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「資本」論: 取引する身体/取引される身体 (ちくま新書) 新書 – 2005/9/6

3.2 5つ星のうち3.2 7個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 筑摩書房 (2005/9/6)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2005/9/6
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 304ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4480062645
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480062642
  • カスタマーレビュー:
    3.2 5つ星のうち3.2 7個の評価

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稲葉 振一郎
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上位レビュー、対象国: 日本

2009年11月6日に日本でレビュー済み
反市場主義の立場から主張されることの多いセーフティーネットの必要性を、市場主義を支える原理から導き出そうと本書は試みています。

しかし本書でいう「労働力=人的資本」に対する所有権とは、結局のところいわゆる“人権”に他ならないのではないでしょうか?(働けない人も人的資本の所有者とみなすというのだから)。
だとすればロック的国家観を採用し、人的資本をモノとみなすことも必要なくなります。

「人的資本は所有権の対象たるモノ」「国家の役目=所有権の保護」と考えれば国家による福祉と市場経済の擁護を整合的に主張できる、というのが著者の意図だということはわかります。
ですが「労働力=人的資本」に対する所有権が人権と同じなら、マルクス主義に関心がない人には回りくどい議論に思えるでしょう。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2006年9月16日に日本でレビュー済み
いつも良心的な文章を書くなと思ってこの人の文章を読むのだけど、今回は題材が分散しすぎていて読みづらい。300ページで、所有(第1章)と市場(第2章)と資本(第3章)と人的資本(第4章)を論じるのは無理でしょう。ステーキとフォアグラと北京ダックと寿司とをいっぺんに食べたら胃もたれになります。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2006年10月28日に日本でレビュー済み
 「ロック的市民社会論はもう通用しないが、何とか手直しして維持すべき。具体的には労働力=人的資本の存在を認め、それが資産だという擬制を貫いて、そうした財産権の主体として労働者を位置づける福祉国家を構想すべき」というのが著者の立場(p236)。「所有」概念なしの「剥き出しの生」として人間同士が向き合うことは危険であり、上記の擬制は最後のセーフティーネットなのだ、と(p244)。

 ただエピローグで著者は自分の議論に留保を迫る条件について思考実験している。まず自律型ロボットの出現で、これは奴隷労働の容認につながって擬制を突き崩す。次に労働力=人的資本論における「市場で取引される資産としての身体」という含意がエスカレートし、本来の「人間みんなボチボチでんな」的想定がサイボーグ化等により崩れる可能性。ま、こんなSF的状況でも到来しない限り、労働力=人的資本の擬制は何とか使えまっせ、という趣旨らしい。

 私の疑問は、例えば性労働の位置づけ。本番系のAVなんかの場合、親密圏に属する行為の公開、あるいは動物としての人間の「剥き出しの生」の露呈を労働としており、しかも一定の社会的認知を得ているわけだから、ロボットの奴隷労働とは別の意味で労働力=人的資本論にとって脅威ではないだろうか。またサイボーグ化についても、案外近い将来に実現してしまいそうな気もする。結婚での強者連合なんてのも「交配による品種改良」と捉えれば、もう大々的に始まってたりして…

 ちなみに著者は障害者の問題にも触れていて、原理的には上記の擬制の枠内に位置づけ可能と論じるが(p251)、私としては一歩進めて脳死者についての見解を聞きたい気がした。存在し続けること自体を労働と捉えることは可能だろうか。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2006年6月21日に日本でレビュー済み
本書では、所有、市場、資本についての丹念な検討を経た上で、資本主義は不平等と疎外を生む仕組みではあるが、マルクス主義のように別様の社会システムを目指すのではなく、その内に留まるべきであること、大した財産を所有していない者であっても、「労働力=人的資本」を所有する者として、この世界に踏みとどまるべきであることを主張する。その理由として、社会主義計画経済の下では、国家はより国民の身体や「感受性」に介入し、国民を「剥き出しの生」として扱いがちであることを挙げるが、一方で、「労働力=人的資本」を財産とみる擬制の下でも、人々の自由意志により、自己の身体や「感受性」が改造され、ひいては、公共圏の解体へと向かうという不気味な予言もなされている。このように、個人を主体と考え、それらを統合する中間的な会社や国家などを実在するかのごとくみることに否定的な著者の主張には、若年者と年配の者、持てる者と持たざる者など多様な人間が属する社会という現実の中においては、批判的な見方もでてくるだろう。自分自身、現時点でそのようなところに留まっており、著者自身によるさらなる議論の進展を期待するものである。

なお、私的所有、市場経済という仕組みを働かせるために、「ロック的但し書き」を保証するエコロジカルな条件が必要であること(例えば、マクロ経済政策による持続的な成長の確保)、「搾取」というものが(労働力だけでなく)あらゆる商品に生じ、搾取なき経済は成立しないという現実の中では、自律型ロボットの出現は、人間の労働からの「搾取」というこれまでの見方とは別様に、「搾取」概念を捉えることを強いてくる可能性など、本書の含意からは、様々な考えやものの見方が浮かんでくる。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2005年10月9日に日本でレビュー済み
 著者があとがきでもふれている通り、本書は金子勝の「セーフティーネット論」、その論を支える市場原理主義批判を批判する、というコンセプトで書かれたものだ。即ち、市場(原理)主義の立場から「セーフティネット論」を構築するねらいがある。労働力=人的資本の財産権的擬制を以て、その所有者として労働者を立ち上げる。言い換えれば、無産者の有産者化。この擬制が、社会的認知と内実を伴って機能するためには、総体的なセーフティーネット政策の立案とその施行よりも、おそらくは、個別具体的な紛争における判例を待つしかないだろう。意地の悪い見方をすれば、労働力という財産権の侵害の程度を測るため、各個人の労働能力の露骨な数値化=差別化が始まるかも知れない。刑事であれば「財産権」(の侵害)の擬制は有無の範囲で足りるかも知れないが、民事ならばそういかなくなるケースが出てくるのではないか。エピローグで著者が示したのとは別の危惧である。
 著者は「市場」を実体のあるものとして捉えているが、金子はそれが「共同主観」を基礎として成立しているとまでいっている。マル経仮面の面目躍如かどうかはいざ知らず、この「共同主観」の根拠として彼が挙げるのがセーフティーネットの「歴史性」なのだ。つまり、ここに見られるのは、自由主義的、保守主義的なそれぞれのセーフティーネット論である。著者はあとがきにある『諸君!』の当該エッセーで自らを「ぬるいリベラル」と称していたが、金子は3年前に同誌で自らを「ナショナリズムに反対するナショナリスト」と宣明していた。――別に、ぬるくなくてもいいのでは。
 
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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