著者は韓国語もほとんど出来ず、韓国に長期滞在した経験もないらしい。そのような人物が韓国に関する専著を書いてよいのか、という気がするが、それ以前の問題として、本書には単純な誤りが非常に多い。
*「日本における『韓国学』の本格的研究者は少ない」(p11)→著者がどのような規準で「本格的研究者」といっているのか不明だが、政治・経済・社会・人文学などの分野で、朝鮮半島を研究する研究者の数は軽く100人を越える。
*「朝鮮総督伊藤博文」(p45)→伊藤博文は韓国統監。
*「『チョッパリ』とは豚のこと」(p55)→正しくは豚の足のこと。
*「(韓国語には)謙遜・謙譲の構文はなくその感覚がない」(p60)→韓国語にも謙遜・謙譲の構文はある。
*「(韓国の女性は)族譜の上では名前すら書かれない。ただ単に女と書かれるだけである」(p168)→これは戦前の話で現在は普通、名前を書く。
もうひとつ驚かされるのが、巻末の参考文献だ。ここに挙げられているのは、一般向けの入門書や通俗書ばかりで、専門書・論文はほとんどない(もちろん韓国語の文献はひとつもない)。先に見た誤りの数々からすれば、読者のための参考文献として、わざと易しい本を挙げているとは到底思えない。筆者が本書を執筆する上での、本当の参考文献だったのだろう。(歴史的事実の参考文献として、角田房子や梅原猛を挙げているのには驚かされる)
なによりタチの悪いことは、筆者が本書を「研究」(p177)と自賛している点である。研究と銘打つからには、研究対象に対する徹底したリサーチが求められるこというまでもない。この、通俗書を参考に書いた、誤りだらけの杜撰な本は、断じて「研究」などではない。著者(東京経済大学教授)に研究者としての矜持はあるのだろうか。
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韓国人とつきあう法 (ちくま新書 160) 新書 – 1998/6/1
大崎 正瑠
(著)
- 本の長さ190ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日1998/6/1
- ISBN-104480057609
- ISBN-13978-4480057600
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1998/6/1)
- 発売日 : 1998/6/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 190ページ
- ISBN-10 : 4480057609
- ISBN-13 : 978-4480057600
- Amazon 売れ筋ランキング: - 406,251位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2004年11月18日に日本でレビュー済み
このタイトルを見れば、今すぐに韓国人と接する必要がある日本人の為のノウハウ満載の本かと誰でも思うだろうが、タイトルほど実用的じゃない。
著者の専攻は「異文化コミュニケーション」。この本はあくまで著者の関心事項を韓国を対象にして論じたもので、韓国は著者の研究バリエーションの一つという程度の位置づけにしか読めない。著者自身が韓国に深く関わっての実感とか、長く生活してみての経験とかの裏打ちがない為、肝腎の韓国人の精神、行動に関する分析は他の本からの引用が多く、極めて学者的な記述に終始している。書かれていることはどれも間違いとは思わないし基本的に納得しやすい内容だが、「新しい知見を得た」とか「目から鱗が落ちた」というような感動は得られない。
著者は対象読者を明確に想定し、対象読者に即した内容に絞って書くべきではなかったか。この本では韓国人と結婚しようという日本人、日本人と結婚しようという韓国人にまで目配りされているかと思えば、最終章では明らかに異文化コミュニケーションを研究する他の学者に向けて「こういう視点で韓国に関する異文化コミュニケーション研究を掘り下げたらどうか」との提案まであり、話が拡散しすぎである。
著者のキャリアからすると少なくとも韓国に関する実用本を書くことは視野の外におくべきだったと思う。
著者の専攻は「異文化コミュニケーション」。この本はあくまで著者の関心事項を韓国を対象にして論じたもので、韓国は著者の研究バリエーションの一つという程度の位置づけにしか読めない。著者自身が韓国に深く関わっての実感とか、長く生活してみての経験とかの裏打ちがない為、肝腎の韓国人の精神、行動に関する分析は他の本からの引用が多く、極めて学者的な記述に終始している。書かれていることはどれも間違いとは思わないし基本的に納得しやすい内容だが、「新しい知見を得た」とか「目から鱗が落ちた」というような感動は得られない。
著者は対象読者を明確に想定し、対象読者に即した内容に絞って書くべきではなかったか。この本では韓国人と結婚しようという日本人、日本人と結婚しようという韓国人にまで目配りされているかと思えば、最終章では明らかに異文化コミュニケーションを研究する他の学者に向けて「こういう視点で韓国に関する異文化コミュニケーション研究を掘り下げたらどうか」との提案まであり、話が拡散しすぎである。
著者のキャリアからすると少なくとも韓国に関する実用本を書くことは視野の外におくべきだったと思う。