はっきり言って、後半へともったいぶった構成にしておいて、肩透かしを喰らったような物たりなさを感じた。
たいした事ない。
批判する読書の重要さを解いていたが、本著書が批判されるに値するとおもった。もはや今の自分にはあまり必要な情報は無かった。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
打たれ強くなるための読書術 (ちくま新書 705) 新書 – 2008/2/1
東郷 雄二
(著)
- ISBN-104480064109
- ISBN-13978-4480064103
- 出版社筑摩書房
- 発売日2008/2/1
- 言語日本語
- 本の長さ205ページ
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2008/2/1)
- 発売日 : 2008/2/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 205ページ
- ISBN-10 : 4480064109
- ISBN-13 : 978-4480064103
- Amazon 売れ筋ランキング: - 968,519位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2009年5月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
学校では正解のある問題ばかりでしたが、社会に出ると正解のない世界に
耐える必要があります。問題も定義されていません。
だからこそ、思考の枠組みを作り、自分で判断できるようにしましょう。
これを読書を通じて行うのであれば、本書で紹介されている方法、つまり
能動的に本に問いかける方法がお薦めです。
初級読書(前提知識などを知る)
分析読書(著者の思考の枠組みを把握する)
比較読書(自分の思考の枠組みを作る)
批判読書(自分の思考の枠組みを試す)
耐える必要があります。問題も定義されていません。
だからこそ、思考の枠組みを作り、自分で判断できるようにしましょう。
これを読書を通じて行うのであれば、本書で紹介されている方法、つまり
能動的に本に問いかける方法がお薦めです。
初級読書(前提知識などを知る)
分析読書(著者の思考の枠組みを把握する)
比較読書(自分の思考の枠組みを作る)
批判読書(自分の思考の枠組みを試す)
2020年7月20日に日本でレビュー済み
本と適度な距離を取り,一冊の内容を鵜呑みにせず,本を比較し相対化しなくてはならない.cf. p.163-164.能動的にみずから本に問いかける p.201. 著者が言うように第八章をオススメしますp.14. この本は『本を読む本』が参考にされています.p.34 私には冗長に感じました. 知的に打たれ強くなるために,まず自分の打たれ弱さ cf. p.11を認めることが必要だと思います.
2013年8月31日に日本でレビュー済み
本をどのように読んでいくか、というのが書かれている。
能動的読書という言葉を用いて知識として吸収する読み方について解説してある。
本の選び方として参考になる一冊である。
ちなみに、打たれ強くなる、という言葉に惹かれて読んでみたが、知識として吸収するという意味であった。
精神的な打たれ強さとは異なるので要注意である。
能動的読書という言葉を用いて知識として吸収する読み方について解説してある。
本の選び方として参考になる一冊である。
ちなみに、打たれ強くなる、という言葉に惹かれて読んでみたが、知識として吸収するという意味であった。
精神的な打たれ強さとは異なるので要注意である。
2015年5月4日に日本でレビュー済み
太宰治や村上春樹について,筆者は,「同じような悩みを抱えた人への共感と物語の主人公への自己投影」が動機となっている「青春読書」であり,この段階で読書を終わらせてはならない,「世界と自分をよりよく理解する読書」=「成熟読書」にレベルアップしなければならない,と主張する。
まあ,社会人として知識を吸収するための読書という意味ではそうなのだろうが,それはそれで,筆者の定義する「読書」は,かつての教養主義と同様,片面的・狭量な読書論に過ぎないのではないか。
そういう読書もあるのだなぁと「拾い読み」すれば足りる(=筆者のアドバイスする「拾い読み」の練習材料)程度の本だった。
まあ,社会人として知識を吸収するための読書という意味ではそうなのだろうが,それはそれで,筆者の定義する「読書」は,かつての教養主義と同様,片面的・狭量な読書論に過ぎないのではないか。
そういう読書もあるのだなぁと「拾い読み」すれば足りる(=筆者のアドバイスする「拾い読み」の練習材料)程度の本だった。
2010年7月5日に日本でレビュー済み
本書は、タイトルにある通り、「知的に打たれ強くなるための読書術」を
著者の経験や文献にあたりながら示したものである。
知的に打たれ強くなるためには、正答が一つとは限らない問題の本質を論理的に
見極め、複眼的な視点を持たなければならない。したがって、本書は「読んで
楽しかった」とか「教養が身についた」といった程度の読書ではなく、本の内容
を主体的に分析的に批判的に読むための術を説いたものであり、その点が他の
「読書論」の本とは本質的に異なるものである。
本書の構成としては、まず、上述した本書の特質を述べ、他の類書との差別化
をはかっている。その後、本の情報を得る方法、本に接近する方法、本への感度の
上げ方等を述べている。そして、本書のメインテーマといっていい、知的な本の
読み方を段階別に例や先行文献も踏まえながら説いている。
本書を通して、述べていることは極めて真っ当なものであり、本書が提唱する
「知的に打たれ強くなる」ためには必要な説得力のある主張である。あとは
いかに量をこなしていけるか、というのも大切な要素であろう。
研究者をはじめ、これから卒業論文が控えている学生には、特に身につけて
おくべき視点が収められた良書である。
ただ、本書の目的からすると、「娯楽として楽しんで」読書をしたい、という方
には向いていないと思われる。読書で得た内容を、研究や勉強等に役立てる
立場におられる方ならば興味深く読めると思う。
著者の経験や文献にあたりながら示したものである。
知的に打たれ強くなるためには、正答が一つとは限らない問題の本質を論理的に
見極め、複眼的な視点を持たなければならない。したがって、本書は「読んで
楽しかった」とか「教養が身についた」といった程度の読書ではなく、本の内容
を主体的に分析的に批判的に読むための術を説いたものであり、その点が他の
「読書論」の本とは本質的に異なるものである。
本書の構成としては、まず、上述した本書の特質を述べ、他の類書との差別化
をはかっている。その後、本の情報を得る方法、本に接近する方法、本への感度の
上げ方等を述べている。そして、本書のメインテーマといっていい、知的な本の
読み方を段階別に例や先行文献も踏まえながら説いている。
本書を通して、述べていることは極めて真っ当なものであり、本書が提唱する
「知的に打たれ強くなる」ためには必要な説得力のある主張である。あとは
いかに量をこなしていけるか、というのも大切な要素であろう。
研究者をはじめ、これから卒業論文が控えている学生には、特に身につけて
おくべき視点が収められた良書である。
ただ、本書の目的からすると、「娯楽として楽しんで」読書をしたい、という方
には向いていないと思われる。読書で得た内容を、研究や勉強等に役立てる
立場におられる方ならば興味深く読めると思う。
2010年2月11日に日本でレビュー済み
他の人も書いていますが、他の著書の主題を勘違いしている節があります。
そこを並べてみます。
まず、加藤周一の「読書術」。この「読書術」を『古典を読め、あぁーうんざり』と否定します。「読書術」を読むと解りますが、なぜ古典を読むか?それは『教科書』だからだと言っています。生物学の教科書をゆっくり精読したら、他の生物学の本や専門的な論文を結果的に速く読めるようになるというようなことです。
プラトンも孔子も後の人々が参考にし、ある意味『教科書』のようになっている。だから、結果的に速く読め、理解し易くなるだろうくらいです。
次に、齋藤孝の「読書力」です。
「読書力」の引用で『(本を読むのは)自分の世界観や価値観を形成し、自分自身の世界をつくっていく。こうした自己形成…(以下省略)』を「若年読書」と否定します。そして、著者はなぜ本を読むのかと言えば「自分を組み換える」からだと言いますが、前者と個人的には同じ気がします。
あと、『「読書好き」と「読書力」があることが同じでないこと』『能動的読書』は齋藤氏の「読書力」にも出てくる言葉です。
その『読書力と読書好きの違い』を分けることを具体的に言えば、「文庫百冊」ではないかと提案しているのですが、著者は古典主義と否定します。
あと、言葉は人間理解の中心のようなことは丸山圭三郎の言語哲学。
もう一つ学術は天才ではなく方法だみたいなことは齋藤孝だと思います。
このレビューが何かこの本を読む時の参考になれば幸いです。
そこを並べてみます。
まず、加藤周一の「読書術」。この「読書術」を『古典を読め、あぁーうんざり』と否定します。「読書術」を読むと解りますが、なぜ古典を読むか?それは『教科書』だからだと言っています。生物学の教科書をゆっくり精読したら、他の生物学の本や専門的な論文を結果的に速く読めるようになるというようなことです。
プラトンも孔子も後の人々が参考にし、ある意味『教科書』のようになっている。だから、結果的に速く読め、理解し易くなるだろうくらいです。
次に、齋藤孝の「読書力」です。
「読書力」の引用で『(本を読むのは)自分の世界観や価値観を形成し、自分自身の世界をつくっていく。こうした自己形成…(以下省略)』を「若年読書」と否定します。そして、著者はなぜ本を読むのかと言えば「自分を組み換える」からだと言いますが、前者と個人的には同じ気がします。
あと、『「読書好き」と「読書力」があることが同じでないこと』『能動的読書』は齋藤氏の「読書力」にも出てくる言葉です。
その『読書力と読書好きの違い』を分けることを具体的に言えば、「文庫百冊」ではないかと提案しているのですが、著者は古典主義と否定します。
あと、言葉は人間理解の中心のようなことは丸山圭三郎の言語哲学。
もう一つ学術は天才ではなく方法だみたいなことは齋藤孝だと思います。
このレビューが何かこの本を読む時の参考になれば幸いです。
2011年9月8日に日本でレビュー済み
私はとある試験の受験勉強をしていたときに、本の内容をとにかく理解してその通り試験用紙に書き出すということを延々とやっていたので、いつの間にか本に対して無批判になってしまっていたことを気づかされた。
つまり、他の方も書いているがテレビを見ているときツッコミすることはあっても、読書となるとそうはいかなくなってしまう節があった。
また、小説と違って、学術書や実用書となると、一つ一つの文章をありがたがりすぎ、最初から最後まで一文字残さず理解しなければ行けないような癖も付いていた気がする。
そのせいで、理解できない本に出会うと、まるで自分の読解力が欠落しているかのように感じてしまうこともあった。そうすると、大きい視点で本を考えながら読むことができず、著者の要旨が何か、結局何が言いたいのかを掴むことが下手になってしまっていたように思う。
そういった点を気づかせてくれた本です。
この本自体も、全体が役に立つわけではなく、7章と8章が特に役に立ったと感じました。その他は読み飛ばしで構わないかなと思います。
つまり、他の方も書いているがテレビを見ているときツッコミすることはあっても、読書となるとそうはいかなくなってしまう節があった。
また、小説と違って、学術書や実用書となると、一つ一つの文章をありがたがりすぎ、最初から最後まで一文字残さず理解しなければ行けないような癖も付いていた気がする。
そのせいで、理解できない本に出会うと、まるで自分の読解力が欠落しているかのように感じてしまうこともあった。そうすると、大きい視点で本を考えながら読むことができず、著者の要旨が何か、結局何が言いたいのかを掴むことが下手になってしまっていたように思う。
そういった点を気づかせてくれた本です。
この本自体も、全体が役に立つわけではなく、7章と8章が特に役に立ったと感じました。その他は読み飛ばしで構わないかなと思います。