ディケンズというと『クリスマス・キャロル』や『二都物語』、『オリバー・
ツイスト』あるいは『デビッド・カッパーフィールド』がよく知られているが
このOur Mutual Friendは著者最後の大長編である。
未知の女性ベラ・ウィルファーと結婚することを条件に莫大な遺産を相続する
ことになったジョン・ハーマン。彼は大陸に過ごしていたので、イギリスに
戻ってくることになる。しかし、そのハーマンが帰国したとたん、テムズ川で
溺死体となって発見される・・・
ジョン・ハーマンが現れなければ、その遺産はかつての使用人ボッフィン氏に
わたることになっていたため、ボッフィン夫妻がその遺産をつぐことになった
。暫くして、秘書にしてくれというジョン・ロークスミスが現れ、有能な彼は
さっそく屋敷に雇われる。
「ハーマン殺し」事件をめぐって、溺死体を発見した男とその娘リジー、弁護
士のモティマー・ライトウッドとユージン・レイバーン、詐欺師夫妻のラムル
夫妻、などなど、非常に多くのキャラクターが登場し、それぞれ、主人公に劣
らぬ量の描写がなされる。いずれも、どこかで「ハーマン殺し」に多かれ少な
かれ関わる、或いは影響を受けている。この多才な人物達が絡み合って、面白
い物語が展開されてゆく。
人物の階層もいろいろで、社会をよくあらわしている。随所に当時のイギリス
への批判がちりばめられているさまは、いかにもディケンズらしい。
上巻だけで文庫500ページを超える長編だが、飽きずに読める。注もくわし
い。
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我らが共通の友 上 (ちくま文庫 て 2-20) 文庫 – 1997/1/1
- 本の長さ564ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日1997/1/1
- ISBN-104480032169
- ISBN-13978-4480032164
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1997/1/1)
- 発売日 : 1997/1/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 564ページ
- ISBN-10 : 4480032169
- ISBN-13 : 978-4480032164
- Amazon 売れ筋ランキング: - 724,110位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2017年8月26日に日本でレビュー済み
ディケンズの小説はどれも長いので、最初はちょっと読む気力をなえさせてしまうところがあります。
読みはじめても、『荒涼館』なんかでもそうですが、最初のうちはディケンズ特有の語りの調子になれるまで少し時間がかかります。
しかし読みなれてくると、ストーリーそのものは牛歩のごとくのったりのったり緩慢に進むのですが、そのかん、まあとにかく入れかわり立ちかわりあらわれる登場人物たちのその造型の魅力によって読者をしじゅう楽しませてくれます。
もっとも、登場人物が多いため、名前をおぼえていくのがたいへんなのですが…
物語は、例によってイギリス小説につきものの遺産相続(お金)と結婚をめぐってひきおこされるできごとを中心に、章から章へと人物グループごとにいくつかの話が同時進行していきます。
そしてそこに、『荒涼館』にもあったディケンズにしばしばみられる推理小説的な筋立て、だれかが殺され、その謎が解きあかされるという脇筋も添えられています。
そのさいディケンズは、いつもどおり、登場する数多くの人物をたくみに描きわけ、それぞれの人物にたっぷりとキャラの肉づけをしていきます。
もちろん、よくディケンズ批評でいわれるように、その人物造型はたぶんに類型的でときに誇張的でさえあるのですが、逆にでも類型的であるからこそ、人物のキャラ立ちがはっきりとし、善人はあくまで善人、悪党はどこまでも悪党とそのキャラ変がなく、しかも勧善懲悪調のため、こみ入ったストーリーがその後どうなっていくかそのゆくえもおのずと予見できます。
つまり結末までちょっとやそっとではたどりつけない大長篇ながら、少し先を安心して読みすすめてゆくことができるというわけです。
(ちなみに、ディケンズとよく似て、同じように典型人物が登場してくるバルザックの作品では、多くのばあい、勧善懲悪調とはまったく逆の、善は滅び悪が栄えるといったたぐいのストーリーがプロットもたくみに展開されます)。
まあただ、下巻後半あたりになると、話をまとめにかかって失速ぎみ、というかむしろやや駆け足となり、しかもそこでアッと驚く、というより、ちょっと唖然とするようなことがあきらかになりますが。
それにしてもこの小説、なんといっても女性たちがいきいきしていて魅力的です。
リジー・ヘクサム、ベラ・ウィルファー、ジェニー・レン(人形衣裳師)、ラヴィニア(ベラの妹)…そしてベティ・ヒグデン。
現実にかたわらにいれば、こちらがたじたじとなってしまうぐらいに活きのいい女の子たちです。まあみんな弁の立つこと。リジーとベラはしかも美人であるらしいし…ただし最後のベティはお婆さんですが。でも、言いたいことをしっかり言って、気っぷもよく、惚れ惚れとします。
しんみりと人情に訴えるところはお涙ちょうだい的、政治(とくに新救貧法)批判するところでは厳しくも皮肉たっぷり、そしてときにはちょっとおふざけがすぎ、悪のりすることもある、でも基本的には諧謔にみちたコミカルで陽気な語り口調(読んでいて思わず笑ってしまうことしばしば)――当時はこの小説作法でもってディケンズは流行作家になったのでしょうが、いま読むとたしかにそのあたり、勧善懲悪調と少々ご都合主義のストーリーとあわせて、ちょっと違和感ないわけではありません。
ただそうはいっても、それはけっして骨董的なものとはなってはおらず、いきいきとしたそのエンタテインメント性はいまも読む者を愉しませてくれるものと思います。
ディケンズの小説は、短編として書かれたものをのぞけば、どれも大長編小説ばかりで、読むのにひと苦労というものばかりですが、それ以上に、それを訳すとなったら、根気が要るうえ、まずもって計りしれぬ苦労があると想像されます。
しかもディケンズの英語は難物ときているものですから、よほどディケンズが好きでないと訳せないものと思われます。
本訳書は、とにかく読みやすく訳されています。
登場人物たちの語り口がうまく訳されていて、とりわけさきほど上で挙げた女性陣の臆せず自分の思うところをズバズバ口にする口達者ぶりにはまったくもって惚れ惚れします。
おおいに訳者の労を多としたいと思います。
原作は、1864-1865年にかけて分冊形式によって刊行。
読みはじめても、『荒涼館』なんかでもそうですが、最初のうちはディケンズ特有の語りの調子になれるまで少し時間がかかります。
しかし読みなれてくると、ストーリーそのものは牛歩のごとくのったりのったり緩慢に進むのですが、そのかん、まあとにかく入れかわり立ちかわりあらわれる登場人物たちのその造型の魅力によって読者をしじゅう楽しませてくれます。
もっとも、登場人物が多いため、名前をおぼえていくのがたいへんなのですが…
物語は、例によってイギリス小説につきものの遺産相続(お金)と結婚をめぐってひきおこされるできごとを中心に、章から章へと人物グループごとにいくつかの話が同時進行していきます。
そしてそこに、『荒涼館』にもあったディケンズにしばしばみられる推理小説的な筋立て、だれかが殺され、その謎が解きあかされるという脇筋も添えられています。
そのさいディケンズは、いつもどおり、登場する数多くの人物をたくみに描きわけ、それぞれの人物にたっぷりとキャラの肉づけをしていきます。
もちろん、よくディケンズ批評でいわれるように、その人物造型はたぶんに類型的でときに誇張的でさえあるのですが、逆にでも類型的であるからこそ、人物のキャラ立ちがはっきりとし、善人はあくまで善人、悪党はどこまでも悪党とそのキャラ変がなく、しかも勧善懲悪調のため、こみ入ったストーリーがその後どうなっていくかそのゆくえもおのずと予見できます。
つまり結末までちょっとやそっとではたどりつけない大長篇ながら、少し先を安心して読みすすめてゆくことができるというわけです。
(ちなみに、ディケンズとよく似て、同じように典型人物が登場してくるバルザックの作品では、多くのばあい、勧善懲悪調とはまったく逆の、善は滅び悪が栄えるといったたぐいのストーリーがプロットもたくみに展開されます)。
まあただ、下巻後半あたりになると、話をまとめにかかって失速ぎみ、というかむしろやや駆け足となり、しかもそこでアッと驚く、というより、ちょっと唖然とするようなことがあきらかになりますが。
それにしてもこの小説、なんといっても女性たちがいきいきしていて魅力的です。
リジー・ヘクサム、ベラ・ウィルファー、ジェニー・レン(人形衣裳師)、ラヴィニア(ベラの妹)…そしてベティ・ヒグデン。
現実にかたわらにいれば、こちらがたじたじとなってしまうぐらいに活きのいい女の子たちです。まあみんな弁の立つこと。リジーとベラはしかも美人であるらしいし…ただし最後のベティはお婆さんですが。でも、言いたいことをしっかり言って、気っぷもよく、惚れ惚れとします。
しんみりと人情に訴えるところはお涙ちょうだい的、政治(とくに新救貧法)批判するところでは厳しくも皮肉たっぷり、そしてときにはちょっとおふざけがすぎ、悪のりすることもある、でも基本的には諧謔にみちたコミカルで陽気な語り口調(読んでいて思わず笑ってしまうことしばしば)――当時はこの小説作法でもってディケンズは流行作家になったのでしょうが、いま読むとたしかにそのあたり、勧善懲悪調と少々ご都合主義のストーリーとあわせて、ちょっと違和感ないわけではありません。
ただそうはいっても、それはけっして骨董的なものとはなってはおらず、いきいきとしたそのエンタテインメント性はいまも読む者を愉しませてくれるものと思います。
ディケンズの小説は、短編として書かれたものをのぞけば、どれも大長編小説ばかりで、読むのにひと苦労というものばかりですが、それ以上に、それを訳すとなったら、根気が要るうえ、まずもって計りしれぬ苦労があると想像されます。
しかもディケンズの英語は難物ときているものですから、よほどディケンズが好きでないと訳せないものと思われます。
本訳書は、とにかく読みやすく訳されています。
登場人物たちの語り口がうまく訳されていて、とりわけさきほど上で挙げた女性陣の臆せず自分の思うところをズバズバ口にする口達者ぶりにはまったくもって惚れ惚れします。
おおいに訳者の労を多としたいと思います。
原作は、1864-1865年にかけて分冊形式によって刊行。