自宅からそう離れていない場所、そんなところが、かつてはこんな貧民窟だったとは…今では住所も違う名になり当時の面影はありませんが興味が湧き、この本を探していました。たまたま中古の単行本が出たので購入。古い本とは言え状態はとても良かったです。
現在の岩の坂、マンションがチラホラ建っているけど人通りは、あまり多くなく少し寂しい感じ、でも交番があるし駅も近いし平和に暮らせそうな所です。きっと東京のあちこちにこんな場所があったのでしょうね。
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ふるさとは貧民窟(スラム)なりき (ちくま文庫) 文庫 – 2004/8/10
小板橋 二郎
(著)
- 本の長さ264ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2004/8/10
- ISBN-104480039732
- ISBN-13978-4480039736
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2004/8/10)
- 発売日 : 2004/8/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 264ページ
- ISBN-10 : 4480039732
- ISBN-13 : 978-4480039736
- Amazon 売れ筋ランキング: - 149,166位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 626位ちくま文庫
- - 8,903位歴史・地理 (本)
- - 31,812位ノンフィクション (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年7月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
紙の本が絶版なのでKindle本で購入、中古本を割高で購入しなくて済みました。便利な時代ですね。
大戦以降、日本全体が均質化,希釈化される前の気分を窺い知るのに興味深い本です。
著者の可視範囲に限った風景ですが、そこから少し昔の日本(人)を帰納するのも一興です。
大戦以降、日本全体が均質化,希釈化される前の気分を窺い知るのに興味深い本です。
著者の可視範囲に限った風景ですが、そこから少し昔の日本(人)を帰納するのも一興です。
2020年9月12日に日本でレビュー済み
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10年ほど前に偶然、この話に出てくる「岩の坂」のことを知り、読みたいと思いました。似たようなことは、他の地域でもあったと想像します。各土地には表沙汰になっていない暗鬱な歴史があると思います
2016年11月23日に日本でレビュー済み
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自宅から比較的近いところにこのような貧民窟があるとは知りませんでした。
生と死を隣合わせにしつつも逞しく生きる人々の崇高さに「ヤラレ」ました。
生と死を隣合わせにしつつも逞しく生きる人々の崇高さに「ヤラレ」ました。
2014年7月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ぱあっと気持ちが明るくなる素敵な装丁でした。
「岩の坂」の話を何かの本で読み知っていましたが、
この本を読みイメージが変わりました。
むしろ読みながら、スラムの暮らしがどこか羨ましい、
と思わせてくれる内容でした。
「岩の坂」の話を何かの本で読み知っていましたが、
この本を読みイメージが変わりました。
むしろ読みながら、スラムの暮らしがどこか羨ましい、
と思わせてくれる内容でした。
2016年5月25日に日本でレビュー済み
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他の本で資料伝いに書かれる下層社会を。当時そこに住んでいた当事者が書き綴った貴重な一冊です。
多くの資料を裏打ちにした「東京の下層社会」緻密な取材を行い個人レベルで当時の様相に迫った「浮浪児1945」と併せて読むと、戦中戦後の、貧困のなかで懸命に生きていた人々を複眼的に見ることが出来ます。これ一冊でも十分おもしろい本ですが、上にあげた二冊もセットで読むとよりおもしろいです。
著作全体を通じて筆者のヒッピーめいたナイーブさが感じさせられる所がありそれが鼻につくかもしれませんが、そんな人だからこそ当時の様子について苦しい苦しいという嘆き節だけでなく、当時の楽しい思い出や周囲の人たちとの交流について息づかいの感じられる内容になっています。
多くの資料を裏打ちにした「東京の下層社会」緻密な取材を行い個人レベルで当時の様相に迫った「浮浪児1945」と併せて読むと、戦中戦後の、貧困のなかで懸命に生きていた人々を複眼的に見ることが出来ます。これ一冊でも十分おもしろい本ですが、上にあげた二冊もセットで読むとよりおもしろいです。
著作全体を通じて筆者のヒッピーめいたナイーブさが感じさせられる所がありそれが鼻につくかもしれませんが、そんな人だからこそ当時の様子について苦しい苦しいという嘆き節だけでなく、当時の楽しい思い出や周囲の人たちとの交流について息づかいの感じられる内容になっています。
2016年10月17日に日本でレビュー済み
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貧民窟で育った人 それもそういう集合体の中で可愛がられた部類のひとが描いた世界 必要悪として自分が当時行った行為 例えばカッパライとか喧嘩とか そういう行為をした原因を記述してある そしてその世界観で生き残った者が勝者という価値基準が存在している筆者による解説 この筆者は非常に寛容で優しい人なのだと感じた。同じ時代 特に戦後に大量発生した浮浪児について書かれている内容はもっと悲惨で壮絶 そして様々な価値観 「生き残ることが勝者ではなく生きる事が正しいのではないと自殺した浮浪児15歳の遺書など書かれている「浮浪児1945」も併せて読むと世界観も広がるのでお勧めしたい。 自分が過ごしている現実を迎えられたのはすべて前時代が存在しているからであり 感謝と慰労 沢山の苦しみに冥福をささげる。今時の苦しみなど比較にならない壮絶な世界 まさしく地獄絵ながら著者の人間性が明るく懐が深いゆえに楽し気に書き記してある。暗闇に葬られないよう永遠に残すべき事実本だと思う。
2013年6月7日に日本でレビュー済み
本書は田村治芳さんの『彷書月刊編集長』(晶文社)という本で,「その面白さ,偏見をぶちかます,怒濤の筆力は,本書を読んでもらえれば,すぐわかる」と紹介されたもの。
小板橋二郎さんは昭和13(1938)年,板橋の貧民窟(スラム)・岩の坂生まれ。私は昭和33(1958)年,板橋の隣の練馬区豊玉生まれ。
本書でも『どん底』の長屋のたたずまいが,当時小板橋さんが住んでいたところとそっくりだったという記述がありますが,私はこの貧民窟(スラム)の話を,黒澤明監督の『どん底』や『どですかでん』『酔いどれ天使』に出てくる集落のようなイメージを持って読みました。
また1960年代の中後半,私が小学生の時代には,まだ近所に「バタヤ部落」(リヤカーで廃品回収をするのがそこの住民の主な仕事のようでした/自分の親がリヤカーでゴミを拾っている姿を見る子供の気持ちを思うと胸がつぶれそう/また,子供が親の手伝いをさせられるときもあり,それを同級生に見られていたときの気持ちを思うとこれまた呼吸困難になりそう/さらに親の気持ちを思うと…)と言われるところがあり,そこの家々のつくりが,この本に出てくる長屋によく似ていました。私はこの「バタヤ部落」に,小学校に来ない同級生を「お利口な学級委員」として,何回か迎えに行ったことがあります。部落の中に入った途端,風呂に入っていない人間の匂いとほこりや鉄・木材などの匂いがブレンドされたような異様な匂いがするので,そこに行くのは大嫌いでしたが,おそらく岩の坂のスラムもあんな匂いがしたことでしょう。
しかし,確かに岩の坂はスラムではあったのでしょうが,私が小学生のときほどには,まだ一般家庭との「格差」が大きくなっていなかったのではないかと思います。一般家庭も戦中戦後のダメージから抜け出すのに精一杯だったのではないでしょうか。『一銭五厘たちの横丁』(撮影した桑原甲子雄さん,亡くなりましたね)を見ても,粗末なみなりの人が多いですし…。
この本を読むと,私が子供の頃の「バタヤ部落」(おそらく10世帯ぐらい)の人たちは,抜け損なった“最後の貧民”だったのかもしれません。同級生の親御さんは字が書けないというシーンを,私は見てしまったことがある記憶もあります。
例によって,ちょいと引用。
「スラムの子にはケンカがつきものだ。これは宿命のようなものである。
ケンカがつよく、できればカッパライができるくらいでないと、スラムの子は仲間のなかでいっぱしと認められないまま終始劣等感にさいなまれることにもなりかねない。いまの時代でいえば、試験勉強ができなければ落ちこぼれといわれて劣等感を持ちつづけなければならなくなってしまう事情とよく似ている。」
わかるなあ。ケンカとカッパライの話。ここから先は,冒頭の田村治芳さんがおっしゃる「偏見をぶちかます,怒濤の筆力」のよい例なんですが,私にはそれがやはり“偏見”としか思えないのでここまでにしておきます。変な話ですが「生きる力」は,おそらくスラムで育った子のほうが,試験勉強ばかりしている子より強くなりますよね。私はこのところ“バカでも人とツルむのがうまければ生きていけるもんだなあ〜”と,よく思いますが,こういうことは試験勉強からは学べないんですよねえ。
どん底のスラムにも,悲惨なことばかりでなく明るくたくましい一面があったのだということを小板橋さんは何度もおっしゃいます。上昇志向一辺倒でなく,ダメなときにはスラムという“病院”に待避してもいいじゃないかとも「むすび」でおっしゃっています。また,スラム礼賛ではないですが,スラムですらこうだったのに,豊かになった今,どうしてわれわれの社会はこうなんだ? と,そんな声が後ろに隠れているような気もしたことでした。
小板橋二郎さんは昭和13(1938)年,板橋の貧民窟(スラム)・岩の坂生まれ。私は昭和33(1958)年,板橋の隣の練馬区豊玉生まれ。
本書でも『どん底』の長屋のたたずまいが,当時小板橋さんが住んでいたところとそっくりだったという記述がありますが,私はこの貧民窟(スラム)の話を,黒澤明監督の『どん底』や『どですかでん』『酔いどれ天使』に出てくる集落のようなイメージを持って読みました。
また1960年代の中後半,私が小学生の時代には,まだ近所に「バタヤ部落」(リヤカーで廃品回収をするのがそこの住民の主な仕事のようでした/自分の親がリヤカーでゴミを拾っている姿を見る子供の気持ちを思うと胸がつぶれそう/また,子供が親の手伝いをさせられるときもあり,それを同級生に見られていたときの気持ちを思うとこれまた呼吸困難になりそう/さらに親の気持ちを思うと…)と言われるところがあり,そこの家々のつくりが,この本に出てくる長屋によく似ていました。私はこの「バタヤ部落」に,小学校に来ない同級生を「お利口な学級委員」として,何回か迎えに行ったことがあります。部落の中に入った途端,風呂に入っていない人間の匂いとほこりや鉄・木材などの匂いがブレンドされたような異様な匂いがするので,そこに行くのは大嫌いでしたが,おそらく岩の坂のスラムもあんな匂いがしたことでしょう。
しかし,確かに岩の坂はスラムではあったのでしょうが,私が小学生のときほどには,まだ一般家庭との「格差」が大きくなっていなかったのではないかと思います。一般家庭も戦中戦後のダメージから抜け出すのに精一杯だったのではないでしょうか。『一銭五厘たちの横丁』(撮影した桑原甲子雄さん,亡くなりましたね)を見ても,粗末なみなりの人が多いですし…。
この本を読むと,私が子供の頃の「バタヤ部落」(おそらく10世帯ぐらい)の人たちは,抜け損なった“最後の貧民”だったのかもしれません。同級生の親御さんは字が書けないというシーンを,私は見てしまったことがある記憶もあります。
例によって,ちょいと引用。
「スラムの子にはケンカがつきものだ。これは宿命のようなものである。
ケンカがつよく、できればカッパライができるくらいでないと、スラムの子は仲間のなかでいっぱしと認められないまま終始劣等感にさいなまれることにもなりかねない。いまの時代でいえば、試験勉強ができなければ落ちこぼれといわれて劣等感を持ちつづけなければならなくなってしまう事情とよく似ている。」
わかるなあ。ケンカとカッパライの話。ここから先は,冒頭の田村治芳さんがおっしゃる「偏見をぶちかます,怒濤の筆力」のよい例なんですが,私にはそれがやはり“偏見”としか思えないのでここまでにしておきます。変な話ですが「生きる力」は,おそらくスラムで育った子のほうが,試験勉強ばかりしている子より強くなりますよね。私はこのところ“バカでも人とツルむのがうまければ生きていけるもんだなあ〜”と,よく思いますが,こういうことは試験勉強からは学べないんですよねえ。
どん底のスラムにも,悲惨なことばかりでなく明るくたくましい一面があったのだということを小板橋さんは何度もおっしゃいます。上昇志向一辺倒でなく,ダメなときにはスラムという“病院”に待避してもいいじゃないかとも「むすび」でおっしゃっています。また,スラム礼賛ではないですが,スラムですらこうだったのに,豊かになった今,どうしてわれわれの社会はこうなんだ? と,そんな声が後ろに隠れているような気もしたことでした。