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大学の教育力: 何を教え、学ぶか (ちくま新書 679) 新書 – 絵本, 2007/9/1

3.4 5つ星のうち3.4 12個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 筑摩書房 (2007/9/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2007/9/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 206ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4480063846
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480063847
  • カスタマーレビュー:
    3.4 5つ星のうち3.4 12個の評価

著者について

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金子 元久
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カスタマーレビュー

星5つ中3.4つ
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12グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2012年1月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
さすがシカゴ大学でPh.D. を取得された著者の大学改革論だと感心した。特に第6章の「教育力を作るもの」には共鳴するところが多い。ただし、アメリカの大学教育を経験していない日本の一般の読者には、理解できないかもしれないと思った。
アメリカの大学の教育は、日本の高校の教育に近い。1ターム(学期)3ヶ月の学期中には、たいてい1ヶ月ごとに中間試験がある。定期試験期間中に期末試験がある。試験はすべて採点され、学生に返却される。さらに、タームペーパーとかリサーチペーパーと呼ばれるリポートを、自ら選んだテーマについて書いて提出しなければならない。このリポートも、採点されて学生に返却される。採点され返却された試験の答案やリポートについて納得が行かないところがあれば、教授に抗議しに行く。よい点を取らないと、評価が下がり、GPA と呼ばれている評価平均が下がってしまう。ロースクールやメディカルスクールのような大学院へ進学を狙っている学生は、満点に近い評価が必要である。もう少し踏み入った議論が欲しかったので星1つ減点。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年12月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本の大学だけでなく,世界の大学の歴史にまでスコープをひろげている. しかし,それが現代日本がかかえている問題とどう関係しているのかは,よくわからない. 知りたいのは現在の大学がどうなっていて,どうするべきかということだが,全体的に議論が抽象的であり,具体的な対策にはつながっていないようにおもう.
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年5月13日に日本でレビュー済み
まずはp.51の図表1-1にみられるように、現在の大学教育のみなもとは、
大きく3つの系統に区分されるようです。即ち、
○中世以来の職業教育(神、法、医)→近代職業(工、農、経、教育、薬)、
○古代ギリシャ以来の教養教育→古典志向→開放志向、
○探究志向(文、理)=フンボルト理念。
流れ的には、高等教育の歴史に沿っており、それは社会進化に伴う職業分化と軌一的な感じです。
他方で、古典古代文化のイスラム勢力介在による逆輸入を経て西欧化していったリベラルアーツがあり、
その近代化した形態がさらにフンボルト理念にさらされ、探究対象の主たる別によって、
いわゆる文科系と理科系に分かれているのだ、と思わせます。
そして、研究と教育という同時要求性をみたすべく大学教員を自己規定してきたフンボルト理念が、
時代の波に洗われ、今後どうなってゆくのかが大学教育の課題であるとしています。

つづく第2章では、いわゆるリベラルアーツに専門教育基礎を上乗せするアメリカモデルが扱われ、
その一環的体系性は、ユマニスムの伝統と専門主義をうまく折衷する点で要注目でしょう。
果たして第3章では、日本的特質としてジャパノロジーを扱い、その光と影について縷々述べられていますが、
結論的には、少数精鋭主義はみたしながらも、大学全入時代の到来(ユニバーサル化)と、
多様化する企業社会のニーズに対して、大学側が十分対応しきれていない点指摘されています。
以上を踏まえて第4章では、知識の爆発・情報社会化・グローバライゼイションといった社会変化のさなか、
①改めて大学教育の目的(戦略)云々、
②学習の目標(戦術)とカリキュラム論、
③社会変化を反映可能なメカニズム形成論、
に論点を絞り込む形で以下の3章に繋いでいます。

即ち第5章では、伝統的な職業知モード(ひとえに上積み的)でもなく、
架橋的・融合的なJモード(知識社会化による融解を来し始めている)でもなく、
第三の道が模索されている、といいます。そこで、当面は①論理系、②伝達系、③意欲系が大事であり、
それらの諸能力を伸ばす意味での教養教育(パイデイアー)の見直しが喫緊である、との趣旨でしょう。
つづく第6章では、「教育力をつくるもの」と題して、いわば中核的能力と専門知識を有機的に体系化してゆくための動機づけとしての授業、
学生のまなびへのインセンティブ形成に資する大学のあり方が論じられ、
最後の第7章では、多様化する社会との関係で大学が自己改革の道を探るうえで、
ガバナンスやアセスメント、予算などインフラ整備、とりまく社会環境との一体的改革などは不可避的である、
との結論を導出しています。

大学という存在は社会に対していたずらに同調するのではなく、むしろそうした変化の風を目の当たりに受け、
柔軟性を持った人材をいかに多目的的に輩出しうるかにかかっている、という論者の趣旨はまことに尤もなことだと解され、
今後の大学自治のあり方を問う力作なので、多くの関心者におすすめとしておきます。

                         
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年5月9日に日本でレビュー済み
大学について書かれた本は多いけれど、その教育面についてフォーカスした本は少ない。本書はその数少ない、最新の一冊。

私はタイトルに惹かれて本書を手に取り、冒頭部分を読んで納得。速攻で買いました。

けれど、読み進むにつれて海外の大学の歴史、高等教育史ばかりになり、失望が大きくなってきます。なーんだ、結局、いつもの金子先生の得意分野かと。

講演でも授業でも、金子先生の話はいつも同じだからなー。そう思いつつさらに読み進めると、第5章で俄然面白くなります。

第6章も面白い。引用出来そうな箇所が幾つもあり、いつの間にか付箋が一杯の状態に。さすが元東大教授。最後の2章こそが本書の白眉かと。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年4月16日に日本でレビュー済み
本書は、教育学をご専門とする東京大学教授でいらっしゃる
著者が、大学を中心とした高等教育のあり方を、時代的、歴
史的側面を考慮しながら多角的に論じた本である。

本書の論理展開は分かりやすい。まず序章で、本書の議論の
中心となる教育力の構造を提示した後、第1章では、大学教
育の歴史的潮流をまとめている。ここでは主としてヨーロッパ
の大学教育にふれながら、フンボルト理念やリベラルアーツ
教育等も論じている。次の第2章では、アメリカの大学教育
についてまとめ、第3章の日本の大学教育との比較対照材料
として考える契機を与えている。

第4章では、現在岐路に立つ大学教育について、そして第5
章、第6章、第7章は、今後の大学教育のあり方についてま
とめられたものになっている。

戦後の社会構造から、ポストモダンの時代に入り、社会が高
度情報化、複雑化していき、日本の18歳人口の減少等による
大学のユニバーサル化が起こり、今まさに岐路に立っている
日本の高等教育が今後どういう方向で進むべきかが示されて
いる。

日本の将来に関わる難しい今後の大学教育についてふれた本
らしく、簡単な処方箋を示すのではなく、多角的に分析された
方向性が示された本である。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年6月4日に日本でレビュー済み
大学の歴史をよくまとめた感じである。しかし、それ以上でもそれ以下でもない。
特に新しいことをいうわけでもなく、提言があるわけでもない。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2008年5月9日に日本でレビュー済み
 本を読むに、筆者は「大学でなければ高度情報社会・産業の多様化に対応する人材が育てられない」と考えているようだ。それなら、なぜ高校までの教育を問題にしないのか。高校までの教育でできることはそんなにも少ないのか。

 あるいは「高度情報社会・産業の多様化に対応する人材」がどの程度必要なのか考えたのだろうか。日本国民の全部が全部そうでなくてもよいはずだ。それぞれの幸福にあわせて教育の質を変えるべきではないか。そうでなければとても金がかかるしムダが出る。

 筆者には「なぜ大学なのか?」という発想が足りないのではないか。確かに大学の教育を改めることは急務だ。しかし、そろそろ教育制度全体を考えるときではないか。筆者には大学だけを論じることが役不足であると思う。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2008年4月19日に日本でレビュー済み
大学と企業ニーズの乖離、大学のユニヴァーサル化による学力低下、形骸化。
主体性も意欲も薄い学生に何をいかにして学ばせるか…といった一通りのテーマは
抑えてある。
ところで、アメリカでは既に70年代にユニヴァーサル化による学力低下が起き、
その中から真の高等教育エリートが誕生したわけだ。
30年遅れて日本も同じ道をたどるのだろう。