この本のテーマは柳田国男であり、題名から想像されるような伝統そのものを正面から論じるような本ではありません。序文では作られた伝統の例として19世紀末のアメリカにおける秘密結社のイニシエーション(入団儀式)を挙げていますし、別の章では日本人が母性が強いという言説が時代の要請によって作られたことにも触れていますが、それ以外の部分は柳田国男一辺倒であり、伝統は単に柳田国男と関連のある文脈でのみ顔を出すだけ、といった程度です。
私は個人的に柳田国男に関して詳しく知らなかったので、官僚としての側面や、植民地支配と日本の民俗学を結びつける考え方、時代ごとの興味や主張の変化など多くのことを知れて良かったです。一般書ですので学術書のようなしっかりとした論理の積み重ねはありませんが、十分に説得力のある話の展開だったと思います。
柳田国男をテーマにした本としてみれば悪い本ではなかったのですが、最後までタイトルと内容が合っていないという印象が拭い去れませんでした。タイトルだけではなく、序論や後書きでもあたかも伝統を論じているかのような書き方をしているのにも少し違和感を感じました。
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<伝統>とは何か (ちくま新書) 新書 – 2004/10/6
大塚 英志
(著)
- 本の長さ206ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2004/10/6
- ISBN-104480061967
- ISBN-13978-4480061966
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2004/10/6)
- 発売日 : 2004/10/6
- 言語 : 日本語
- 新書 : 206ページ
- ISBN-10 : 4480061967
- ISBN-13 : 978-4480061966
- Amazon 売れ筋ランキング: - 40,277位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 74位文化人類学一般関連書籍
- - 131位ちくま新書
- - 5,273位社会・政治 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1958年生まれ。まんが原作者、批評家。『「捨て子」たちの民俗学』(第五回角川財団学芸賞受賞)などがある。神戸芸術工科大学教授、東京藝術大学大学院兼任講師。芸術工学博士(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 映画式まんが家入門 (ISBN-13: 978-4048685627 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2004年10月19日に日本でレビュー済み
キーワード抜き出し
柳田邦夫、折口信夫、ラフカディオ・カーン、架空の血筋、貰い子幻想、民俗学、秘密結社、母性、母子心中、妖怪、イニシエーション、愛国心、天皇、ムー大陸、アトランティス大陸、ユダヤ人、ナチズム、オカルト、おたく文化、世間話、公民、新しい歴史教科書
木島日記とか怪談前後の方の大塚英志節
「伝統がその担い手達によって作られる物であるという議論は、現代思 想や文化人類学の領域ではそう珍しい事ではない。
けれども伝統の消費者たちにとっては……」なんた~らかんた~ら
柳田邦夫を基点に話を進めてゆく
怪談前後を読んで眠くならない人におすすめ
眠い。ぐーぐー
柳田邦夫、折口信夫、ラフカディオ・カーン、架空の血筋、貰い子幻想、民俗学、秘密結社、母性、母子心中、妖怪、イニシエーション、愛国心、天皇、ムー大陸、アトランティス大陸、ユダヤ人、ナチズム、オカルト、おたく文化、世間話、公民、新しい歴史教科書
木島日記とか怪談前後の方の大塚英志節
「伝統がその担い手達によって作られる物であるという議論は、現代思 想や文化人類学の領域ではそう珍しい事ではない。
けれども伝統の消費者たちにとっては……」なんた~らかんた~ら
柳田邦夫を基点に話を進めてゆく
怪談前後を読んで眠くならない人におすすめ
眠い。ぐーぐー
2006年1月26日に日本でレビュー済み
“「伝統」とは、しばしばその担い手たちによって「作られる」ものなのである”とする序章は、「秘密結社」の意味や、クリスマス・ツリーとナチの関係、キムイルソンが「民話」のキャラクターだった話など、小出しのエピソードも面白く、本編への期待を持たせる。
ところが本編は、いつもの大塚英志の面白さがまったくみられない。これまでの大塚の仕事は民俗学の概念、方法論をマーケティングやサブカル批評に援用することで、常に我々に新しい視界を提供してくれた。本書は本来のフィールドである民俗学、その創設者とも言える柳田國男の仕事について語っている分、いつもの飛躍、大胆さ、鋭さが欠如している気がするのだ。
そして、もうひとつ残念なのは別著「憲法力」でも語られている「公民の民俗学」の可能性について。その概念には共感するものの、それはあくまで概念であり、実行力があるとは到底思えない。いや、本当は大塚に、その実行力を、言葉の力で強引に説き伏せてほしいのだけど、まったく深化していかないし、逆に不毛、限界を感じてしまう。「公民の民俗学」って言葉だけ、概念だけをポーンと出して、後をまったく考えてないなんて大塚らしくもなく、明らかに戦略ミスである。もっと、この概念、どっかの言論空間で展開したらどうだろうか。大塚はネットを過小視しすぎていると思うな。
ところが本編は、いつもの大塚英志の面白さがまったくみられない。これまでの大塚の仕事は民俗学の概念、方法論をマーケティングやサブカル批評に援用することで、常に我々に新しい視界を提供してくれた。本書は本来のフィールドである民俗学、その創設者とも言える柳田國男の仕事について語っている分、いつもの飛躍、大胆さ、鋭さが欠如している気がするのだ。
そして、もうひとつ残念なのは別著「憲法力」でも語られている「公民の民俗学」の可能性について。その概念には共感するものの、それはあくまで概念であり、実行力があるとは到底思えない。いや、本当は大塚に、その実行力を、言葉の力で強引に説き伏せてほしいのだけど、まったく深化していかないし、逆に不毛、限界を感じてしまう。「公民の民俗学」って言葉だけ、概念だけをポーンと出して、後をまったく考えてないなんて大塚らしくもなく、明らかに戦略ミスである。もっと、この概念、どっかの言論空間で展開したらどうだろうか。大塚はネットを過小視しすぎていると思うな。
2004年10月14日に日本でレビュー済み
今度は民俗学批判です。柳田國男を通じて、日本人にとっての伝統が創造されるプロセスを解き明かす。
文学、民俗学、憲法、いずれも彼は専門外の領域に入り、目覚しい論考を記している。
それは彼が、あらゆる人間がイデオロギーにとらわれるという弱さを克服した、相対化を極めた冷徹な視線を持っていることと同時に、批判の対象となっている先達の時代背景的な限界も理解する優しさを併せ持つからだと思います。
大半の<伝統>が、近代以降、国民国家の確立の要請を受けて「創造」されたものである、ということは半ば周知ではありますが、大塚らしく視点を若干変えて、理解しやすい正確な文章とともに、そのことを証明しています。
本書も民俗学がいかに政治的に影響を受けて日本人の伝統を創造してきたかを批判的に説きつつ、同時に柳田國男が一時持ちえた、公共に開かれた意思の所在も、希望の一つとして取上げています。
サブカルは、多分にナチズムに影響を受けた要素を含んでおり、それについても一冊の論考を仕上げたい、という内容が文中にあったのが引っかかりました。ぜひとも読んでみたい一冊です。
文学、民俗学、憲法、いずれも彼は専門外の領域に入り、目覚しい論考を記している。
それは彼が、あらゆる人間がイデオロギーにとらわれるという弱さを克服した、相対化を極めた冷徹な視線を持っていることと同時に、批判の対象となっている先達の時代背景的な限界も理解する優しさを併せ持つからだと思います。
大半の<伝統>が、近代以降、国民国家の確立の要請を受けて「創造」されたものである、ということは半ば周知ではありますが、大塚らしく視点を若干変えて、理解しやすい正確な文章とともに、そのことを証明しています。
本書も民俗学がいかに政治的に影響を受けて日本人の伝統を創造してきたかを批判的に説きつつ、同時に柳田國男が一時持ちえた、公共に開かれた意思の所在も、希望の一つとして取上げています。
サブカルは、多分にナチズムに影響を受けた要素を含んでおり、それについても一冊の論考を仕上げたい、という内容が文中にあったのが引っかかりました。ぜひとも読んでみたい一冊です。
2004年10月21日に日本でレビュー済み
硬い。民俗学について、というか柳田國男についてある程度の知識がなければ、ほとんど楽しめないだろう。まあ、かなり現代を意識しながら書かれているので、ふつうの民俗学者が書く本よりは、はるかにおもしろいけれど。ただ、専門家の地道な研究もちゃんと参照されているので、新書的で、いい。
著者は、柳田が昭和初期の仕事でわずかに示唆した「公共の民俗学」の可能性を説く。それは「群れ」を拒否して自律した「私」たちが、それぞれの差異を話し合いで調停しつつ、「世間」や「国家」をこえ、「伝統」や「ナショナリズム」にしばられずに行動するための方法である、らしい。著者の、いつもながらの誠実さには敬服するが、しかし現実に「群れ」ている人々には、決してとどきそうもない言葉だ。特にこの本、硬すぎますから。んー、残念。
著者は、柳田が昭和初期の仕事でわずかに示唆した「公共の民俗学」の可能性を説く。それは「群れ」を拒否して自律した「私」たちが、それぞれの差異を話し合いで調停しつつ、「世間」や「国家」をこえ、「伝統」や「ナショナリズム」にしばられずに行動するための方法である、らしい。著者の、いつもながらの誠実さには敬服するが、しかし現実に「群れ」ている人々には、決してとどきそうもない言葉だ。特にこの本、硬すぎますから。んー、残念。