メインカルチャー=型通りの生き方に当てはまらない、
サブカルチャーを肯定するような心の強さ、周りの、大人の意見に左右されない、すなわち自分らしい生き方、「今をまったり楽しむ生き方」こそがいわゆる天然代(10年代)に通づるという理想めいた世界の端っこがなんとなく感じられた。
唐突ながら、私は2ちゃんねるのまとめサイトを読むのが好きだ。
仕事を終え、家に戻るとPCを立ち上げ、毎日更新される「スレタイ」をクリックし、
心ゆくまでいろんなまとめサイトを回遊する。
インターネット掲示板2ちゃんねる上に描かれた有象無象の本音を、
編集してアップロードする、今の日本で最も面白い読み物。
2ちゃんねるのまとめサイトを読み続けていると、いつの間にかある錯覚にのみ込まれていることに気づく。
自分が底辺にいて、モテなくて、奥手で、コンピュータやアニメに詳しい。
つまり典型的な2ちゃんねるユーザー像に自分をあてはめてしまう。
全てに当てはまるわけではないが、そのおたく像に含まれるいくつかの要素に自分が合致していると、知らず知らずのうちに2ちゃんねるユーザー像に、半ば強制的に自分を同化させてしまう。
また、2ちゃん用語のようなネットスラングを理解したいという気持ちが同化に拍車をかける。
そして、彼らの考え方が自分の頭の中に流れてくる。
批判すること。匿名性故に「批判」が生まれ、その「批判」こそが自らの面白いと思える部分、すなわち本能的な知的欲求を満たしてくれる。
といったような体験をわかりやすく、俯瞰的に、社会学的に説明してくれる本。
既得権批判は若者を追い込むし、既に追い込まれた若者たちは既得権を批判する。
矢沢永吉がインタビューで「首相が管さんに変わっても同じ。みんなで批判してつぶすだけ」というようなことを言っていた。
オシム監督がいうところの「考えるサッカー」。
幼い頃から枠にはめられ、「ディシプリン漬け」になってしまった日本人。
批判ではなく、今を楽しみたい。
分析に分析を重ね、最後のほうはちょっと読み飛ばしたくなるような気持ちに苛まれたが、
あとがき部分で大いに救われた。RadioheadのKID Aのような構成の本。
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サブカル・ニッポンの新自由主義: 既得権批判が若者を追い込む (ちくま新書 747) 新書 – 2008/10/1
鈴木 謙介
(著)
生き方のルールが変わった!
「闘い続けること」を求める新自由主義。
そのルーツをたどり、生き延びるための術を探究する。
「闘い続けること」を求める新自由主義。
そのルーツをたどり、生き延びるための術を探究する。
- 本の長さ238ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2008/10/1
- ISBN-104480064540
- ISBN-13978-4480064547
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商品の説明
著者について
鈴木謙介(すずき・けんすけ)
1976年生まれ。東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。現在、国際大学グローバルコミュニケーションセンター研究員。理論社会学を専攻。社会学や政治哲学の見地から、インターネットや若者文化を鋭く分析する。TBSラジオ「文化系トークラジオLife」ではメイン・パーソナリティを務める。著書に『カーニヴァル化する社会』(講談社現代新書)、『ウェブ社会の思想』(NHKブックス)、『<反転>するグローバリゼーション』(NTT出版)、共著に『わたしたち消費』(幻冬舎新書)、『文化系トークラジオLife』(本の雑誌社)などがある。
1976年生まれ。東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。現在、国際大学グローバルコミュニケーションセンター研究員。理論社会学を専攻。社会学や政治哲学の見地から、インターネットや若者文化を鋭く分析する。TBSラジオ「文化系トークラジオLife」ではメイン・パーソナリティを務める。著書に『カーニヴァル化する社会』(講談社現代新書)、『ウェブ社会の思想』(NHKブックス)、『<反転>するグローバリゼーション』(NTT出版)、共著に『わたしたち消費』(幻冬舎新書)、『文化系トークラジオLife』(本の雑誌社)などがある。
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2008/10/1)
- 発売日 : 2008/10/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 238ページ
- ISBN-10 : 4480064540
- ISBN-13 : 978-4480064547
- Amazon 売れ筋ランキング: - 594,843位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年3月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は社会学、政治学、サブカルのある程度の知識がないと読むのがつらい。私はある程度のある程度ぐらいしか知識がなかったので内容の5分の1ぐらいしか理解できませんでした。
既得権の再分配の問題点を指摘するところは大いに刺激的でした。
既得権の再分配の問題点を指摘するところは大いに刺激的でした。
2009年6月10日に日本でレビュー済み
「新自由主義とはいったい何なのか。なぜ私たちはそれを否定していたはずが、いつの
間にかそれに賛成する側に回ってしまうのか。……第1章では、日本の若年雇用問題を
めぐる『既得権批判』のロジックについて検討する。……第2章では、海外での『既得権
批判』を取り上げる。……第3章では、既得権批判のメカニズム分析を踏まえた上で、
いよいよ『新自由主義』そのものの検討に移る」。
他のレヴューが言及するように、そもそも「新自由主義」の定義があまりに曖昧、
ネオリベとリバタリアニズムさえ混同している、というほどにはひどくはないとはいえ。
メインカルチャー/サブカルチャーの区別さえももはや効力を失った現状で「サブカル・
ニッポン」を語るとき、そこで含意される「サブカル」とは何なのか、そこも大いに疑問。
もっと言えば、「ニッポン」の自明性すら怪しい。
オピニオンをふんだんに盛り込むのはいいのだけれども、きちんと消化しきれていない
印象がぬぐえず、筆者の論旨を非常に見えづらくしている感がある。一定の方法論に
従って学術的に展開している、とも称し難い。
実存などというしょうもない神話をまだ語るのか、と興ざめさせられるところもある。
既得権について言えば、失われた10数年を通じての逸失GDPが500兆とも1000兆とも
囁かれる中で、自己責任はどこへやら、バブル期よりも上の世代は自らの失策のツケを
支払うどころか、経済成長ベースの年功序列賃金を鈍感にも享受し続け、己の貧弱な
経験論と精神論に固執する結果、先進国中最低のホワイトカラー労働効率を実現。
富の偏在を改善するどころか、年金や医療をめぐる卑しきタカリ体質に至っては何をか況や。
これでは収支が釣り合わないから、と一方で若年層に渡るのは絞りカスとしての貧弱なパイ、
同一労働同一賃金どころか、正社員といえども事実上、マイナスにしか作用しないインセンティヴで
能力給を騙られる(このことを典型的に示すのが公務員の世代間の賃金および待遇格差、
並びに世代構成分布)。かつてのように社会が主体となって豊かになろう、などと動機づけを
与えることができない以上、モチヴェーションは基本的に個人へと帰属せざるを得ない。
結果として、経営者はめでたく若者にやりたいことをやらせてあげる偉人として自らを洗脳する。
構造を見通す才のない出来損ないが設計した労働環境なのだから当然に劣悪、
下を見ればキリがなく、デイトレードの一発逆転など数学的には無謀……
よほどのバカでもない限り、これほどまでに不合理な既得権モデルが長く存続しえないこと、
つまりこの恥ずべき利益をたとえもらいたくてももらえないことなど熟知している(終身雇用への
願望を見る限りそんな輩が多いようだが、過剰速度の経済にどうやって対応しようというのか。
リーマンショックに際してモノづくり再興を語るバカに至ってはもはや論外)。
そしてまた同時にこの上なき皮肉、私たちが日々生き続けることがこのシステムの存続に
大いに寄与してしまっていることも。
要するに、ロスジェネ(笑)の視点からすれば、既得権益を「寄越せ」というスタンスで関わろうと
する限り、氏の指摘するねじれが生じざるを得ない(だって、それはゼロサムゲームで誰に貧乏クジを
引かせるか、という問題でしかなくて、ネオリベもへったくれもないのだから)。そうではないのだ。
ゲームの条件を変えること、プレイヤーとプレイの環境を入れ替えること、つまり、それを享受している
連中(≒概ね40歳以上のすべての人間)がまとめて消え去ってくれることを志向すべきなのだ。
「失われ」るべきはあなたたちでしょ、というこの一分の隙もない正論。
シェアから排除へ、とまさにネオリベ的で、これこそ百利あって一害なしのすばらしい処方箋だと
思うのだけれども、さて。
間にかそれに賛成する側に回ってしまうのか。……第1章では、日本の若年雇用問題を
めぐる『既得権批判』のロジックについて検討する。……第2章では、海外での『既得権
批判』を取り上げる。……第3章では、既得権批判のメカニズム分析を踏まえた上で、
いよいよ『新自由主義』そのものの検討に移る」。
他のレヴューが言及するように、そもそも「新自由主義」の定義があまりに曖昧、
ネオリベとリバタリアニズムさえ混同している、というほどにはひどくはないとはいえ。
メインカルチャー/サブカルチャーの区別さえももはや効力を失った現状で「サブカル・
ニッポン」を語るとき、そこで含意される「サブカル」とは何なのか、そこも大いに疑問。
もっと言えば、「ニッポン」の自明性すら怪しい。
オピニオンをふんだんに盛り込むのはいいのだけれども、きちんと消化しきれていない
印象がぬぐえず、筆者の論旨を非常に見えづらくしている感がある。一定の方法論に
従って学術的に展開している、とも称し難い。
実存などというしょうもない神話をまだ語るのか、と興ざめさせられるところもある。
既得権について言えば、失われた10数年を通じての逸失GDPが500兆とも1000兆とも
囁かれる中で、自己責任はどこへやら、バブル期よりも上の世代は自らの失策のツケを
支払うどころか、経済成長ベースの年功序列賃金を鈍感にも享受し続け、己の貧弱な
経験論と精神論に固執する結果、先進国中最低のホワイトカラー労働効率を実現。
富の偏在を改善するどころか、年金や医療をめぐる卑しきタカリ体質に至っては何をか況や。
これでは収支が釣り合わないから、と一方で若年層に渡るのは絞りカスとしての貧弱なパイ、
同一労働同一賃金どころか、正社員といえども事実上、マイナスにしか作用しないインセンティヴで
能力給を騙られる(このことを典型的に示すのが公務員の世代間の賃金および待遇格差、
並びに世代構成分布)。かつてのように社会が主体となって豊かになろう、などと動機づけを
与えることができない以上、モチヴェーションは基本的に個人へと帰属せざるを得ない。
結果として、経営者はめでたく若者にやりたいことをやらせてあげる偉人として自らを洗脳する。
構造を見通す才のない出来損ないが設計した労働環境なのだから当然に劣悪、
下を見ればキリがなく、デイトレードの一発逆転など数学的には無謀……
よほどのバカでもない限り、これほどまでに不合理な既得権モデルが長く存続しえないこと、
つまりこの恥ずべき利益をたとえもらいたくてももらえないことなど熟知している(終身雇用への
願望を見る限りそんな輩が多いようだが、過剰速度の経済にどうやって対応しようというのか。
リーマンショックに際してモノづくり再興を語るバカに至ってはもはや論外)。
そしてまた同時にこの上なき皮肉、私たちが日々生き続けることがこのシステムの存続に
大いに寄与してしまっていることも。
要するに、ロスジェネ(笑)の視点からすれば、既得権益を「寄越せ」というスタンスで関わろうと
する限り、氏の指摘するねじれが生じざるを得ない(だって、それはゼロサムゲームで誰に貧乏クジを
引かせるか、という問題でしかなくて、ネオリベもへったくれもないのだから)。そうではないのだ。
ゲームの条件を変えること、プレイヤーとプレイの環境を入れ替えること、つまり、それを享受している
連中(≒概ね40歳以上のすべての人間)がまとめて消え去ってくれることを志向すべきなのだ。
「失われ」るべきはあなたたちでしょ、というこの一分の隙もない正論。
シェアから排除へ、とまさにネオリベ的で、これこそ百利あって一害なしのすばらしい処方箋だと
思うのだけれども、さて。
2009年7月5日に日本でレビュー済み
「カーニヴァル化する社会」は大きな視点で社会を見つめた著作で、
その若さも含めて驚かされた鈴木謙介。
そういう意味では本作の期待値は高い。
本書では、鈴木氏は新自由主義を総括した。
でっかいテーマ、その構想の大きさが面白い。
終盤の結論に関して2点、
どうしても疑問が残った。
鈴木氏の見解が知りたいと思った。
一つ目。
メインテーマは新自由主義の人間疎外状態を乗り越える解決手段として、
オタク(=サブカル)を提示しているのだが、
それって「カリフォルニアン・イデオロギー」のヒッピー+ハッカー(という集団)と同様に、
いずれ既得権益集団になっていくのじゃないだろうかという疑問。
二つ目。
ジモトが癒しシェルターとして機能するのは、
いわゆるヤンキーであって、
ジモトに所属できない、ジモトと切り離された沢山の人々(オタクもこっち側だと思う)の存在をどう見るのか。
その辺りの見解がほしかった。
続編、期待です。
その若さも含めて驚かされた鈴木謙介。
そういう意味では本作の期待値は高い。
本書では、鈴木氏は新自由主義を総括した。
でっかいテーマ、その構想の大きさが面白い。
終盤の結論に関して2点、
どうしても疑問が残った。
鈴木氏の見解が知りたいと思った。
一つ目。
メインテーマは新自由主義の人間疎外状態を乗り越える解決手段として、
オタク(=サブカル)を提示しているのだが、
それって「カリフォルニアン・イデオロギー」のヒッピー+ハッカー(という集団)と同様に、
いずれ既得権益集団になっていくのじゃないだろうかという疑問。
二つ目。
ジモトが癒しシェルターとして機能するのは、
いわゆるヤンキーであって、
ジモトに所属できない、ジモトと切り離された沢山の人々(オタクもこっち側だと思う)の存在をどう見るのか。
その辺りの見解がほしかった。
続編、期待です。
2009年5月14日に日本でレビュー済み
本書の内容は、著者の定義するところの「新自由主義」な思想に
現代は侵されており、それをサブカルによって克服しよう!というような
内容である。
のだが、立論が適当としか思えないというか、言葉の使い方が意図的なのか?
と思うほど、曖昧かつ自由というか、何か明示されていない大前提を元に本書の
内容は論じられているような気がする。
タイトルの「新自由主義」なるもの自体も定義が曖昧で、新自由主義なるものは既得権と
いうものに対するスタンスが特徴で、それがどのような理由において発生しているか、という
ような説明や定義付けはなされるものの、実際に提示された具体例が、前段の説明や定義
とは異なっている…少なくとも、同様のものであると断じ得る根拠は薄弱と感じた。
そういうわけで私にはもはや、既得権に反感を覚えるもの=新自由主義者位の理解しかしよう
がなく、それならそれで別段構わないのだが、著者の定義づけでは明らかに狭い範囲の人間や
思想を示唆しているのでワケが解からない。
現代は侵されており、それをサブカルによって克服しよう!というような
内容である。
のだが、立論が適当としか思えないというか、言葉の使い方が意図的なのか?
と思うほど、曖昧かつ自由というか、何か明示されていない大前提を元に本書の
内容は論じられているような気がする。
タイトルの「新自由主義」なるもの自体も定義が曖昧で、新自由主義なるものは既得権と
いうものに対するスタンスが特徴で、それがどのような理由において発生しているか、という
ような説明や定義付けはなされるものの、実際に提示された具体例が、前段の説明や定義
とは異なっている…少なくとも、同様のものであると断じ得る根拠は薄弱と感じた。
そういうわけで私にはもはや、既得権に反感を覚えるもの=新自由主義者位の理解しかしよう
がなく、それならそれで別段構わないのだが、著者の定義づけでは明らかに狭い範囲の人間や
思想を示唆しているのでワケが解からない。
2008年10月19日に日本でレビュー済み
若手の社会学者によるサブカル論、いや、格差論というべきか。どういうロジックでこの2つのテーマを結ぶのか興味があったが、要約すれば、
・既得権への挑戦は結局強者と弱者と言う画一的価値観の域を出ないものだ。
・それを防ぐのは、ジモト的価値観やサブカル的スタンスだろう。
というマルチチュード的流れ。それなりに面白く読めた。
が、右から左までの論文を引っ張り出しているため、そもそも新自由主義の定義が非常に曖昧。ほとんど全ての改革が“新自由主義”とされたら立つ瀬がない。くわえて、後半の論議は一気に社会学ヲタクっぽさが全開で、相当読み手を選ぶと思う。サブタイの方に惹かれて手に取った人はついていけないのではないか。まあ若いので期待を混めて座布団四枚。
・既得権への挑戦は結局強者と弱者と言う画一的価値観の域を出ないものだ。
・それを防ぐのは、ジモト的価値観やサブカル的スタンスだろう。
というマルチチュード的流れ。それなりに面白く読めた。
が、右から左までの論文を引っ張り出しているため、そもそも新自由主義の定義が非常に曖昧。ほとんど全ての改革が“新自由主義”とされたら立つ瀬がない。くわえて、後半の論議は一気に社会学ヲタクっぽさが全開で、相当読み手を選ぶと思う。サブタイの方に惹かれて手に取った人はついていけないのではないか。まあ若いので期待を混めて座布団四枚。
2008年12月8日に日本でレビュー済み
1・2章では日本の広義での新自由主義の歴史を紐解いていき既得権批判の構造を明らかにしていく。また、韓国の事情と比較したりと新自由主義についての知識・データの羅列が延々と続く・・・のだが、1・2章がまるで教科書や資料を読んでるようで疲れる。
三章になってようやくサブカルを相互承認の場、もしくは声をあげる足場として利用しようという筆者の主張が見えてくるのだが、そんなに斬新な主張とは思えないような。
出てくる具体例もニコニコ動画とかで乏しいし・・・。
新書なんだから、もっと初学者向けでひとつの読み物として面白いと思わせるよう工夫するべきだったのでは。
新自由主義について詳しくなりたい人は、1・2章を。そして1・2章を読んでて「結局何が言いたいんだ」と投げ出したくなった人は、飛ばして3章から読んでみることをオススメしたい。
三章になってようやくサブカルを相互承認の場、もしくは声をあげる足場として利用しようという筆者の主張が見えてくるのだが、そんなに斬新な主張とは思えないような。
出てくる具体例もニコニコ動画とかで乏しいし・・・。
新書なんだから、もっと初学者向けでひとつの読み物として面白いと思わせるよう工夫するべきだったのでは。
新自由主義について詳しくなりたい人は、1・2章を。そして1・2章を読んでて「結局何が言いたいんだ」と投げ出したくなった人は、飛ばして3章から読んでみることをオススメしたい。
2008年10月11日に日本でレビュー済み
他人の著作や発言からの引用が多いうえ、その引用先も右派左派問わず新自由主義に否定的なものが多いので、著者が新自由主義をどう考え、何を求めているのかがさっぱりわかりません。著者曰く、思想の本であり、社会分析の本だとの事ですが、新自由主義の分析よりも、自由とは何なのか?という本になっていますので、若者をかえって追い込むだけだと思います。