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つくられた卑弥呼: 〈女〉の創出と国家 (ちくま新書 528) 新書 – 2005/4/1
義江 明子
(著)
- 本の長さ206ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2005/4/1
- ISBN-104480062289
- ISBN-13978-4480062284
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2005/4/1)
- 発売日 : 2005/4/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 206ページ
- ISBN-10 : 4480062289
- ISBN-13 : 978-4480062284
- Amazon 売れ筋ランキング: - 901,295位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年7月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
現在私たちがイメージする「卑弥呼」とは歴史の要請におうじてつくられたもの という考えがベースになっています。しかし、古代、男性と肩を並べて共同体のリーダーとなる「卑弥呼たち」が沢山いたことを、論証しています。興味深い良書です。
2019年4月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
県犬養三千代を書いた著者から、ヒミコを巫女と考えるのは現代の思いこみ、とか、古代の名前に男女区別はない、などいくつも指摘されると、気づかなかった視点がいっぱいで実に興味深い本。ただ、魏志倭人伝の「鬼道」の記述や、神功皇后と斉明の類似性、また、漢風謚号の創出は孝謙女帝の強権の時代、という容易に反論が予想される点に言及がなく、一面的な主張の印象も強い。やはり文献学者の説では納得できす、紹介されている清家氏等考古系の論考も読んでみようと思った。
2005年7月2日に日本でレビュー済み
<1>諸説の多い卑弥呼を、日本古代の女性像、家・結婚・名前などの社会慣習の観点から論じたもの。卑弥呼とは誰ぞやというなぞを解くための状況証拠的な素材をいろいろ指摘している。今後の考えるヒントを沢山もらえた。一般的な表現ことばで語られて非専門家の私にも面白く読むことができた。構成は、一般人の素朴な疑問を自問自答的になっているので門外漢の私でも気楽に読むことができた。全体の論調が静かなのも好感が持てる。こうだという決定論(決定案)まで至らないのは、テーマがテーマだけに仕方がないだろう。<2>現在、私たちがイメージする「政治は弟にまかせた神秘的大巫女」という卑弥呼像は明治の天皇制確立と同期して、作られ定着した解釈であると言う。また、記紀が書かれた時代は、ようやく天皇が王権を確立した時期なので、天皇系の正当性・差異性を主張するための「こじつけ」解釈が入ったのかもしれないとも言う。卑弥呼は、九州の女酋だったのか、日本書紀のいう神功皇后だったのか、纏向遺跡(箸墓)の埋葬者なのか、ヤマトヒメなのか、それとも、さらに他の人物なのか、謎は尽きない。
2010年5月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私たちが、いつの間にか、先入観・自分たちの当たり前を以って、古代を解釈していることを、思い知らされました。
一つ一つ、納得いく説明で、古代を思い起こせて、気持ちが良かったです。
大和の国家が広がる頃、各地の首長には、男もいたし女もいた、それが当たり前というのは胸がすきます。
全体的な結論は、本書末尾のほうに書かれています。「卑弥呼=呪術的巫女」というイメージは「明治天皇=軍国日本の元首・大元帥」となる過程において浸透していった、とするものです。
この結論のみならず、途中の考察(卑弥呼に給仕していた男は卑弥呼の夫である可能性もあるとか、「ヒミコ」は個人名でなく長に対する呼称であるとか)もそうですが、
紐を解くように、納得いく解釈で、順次追っていくのがおもしろいです。
特に、史料を、あくまで、その書き手側にとってどうだったかが書かれている…ということを意識して、からくりを解くのは、良かったです。
義江明子先生については、他の本に引用されているのを見て興味を持っていたのですが、どの本も値段が高くて手が届きませんでした。
『つくられた卑弥呼』が手の届く値段で出版され、うれしかったです。
今後も、このように手の届く形で義江明子先生の本が出版され、読めたら良いな、と思っております。
一つ一つ、納得いく説明で、古代を思い起こせて、気持ちが良かったです。
大和の国家が広がる頃、各地の首長には、男もいたし女もいた、それが当たり前というのは胸がすきます。
全体的な結論は、本書末尾のほうに書かれています。「卑弥呼=呪術的巫女」というイメージは「明治天皇=軍国日本の元首・大元帥」となる過程において浸透していった、とするものです。
この結論のみならず、途中の考察(卑弥呼に給仕していた男は卑弥呼の夫である可能性もあるとか、「ヒミコ」は個人名でなく長に対する呼称であるとか)もそうですが、
紐を解くように、納得いく解釈で、順次追っていくのがおもしろいです。
特に、史料を、あくまで、その書き手側にとってどうだったかが書かれている…ということを意識して、からくりを解くのは、良かったです。
義江明子先生については、他の本に引用されているのを見て興味を持っていたのですが、どの本も値段が高くて手が届きませんでした。
『つくられた卑弥呼』が手の届く値段で出版され、うれしかったです。
今後も、このように手の届く形で義江明子先生の本が出版され、読めたら良いな、と思っております。
2013年9月4日に日本でレビュー済み
本書は大和朝廷一元史観という戦後古代史学の描く虚構の歴史に基づき展開されているため、片目を蔽われた不明朗な議論に終始している。以下、主要な誤りを示そう。
風土記の伝承は、あくまでも(机上の創作も交えた)伝承とし、「実際の歴史の年代でいえば弥生時代後期から古墳時代ごろということになろう。」と津田左右吉の造作史観に依っているため、出雲神話に見られる縄文から、弥生前期の伝承を含むと看做される時間帯の広がりを矮小化することとなってしまっている。
世界的にみても女性優位から男性優位への移行は狩猟中心の社会から、定住農耕社会への変化に伴うもので、記紀のイザナミ、イザナギの国生み神話でオミナ先に言いて良からずと、やり直しを記しているのは記紀神話群が弥生創作神話であることを明かしているのは、書紀の一書がやり直しを記していないことが証している。
邪馬台国の会同における礼と、下戸と対人との礼の違いは、会同とは大人の会同であり、下戸とは天孫降臨により侵入、征服された国つ神側の被征服民のことで、征服者たる大人に対し或いは蹲り、或いは跪くのは当然であろう。
また倭の五王を大和朝廷の天皇群、雄略等に当てるのは根本的な誤りで、一方は倭国すなわち九州王朝の王たちである。このため男性であるアメタリシホコを、王の妻をキミと号すに続き、後宮に女六、七百人ありと記されているのを無視して女性とする非論理性を露呈している。そして、この誤認をもとに「外国からの使者に王は直接には会わないというのは、倭国の古くからの伝統であった。」という中国側文献の示す事実に全く反する命題を提示している。
日本書紀が神功皇后摂政紀を特設し、前後の脈絡なく卑弥呼と壱与二人に重ね合わせようとしているのを、書紀編者が魏志の卑弥呼像を神功皇后に引き当てるのに何の支障も感じなかった根拠としているが、これも根本的な誤解である。
書紀が卑弥呼と壱与の二人を神功皇后に当てるという無理を犯さねばならなかったのは、古事記を棄て、日本書紀と云う紀伝体の史書作成に当面し、東南アジアにその名を知られた女性二人を、いくらなんでも男性の天皇に無理やり取り込むことはできず、女性の神功皇后摂政紀を特設したに過ぎないのである。
「卑弥呼とは「ヒ」と「ミ」という強い霊力的力を意味する二つの語幹語に接尾辞の「子」を組み合わせた王の称号を、個人名であるかのように記したもの、とみるのがもっとも妥当だと思う。」という、これまた魏志の書法を無視した珍説を記している。
魏志、帝紀(斉王紀)には俾弥呼と記されており、倭人伝の卑弥呼はこの省略形である。ヒミカ、「日」の「甕」(ミカ)である。そして、帝紀に記された俾弥呼とは上表文に記された自署名とみなすのが至当であろう。
このように戦後皇国史観に片目を蔽われた非論理的な本書は、古田武彦により提起された九州王朝、多元的古代という真実の歴史の批判、再検討の上に書き直されるまでは、眉に唾して読む他ないであろう。■
俾弥呼(ひみか): 鬼道に事へ、見る有る者少なし (ミネルヴァ日本評伝選)
よみがえる卑弥呼: 日本国はいつはじまったか (古田武彦・古代史コレクション)
盗まれた神話―記・紀の秘密 (古田武彦・古代史コレクション)
九州王朝の歴史学: 多元的世界への出発 (古田武彦・古代史コレクション)
関東に大王あり―稲荷山鉄剣の密室
本書は大和朝廷一元史観という戦後古代史学の描く虚構の歴史に基づき展開されているため、片目を蔽われた不明朗な議論に終始している。以下、主要な誤りを示そう。
風土記の伝承は、あくまでも(机上の創作も交えた)伝承とし、「実際の歴史の年代でいえば弥生時代後期から古墳時代ごろということになろう。」と津田左右吉の造作史観に依っているため、出雲神話に見られる縄文から、弥生前期の伝承を含むと看做される時間帯の広がりを矮小化することとなってしまっている。
世界的にみても女性優位から男性優位への移行は狩猟中心の社会から、定住農耕社会への変化に伴うもので、記紀のイザナミ、イザナギの国生み神話でオミナ先に言いて良からずと、やり直しを記しているのは記紀神話群が弥生創作神話であることを明かしているのは、書紀の一書がやり直しを記していないことが証している。
邪馬台国の会同における礼と、下戸と対人との礼の違いは、会同とは大人の会同であり、下戸とは天孫降臨により侵入、征服された国つ神側の被征服民のことで、征服者たる大人に対し或いは蹲り、或いは跪くのは当然であろう。
また倭の五王を大和朝廷の天皇群、雄略等に当てるのは根本的な誤りで、一方は倭国すなわち九州王朝の王たちである。このため男性であるアメタリシホコを、王の妻をキミと号すに続き、後宮に女六、七百人ありと記されているのを無視して女性とする非論理性を露呈している。そして、この誤認をもとに「外国からの使者に王は直接には会わないというのは、倭国の古くからの伝統であった。」という中国側文献の示す事実に全く反する命題を提示している。
日本書紀が神功皇后摂政紀を特設し、前後の脈絡なく卑弥呼と壱与二人に重ね合わせようとしているのを、書紀編者が魏志の卑弥呼像を神功皇后に引き当てるのに何の支障も感じなかった根拠としているが、これも根本的な誤解である。
書紀が卑弥呼と壱与の二人を神功皇后に当てるという無理を犯さねばならなかったのは、古事記を棄て、日本書紀と云う紀伝体の史書作成に当面し、東南アジアにその名を知られた女性二人を、いくらなんでも男性の天皇に無理やり取り込むことはできず、女性の神功皇后摂政紀を特設したに過ぎないのである。
「卑弥呼とは「ヒ」と「ミ」という強い霊力的力を意味する二つの語幹語に接尾辞の「子」を組み合わせた王の称号を、個人名であるかのように記したもの、とみるのがもっとも妥当だと思う。」という、これまた魏志の書法を無視した珍説を記している。
魏志、帝紀(斉王紀)には俾弥呼と記されており、倭人伝の卑弥呼はこの省略形である。ヒミカ、「日」の「甕」(ミカ)である。そして、帝紀に記された俾弥呼とは上表文に記された自署名とみなすのが至当であろう。
このように戦後皇国史観に片目を蔽われた非論理的な本書は、古田武彦により提起された九州王朝、多元的古代という真実の歴史の批判、再検討の上に書き直されるまでは、眉に唾して読む他ないであろう。■
俾弥呼(ひみか): 鬼道に事へ、見る有る者少なし (ミネルヴァ日本評伝選)
よみがえる卑弥呼: 日本国はいつはじまったか (古田武彦・古代史コレクション)
盗まれた神話―記・紀の秘密 (古田武彦・古代史コレクション)
九州王朝の歴史学: 多元的世界への出発 (古田武彦・古代史コレクション)
関東に大王あり―稲荷山鉄剣の密室
2022年1月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
義江氏と言えば女性に視点を当てた古代史研究で有名だが、この本もその視点から書かれており、話題の「双系」の解説もある。古代日本で女性天皇が如何に重要だったかを検証する。歴史を俯瞰する目も確かで内容に信頼が置けるが、多少女性贔屓になりがちな部分が気になる。女性天皇は中継ぎではなく確かな実権を持っていたという論旨だが、それ自体は納得ができる。著者の本はどれを開いても大差ない論旨であるが、1冊くらいは読んでおくと参考になると思う。事実関係の認識などはさすがと言える。