伊能忠敬の生涯をコンパクトにまとめている。これぞ新書のあるべき姿だ。(近年は新書を名乗りつつ内容的にお粗末なものもある)各章に地図もついていて親切だ。
忠敬の伝記は明治時代に編まれたものが根本資料となっている。しかしその内容、とりわけ史料の乏しい忠敬の生い立ちに関しては出所不明の伝聞や誇張・創作が入っているらしい。
本書の著者は細かな分析でその記述の正誤を探り出そうとしている。
本書は1999年刊であるのに対し、ただいま手元にある忠敬主人公の小説を見ただけでも、童門冬二(1999年刊)と龍道真一(2001年刊)の2作品は上記の伝記を疑いもなく参照して書いている。
これだけでも本書を読む価値があるというものだ。
明治時代以来、史料的根拠がないのに広く一般に流布、定着した「定説」からは、そろそろ客観的かつ科学的な検証でもって脱却しなければいけないと思っている。
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伊能忠敬の歩いた日本 (ちくま新書 206) 新書 – 1999/6/1
渡邊 一郎
(著)
伊能忠敬の歩いた日本 (ちくま新書 (206))
- 本の長さ222ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日1999/6/1
- ISBN-104480058060
- ISBN-13978-4480058065
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1999/6/1)
- 発売日 : 1999/6/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 222ページ
- ISBN-10 : 4480058060
- ISBN-13 : 978-4480058065
- Amazon 売れ筋ランキング: - 665,468位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年10月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
伊能忠敬というひとが偉大であったその基盤は、49歳まで営々と誠実かつ懸命に働いて、十分な財力を蓄えたことであった。17歳のとき、生家からは少し離れた佐原の酒造家伊能三郎右衛門家に婿入りした。伊能三郎右衛門家では、たまたま当主か亡くなって、21歳で子持ち未亡人の年下の婿となった。そのときの伊能三郎右衛門家は、赤字に転落していたわけではなかったものの、当主をなくして苦境にあった。有能な実業家として忠敬は事業に邁進、酒造のみならず運送業、薪問屋、貸家、農業、米商、金融業と現代の総合商社のように多角的に事業を展開して、一大豪農商となった。32年間働き、49歳で隠居するまでに3万両以上の財座を積み上げたという。現在の貨幣価値に換算すれば30~40億円くらいに相当する。
事業を離れた忠敬は、上方から幕府に招聘されて天文方として江戸に勤務していた高橋至時(よしとき)に出会い、やがて上総から江戸に移り住んで天文学。暦学を師事した。忠敬は、天文学への興味から地球の寸法を計測することを考え始めた。そのためには十分な距離を隔てた地点で緯度を正確に測定することが必要である。このために江戸から蝦夷地まで距離を実測して緯度の差を計測することを考えつき、考えただけでなく驚異的な実行力で成し遂げた。この時点では目的は地図の制作ではなかった。
しかしこの最初の計測事業で、江戸から蝦夷東海岸にわたる、かつて存在しなかった高い精度の沿海地域の地図ができた。これが幕府の関心を惹き、以後地方ごとの測量事業が成功例の積み重ねとして継続・拡大された。最初の測量の旅は全く自費であり、100両(約1,200~1,500万円)を費やしたという。事業に成功して金に困らなかった忠敬ならではの事業の始まりであった。
伊能忠敬による日本地図測量事業は、21年間にわたり計10回実施された。回を重ねるごとに幕府からの支援も拡大し、測量部隊も大きくなっていった。事業が大きくなり幕府が肩入れするようになると、さまざまなところから賂や誘惑がしのびよる。忠敬がそれらに陥らず、着実に事業だけに専念できたのは、単に彼が清廉だからのみでなく、金に頓着せずに済ませたことが大きいと思う。100年先をみとおした卓越した洞察力とともに、この基盤としての金の要因にも注目すべきだろう。
事業を離れた忠敬は、上方から幕府に招聘されて天文方として江戸に勤務していた高橋至時(よしとき)に出会い、やがて上総から江戸に移り住んで天文学。暦学を師事した。忠敬は、天文学への興味から地球の寸法を計測することを考え始めた。そのためには十分な距離を隔てた地点で緯度を正確に測定することが必要である。このために江戸から蝦夷地まで距離を実測して緯度の差を計測することを考えつき、考えただけでなく驚異的な実行力で成し遂げた。この時点では目的は地図の制作ではなかった。
しかしこの最初の計測事業で、江戸から蝦夷東海岸にわたる、かつて存在しなかった高い精度の沿海地域の地図ができた。これが幕府の関心を惹き、以後地方ごとの測量事業が成功例の積み重ねとして継続・拡大された。最初の測量の旅は全く自費であり、100両(約1,200~1,500万円)を費やしたという。事業に成功して金に困らなかった忠敬ならではの事業の始まりであった。
伊能忠敬による日本地図測量事業は、21年間にわたり計10回実施された。回を重ねるごとに幕府からの支援も拡大し、測量部隊も大きくなっていった。事業が大きくなり幕府が肩入れするようになると、さまざまなところから賂や誘惑がしのびよる。忠敬がそれらに陥らず、着実に事業だけに専念できたのは、単に彼が清廉だからのみでなく、金に頓着せずに済ませたことが大きいと思う。100年先をみとおした卓越した洞察力とともに、この基盤としての金の要因にも注目すべきだろう。
2008年8月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
55歳から地図作りにのめり込んだ忠敬。17年間にわたる気の遠くなるような道程に彼を駆り立てたものは何か。本書はそれに答えてくれる。
損得を度外視した熱意、強力な支援測量隊員にも恵まれた。地図が本格的に使われるのは、明治の初め。以降の日本地図のほとんどは、伊能図を利用している。
「伊能忠敬再発見」【伊能ウォーク】を平成の今を歩く意義は大きい。そのためにも本書は活用されるべきだ。忠敬伝説を払拭して、忠敬実像に迫るものである。全国十次にわたる測量の実状を具体的に示してくれていて、興味は尽きない。
損得を度外視した熱意、強力な支援測量隊員にも恵まれた。地図が本格的に使われるのは、明治の初め。以降の日本地図のほとんどは、伊能図を利用している。
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