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私はそうは思わない (ちくま文庫 さ 5-3) 文庫 – 1996/2/1
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- 本の長さ302ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日1996/2/1
- ISBN-104480031537
- ISBN-13978-4480031532
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1996/2/1)
- 発売日 : 1996/2/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 302ページ
- ISBN-10 : 4480031537
- ISBN-13 : 978-4480031532
- Amazon 売れ筋ランキング: - 41,587位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 154位ちくま文庫
- - 897位近現代日本のエッセー・随筆
- - 1,688位評論・文学研究 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
絵本作家、エッセイスト。昭和13年、北京生まれ。昭和22年山梨県に引き揚げ、その後静岡県に移る。武蔵野美術大学に学び、37年東京・日本橋の白木屋 宣伝部にイラストレーターとして入社。のちに退社し、フリーになってポスター、挿絵などを描く。42年から約半年間、ベルリン造形大学でリトグラフを学 ぶ。46年『やぎさんのひっこし』で絵本作家デビュー。50年『おじさんのかさ』がサンケイ児童出版文化賞推薦賞を受賞。52年に出版した『100万回生 きたねこ』はロングセラーになっている(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 クク氏の結婚、キキ夫人の幸福 (ISBN-13:978-4022506481)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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イメージ付きのレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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生きておられたらお会いしてみたい方だと思いました😃
肩に力の入らない生き方に、うなずけました。
人生で一番嬉しかったことは(最初の)離婚であり、「朝起きると体の底から喜びが突き上げて来た」と語る。そして、崩壊していく家庭を営みながら創ったのが1977年発行のロングセラー『100万回生きたねこ』だった。「めぐり逢い子を生みやがて死ぬ」という、「ただそれだけのことを自分が願っていた表われであった」と素直に述懐する。
佐野は「私はそうは思わない」と思い続けてきた、意思と発語のはっきりとした人である。悲しみを含めた自分の弱さを堂々とさらけ出す。エッセーとは、わたくしの思索や思想の披瀝であり、自己の再確認なのだろう。佐野は「人間の一番いいところは一番わるいところであり、両面を分けてはいけない。分けると落ちてしまうものが、人生の醍醐味というもの。それを丁寧に味合わないと生きていてもしかたがない」(要旨)という。さらに「人に迷惑をかけない、かけられないという戦後日本のモラルを再検討すべき。泣き泣き人の迷惑を引き受け、泣き泣き人に迷惑をかける」(要旨)とも提言する。弱さをさらけ出すこと、さらけ出された弱さを引き受けること、そういう関係性を希求した。そして、「面白くもないフツーの大人にするため親も教師も死に物狂いなのだ」と吠える。佐野は「個性」とは「弱さ」や「悪さ」と表裏一体であることを確信していた。
そんな彼女も、長男の反抗期に「僕はそうは思わない」と反発され、それは「大変でしたわよ」と振り返る。『「私はこう思う」というのとは少し違う。その少しの違いがやはり大きな違いであった』とは、何がどう心に刺さった述懐なのだろうか。「そうは思わない」には、「刃」があるのか。『私を救ったものは「私はそうは思わない」という素直でないものだった』と自覚する佐野は、「子供を傷つけて来ただろうと思う」とも、自覚している。「十分傷ついて十分私を憎んで大人になってもらいたい。子供が存在することを感激することで私は子供を愛させてもらった」と、沸騰する母性すらさらけ出すのである。
佐野の息子でイラストレーターの広瀬弦は「ずっと嫌いだった」「息子を溺愛している自分が好きだった母親」(没後10年「100万回生きたねこ」佐野洋子を息子が語る「最後までわがままで、意地っ張りだった母」 婦人公論.jp 2020年)と、手厳しい。17歳で家を出た広瀬は、しかしながらガンになった母のため最後の3年間を同居した。ふたり共作の作品もある。本音をぶつけて生き合うことは羨ましくも、難しい。広瀬は同居の3年でウツになり、「母が消えてウツが消えた」と語る。その時の感慨は「翼が生えたみたいに自由を感じた」。これこそ、佐野洋子が魂で愛した息子の発語ではないか。
ふと、『100万回生きたねこ』のオマージュ短編集『100万分の1回のねこ』(2018年 講談社文庫)をめくってみたら、広瀬弦も一篇を書き下ろしていた。猫を溺愛していた博士の話。その猫が死んだ最終行は「ねこは科学者なんか大嫌いでした」。愛する母への弔文だと思う。
人生で一番嬉しかったことは(最初の)離婚であり、「朝起きると体の底から喜びが突き上げて来た」と語る。そして、崩壊していく家庭を営みながら創ったのが1977年発行のロングセラー『100万回生きたねこ』だった。「めぐり逢い子を生みやがて死ぬ」という、「ただそれだけのことを自分が願っていた表われであった」と素直に述懐する。
佐野は「私はそうは思わない」と思い続けてきた、意思と発語のはっきりとした人である。悲しみを含めた自分の弱さを堂々とさらけ出す。エッセーとは、わたくしの思索や思想の披瀝であり、自己の再確認なのだろう。佐野は「人間の一番いいところは一番わるいところであり、両面を分けてはいけない。分けると落ちてしまうものが、人生の醍醐味というもの。それを丁寧に味合わないと生きていてもしかたがない」(要旨)という。さらに「人に迷惑をかけない、かけられないという戦後日本のモラルを再検討すべき。泣き泣き人の迷惑を引き受け、泣き泣き人に迷惑をかける」(要旨)とも提言する。弱さをさらけ出すこと、さらけ出された弱さを引き受けること、そういう関係性を希求した。そして、「面白くもないフツーの大人にするため親も教師も死に物狂いなのだ」と吠える。佐野は「個性」とは「弱さ」や「悪さ」と表裏一体であることを確信していた。
そんな彼女も、長男の反抗期に「僕はそうは思わない」と反発され、それは「大変でしたわよ」と振り返る。『「私はこう思う」というのとは少し違う。その少しの違いがやはり大きな違いであった』とは、何がどう心に刺さった述懐なのだろうか。「そうは思わない」には、「刃」があるのか。『私を救ったものは「私はそうは思わない」という素直でないものだった』と自覚する佐野は、「子供を傷つけて来ただろうと思う」とも、自覚している。「十分傷ついて十分私を憎んで大人になってもらいたい。子供が存在することを感激することで私は子供を愛させてもらった」と、沸騰する母性すらさらけ出すのである。
佐野の息子でイラストレーターの広瀬弦は「ずっと嫌いだった」「息子を溺愛している自分が好きだった母親」(没後10年「100万回生きたねこ」佐野洋子を息子が語る「最後までわがままで、意地っ張りだった母」 婦人公論.jp 2020年)と、手厳しい。17歳で家を出た広瀬は、しかしながらガンになった母のため最後の3年間を同居した。ふたり共作の作品もある。本音をぶつけて生き合うことは羨ましくも、難しい。広瀬は同居の3年でウツになり、「母が消えてウツが消えた」と語る。その時の感慨は「翼が生えたみたいに自由を感じた」。これこそ、佐野洋子が魂で愛した息子の発語ではないか。
ふと、『100万回生きたねこ』のオマージュ短編集『100万分の1回のねこ』(2018年 講談社文庫)をめくってみたら、広瀬弦も一篇を書き下ろしていた。猫を溺愛していた博士の話。その猫が死んだ最終行は「ねこは科学者なんか大嫌いでした」。愛する母への弔文だと思う。
読みやすい
個人的には主人が大連生まれ育ちです まだ中国が昔の面影をとどめていたころ
行きましたアカシヤの並木が美しく元の主人の家には4家族お風呂場にも1家族
が住んでおり思いがけず中まで案内してくれました
義父は日赤病院の医師で彼女が訪れていた赤レンガの病院 恐らく主人の小学校の後輩と思われました
彼女の子供時代の日々を実感しました
ベルリンでの老人のシャンとした姿は78歳の私に生き方の姿勢を教えられました
これは文庫版ではなく、並製縮小版とすべきではないでしょうか? こういう出版をされると元本がある文庫版は書店で手にとって確認しないとネットでは買えなくなります。「たちまち機嫌がよくなる本」とありますが、私は機嫌が悪くなりました。
内容がいいだけに、残念でなりません。
お亡くなりになったのが、残念ですが、
こうした著述を残しておいていただけて幸せ。、
老年になったとき、誇らしい人でありたい、と
さらに決心させてくれる本です。