普段よく目にするタレント学者から、あまり知られていない評論家や在野の知識人などを数多く紹介し、評価しています。
特に国文学系については初めて耳にする人も多く役に立ちました。「大学教授になる方法」などアカデミズムの
タブーを描くことも多い著者ですが、この本はその力量がいかんなく発揮されているといえるでしょう。
ある種のブックガイドにもなっていますので、次、何を読もうかと迷っている人にもおすすめです。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
学者の値打ち (ちくま新書) 新書 – 2004/7/6
鷲田小彌太
(著)
- 本の長さ235ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2004/7/6
- ISBN-104480061800
- ISBN-13978-4480061805
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2004/7/6)
- 発売日 : 2004/7/6
- 言語 : 日本語
- 新書 : 235ページ
- ISBN-10 : 4480061800
- ISBN-13 : 978-4480061805
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,929,532位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2004年8月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
なんだろうなあ...
2016年8月13日に日本でレビュー済み
学者と教養の世界を、実名を挙げながら自分なりの評価を下しているのは、それなりに読ませますが、そこに著者の好みをあまりに強く文章化しているのはいただけません。それこそ、客観性という意味で学術的とは言えますまい。それでも中村幸彦氏や小西甚一氏を本当の知識人として挙げている前半部はなんとか読ませるのですが、谷沢永一や渡辺昇一を「自分の先生」と呼ぶ辺りから、どうにもおかしくなって来ます。すなわち、著者自身の思い込みをあたかも客観的なものの見方、評価として懸命に読者に訴えてくるのですが、その意図を自覚していないせいか、そこから文章が少々おかしくなる。すなわち、妙にひねくりまわした説得調の「学者の文章」になってきます。
具体的にはどこを取り上げてもよいのですが、例えば、「高度な知識や技術は、大規模な装置や巨大な資本を必要とする重厚長大な産業から、ダウンサイジング化し、省エネ化し、ついにはパーソナル化する軽薄短小の産業や巨大なネットワークの拡大化が、一方で、極限まで進む社会だということだ。高学歴化と自宅学習が、学校教育と自己開発化が手を携えて進む時代だ、といってよい。」(P178)というような文章を読んでいると、「ああ、この人も所詮は妙なインテリ意識を棄てられない、どこかで「自分は頭の良いと思っている学者」だなとしか思えないのです。
各章の最後に、マルクス・小林秀雄・中野重治・野間宏等々、様々な人物をABCD評価していますが、まったく説得性の無い、思い込みと興味本位の記述しか思えません。「専門書以外に雑書を書けること」が知識人としての資格のように述べていますが、こんな雑書では
週刊誌の記事にも劣るとしか思えないのですが・・・・・・もっとしっかりした作物の書ける人と思っていたのですが、「大学教授になる方法」といい、少々残念な気持ちです。
具体的にはどこを取り上げてもよいのですが、例えば、「高度な知識や技術は、大規模な装置や巨大な資本を必要とする重厚長大な産業から、ダウンサイジング化し、省エネ化し、ついにはパーソナル化する軽薄短小の産業や巨大なネットワークの拡大化が、一方で、極限まで進む社会だということだ。高学歴化と自宅学習が、学校教育と自己開発化が手を携えて進む時代だ、といってよい。」(P178)というような文章を読んでいると、「ああ、この人も所詮は妙なインテリ意識を棄てられない、どこかで「自分は頭の良いと思っている学者」だなとしか思えないのです。
各章の最後に、マルクス・小林秀雄・中野重治・野間宏等々、様々な人物をABCD評価していますが、まったく説得性の無い、思い込みと興味本位の記述しか思えません。「専門書以外に雑書を書けること」が知識人としての資格のように述べていますが、こんな雑書では
週刊誌の記事にも劣るとしか思えないのですが・・・・・・もっとしっかりした作物の書ける人と思っていたのですが、「大学教授になる方法」といい、少々残念な気持ちです。
2014年2月20日に日本でレビュー済み
どこの業界も奇麗事だけじゃダメなのよ、という感じ。
学者に対して、「業績A、教育者C」みたいに、はっきりとした評価をしているのが大胆というか勇敢で面白い。
人生のどこかで学者になりそうな人や、何かしらアカデミックな業界に関心がある人は読んでみると良いのでは。
学者に対して、「業績A、教育者C」みたいに、はっきりとした評価をしているのが大胆というか勇敢で面白い。
人生のどこかで学者になりそうな人や、何かしらアカデミックな業界に関心がある人は読んでみると良いのでは。
2004年9月17日に日本でレビュー済み
著者は、本書の中でこう語っている。「公平な評価をめざした、といえば嘘になる。そもそも、評価に私怨をもちこまない、評価で私憤をはらさない、は当然である。とはいえ、公平中立な評価は、めざされたからといって、不可能である」。それでいいではないか。どんな場合でも、「評価する」ということにはそのような本質が潜むからだ。
その反面、「評価される」側から見れば、「評価される」こと自体、自分自身を高めるための重要な栄養になり、薬にもなる。これは、年齢に関係がない。とりわけ、本書で槍玉に挙げられている学者という存在は、聖域ともいえる世界と社会的地位ゆえに、常に評価の対象にさらされるべきだと思う。
本書は、まさにその部分に向けて矢を放っている。その矢が対象のポイントを正確に射抜いたか否かは、読む側が判断すればいい。しかし、誰も射抜こうとすらしない“学者”という堅固な盾を射抜こうとした著者の試みは、瞠目に値する。
その反面、「評価される」側から見れば、「評価される」こと自体、自分自身を高めるための重要な栄養になり、薬にもなる。これは、年齢に関係がない。とりわけ、本書で槍玉に挙げられている学者という存在は、聖域ともいえる世界と社会的地位ゆえに、常に評価の対象にさらされるべきだと思う。
本書は、まさにその部分に向けて矢を放っている。その矢が対象のポイントを正確に射抜いたか否かは、読む側が判断すればいい。しかし、誰も射抜こうとすらしない“学者”という堅固な盾を射抜こうとした著者の試みは、瞠目に値する。
2007年3月21日に日本でレビュー済み
学者とは、どういう存在か、またどういう存在であるべきか
を論じた本。一般にあまり知られていない、学者の評価基準
を提示している点が、本書の主な特徴だろう。特に実名を挙
げて評価をしている点は、大胆であり、筆者の学問界への警
鐘と捉えて評価するべきだろう。
しかし、何が言いたいのか、論点はどこにあるのか、そもそ
も主題は何なのか、わからなくなることが読んでいる途中で
頻繁にあった。文章の構成はところどころ不自然で、どこと
なく読みにくい。
本文中で取り上げられている学者は、私が不勉強なせいでも
あるが、半分近くは知らない者で、評価が妥当なものかどう
か判定できない。筆者は理系の学者を対象から外して、学者
とは文系にかぎってのことだと、わざわざ断っているが、そ
の文系の中でも偏りがある。明らかに筆者の専門である哲学
、文学、思想史の学者が中心的に取り上げられており、政治
学、法学、社会学、文化人類学の学者への言及は少ない。
学者の評価基準自体も、特に目新しいことを言っているわけ
ではなく、学問界に意識を払っている者であれば、どこかで
聞いたことのあるようなものばかりである。かといって、一
般の読者向けというには、専門的な記述が多く理解が困難な
のではないかと思われる。
を論じた本。一般にあまり知られていない、学者の評価基準
を提示している点が、本書の主な特徴だろう。特に実名を挙
げて評価をしている点は、大胆であり、筆者の学問界への警
鐘と捉えて評価するべきだろう。
しかし、何が言いたいのか、論点はどこにあるのか、そもそ
も主題は何なのか、わからなくなることが読んでいる途中で
頻繁にあった。文章の構成はところどころ不自然で、どこと
なく読みにくい。
本文中で取り上げられている学者は、私が不勉強なせいでも
あるが、半分近くは知らない者で、評価が妥当なものかどう
か判定できない。筆者は理系の学者を対象から外して、学者
とは文系にかぎってのことだと、わざわざ断っているが、そ
の文系の中でも偏りがある。明らかに筆者の専門である哲学
、文学、思想史の学者が中心的に取り上げられており、政治
学、法学、社会学、文化人類学の学者への言及は少ない。
学者の評価基準自体も、特に目新しいことを言っているわけ
ではなく、学問界に意識を払っている者であれば、どこかで
聞いたことのあるようなものばかりである。かといって、一
般の読者向けというには、専門的な記述が多く理解が困難な
のではないかと思われる。
2004年11月15日に日本でレビュー済み
本書の中で著者は多数の「学者」に対して評価をしているが、その評価自体はそれほど重要ではない。既存の評価方法に対するちょっとした反発と捉えればいい。
本書の主眼は、「学派は学的共同体というより、利益共同体に近い」「学生の学力の高さと、その大学・学部・学科等で行われている教師の研究・教育の質とは、関係ない」「アカデミズムとジャーナリズムの差がなくなってきている」という考え方にある。暗黙の前提とされていたものもあるが、それらだけをまとめたものとなると数は少なく本書は価値があるのではないだろうか。
本書の主眼は、「学派は学的共同体というより、利益共同体に近い」「学生の学力の高さと、その大学・学部・学科等で行われている教師の研究・教育の質とは、関係ない」「アカデミズムとジャーナリズムの差がなくなってきている」という考え方にある。暗黙の前提とされていたものもあるが、それらだけをまとめたものとなると数は少なく本書は価値があるのではないだろうか。