「天才とは何か?」そういった疑問にぶつかった方にこの本をお勧めします。比較的難しい文章では書かれていませんし、例として挙げられている6人の天才の風変わりな伝記を読んでいる感覚は読者を飽きさせません。レビューにおいて、作者に非難めいたことを書いていらっしゃる方もおりますが、私が見る限り、とびぬけた論理の飛躍というものはこれといって見当たりませんし、脳は極めて複雑でまだまだ未知なる器官である以上、多少の憶測はやむを得ないと思います。
人は誰にでも不得意なところがあるものです。なるほど、脳はある一部分が欠落していた場合、それを補うように素晴らしい才能が発揮されることもあるのだな、誰にでもその可能性があるのだな、と分かると人は自然と勇気が湧いてくるものです。
あとがきでは作者が望む教育のあり方が、少し書かれています。なるほど、そういった見方があるのだなと感心してしまいました。マスコミや自称識者の怪しげな意見は鵜呑みにできないと情報リテラシーの重要性も学ぶことができました。お得な一冊です。
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天才はなぜ生まれるか 新書 – 2004/4/8
正高 信男
(著)
- 本の長さ203ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2004/4/8
- ISBN-104480061665
- ISBN-13978-4480061669
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2004/4/8)
- 発売日 : 2004/4/8
- 言語 : 日本語
- 新書 : 203ページ
- ISBN-10 : 4480061665
- ISBN-13 : 978-4480061669
- Amazon 売れ筋ランキング: - 947,607位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2005年1月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昔から、クラスに落ち着かない子って確かに数名いましたよね。でも、今だったらADHDとか広汎性発達障害とか多動とか自閉症とか言われますね。この本を読むとその人達のお陰で、現在の私達が生活できるの!!って思いました。劣っている部分があるから、それをカバーする並外れた力が、発揮される。もし、わが子が発達障害と言われたら、一度読んでみてはいかがでしょうか?私も、この本のお陰で気分が少し楽になりましたよ。
2010年10月4日に日本でレビュー済み
何となく納得できる内容だが、根拠があまりに不明確。
事実そうだったとしても、根拠が不明確なのに、そうだとかそうだろうと
言うのは学者としては失格です。
例えばベルの記述では、ベルが自閉症でアスペルガーだったように書いてある。
ベルは高等教育を受け、人付き合いもやってるし、企業経営、教育家、結婚もしている。
そういう人間が本当にアスペなのか?
本当にアスペなら彼にまつわるもっと極端なエピソードが出てくるはず。実際は無い。
もちろん得意不得意はあっただろうけど、
「ブルースの 孤独の克服―グラハム・ベルの生涯」を読んで「へー、プレッシャーとか、人間関係に悩んでたのか。じゃあアスペだな」ぐらいのあまりに短絡的な内容となっている。
成功者にユニークな人間が多いのは事実だけど
「だからアスペ」「だからLD」と言うのはあまりに酷い。
事実そうだったとしても、根拠が不明確なのに、そうだとかそうだろうと
言うのは学者としては失格です。
例えばベルの記述では、ベルが自閉症でアスペルガーだったように書いてある。
ベルは高等教育を受け、人付き合いもやってるし、企業経営、教育家、結婚もしている。
そういう人間が本当にアスペなのか?
本当にアスペなら彼にまつわるもっと極端なエピソードが出てくるはず。実際は無い。
もちろん得意不得意はあっただろうけど、
「ブルースの 孤独の克服―グラハム・ベルの生涯」を読んで「へー、プレッシャーとか、人間関係に悩んでたのか。じゃあアスペだな」ぐらいのあまりに短絡的な内容となっている。
成功者にユニークな人間が多いのは事実だけど
「だからアスペ」「だからLD」と言うのはあまりに酷い。
2012年10月19日に日本でレビュー済み
取り上げられているエピソードには面白いものもあるのですが、
脳や精神に障害があったのが天才になった原因とする本ですが
受け入れられません。
脳や精神に障害があったのが天才になった原因とする本ですが
受け入れられません。
2010年9月16日に日本でレビュー済み
時代により、人に求められる能力が変化してきており、
過去には障害と認められなかった人達が、遺伝子プールとなって
そこから天才が生まれてくるというストーリー。
エジソン、アインシュタイン、ダビンチなどの天才の虚像を、
「そこまで言い切るの」というほど、完膚無きまでに叩きのめしている。
一方で、人間の多様性とは何かを考えさせられる。
過去には障害と認められなかった人達が、遺伝子プールとなって
そこから天才が生まれてくるというストーリー。
エジソン、アインシュタイン、ダビンチなどの天才の虚像を、
「そこまで言い切るの」というほど、完膚無きまでに叩きのめしている。
一方で、人間の多様性とは何かを考えさせられる。
2004年12月26日に日本でレビュー済み
著者によると研究職の人には多動の人が多いとか。
多動の息子を持つ親としてはなんだか少し心が軽くなるような本でした。
天才とまではいかなくても、そうやって何かできることを見つけて、
認め合える社会になればもっと住みやすくなる。
アルペルガー、学習障害、自閉症などの子どもを持つ親の方には
ちょっと気分が楽になり、子どもの将来を多面的に考えられるのでは?
多動の息子を持つ親としてはなんだか少し心が軽くなるような本でした。
天才とまではいかなくても、そうやって何かできることを見つけて、
認め合える社会になればもっと住みやすくなる。
アルペルガー、学習障害、自閉症などの子どもを持つ親の方には
ちょっと気分が楽になり、子どもの将来を多面的に考えられるのでは?
2005年3月22日に日本でレビュー済み
「こんな障害を抱えていたにもかかわらず、こんな素晴らしい仕事を成し遂げた」とか、「こんな障害があったからこそ、こんな素晴らしい業績を挙げた」という風に読める本ではある。タイトルもそういう読み方に読者を誘導している。が、私としてはそう読みたくない。
この本の第1の手柄と思えるのは、いわゆる「偉人」たちの業績や生活ぶりについての病跡学的分析を通じ、近年ますます注目を集める多様なタイプの脳機能「障害」について、鮮やかなイメージを提出している点。多くの人に親しみある極端な事例を取り上げることで、「障害」の具体的様相を拡大鏡にかけて見せてくれる。ただし、どこまで厳密さを保証されている分析なのか、疑問に思った部分も少なからずあった。
もう1つの手柄は、教育の選別機能についても、一歩踏み込んだ分析が提示されている点。教育が選別だなんていう話は、それこそ耳にタコが出来るくらい聞いてきたが、脳機能の選別という水準にまで議論を進め、脳科学や言語学との連接可能性を具体性を持って提起した議論は、私にとっては新鮮だった。たとえばアンデルセンについての分析で、ドイツ語やオランダ語を学ぶ程度では表面化しないのに、ラテン語を学習しようとすると露呈する「学習障害」について触れられている。この議論の裏づけは、少なくとも本書のみでは不十分だと感じられるが、これから私なりに深めて考えてみたいと思わせられた。
著者の主張は、第7章にまとめられている。つまり、従来「学習障害」として十把一からげにされて特殊教育の中に放り込まれたり、教科的な区分で指導がなされていたものを、脳のさまざまな部位の障害として捉え直すことで再分類し、それぞれの特性を明らかにした上で、「障害」の性格に合った「支援」の必要性を訴えること。
私としても、それは必要なことだと思う。ただ疑問としては、タイトルにも滲み出ているように、一歩間違うと「それぞれの個性に合った教育を!」の脳科学ヴァージョンになってしまうのではないか、という点がある。「障害を克服する」「補う」「活用する」という発想は、システムの現状を根本的には追認することにつながりやすい。「知的能力が、全般にわたって劣っているケースもある」(p176)と著者は断っているが、そのようなケースについての検討は皆無だと思う。本当は、社会を構想する上でそれこそ真に深刻な問題ではないか…
この本の第1の手柄と思えるのは、いわゆる「偉人」たちの業績や生活ぶりについての病跡学的分析を通じ、近年ますます注目を集める多様なタイプの脳機能「障害」について、鮮やかなイメージを提出している点。多くの人に親しみある極端な事例を取り上げることで、「障害」の具体的様相を拡大鏡にかけて見せてくれる。ただし、どこまで厳密さを保証されている分析なのか、疑問に思った部分も少なからずあった。
もう1つの手柄は、教育の選別機能についても、一歩踏み込んだ分析が提示されている点。教育が選別だなんていう話は、それこそ耳にタコが出来るくらい聞いてきたが、脳機能の選別という水準にまで議論を進め、脳科学や言語学との連接可能性を具体性を持って提起した議論は、私にとっては新鮮だった。たとえばアンデルセンについての分析で、ドイツ語やオランダ語を学ぶ程度では表面化しないのに、ラテン語を学習しようとすると露呈する「学習障害」について触れられている。この議論の裏づけは、少なくとも本書のみでは不十分だと感じられるが、これから私なりに深めて考えてみたいと思わせられた。
著者の主張は、第7章にまとめられている。つまり、従来「学習障害」として十把一からげにされて特殊教育の中に放り込まれたり、教科的な区分で指導がなされていたものを、脳のさまざまな部位の障害として捉え直すことで再分類し、それぞれの特性を明らかにした上で、「障害」の性格に合った「支援」の必要性を訴えること。
私としても、それは必要なことだと思う。ただ疑問としては、タイトルにも滲み出ているように、一歩間違うと「それぞれの個性に合った教育を!」の脳科学ヴァージョンになってしまうのではないか、という点がある。「障害を克服する」「補う」「活用する」という発想は、システムの現状を根本的には追認することにつながりやすい。「知的能力が、全般にわたって劣っているケースもある」(p176)と著者は断っているが、そのようなケースについての検討は皆無だと思う。本当は、社会を構想する上でそれこそ真に深刻な問題ではないか…
2005年2月4日に日本でレビュー済み
天才は障害者である。そんな逆説的な見解を、6人の天才の生涯を辿りながら導いた労作である。
劣っている面があるからこそ、それを代償しようとして他の能力が発揮されることがある。普通ならば眠っている才能が目を覚ますのである。そういえば、三重苦のヘレン・ケラーも一般人にはない独特の才能を花開かせた。彼女は木の幹を触って幹の中の水の流れを感知したり、遙か離れたビール工場の匂いを嗅ぎ分けたりしている。健常者には到底できない芸当だ。
本書では、「うわの空のエジソン」「癇癪持ちのアインシュタイン」「外国語のできないレオナルド」「古典嫌いのアンデルセン」「付き合いべたなベル」「落ち着きのないディズニー」を取り上げた。6人とも画期的な業績を残している人物であるが、エジソンは小学校1年で学校を辞めているし、アインシュタインは4歳まで言葉を自由に繰ることができなかった。彼らは今で言う「学習障害」であり、それは彼らの時代にはない概念だった。
この学習障害を乗り越えて意味ある仕事を成し遂げたということを、本書は綴っているのではない。障害があるが故に才能が発揮されたという事実を、これらのエピソードを通じて知らしめてくれる。人間の能力、才能というものを根本から問い直させてくれる貴重な一冊である。
劣っている面があるからこそ、それを代償しようとして他の能力が発揮されることがある。普通ならば眠っている才能が目を覚ますのである。そういえば、三重苦のヘレン・ケラーも一般人にはない独特の才能を花開かせた。彼女は木の幹を触って幹の中の水の流れを感知したり、遙か離れたビール工場の匂いを嗅ぎ分けたりしている。健常者には到底できない芸当だ。
本書では、「うわの空のエジソン」「癇癪持ちのアインシュタイン」「外国語のできないレオナルド」「古典嫌いのアンデルセン」「付き合いべたなベル」「落ち着きのないディズニー」を取り上げた。6人とも画期的な業績を残している人物であるが、エジソンは小学校1年で学校を辞めているし、アインシュタインは4歳まで言葉を自由に繰ることができなかった。彼らは今で言う「学習障害」であり、それは彼らの時代にはない概念だった。
この学習障害を乗り越えて意味ある仕事を成し遂げたということを、本書は綴っているのではない。障害があるが故に才能が発揮されたという事実を、これらのエピソードを通じて知らしめてくれる。人間の能力、才能というものを根本から問い直させてくれる貴重な一冊である。