最近哲学の本を読んでおり、その延長で手に取った本だった。著者の言うとおり、過去の「偉大な」哲学者は「よく生きる」ことを追求していたわりに、恋愛に対して言及している例が少ない。私個人のことを考えてみると、「よく生きる」ことと「恋」は切り離せない関係にある…たとえば、飲み会で素敵な異性に出会ったら「今日はいい日だった」と思ってしまう…のに。たぶんこういう人は私だけではないと信じたい(苦笑)。
著者は哲学・心理学・言語学(!)という視点から「人間が恋をするしくみ」を追求していて、単なる相性占いの本をめくるよりももっと深く、もっと複雑で精神的な「人間が恋をする仕組み」を考えさせられた。哲学的な用語が多々登場するけれども、分かりやすい例をひいて説明しているために抵抗なく読めると思う。しかし、「恋」的な要素を期待して読むとするならば、すこし物足りないかもしれない。この本を恋に関する本と呼ぶには、ややアカデミックな要素が強すぎる著書だと思う。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
「恋する身体」の人間学 (ちくま新書 392 シリーズ・人間学 2) 新書 – 2003/6/1
小浜 逸郎
(著)
- 本の長さ222ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2003/6/1
- ISBN-10448005992X
- ISBN-13978-4480059925
この著者の人気タイトル
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2003/6/1)
- 発売日 : 2003/6/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 222ページ
- ISBN-10 : 448005992X
- ISBN-13 : 978-4480059925
- Amazon 売れ筋ランキング: - 796,641位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2006年8月10日に日本でレビュー済み
情緒や身体というのは、哲学があまり扱わないテーマだが、それを敢えて取り上げようとしている。
私たちが「ことば」によって「社会」という関係世界を作っていることは、間違いないだろう。ただ、この関係世界を存続させているものが、「ことば」だけなのか、と言えば、違うような気がする。
「ことば」の外側にありながら、社会を社会たらしめているものは何か、という問いに身体や情緒という観点を据えるのが本書の議論だ。「ことば」を身体や情緒との関係から捉え直す試みと言ってもよい。
身体を「意味」の体系として捉えることは、メルロポンティをはじめ多くの識者がすでに論じているが、ここでも身体や情緒を「意味」を読み解くキーとして用いている。
「意味」を言語の内部でのみ考えようとすると限界があって、言語をはみ出たところにあるものとしての「意味」をどう捉えるか、が問題になる。
このことは、私たちが「ことば」によって関係を生み出し、「ことば」によって思考することの制約や限界を考えることにもつながる。
「エロス」は、哲学にふさわしいテーマかもしれないが、エロスや性愛を身体との関係で捉え、「恋する身体」として扱おうとする試みは、あまり哲学的ではない。フロイトの限界や問題点にも言及しながら、情緒や身体を哲学しようとしている。
私たちが「ことば」によって「社会」という関係世界を作っていることは、間違いないだろう。ただ、この関係世界を存続させているものが、「ことば」だけなのか、と言えば、違うような気がする。
「ことば」の外側にありながら、社会を社会たらしめているものは何か、という問いに身体や情緒という観点を据えるのが本書の議論だ。「ことば」を身体や情緒との関係から捉え直す試みと言ってもよい。
身体を「意味」の体系として捉えることは、メルロポンティをはじめ多くの識者がすでに論じているが、ここでも身体や情緒を「意味」を読み解くキーとして用いている。
「意味」を言語の内部でのみ考えようとすると限界があって、言語をはみ出たところにあるものとしての「意味」をどう捉えるか、が問題になる。
このことは、私たちが「ことば」によって関係を生み出し、「ことば」によって思考することの制約や限界を考えることにもつながる。
「エロス」は、哲学にふさわしいテーマかもしれないが、エロスや性愛を身体との関係で捉え、「恋する身体」として扱おうとする試みは、あまり哲学的ではない。フロイトの限界や問題点にも言及しながら、情緒や身体を哲学しようとしている。
2005年1月20日に日本でレビュー済み
著者は哲学をやっている人。日常の感覚を思想的に表現するさまは見事。本書では心(情緒)に中心をおき、身体との関連性を説いています。そしてそこに介在する言語の意味するものの限界をみようとする。人が囚われる性愛感情は言語の限界の位置にあり情緒と切り離せないものだということを親しみやすい事例で表現している。
また言語の本質とはなにかということでソシュールの考え方の基本の部分を解説してくれている。
本書を読めば恋する心のもどかしさの原因はこういうことなのかと、腑に落ちるに違いない、
恋に悩んでしまう人にはおすすめです。
また言語の本質とはなにかということでソシュールの考え方の基本の部分を解説してくれている。
本書を読めば恋する心のもどかしさの原因はこういうことなのかと、腑に落ちるに違いない、
恋に悩んでしまう人にはおすすめです。