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「わかる」とはどういうことか: 認識の脳科学 (ちくま新書 339) 新書 – 2002/4/18
山鳥 重
(著)
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- 本の長さ236ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2002/4/18
- ISBN-104480059393
- ISBN-13978-4480059390
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2002/4/18)
- 発売日 : 2002/4/18
- 言語 : 日本語
- 新書 : 236ページ
- ISBN-10 : 4480059393
- ISBN-13 : 978-4480059390
- Amazon 売れ筋ランキング: - 11,103位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 34位ちくま新書
- - 333位心理学の読みもの
- - 639位医学・薬学・看護学・歯科学
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年10月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
たくさん付箋をつけました。先生の授業を受講したかったです。
2022年7月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
外装も内部もきれいでした。
2024年2月11日に日本でレビュー済み
わかるための素材
わかるための手がかり
◆わかるための土台:記憶
わかるにもいろいろある
どんな時にわかったと思うのか
わかるためにはなにが必要か
より大きく深くわかるために。
わかるための手がかり
◆わかるための土台:記憶
わかるにもいろいろある
どんな時にわかったと思うのか
わかるためにはなにが必要か
より大きく深くわかるために。
2023年3月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「わかる とは感情である」ということ
そして、わかり方の5つのパターンが説明されています
年間数十冊は本を読みますが、この本には同カテゴリの内容と被らないオリジナリティと深い洞察があります。
つまりこの本でしか出会えない新しい世界の見え方を与えてくれます。
それだけで個人的にはこの本は傑作です。
そして、わかり方の5つのパターンが説明されています
年間数十冊は本を読みますが、この本には同カテゴリの内容と被らないオリジナリティと深い洞察があります。
つまりこの本でしか出会えない新しい世界の見え方を与えてくれます。
それだけで個人的にはこの本は傑作です。
2022年10月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
解るということがなんとなく分かりました。
なんとなくわかることこそ人生かと存じます。
なんとなくわかることこそ人生かと存じます。
2020年4月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は「わかる」という複雑かつ曖昧な概念を様々な角度から検証し、その本質に迫っています。「わかる」にも色んな種類があり、それぞれの「わかる」が具体的にどういう心理作用なのか、そのために何が必要なのか、それを理解することによって自分なりの「わかる」を再構築することを手助けしてくるでしょう。
こういう「『XXX』とはどういうことか」という質問は個人的にとても好きです。辞書的な定義とは違ったもの、自らの経験談を踏まえた自分なりの解釈が生まれます。これは、まさしく本書でいう「心像」であり、それを積み重ねることによって自分なりの「世界への理解」が深まると思います。以下は備忘録がてら、自分なりの理解をまとめたものです。
・事実は自分という心がなくても生起し、存在し続ける客観的現象である。一方で心像とは、心がとらえる主観的現象であり、我々の思考の単位となる。我々は客観世界はそのまま受け入れることはできず、心像という形に再構築する。
・知覚は、周りに生起する現象(客観的世界の出来事)を取り込み、その現象を心像という形式に再構築する。事実がそのまま心に映し出されるわけではない。心は、事実をいったん五感に分解して脳(神経系)に取り込み、神経系で処理できる部分だけをもう一度組み立て直す。その組み立て直されたもののうち、意識下されるものが知覚心像である。一方で、今・現在、外の世界では何も起こっていないのに心に現れる心像、それが記憶心像となる。知覚を介して新しい経験を受け入れることによって、人は心像を獲得する。
・名前をつけるというのは、記憶心像に音声記号を貼り付ける働きである。記憶心像はそれ自体では不安定だが、名前によって心像が安定する。言葉の本質は、任意の記号と、一定の記憶心像の結びつきである。
・「わかる」とは、秩序を生む心の働きである。心は多様な心像から、意味というより高い秩序(別の水準の心像)を形成するために絶えず活動している。意識は情報収集のための装置であり、情報収集とは秩序を生み出すための働きである。秩序が生まれると、心は「わかった」という信号を出してくれる。その信号が出ると、心に落ち着きが生まれる。
・「わかる」とは、運動化できることである。わかっていることは、話す、文を書く、絵を描くといった表現活動(運動)に変換できる。わかっていないことは変換できない。自分の言葉で説明できるのと、自分で対象物の絵が描けるのとは、同じことである。話す、というのは行為であって、ちゃんと話すには内容の正確な把握が必要なのである。
こういう「『XXX』とはどういうことか」という質問は個人的にとても好きです。辞書的な定義とは違ったもの、自らの経験談を踏まえた自分なりの解釈が生まれます。これは、まさしく本書でいう「心像」であり、それを積み重ねることによって自分なりの「世界への理解」が深まると思います。以下は備忘録がてら、自分なりの理解をまとめたものです。
・事実は自分という心がなくても生起し、存在し続ける客観的現象である。一方で心像とは、心がとらえる主観的現象であり、我々の思考の単位となる。我々は客観世界はそのまま受け入れることはできず、心像という形に再構築する。
・知覚は、周りに生起する現象(客観的世界の出来事)を取り込み、その現象を心像という形式に再構築する。事実がそのまま心に映し出されるわけではない。心は、事実をいったん五感に分解して脳(神経系)に取り込み、神経系で処理できる部分だけをもう一度組み立て直す。その組み立て直されたもののうち、意識下されるものが知覚心像である。一方で、今・現在、外の世界では何も起こっていないのに心に現れる心像、それが記憶心像となる。知覚を介して新しい経験を受け入れることによって、人は心像を獲得する。
・名前をつけるというのは、記憶心像に音声記号を貼り付ける働きである。記憶心像はそれ自体では不安定だが、名前によって心像が安定する。言葉の本質は、任意の記号と、一定の記憶心像の結びつきである。
・「わかる」とは、秩序を生む心の働きである。心は多様な心像から、意味というより高い秩序(別の水準の心像)を形成するために絶えず活動している。意識は情報収集のための装置であり、情報収集とは秩序を生み出すための働きである。秩序が生まれると、心は「わかった」という信号を出してくれる。その信号が出ると、心に落ち着きが生まれる。
・「わかる」とは、運動化できることである。わかっていることは、話す、文を書く、絵を描くといった表現活動(運動)に変換できる。わかっていないことは変換できない。自分の言葉で説明できるのと、自分で対象物の絵が描けるのとは、同じことである。話す、というのは行為であって、ちゃんと話すには内容の正確な把握が必要なのである。
2021年1月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あたりまえのことが書いてあった。
タイトル通りなのであれば、脳のどの物質がどう作用してわかるという効果になるのかなどが知りたかったかな。
タイトル通りなのであれば、脳のどの物質がどう作用してわかるという効果になるのかなどが知りたかったかな。
2020年7月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今年読んだ本の中でも、個人的にはかなり上位に入る本。
要するに、我々は外界からの刺激をいつしか内面化し、それが心像というワードで切り取られている。
そして、それを明確に捉えるために名前がつけられ、名前を通じ心像そのものは他者とも交換が可能となる。
つまり、この名前付きの心像が形成されていなければ、いくら価値のある話を聞いても、
それは音として聞こえているに過ぎず、まさに豚の耳に念仏状態なのである。
本書のコトバを借りれば「意味は自分持ち」なのである。
興味深い点は論拠に暇がない。
例えば、筆者はソシュール的な発想とはおそらく異なる言語に対する意見を持っていると思われる。
つまり、言葉はものの名前ではない、というわけではない、という立場である。
外界に何かがあり、それを心像化し、そこに名前をつけることで自身の網目はどんどん細かくなる。
ゆえに、まずは外界の現象がある、というわけである。ここはまさに、グラデーションであり、相互作用であろう。
また、網目という点では、心像が少なければそもそも網目にもかからず、言葉は流れていくだけ、
という指摘も面白い。
それとあわせて、外来語が名前先行であるため、心像が形成されていないことへの警鐘も興味深い。
いずれにせよ、言語に関わる者であれば必読であろう。
要するに、我々は外界からの刺激をいつしか内面化し、それが心像というワードで切り取られている。
そして、それを明確に捉えるために名前がつけられ、名前を通じ心像そのものは他者とも交換が可能となる。
つまり、この名前付きの心像が形成されていなければ、いくら価値のある話を聞いても、
それは音として聞こえているに過ぎず、まさに豚の耳に念仏状態なのである。
本書のコトバを借りれば「意味は自分持ち」なのである。
興味深い点は論拠に暇がない。
例えば、筆者はソシュール的な発想とはおそらく異なる言語に対する意見を持っていると思われる。
つまり、言葉はものの名前ではない、というわけではない、という立場である。
外界に何かがあり、それを心像化し、そこに名前をつけることで自身の網目はどんどん細かくなる。
ゆえに、まずは外界の現象がある、というわけである。ここはまさに、グラデーションであり、相互作用であろう。
また、網目という点では、心像が少なければそもそも網目にもかからず、言葉は流れていくだけ、
という指摘も面白い。
それとあわせて、外来語が名前先行であるため、心像が形成されていないことへの警鐘も興味深い。
いずれにせよ、言語に関わる者であれば必読であろう。