかりの頃だった。ちょうど'90年代末から21世紀にかけて、「リアル」という言葉が流行った時代があって、未来に目を向け続けた'80年代から一転して「等身大」「ミニマリズム」「ミーイズム」に大きな価値観が見出された。その潮流の中から、例えば等身大の人間ドラマを描いたインディペンデント・ムービーが高い評価を得たり、漫画でいうと岡崎京子さんに連なるニューウェーブの女性漫画家たちが次々と登場したりと、サブカルチャーの中での「リアル」ブームは決して悪いものではなかった。むしろ新鮮で、刺激的なものだった。
ただ、その一方でファンタスティックなものは「幼稚」と思われるような風潮に時代が傾いていったのも事実だった。本来怪奇・幻想的なものに惹かれる性向が強い自分は、そうした時代の流れの中で疎外感のようなものを少なからず感じていて、とはいえ、あくまで趣味の世界のことだけならば大した問題ではないのだが、その当時の自分は公私共に、色々な意味でつらい状況にあって、心の居場所がどこにも見つけることができなかった。出口の見えない真っ暗なトンネルの中を這いずり回っているような・・・そんな精神状態が何年も続いていて、かろうじて正気を保っていたような状況だったので、そうした世の中の流れも含めて、もう自分の居場所は世界のどこにもないのだろうかと深刻に思い込んでいた。
そんな時に出逢ったのが、この本だった。そして、漂流する溺死体のような格好で眠るエレンディラ、そのエレンディラに恋した少年が触れたグラスが次々と色を変えていく様子や、嵐で屋敷の中が魚と貝でいっぱいになり、エイが空を飛んでいったと語る祖母、そうしたことが、ごく自然なもののように描写された文体が、自分の心を一気に10代、20代の頃に戻してくれたのだ。こんな幻想的な作風の作家が、ノーベル文学賞を獲って世界で認められているなら、自分の居場所だってあるはずだと・・・。
『エレンディラ』は、真っ暗闇だった自分の心に、小さな明かりを灯してくれた小説だ。ほぼ同じ頃に出逢った、シオドア・スタージョンの小説や五十嵐大介氏の漫画も、同じように自分の心の道しるべになってくれた作品だった。本当にありがとう。
このちくま文庫版は、「ラテンアメリカにおいては現実そのものが驚異的なので、シュルレアリストのように人工的に驚異を作り出す必要がない」との言葉を紹介した、訳者の木村榮一氏による解説もすばらしく、その事も書きたかったのだが、個人的なことも含めつらつらと長い文章になってしまったので、この辺で切り上げる事にします。
ご興味をお持ちの方は、ぜひ手にとってお楽しみ頂ければと思います。
2021年1月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
どの話も、不思議な雰囲気に引き込まれ、
大人向けの童話のように読めてとてもおもしろかったです。
最初の数編の木村訳が抜群に良くて、映像が容易に頭に浮かび上がり、
物語にのめり込んでいたのですが、幽霊船の話に入ったところで、
めちゃくちゃ読みにくいと感じていたら、訳者が鼓直に変わっていました。
これは同じ訳者のボルヘスの伝奇集でも読みにくいと感じていたので、
自分との相性の問題なのかもしれません。他の方の訳でも読んでみたいです。
それでも文章から湧き上がってくるイメージは強烈なもので、読み応えは抜群でした。
現代では模倣した作風も多いですが、やはりその衝撃は他では経験できない読書体験で、
何度も読み返したくなる作品です。
大人向けの童話のように読めてとてもおもしろかったです。
最初の数編の木村訳が抜群に良くて、映像が容易に頭に浮かび上がり、
物語にのめり込んでいたのですが、幽霊船の話に入ったところで、
めちゃくちゃ読みにくいと感じていたら、訳者が鼓直に変わっていました。
これは同じ訳者のボルヘスの伝奇集でも読みにくいと感じていたので、
自分との相性の問題なのかもしれません。他の方の訳でも読んでみたいです。
それでも文章から湧き上がってくるイメージは強烈なもので、読み応えは抜群でした。
現代では模倣した作風も多いですが、やはりその衝撃は他では経験できない読書体験で、
何度も読み返したくなる作品です。
2018年9月14日に日本でレビュー済み
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「大人のための残酷な童話」と言うだけの事はあります。
女性が物のように扱われており、あまりいい読後感でないかな…。そういう読み方をする本ではない事は分かってはいるのですが。
でも、文章は見事だと思いました。
「失われた時の海」が一番好きです。
女性が物のように扱われており、あまりいい読後感でないかな…。そういう読み方をする本ではない事は分かってはいるのですが。
でも、文章は見事だと思いました。
「失われた時の海」が一番好きです。
2020年2月3日に日本でレビュー済み
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「百年の孤独」は高価なので,まず作者がどういう文を書くのか予備知識ゼロで読んでみた。
読みやすい訳文ではあるが,修飾的な熟語が連続するため読みにくい。200ページの短編集をこれだけ苦労して読んだのは初めてだ。(苦労してでも読み切りたいと思わせる力がこの小説にあったのだろう)
こういう事を言うと文壇に詳しい人にビール瓶で殴られそうだが,この小説,恒川光太郎が好きな人は好きだと思う。これが予備知識ゼロの私の素直な感想です。
読みやすい訳文ではあるが,修飾的な熟語が連続するため読みにくい。200ページの短編集をこれだけ苦労して読んだのは初めてだ。(苦労してでも読み切りたいと思わせる力がこの小説にあったのだろう)
こういう事を言うと文壇に詳しい人にビール瓶で殴られそうだが,この小説,恒川光太郎が好きな人は好きだと思う。これが予備知識ゼロの私の素直な感想です。
2019年5月30日に日本でレビュー済み
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"この世の者のいかなる声にも彼女を引き止める力はなかった。彼女は後ろを振り向かずに、熱気の立ちのぼる塩湖や滑石の火口、眠っているような水上の集落などを駆け抜けていった。"「大人のための残酷な童話」として短・中編を収めた本書は、巧みな物語で民衆の記憶を伝えてくれます。
個人的には、著者の作品は『予告された殺人の記憶』そして『百年の孤独』を読了済なのですが。その何とも巧みな物語の描き方が好きなこともあることから今回、本書も手にとったのですが。貧しかったり、悲惨な状況に登場人物たちが置かれていても。どこかに幻想的な場面による救いもあらわれたりする(もちろん私が感じるだけですが)ラテンアメリカ文学の何とも【土の匂いがしつも神話的】な感覚に、やっぱり魅力的だな。と再確認させられました。
また表題作の他に印象的だったのは、冒頭の【大きな翼のある、ひどく年取った男】。"これは、天使だよ"と一目見ただけで、地面に倒れた老人を結論づける女性に内心"はやっ!"って突っ込みつつも、どうしようもなく先が気になってしまう始まり方に、ああ、もう著者の術中にはまってしまっているのだろうなあ。。と【悔しくも嬉しかったり】流石です。
『100年の孤独』を未読の方の肩慣らしに、またラテンアメリカ文学の雰囲気を気軽に感じたい誰かにオススメ。
個人的には、著者の作品は『予告された殺人の記憶』そして『百年の孤独』を読了済なのですが。その何とも巧みな物語の描き方が好きなこともあることから今回、本書も手にとったのですが。貧しかったり、悲惨な状況に登場人物たちが置かれていても。どこかに幻想的な場面による救いもあらわれたりする(もちろん私が感じるだけですが)ラテンアメリカ文学の何とも【土の匂いがしつも神話的】な感覚に、やっぱり魅力的だな。と再確認させられました。
また表題作の他に印象的だったのは、冒頭の【大きな翼のある、ひどく年取った男】。"これは、天使だよ"と一目見ただけで、地面に倒れた老人を結論づける女性に内心"はやっ!"って突っ込みつつも、どうしようもなく先が気になってしまう始まり方に、ああ、もう著者の術中にはまってしまっているのだろうなあ。。と【悔しくも嬉しかったり】流石です。
『100年の孤独』を未読の方の肩慣らしに、またラテンアメリカ文学の雰囲気を気軽に感じたい誰かにオススメ。
2022年8月5日に日本でレビュー済み
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信じがたい悲惨の物語というけれど、日本昔話のようであり、千と千尋のようであり、文学というよりは凡庸な読み物、物語。坂口安吾の夜長姫と耳男のほうが文学として優れている。
1 気に入ったところ
ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語のように題名が長いのが、雰囲気があってよろしい。
舞台の展開がよい。砂漠や島、トラック、輿。
重要な男性の登場人物である、ウリスラの扱いがよい。
主人公エレンディラの最後が非常によい。歴史は繰り返す!?
2 気に入らないところ
100年の孤独、族長の秋と同じく冗長。ぐだぐだ。
カリブ海沿岸の話なのでイメージしにくい。
スペイン侵略の歴史を知らない。
マッチョイズムが今の時代に合わない。
3 まとめ
あらためて日本文学の良さを感じた短編集。
1 気に入ったところ
ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語のように題名が長いのが、雰囲気があってよろしい。
舞台の展開がよい。砂漠や島、トラック、輿。
重要な男性の登場人物である、ウリスラの扱いがよい。
主人公エレンディラの最後が非常によい。歴史は繰り返す!?
2 気に入らないところ
100年の孤独、族長の秋と同じく冗長。ぐだぐだ。
カリブ海沿岸の話なのでイメージしにくい。
スペイン侵略の歴史を知らない。
マッチョイズムが今の時代に合わない。
3 まとめ
あらためて日本文学の良さを感じた短編集。