ジャック・モノーにしろ、レヴィ・ストロースにしろ、メルロ・ポンティにしろ、
フランス人というのは、なにゆえ、こんなに繊細な論理性にたけているのだろう・・、
各章、読み進むたびにウットリするというか、独創性に感心するというか、
そうですね、メルロ・ポンティの身体性には風土性が欠けていますね、というか、
ハイデッカー、和辻哲郎、西田幾多郎も丁寧に批判されていて小気味いいというか、
その究極はインドの竜樹の「空」の概念にまで及んでいて・・・
しかし、最終章の第5章まで行きつくと一転、そんな高尚なフランス人にも開き直れます。
『「ネアンデルタール人」に関する論文で、スティーブン・J・グールドは最近次のように書いていた。
・・・私たちは「物語を語る生物」であり、むしろ「語る人」と呼ばれるべきだろう。
「考える人」の名はふさわしくない場合が多い・・・
私たちの世界観を近代の世界観と根本的に区別する認識と言えよう。・・・
これは私たちが現実を組織化する象徴体系のすべてに関わってくる。
「語る人」はたえず意味性(おもむき)を生み出してやまない。』
P231 4.自然と人間の本質 <なされたことと語られたことの間で>より
「風土性」という観念の生みの親・和辻哲郎と、彼にインスピレーションを反作用させたハイデッカーに
依存するのはもうやめよう!と言いながら、ベルク博士自身、核心部分の意味性(おもむき)については、
結局、「語る人」に依存してしまうしかないようです。
「解答は複雑なものになる。
人間存在ひとりひとりの無意識のなかに隠された
普遍的な構造が問題なのであるから・・。」 P57
というわけで、現代風景におけるネアンデルタール人として、
個人的には通俗的なイギリス人・スティングの「語り」に期待したいです。
スティング ・・ジョイスさながら神話的情熱で故郷(炭鉱町)を脱出。
「孤独のメッセージ」が世界的にヒットし、
ユングの学名からとった「シンクロニシティ」で、
’83グラミー賞に輝いたイギリスのミュージシャン、環境保護活動家。
なぜだか九州の観光施設(町おこしの一環)の広告キャラになったこともある。
「海の予約。大地の予約。太陽の予約。
私たちのファーストゲストは、スティングです。」
商業用の派手なイメージ(虚像)の裏に
存在の根拠を問う哲学者としての実像を持つ元教師。
放浪の旅(カオス的遍歴)の果てに現在、
つながりの回復を求めて故郷とも再び向き合っている。
スティング
「いつものことだがレコードづくりには深い自己探求が要求される。
60回目の誕生日を迎える頃だった。
私の想いは親しみの感情と共に、
心の中に存在し続けてきたあの土地へと戻っていった。
生まれた町。
・・・・
もっと広い視野で描くことはできないだろうか。
私ではない誰かの声で語ってみよう。
私とは異なる視点で表現してみよう。
その方向が固まると、苦しみから解き放たれた。」
スティング最新作「ザ・ラスト・シップ」本人による解説より
「相関的に、風土の通態性に固有の現象はすべて偶然性によって特徴づけられている。
起こることもあれば、起こらない場合もある現象である。
物理的世界において有効な因果関係に属している現象ではないのだ。
実際、デカルト的な近代科学の考察の対象とは反対に、
それらの現象はそれ自体として存在するのではなく、
もっぱら個別の風土性と時代によって確立される限りにおいてのみ存在するのである。・・・。」
難解で抽象的な思考のようでありながら、不思議とリアリズムが感じられるのは、
その土地の代表的人物に備わる風土的キャラクターというものが確かにある、からなのでしょう。
ニューカッスル(英国)のまん中を流れるのはかって石炭を載せた船を運んだ一級河川タイン川、
ここノーガタシ(筑豊)のまん中を流れるのはかって石炭を載せた船を運んだ一級河川遠賀川、
一帯に残る廃坑と眠るボタ山の風景・・・。
近代工業化に向かって日本一動いていたノーガタシ(直方市)の蒸気機関車も元を辿れば、
ニューカッスルで生まれた炭鉱機関夫ジョージ・スチーブンソン(「鉄道の父」)の発案。
スチーブンソンの2㎞先の家で生まれたスティングは、
ユングの学名からとった「シンクロニシティ」作詞作曲で’83グラミー賞受賞。
リズムとリズムが出会えば同期(シンクロ)する非線形世界、ここはカオスの縁なのか!?
(続きは『吾輩は子猫である・総集編/友情と物語で解く複雑系の科学』amazonレヴュー参照下さい。)
早い話、「通態性」というのはこんな実在する風土と風土のシンクロニシティのこと、
ハード(工業)とソフト(音楽)、英国と日本、先駆的な風土性および風土的主体を相互接続してみれば、
通俗的な俗物の語ることの方が、時として普遍的な趣きを醸し出す・・と、開き直ればラクなのでした。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
地球と存在の哲学: 環境倫理を越えて (ちくま新書 83) 新書 – 1996/9/1
- 本の長さ254ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日1996/9/1
- ISBN-104480056831
- ISBN-13978-4480056832
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1996/9/1)
- 発売日 : 1996/9/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 254ページ
- ISBN-10 : 4480056831
- ISBN-13 : 978-4480056832
- Amazon 売れ筋ランキング: - 363,035位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 160位地理学・地誌学
- - 541位都市開発・都市問題 (本)
- - 615位環境・エコロジー (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
星5つ中4.3つ
5つのうち4.3つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
4グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2016年11月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新書ですが非常に深い考察がなされた本である。
デカルト以来の西欧近代の思考は人間を様々な抑圧から解放したが絶対的個人主義の根無し草的生き方につながる危険をはらんでいる。他方、アジア的伝統では、安定をもたらす帰属が自由なき帰属になりやすい。
このジレンマを著者は前近代への退行やアジア主義的伝統への回帰ではなく、「風土」という観点を持ち込むことによって脱出することを試みている。それはかなり成功していると思われる。そのことは、末尾に提示される人間の死の意味に関する著者の確信に満ちた断言に現れている。
読み通すには哲学の素養(それほど深い知識は不要です)が必要だが、読んだ後に深い感動を与える哲学書である。
デカルト以来の西欧近代の思考は人間を様々な抑圧から解放したが絶対的個人主義の根無し草的生き方につながる危険をはらんでいる。他方、アジア的伝統では、安定をもたらす帰属が自由なき帰属になりやすい。
このジレンマを著者は前近代への退行やアジア主義的伝統への回帰ではなく、「風土」という観点を持ち込むことによって脱出することを試みている。それはかなり成功していると思われる。そのことは、末尾に提示される人間の死の意味に関する著者の確信に満ちた断言に現れている。
読み通すには哲学の素養(それほど深い知識は不要です)が必要だが、読んだ後に深い感動を与える哲学書である。
2009年4月29日に日本でレビュー済み
ベルクの観点から環境倫理学の議論を批判的に考察。
自然の権利、全体論、環境決定論を批判し、存在論と地理学の結合を求める。
これまでの本よりも内容が難しい。
内容的には、
『風土としての地球』と『風土学序説』の狭間で埋もれた感がある。
自然の権利、全体論、環境決定論を批判し、存在論と地理学の結合を求める。
これまでの本よりも内容が難しい。
内容的には、
『風土としての地球』と『風土学序説』の狭間で埋もれた感がある。