他の方も書かれていますが確かに入門書ではありません。
使われている言葉も説明の仕方も、社会学の基本的な知識が前提となっており、
決して読みやすくはないことは確かです。
しかし、内容は素晴らしく、まさに目から鱗が落ちる作品でした。
マルクス、デュルケム、ルーマン、ボードリヤール、柳田国男、ベンヤミンなどの理論を
通して「社会的現実」の発生の根源にまで迫っていこうとする展開は、
読みづらさを忘れてしまうくらい、最後までぐいぐい読ませてくれます。
内田さんの“社会記述の可能性を探る”という観点の前では、カルスタもフェミニズムも、
「差別や抑圧に対する批判」という視点に回収されてしまっている、
と一刀両断されてしまうとは・・・お、恐れ入りましたという感じでした。
哲学や心理学では味わえない社会学ならではの世界を堪能できます。
社会学の視野が一気に広がる良書だと思います。
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社会学を学ぶ (ちくま新書 527) 新書 – 2005/4/1
内田 隆三
(著)
- 本の長さ237ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2005/4/1
- ISBN-104480062270
- ISBN-13978-4480062277
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2005/4/1)
- 発売日 : 2005/4/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 237ページ
- ISBN-10 : 4480062270
- ISBN-13 : 978-4480062277
- Amazon 売れ筋ランキング: - 486,814位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2012年6月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
社会学の初心者にはまったくもって理解不能な入門書。
まず、第一章、第二章はこの形式なら正直いらないと思う。学者の名前や学説、著作名は沢山出てくるが、だからなんだといった感じです。学説や用語に解説はなく、読者がそれらをすべて読んでいて理解しているといった体で話が進むので、何を言っているのか全く分からなかった。第二章のタイトルは「社会学入門」なのに、社会学を事前に理解していなければ読めないのであれば、この本自体が欠陥品であると言わざる得ません。
それより先の各論については、理解ができました。といっても、哲学についてある程度知ったうえでそう感じたということなので、初心者が読んで理解できるかは微妙なところでしょう。
とにかく言えることとして、初心者が読むには前提条件があまりにも多すぎます。社会学に構造主義、マルクス主義、フランクフルト学派、なじみの薄い日本人学者の学説……。はっきり言ってしまえば、説明する気がないのなら、入門書として期待される新書という形式で出してほしくなかった。
まず、第一章、第二章はこの形式なら正直いらないと思う。学者の名前や学説、著作名は沢山出てくるが、だからなんだといった感じです。学説や用語に解説はなく、読者がそれらをすべて読んでいて理解しているといった体で話が進むので、何を言っているのか全く分からなかった。第二章のタイトルは「社会学入門」なのに、社会学を事前に理解していなければ読めないのであれば、この本自体が欠陥品であると言わざる得ません。
それより先の各論については、理解ができました。といっても、哲学についてある程度知ったうえでそう感じたということなので、初心者が読んで理解できるかは微妙なところでしょう。
とにかく言えることとして、初心者が読むには前提条件があまりにも多すぎます。社会学に構造主義、マルクス主義、フランクフルト学派、なじみの薄い日本人学者の学説……。はっきり言ってしまえば、説明する気がないのなら、入門書として期待される新書という形式で出してほしくなかった。
2010年2月23日に日本でレビュー済み
デュルケームの「自殺論」あたりからパーソンズのシステム論、マルクスの物象論、そしてレヴィ=ストロースからフーコーにつながる構造主義、さらに柳田国男の「習俗」観、最後にひとひねりしてベンヤミン、という具合に、19世紀にスタートした新しい学問・社会学のこれまでの流れを総覧する、という狙いでまとめられた1冊。叙述は著者のクセなのだろうが、相当に回りくどく、時折文意がたどりにくい箇所もあって、いささか疲れた。とはいえ、理解できた範囲でいえば、それなりに著者なりの問題意識を踏まえた解釈と主張がうかがえ、詰らなくはなかった、ともいえる。ここのレビューをみていても、社会学にある程度の素養を持つと自負しているらしい方々の間ですら評価が分かれており、評者のように素養のない身にしてみれば、どう評価していいのか、躊躇する次第。なので、☆は三つ。19世紀以降の著名な思想家たちが何をどう書いてきたか、はある程度呑みこめたので、まずい本ではなかった、とは思うが、一言でいえば、もっと分かりやすく整理された叙述にしてもらいたかった。著者自身の研究者としての足取りと重ねた叙述は、前の方(5分の2ぐらい)までで終わっているし。
2005年4月9日に日本でレビュー済み
「私」を前面に押し出した、社会学入門の書である。それゆえ「内田隆三」という、これまで優れた著作をたくさん発表してきた人についてちょっと知っていないと、おもしろさは半減する。とくに前半では、自分の学生(院生)時代の学問・思想遍歴を回顧しながら、デュルケム自殺論が、パーソンズ行為論が、マルクス物象化論が、不安な主体の構造主義が語られ、「社会学」の何たるかが説かれている。いきなり読んでも、たしかに著者のねらいである、社会の「本質」の探究、というのを実感できるだろうが、やはり既存の「内田社会学」と照らし合わせながら読んだほうが、興奮できることは間違いない。まあ、フーコーを論じながら、業界でいま人気のあるカルスタや歴史社会学の欠陥を批判し、ベンヤミンに共感しながら、社会記述の新しい方法を模索する章などは、そういったのを抜きで、とてもためになったけれども、全体的にはそういうことがいえると思う。
あと、これから「社会学」を志そうとしている人たち、とくにフィールドワークや社会調査によるそれではなく、「社会とは何か」という哲学的な問いを追求しようとしているチャレンジャーには、ぜひ一読してもらいたい。そういうマニアックな課題に挑戦するのには、どれだけ膨大な読書と思索の経験が必要か、それからどんなキワモノめいた発想と言葉づかいを身に付けねばならないか、覚悟が必要だ、という事実が、よくわかるはずだと思うから。
あと、これから「社会学」を志そうとしている人たち、とくにフィールドワークや社会調査によるそれではなく、「社会とは何か」という哲学的な問いを追求しようとしているチャレンジャーには、ぜひ一読してもらいたい。そういうマニアックな課題に挑戦するのには、どれだけ膨大な読書と思索の経験が必要か、それからどんなキワモノめいた発想と言葉づかいを身に付けねばならないか、覚悟が必要だ、という事実が、よくわかるはずだと思うから。
2005年4月19日に日本でレビュー済み
大学卒業後、すぐに郵便局に就職して22年、休憩時間に本を読んだのは今日が初めてだった。内田氏の記念碑的論文「<構造主義>以後の社会学的課題」(『思想 No.676』 1980.10)が出て24年。いろいろな思いを込めて読んだ。読み始めたらおもしろくて年次有給休暇をもらって読もうかと考えたほどだった。なんとか4度の休憩時間で読了できた。後味がいい。内田文体も控えめながら堪能できる。内田社会学の源泉をかいま見た気もする。パーソンズからスタートされたとか、ベンヤミンに興味がおありとは知らなかった。新しい内田像に触れることができた。ただ、一点、pp88-89の記号論の用法で「使用価値がシニフィアン、交換価値がシニフィエ」との記述は逆ではなかろうか?なお、p18の内田氏の初論文「社会学史入門Ⅰ」は1979年の「ソシオロゴス No.3」(東京大学大学院社会学研究科 ソシオロゴス編集委員会)をご覧ください。内田氏がいかに時代のトップランナーであったかが理解できよう。さすがの一冊である。
2006年4月24日に日本でレビュー済み
この本は入門書である、と表紙には書いている。
これによって、この本を手に取る人の多くは、これから初めて社会学を学ぼうとする人が多くなると思う。
しかし、入門書と位置づけられている割にはかなり難解である。「人々の生の様態について本質的なことを考えること、それが私の考える『社会学を学ぶ』ことである」とエピローグで著者は言っているから仕方ないことなのかもしれないが、入門書を手に取るような人間にいきなり学者でもわかってるのかわかってないのかわからないような本質がわかるはずがない。ここで☆一つマイナス。
さらに、入門書を手に取るような人に取っては、初めてぶつかる語が多いはず。それはある程度仕方ないにしても、語句の説明がほとんど無い。読者が理解していることを前提にして話が進んでいく。これのどこが入門書なのか。ここで☆一つマイナス。
ただ、哲学・民俗学・経済学等、社会学者だけあって幅広い事柄について詳しいことが書かれてあるので、一通り学んだことのある人にとっては、かなりおもしろい本なのかもしれない。
これによって、この本を手に取る人の多くは、これから初めて社会学を学ぼうとする人が多くなると思う。
しかし、入門書と位置づけられている割にはかなり難解である。「人々の生の様態について本質的なことを考えること、それが私の考える『社会学を学ぶ』ことである」とエピローグで著者は言っているから仕方ないことなのかもしれないが、入門書を手に取るような人間にいきなり学者でもわかってるのかわかってないのかわからないような本質がわかるはずがない。ここで☆一つマイナス。
さらに、入門書を手に取るような人に取っては、初めてぶつかる語が多いはず。それはある程度仕方ないにしても、語句の説明がほとんど無い。読者が理解していることを前提にして話が進んでいく。これのどこが入門書なのか。ここで☆一つマイナス。
ただ、哲学・民俗学・経済学等、社会学者だけあって幅広い事柄について詳しいことが書かれてあるので、一通り学んだことのある人にとっては、かなりおもしろい本なのかもしれない。
2005年4月13日に日本でレビュー済み
いかにも入門書と言わんばかりの包装で、背表紙に「渾身の入門書」と釘打ってある。おまけに著者の研究履歴から始まるため、その印象が強化されている。しかし、本書は入門書―全くの前提知識なしに理解可能な本―ではないと思う。少なくとも「物象化論」や「ホッブス問題」を初めて聞くような人が読んでも眠くなるのではなかろうか。とは言え議論の内容は面白い。特にパーソンズの体系論、マルクスの物象化論、構造主義、ポスト構造主義、そして社会システム理論へと進む2~6章は、単なる議論の紹介に留まらず、思想と思想の対立する焦点を描くことに成功していてスリリングであった。それもさることながら、「社会学の知は何かある経験を一定の形式のもとに思考するだけでなく、そのように思考する自分自身の問題構成そのものを思考するという形でその可能性の領野を踏破していく。」など時折漏らされる著者の言葉に「ああ、そういうことだったのか」と納得させられることがあった。議論の紹介に留まらず社会学の方法論まで言及していることを考えると「社会学を学ぶ」という書名は正当なのかもしれない。
2005年5月21日に日本でレビュー済み
コント・スペンサーを源流とする社会学的思考が、デュルケーム的実証主義とウェーバー的観念論へと結実し、さらに実証主義からソシュール→レヴィ=ストロースの流れとフッサール→シュッツ・バーガー・ガーフィンケル・ゴフマンの流れ。また実証主義と観念論の総合としてパーソンズ→ルーマンを位置づけ、マルクス主義系の思考と対置する構図そのものは、1つの定型と言ってもよいだろう。ただ、構図の単純明快さにもかかわらず、記述は屈曲を重ね、文脈は追いにくい。学史の展開が、自身の全共闘体験(らしきもの)と絡めて描き出されるのも、効果を挙げているとは思えない。私としては、これを韜晦と言いたくなった。
著者は「社会についての知」をその形式性への志向と、自身の問題構成そのものを思考する自己言及性によって特徴づけるが、これはハッキリ言って数学史のイタダキではないか? そもそも著者の主要関心は、「社会をいかに記述するか」にあるのだが、しかし、それが著者の言う「本質的な問題」なのだとしたら、私としては「寝ぼけたこと言うなよ」と憎まれ口を叩きたくなる。
また、生産中心主義から消費社会への転換を示す例としてフォード→GMの主役交代を取り上げているが、いまさらボードリヤールの要約みたいな話をされても「そんな簡単な話じゃないでしょ」と突っ込みたくなる。この転換を「位相論的な差異」などと思わせぶりだが意味不明の言葉で呼ぶセンスも、ナンダカナー…
しかも、そこまで長々と社会学史を追ってきた挙句に、「というワケで、全部ペケです。私はベンヤミンが偉いと思います」って唐突に言われても、オイオイですよ。だったら最初からベンヤミン論にしてよ。ここまで付き合った読者の気持ちを考えましたか?
ルーマン批判にしたって、「社会システムの存在を不当に前提している疑いがある」って、そんなの当たり前じゃない? それを言うのに、わざわざ佐藤俊樹を持ち出す必要あるんですか? しかもその一方で、橋爪大三郎の名前を挙げて「でも、これは今では意味ないから」って内容に言及することなく退けるんだけど、それって政治じゃないですか? 所属から言っても人脈的に言っても、著者は佐藤と近いはず。橋爪とは同世代。ちょっと生臭いものも感じてしまいました。
私には、世上言われるほど優れた本とは思えませんでした。
著者は「社会についての知」をその形式性への志向と、自身の問題構成そのものを思考する自己言及性によって特徴づけるが、これはハッキリ言って数学史のイタダキではないか? そもそも著者の主要関心は、「社会をいかに記述するか」にあるのだが、しかし、それが著者の言う「本質的な問題」なのだとしたら、私としては「寝ぼけたこと言うなよ」と憎まれ口を叩きたくなる。
また、生産中心主義から消費社会への転換を示す例としてフォード→GMの主役交代を取り上げているが、いまさらボードリヤールの要約みたいな話をされても「そんな簡単な話じゃないでしょ」と突っ込みたくなる。この転換を「位相論的な差異」などと思わせぶりだが意味不明の言葉で呼ぶセンスも、ナンダカナー…
しかも、そこまで長々と社会学史を追ってきた挙句に、「というワケで、全部ペケです。私はベンヤミンが偉いと思います」って唐突に言われても、オイオイですよ。だったら最初からベンヤミン論にしてよ。ここまで付き合った読者の気持ちを考えましたか?
ルーマン批判にしたって、「社会システムの存在を不当に前提している疑いがある」って、そんなの当たり前じゃない? それを言うのに、わざわざ佐藤俊樹を持ち出す必要あるんですか? しかもその一方で、橋爪大三郎の名前を挙げて「でも、これは今では意味ないから」って内容に言及することなく退けるんだけど、それって政治じゃないですか? 所属から言っても人脈的に言っても、著者は佐藤と近いはず。橋爪とは同世代。ちょっと生臭いものも感じてしまいました。
私には、世上言われるほど優れた本とは思えませんでした。