本書はよく分かって感動した。
世の中不思議なものだ。
レビューのほとんどが本書を理解できてないのに、それすら無自覚に、投稿されていることにも感動した。ちょっと優越感。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
1968年 (ちくま新書 623) 新書 – 2006/10/1
スガ 秀実
(著)
- 本の長さ302ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2006/10/1
- ISBN-104480063234
- ISBN-13978-4480063236
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2006/10/1)
- 発売日 : 2006/10/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 302ページ
- ISBN-10 : 4480063234
- ISBN-13 : 978-4480063236
- Amazon 売れ筋ランキング: - 226,994位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
星5つ中4.2つ
5つのうち4.2つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
32グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2016年1月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「1968年」における、新左翼を中心とした歴史書として読みま
した。
多くの党派や人物が出て来ますが、その人脈や政治的背景など
が細かく紹介されます。
「ベ平連」に関する政治的背景を巡る記述が多いことが特徴的で
すが、それにも増して強調されるのが、「華青闘告発」による歴
史的な転換です。
これが「内ゲバ」へとエスカレートしたり、多くのマイノリテ
ィー運動が盛んになる、意識変化をもたらし、それが現在にお
けるPolitically Correctとして、気薄化して一般に定着したと見
ています。
歴史書としては、流れが捉え難かったり、著者の得意とする文
学方面の記述が多かったりとバランスが悪いですが、多くの有
名・無名の人物達の立ち位置や思想の変遷が判る、貴重な本で
す。
した。
多くの党派や人物が出て来ますが、その人脈や政治的背景など
が細かく紹介されます。
「ベ平連」に関する政治的背景を巡る記述が多いことが特徴的で
すが、それにも増して強調されるのが、「華青闘告発」による歴
史的な転換です。
これが「内ゲバ」へとエスカレートしたり、多くのマイノリテ
ィー運動が盛んになる、意識変化をもたらし、それが現在にお
けるPolitically Correctとして、気薄化して一般に定着したと見
ています。
歴史書としては、流れが捉え難かったり、著者の得意とする文
学方面の記述が多かったりとバランスが悪いですが、多くの有
名・無名の人物達の立ち位置や思想の変遷が判る、貴重な本で
す。
2018年11月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
60年代という時代のつかみ方、国際的な国際共産主義の平和共存論とソ連の影響力などを論じるの歴史の捉え方は硬直的。国際的、国内的状況や、闘争にかかわる組織や個人のレベルとのレベル分けの基本が整理されないまま。ワラシュタインだのネグリだの、時代時代のキーワードが永谷園の振りかけのようにまぶされるのはいかがなものかと思うし、とりわけ後半は、大きい論理にたどり着けないままに続く大量な豆情報にうんざりさせられる。
しかし、ベ平連あたりの話では、鶴見俊輔あたりの与太話を間に受け、うさんくさい「市民」を聖化する小熊英二あたりの俗論よりはレベルの違う優れた認識を持っているし、反戦米兵脱走を支援したJATECの活動を作ったと思われる山口健二という知る人ぞ知る怪しい人物についての記述は興味深い。太宰治などに触れるあたりは文芸評論家ならではの視点を感じる。一方で、社会的な状況分析については、左翼の党性に偏った硬直した議論になっている。
しかし、ベ平連あたりの話では、鶴見俊輔あたりの与太話を間に受け、うさんくさい「市民」を聖化する小熊英二あたりの俗論よりはレベルの違う優れた認識を持っているし、反戦米兵脱走を支援したJATECの活動を作ったと思われる山口健二という知る人ぞ知る怪しい人物についての記述は興味深い。太宰治などに触れるあたりは文芸評論家ならではの視点を感じる。一方で、社会的な状況分析については、左翼の党性に偏った硬直した議論になっている。
2006年10月19日に日本でレビュー済み
左翼の歴史というのは、安東仁兵衛の「私的 日本共産党秘史」のような左翼ボキャブラリーで書かれたものや森田実の「戦後左翼の秘密」のような1960年安保より前の転向者の著作があるが、この本のすが秀実のように、1970年当時20歳前後という世代の著作で一般人にもわかる語彙で書いている本は珍しい。新書ということもあり、一気に読んだ。
この本が扱っているのは全世界的に学生運動が盛り上がった68年だけではない。それ以前の60年安保、それより前の共産党の武装活動時代なども扱っている。それゆえに、戦後の左翼活動の歴史を読む上ではほぼ過不足がない網羅的な本である。
おもしろいのは新左翼トロツキストの人物として現在は陰謀論の本を出している太田龍のことを扱っていること。この太田竜の「偽史」やユダヤ陰謀論への傾斜のきっかけが1970年の7月にあった「7・7青華闘告発」という在日中国人=マイノリティに対する差別発言問題に端を発した、日本の左翼の日本のマイノリティに対する関心に由来すると指摘している部分は非常に個人的に納得のいくものだった。太田竜は、マイノリティを研究していくうちに、天皇制の歴史観が虚偽に満ちたものであると見いだし、そこに欧米国際金融資本との結託の事実を見たのだろう。だから太田龍の著作の日本柱が八切止夫のような独自流の日本史とそれと表裏をなす、ユダヤ・フリーメーソン・宇宙人を中心におく陰謀的歴史観なのである。
この太田竜の記述に関連して、三島由紀夫が自らUFO研究会に関わっていたという指摘がされている。戦前の大本教に対する関心は左翼・右翼に共通するものがあり、偽史への関心というのが、主流派言論人として活躍できるかどうかのメルクマールになっていたと言うことが分かる。(この点で吉本隆明は巧妙だったといえる)
一方の左翼トロツキストたちは、過激派になって自滅していくわけだが、大島渚が「日本の夜と霧」で描いたように、一番賢かったのは「安保自動承認」を受けてアメリカナイズされていった若者たちだろう。その時期に左翼の運動から足を洗わなかった人々は冷や飯を人生で食うことになったわけだから。
その上で言えば、左翼運動がやがてサブカルに回収されていくわけだが、ここまで来ると、日本のムーブメントは若者消費文化に主体が移っていく。その点でこの本を読んだ上で、堀井憲一郎の『若者殺しの時代』を読むと、戦後の日本の文化のあらましが全部見通せると思う。すが秀実は「一九六八年は大学が若者の就職安定所であることをやめた」と本書で書いており、その後大学は若者消費文化の象徴になったと卓見を示している。ここが堀井の新書のテーマにつながっていく結節点である。
この本が扱っているのは全世界的に学生運動が盛り上がった68年だけではない。それ以前の60年安保、それより前の共産党の武装活動時代なども扱っている。それゆえに、戦後の左翼活動の歴史を読む上ではほぼ過不足がない網羅的な本である。
おもしろいのは新左翼トロツキストの人物として現在は陰謀論の本を出している太田龍のことを扱っていること。この太田竜の「偽史」やユダヤ陰謀論への傾斜のきっかけが1970年の7月にあった「7・7青華闘告発」という在日中国人=マイノリティに対する差別発言問題に端を発した、日本の左翼の日本のマイノリティに対する関心に由来すると指摘している部分は非常に個人的に納得のいくものだった。太田竜は、マイノリティを研究していくうちに、天皇制の歴史観が虚偽に満ちたものであると見いだし、そこに欧米国際金融資本との結託の事実を見たのだろう。だから太田龍の著作の日本柱が八切止夫のような独自流の日本史とそれと表裏をなす、ユダヤ・フリーメーソン・宇宙人を中心におく陰謀的歴史観なのである。
この太田竜の記述に関連して、三島由紀夫が自らUFO研究会に関わっていたという指摘がされている。戦前の大本教に対する関心は左翼・右翼に共通するものがあり、偽史への関心というのが、主流派言論人として活躍できるかどうかのメルクマールになっていたと言うことが分かる。(この点で吉本隆明は巧妙だったといえる)
一方の左翼トロツキストたちは、過激派になって自滅していくわけだが、大島渚が「日本の夜と霧」で描いたように、一番賢かったのは「安保自動承認」を受けてアメリカナイズされていった若者たちだろう。その時期に左翼の運動から足を洗わなかった人々は冷や飯を人生で食うことになったわけだから。
その上で言えば、左翼運動がやがてサブカルに回収されていくわけだが、ここまで来ると、日本のムーブメントは若者消費文化に主体が移っていく。その点でこの本を読んだ上で、堀井憲一郎の『若者殺しの時代』を読むと、戦後の日本の文化のあらましが全部見通せると思う。すが秀実は「一九六八年は大学が若者の就職安定所であることをやめた」と本書で書いており、その後大学は若者消費文化の象徴になったと卓見を示している。ここが堀井の新書のテーマにつながっていく結節点である。
2012年5月28日に日本でレビュー済み
著者の『革命的な、あまりに革命的な』を実証的に調べ上げたものと
も言うことができる書物だと思います。単純に、戦後思想史の書物と
してもかなり使えるものなのではないでしょうか。
第一章では学生たちが採用した理論として、
黒田寛一の哲学、対馬忠行のソ連論、宇野弘蔵の経済学の
3つを挙げています。それらの詳細や限界なども指摘しています。
第二章ではさまざまな文献をよみときつつ聞き書きなども加えべ平連の
姿をあますことなく書き出しています。
ただし後半はかなり思い入れの方が強くなってきています。
も言うことができる書物だと思います。単純に、戦後思想史の書物と
してもかなり使えるものなのではないでしょうか。
第一章では学生たちが採用した理論として、
黒田寛一の哲学、対馬忠行のソ連論、宇野弘蔵の経済学の
3つを挙げています。それらの詳細や限界なども指摘しています。
第二章ではさまざまな文献をよみときつつ聞き書きなども加えべ平連の
姿をあますことなく書き出しています。
ただし後半はかなり思い入れの方が強くなってきています。
2006年10月15日に日本でレビュー済み
文芸評論家のすが秀実には、私は一貫して敬意をもっている。専門家ですら「文学=小説」と思い込んでいる中、彼は詩の問題等も理解している数少ない一人だ。
近年の彼は、所謂「68年革命」の問題を論じている。本書は、これまでの概説と新たな論点を合わせたもの。ベ平連、山口健二、華青闘告発、偽史等が取り上げられている。
無論、多くの勉強になる点、興味深い論点がある。ただ、既に指摘もあるが、すがの68年論は、やはり一部わかりにくい。
かつての彼の主張は、68年とは「情動」ではなく「フォルマリズム」の革命だったというものだ。これは、詩や文学に関心のある人間にはわかる。
しかし、その後の彼は、68年革命全体を主題としていく。すると、別の問題が出てくる。
すがは、社民主義やリベラリズムの限界を指摘する。しかし、では68年以降は、という点は理解しにくい。
あるいは、68年革命は、そもそも多様・多面的・多方向的主題という事か。しかし、悪化する一方と見える社会状況の中、何らかの理論と実践を求める気持ちはやはり否定できない。
私はアイロニーやシニシズムに関心があり、結論部分は興味深い。ただ、著者も、間違いなく実践をも求めていよう。現今の社会には、何か簡明な理論と実践が必要ではないか。あるいは、それこそが短絡だという事か。
近年の彼は、所謂「68年革命」の問題を論じている。本書は、これまでの概説と新たな論点を合わせたもの。ベ平連、山口健二、華青闘告発、偽史等が取り上げられている。
無論、多くの勉強になる点、興味深い論点がある。ただ、既に指摘もあるが、すがの68年論は、やはり一部わかりにくい。
かつての彼の主張は、68年とは「情動」ではなく「フォルマリズム」の革命だったというものだ。これは、詩や文学に関心のある人間にはわかる。
しかし、その後の彼は、68年革命全体を主題としていく。すると、別の問題が出てくる。
すがは、社民主義やリベラリズムの限界を指摘する。しかし、では68年以降は、という点は理解しにくい。
あるいは、68年革命は、そもそも多様・多面的・多方向的主題という事か。しかし、悪化する一方と見える社会状況の中、何らかの理論と実践を求める気持ちはやはり否定できない。
私はアイロニーやシニシズムに関心があり、結論部分は興味深い。ただ、著者も、間違いなく実践をも求めていよう。現今の社会には、何か簡明な理論と実践が必要ではないか。あるいは、それこそが短絡だという事か。
2009年8月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新左翼の理念が現在、世界中で受け入れられている、という指摘は確かにその通りだと思います(受動革命)。ただ、それは西部邁氏が言うところの「左翼国家アメリカ」の絶対的な影響力によるところが大きいのではないでしょうか。(新左翼とネオコンの共通点を考えれば分かりやすいと思います。トロツキスト、世界革命、冒険主義、例外主義など)
それに加えて、すが氏は左翼思想を誤解しているのではないでしょうか。フランス革命やアメリカ独立戦争を考えれば分かるとおり「左翼思想(民主主義、共産主義を含めた近代主義、啓蒙思想)」は、もともと暴力的で排他的な革命思想であり、新左翼が愛国的で自己愛が強く、排他的で暴力的なのは別に問題ないでしょう。むしろ左翼なら当然のことだと思います。
つまり、この本は肯定すべきことを肯定せず、否定すべきことを否定しない、変な本といえると思います。(もちろん、すが氏が左翼という前提に立てばですが)
それに加えて、すが氏は左翼思想を誤解しているのではないでしょうか。フランス革命やアメリカ独立戦争を考えれば分かるとおり「左翼思想(民主主義、共産主義を含めた近代主義、啓蒙思想)」は、もともと暴力的で排他的な革命思想であり、新左翼が愛国的で自己愛が強く、排他的で暴力的なのは別に問題ないでしょう。むしろ左翼なら当然のことだと思います。
つまり、この本は肯定すべきことを肯定せず、否定すべきことを否定しない、変な本といえると思います。(もちろん、すが氏が左翼という前提に立てばですが)
2006年10月11日に日本でレビュー済み
現在の市民運動の源流に位置するのが ベ平連とすれば 市民運動の支持層は
ベ平連を ただの市民から始まったとするが 元々 ベ平連の幹部連中の主体が
共産党を追い出された連中とすると その評価はがらりと変ってくる。
もっとも ここは 悪魔の証明になってしまうので ただの市民からというのは
間違いないけれど ただ こういう要素もなかったとは 断言できないということは
間違いないようだ。(このへんは さらに掘り下げを望む)
ただ 今の市民運動が 社民よりであり どちらかといえば反代々木というのも
この辺の事情が わかれば 当たり前の噺でもある
ベ平連を ただの市民から始まったとするが 元々 ベ平連の幹部連中の主体が
共産党を追い出された連中とすると その評価はがらりと変ってくる。
もっとも ここは 悪魔の証明になってしまうので ただの市民からというのは
間違いないけれど ただ こういう要素もなかったとは 断言できないということは
間違いないようだ。(このへんは さらに掘り下げを望む)
ただ 今の市民運動が 社民よりであり どちらかといえば反代々木というのも
この辺の事情が わかれば 当たり前の噺でもある