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命売ります (ちくま文庫) 文庫 – 1998/2/24
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隠れた怪作小説
「命売ります。お好きな目的にお使い下さい。当方、二十七歳男子。秘密は一切守り、決して迷惑はおかけしません」
目覚めたのは病院だった、まだ生きていた。必要とも思えない命、これを売ろうと新聞広告に出したところ……。危険な目にあううちに、ふいに恐怖の念におそわれた。死にたくないーー。三島の考える命とは。
「案外、純文学作品ではない、したがって誰もそこに魂の告白を期待していない、『命売ります』のような小説のなかでこそ、こっそり本音を漏らしていたのではなかろうか。」(種村季弘「解説」より)
- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日1998/2/24
- ISBN-104480033726
- ISBN-13978-4480033727
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出版社より
三島 由紀夫
(1925-1970)本名平岡公威。東京四谷生まれ。学習院中等科在学中、〈三島由紀夫〉のペンネームで「花ざかりの森」を書き、早熟の才をうたわれる。東大法科を経て大蔵省に入るが、まもなく退職。『仮面の告白』によって文壇の地位を確立。以後、『愛の渇き』『金閣寺』『潮騒』『憂国』『豊饒の海』など、次々話題作を発表、たえずジャーナリズムの渦中にあった。ちくま文庫に『三島由紀夫レター教室』『肉体の学校』『反貞女大学』『恋の都』『私の遍歴時代』『文化防衛論』などがある。
商品の説明
メディア掲載レビューほか
晩年の死生観
今年も暮れようとしている時に間の抜けた話だが、去年は三島由紀夫の生誕90年、没後45年という節目の年だった。それを機に新たな帯(隠れた怪作小説発見! )を巻かれて部数を伸ばした『命売ります』は、現在も新たな三島ファンを増やしている。 ある日、山田羽仁男なる27歳のコピーライターが自殺を図る。はっきりした理由はなかったが、あえて探れば、いつものように読んでいた夕刊の活字がみんなゴキブリになって逃げてしまったからだ。〈新聞の活字だってゴキブリになってしまったのに生きていても仕方がない〉と思った羽仁男は大量の睡眠薬を飲み、しかし救助されてしまう。 自殺未遂に終わった羽仁男は、もはや自分の命は不要と断じて会社を辞め、新聞の求職欄に「命売ります」という広告を出す。物語はここから動きはじめ、依頼人たちと羽仁男の命のやりとりが、三島らしからぬエンターテイメント小説風に展開していく。 大胆な設定からして確かに「怪作」に違いない。最後まで楽しく読める。だが、三島の晩年の活動と壮絶な死に様を知っている者としては、亡くなる2年前に「週刊プレイボーイ」に連載されたこの作品につい彼の死生観の断片を見つけてしまい、感じ入る。 〈世界が意味があるものに変れば、死んでも悔いないという気持と、世界が無意味だから、死んでもかまわないという気持とは、どこで折れ合うのだろうか。羽仁男にとっては、どっちみち死ぬことしか残っていなかった〉 羽仁男に託してちりばめられた三島の告白。娯楽性に富んだ作品なだけに、それらは余計に重く、読後に残る。
評者:長薗安浩
(週刊朝日 掲載)出版社からのコメント
<読者の声>
●怪作再発掘~と書店で積まれていたので暇つぶしに買ってみた。そうしたところ、とんでもない面白さで、食事中・電車で移動中・ちょっとした空き時間を縫うように1日で読みました。こんなに夢中になれたのは数年ぶりかも。友人はじめすすめまくっています! (30代男性)
●かまえることなく、ただただ文章を読みすすめられる作品。実はこういった作品こそ、筆者の力量が存分に発揮されているのではないだろうか。力作・大作だと肩肘張ってて疲れちゃう。(30代男性)
●三島の印象がガラリと変った! 四半世紀も前の作品だなんて信じられないくらいのしっくり感。「いま1番面白い」ってことならコレがダントツです(30代男性)
●代表作というわけではないが、オモシロイということではこれがイチオシ。半世紀近く経って再読したが、風俗描写もストーリーも全く古びていないことに驚かされた。サブカルチャーや流行にも敏感であった三島は、「永すぎた春」や「よろめき」といった流行語の創出にもひと役かっているが、この作品では「サイケデリック冒険小説」を試みようとしたらしい。三島は、エンタメ小説を書くに当たっても決して手抜きをしなかっためずらしい作家であるが、この作品も例外ではない。文章の装飾や警句こそ控えめなのだが…。この作品は、ストーリーそのものがアイロニーになっていて、如何にも「三島由紀夫の世界」である。三島の死生観も窺える。(60代男性)
●非常に今日的なテーマで、かつエンターテイメントとして楽しめました。(60代女性)
著者について
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1998/2/24)
- 発売日 : 1998/2/24
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 272ページ
- ISBN-10 : 4480033726
- ISBN-13 : 978-4480033727
- Amazon 売れ筋ランキング: - 6,249位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
(1925-1970)東京生れ。本名、平岡公威。
1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。
主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。
カスタマーレビュー
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イメージ付きのレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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個人的に『金閣寺』や『潮騒』など、代表作数知れず、戦後の日本の文学界を代表する作家の1人による"隠れた怪作小説"という帯に惹かれて手にとりました。
さて、そんな本書は自殺しそこなって"何だかカラッポな、すばらしい自由な世界が開けた"青年、羽仁男(はにお)が、会社も辞めて、新聞の求人欄に"命売ります。お好きな目的にお使い下さい。当方、二十七歳男子。秘密は一切守り、決して迷惑はおかけしません"と広告を出したところ、さっそく不思議な買い手からの依頼『浮気した妻と一緒に死んでくれ』から始まり、続々と依頼が舞い込んでくるわけですが。
まあ。発表誌が当時の若者向きの雑誌『プレイボーイ』だけあって、厭世的な羽仁男はグラマー美人に怪しげな未亡人、同じく命を売ろうとする薬漬けのお嬢様と次々と関係を結んでいくわけですが。その展開の早さが次第にツボにはまってきます。
また、本書には『ACS(アジア・コンフィデンシャル・サーヴィス)』という謎の組織の存在が仄めかされ、全てのエピソードを繋げていくのですが。多少の駆け足感は感じましたが、終わりまでのテンポ良い展開は流石だなあと感じました。
著者ファンはもちろん、昭和の時代を感じさせる連続エンタメ短編に興味ある方にも是非。
#サイケデリック冒険小説
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久々に読んでみた三島由紀夫。
私が著者について持ってるイメージは、硬質、構築的、雅言葉、思想性などを備えた重戦車のような作家であることです。この小説を読み始めて感じた違和感、その軽さ、浅はかさな一人語りにびっくりです。そもそも初出は1968年『週刊プレイボーイ』連載、イメージされる購読層の「女にモテたい」青年達に向けて書かれていたわけです。自殺に失敗した語り手が、新聞の求職欄に「命売ります」という広告を出すところから始まる似非ハードボイルド。前半は読者の期待に答えて美女達を「モノにする」挿話が語られます。ストーリーそのものが<文章=命>を大衆誌に売っている大作家の隠喩という皮肉。そもそも<活字が全てゴキブリに見えて世の中が無意味と感じたのが自殺の動機>という設定が、世の中の言説を嘆く著者の姿そのもののように感じられます。私が好きなのは、後半に入って主人公が死を恐れ始めるところからです。#飯能 への逃避小旅行。無意味を星空に解き放って、自らを「#星の王子さま」かもしれないと語るところが最も共感する下りでした。
1960-70年代、小説家は文筆業以外にも有名人として自らの社会的イメージをコントロールしなければいけない時代、結果的に三島由紀夫は市ヶ谷自衛隊駐屯地で事件を起こして、スキャンダラスに自決します。彼の残した高尚な文学作品とは異なる次元だと思っていた彼の人生の出来事との接点を考えさせるような作品でした。甲冑を脱いで、丸腰になった三島がカジュアルに語っている本音が垣間見えました。
#サイケデリック冒険小説
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久々に読んでみた三島由紀夫。
私が著者について持ってるイメージは、硬質、構築的、雅言葉、思想性などを備えた重戦車のような作家であることです。この小説を読み始めて感じた違和感、その軽さ、浅はかさな一人語りにびっくりです。そもそも初出は1968年『週刊プレイボーイ』連載、イメージされる購読層の「女にモテたい」青年達に向けて書かれていたわけです。自殺に失敗した語り手が、新聞の求職欄に「命売ります」という広告を出すところから始まる似非ハードボイルド。前半は読者の期待に答えて美女達を「モノにする」挿話が語られます。ストーリーそのものが<文章=命>を大衆誌に売っている大作家の隠喩という皮肉。そもそも<活字が全てゴキブリに見えて世の中が無意味と感じたのが自殺の動機>という設定が、世の中の言説を嘆く著者の姿そのもののように感じられます。私が好きなのは、後半に入って主人公が死を恐れ始めるところからです。#飯能 への逃避小旅行。無意味を星空に解き放って、自らを「#星の王子さま」かもしれないと語るところが最も共感する下りでした。
1960-70年代、小説家は文筆業以外にも有名人として自らの社会的イメージをコントロールしなければいけない時代、結果的に三島由紀夫は市ヶ谷自衛隊駐屯地で事件を起こして、スキャンダラスに自決します。彼の残した高尚な文学作品とは異なる次元だと思っていた彼の人生の出来事との接点を考えさせるような作品でした。甲冑を脱いで、丸腰になった三島がカジュアルに語っている本音が垣間見えました。
さすがの発想力とスピーディな展開で、一気読みでした。面白かった!
三島の警句や思想がちりばめられていて、三島由紀夫を理解するうえでも重要な小説だと思います。
ただ「起」「承」「転」の「結」の部分は、私の期待に合わなかったのでマイナス 1です。
広告では、
三島由紀夫、極上エンタメ小説!
隠れた怪作小説発見!
これを読まずして三島を語るべからず!
などの文字が飛び交っております。
興味深いのは、彼がなぜ「割腹自殺をしなければいけなかったのか」というような彼の心の闇が、メイン・ストリームの作品ではないからこそ、この作品に素直に現れているのではないかと言うことです。『仮面の告白』と同様に。
主人公の羽仁男は、なにやら「新聞の文字がゴキブリの如く動き出して逃げていった。」と言って、この世も終わりだと自殺します。が、目が覚めると病院のベッドの上。自殺に失敗しました。自殺に失敗したからには、こんな命どうにでもなれと「命売ります」の新聞広告を出すのです。その広告に反応して羽仁男のところ訪れる訳のわからない人々と、その人たちに命を売りながら、結局は助かってしまう羽仁男のドタバタ喜劇の連続です。
このドタバタ劇の中で、羽仁男の心はどのように変化したのでしょうか。自殺に失敗した彼は、命を売る広告を出して誰かが彼の命を買い、そして彼は死ぬ。この死に方に対し、彼は「自分の責任のない死」と面白がります。命を売るというのは無責任を全うできる素晴らしい方法であると彼は思います。
それから、2回ばかり命を売って、いろいろなドタバタで死から免れた後、彼の意識は少々変化します。吸血鬼に命を売ったものの、その美人の吸血鬼に先立たれ、彼も彼女の後を追うべく「命を売ろうか」と思ってしまうのです。それは、初期の「純粋な死」から少々道を外れた行為なのです。この段階では、羽仁男は「しかし、そんなことはどうでもよかった。死んでゆく人間の動機なんかどうでもよかった。」と言っています。
その後も命を売り続けますが、どう言う訳か助かってしまいます。それで、お金も溜まって何もしなくても十分生きていけるようになった頃、「命売ります」をちょっと休憩しようかと、新聞広告でバレていた自分の棲みかを離れようと全財産を持って旅立ちます。
その頃、羽仁男はこんなことを思っています。
すべてを無意味からはじめて、その上で意味付けの自由に生きるという考えだった。そのためには決して決して、意味ある行動からはじめてはならなかった。まず意味ある行動からはじめて、挫折したり、絶望したりして、無意味に直面したりするという人間は、ただのセンチメンタリストだった。命の惜しい奴らだった。
戸棚をあければ、そこにすでに、堆い汚れ物と一緒に、無意味が鎮座していることが明らかなとき、人はどうして、無意味を探究したり、無意味を生活したりする必要があるだろうか。
しかし、「終わりのない小説」などはなく、この小説もついに大団円を迎えます。今まで、命を買いに来た人々に何らかの繋がりがあったのです。最後に、彼等が羽仁男を追い詰めます。
「命を売っているときは何の恐怖も感じなかったのに、今では、まるで、猫を抱いて寝ているように、温かい毛だらけの恐怖が、彼の胸にすがりつき、しっかりと爪を立てていた。」
羽仁男は、街の交番のおまわりさんに保護を求めますが、警官はまともに受け止めません。逃げ回っているので、彼は住所不定です。住所不定の奴が何を訳のわからないことを言っているのか…、と言うことです。
新聞の文字がゴキブリのように動き出し逃げていったことから、羽仁男は自殺しました。そして、その命が助かると命を売りに出します。そこには、羽仁男が思う「死に対する意識」があります。しかし、その意識も死と戯れているうちにあやふやなものと堕してしまう。そして、最後には、巨大な「凡庸」が羽仁男の前を立ち塞ぎます。もはや、彼にはなす術もなく、夜空を見上げての…、絶望か?
少しだけ、三島の自殺の意味が汲み取れると思うのは、考えすぎでしょうか。
話は阿部公房的と言えるし、一部の文体や雰囲気は村上春樹的とも言える。甘ったるく、軽快で、キャッチーである。もちろん主観であるから、万人がうなずくとは思っていないけれど。
とにかく奇妙で不思議な作品である。
三島にとっては大衆小説であり、小品だったであろうが、遺作となった天人五衰の少し前の作品だから、その思想性がにじんでいないはずはない。「空腹である」と言うのを、「腹ペコ」と言えるように、本書では彼の死生観をとりわけ大衆的に書いただけである。
星をマイナス1としたのは、私はそれでも金閣寺や豊穣の海の方が好きだからであり、また本書は娯楽として消費され得るが、上記の方はそんなふうに消化するほど簡単でもなく、かえって噛めば噛むほど味わいが深まるように思えるからである。
私は消費よりも投資を望んでいる。が、こんな面倒なことを考えずに、本書を手にとって、純粋に読書を愉しむということを否定するわけではない。むしろ賛成である。
なぜなら、こんな面倒なことを書く私が、瞬く間にそういう読書の愉しみに引きずられていったのだから。
つまり、ここまでは閑話あって、本題は一言で終わる。
面白いから、読んだ方がよい。