私たちは、限りある地球を食い潰す勢いで、誰もが消費する生活を続けています。
それぞれの人々は何かを信じてそうしていますが、その「信じていること」を、改めて見つめ直し、互いを認め合いながら自由を維持する社会を創らなければ、地球上の人々の自由も命も危なくなります。
日本語でこの本を読めることはとてもありがたいですが、この本の内容は、世界中で役立つ知見を示しているので、様々な国や地域で、活かされることを強く願います。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
人間の未来: ヘーゲル哲学と現代資本主義 (ちくま新書 765) 新書 – 2009/2/1
竹田 青嗣
(著)
格差の拡大、資源・環境の限界...。
現代の難問に哲学が挑む。
現代の難問に哲学が挑む。
- ISBN-104480064710
- ISBN-13978-4480064714
- 出版社筑摩書房
- 発売日2009/2/1
- 言語日本語
- 本の長さ310ページ
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
抜粋
...わたしとしては、世界と人間の構造について抜本的に考え直し、現代社会がもつ本質的な困難を本気で克服しようとする気概をもつ新しい世代に、哲学が示してきた「原理」をもう一度徹底的に吟味しなおしてほしいと思う......
著者について
竹田青嗣(たけだ・せいじ)
現在、早稲田大学教養学部教授。哲学・文芸批評。主な著書に『現象学入門』(NHKブックス)、『はじめての現象学』(海鳥社)、『言語的思考へ』『近代哲学再考』(以上、径書房)、『ニーチェ入門』『現象学は<思考の原理>である』(以上、ちくま新書)、『自分を知るための哲学入門』『意味とエロス』(以上、ちくま学芸文庫)、『人間的自由の条件』(講談社)、『ハイデガー入門』(講談社選書メチエ)などがある。
現在、早稲田大学教養学部教授。哲学・文芸批評。主な著書に『現象学入門』(NHKブックス)、『はじめての現象学』(海鳥社)、『言語的思考へ』『近代哲学再考』(以上、径書房)、『ニーチェ入門』『現象学は<思考の原理>である』(以上、ちくま新書)、『自分を知るための哲学入門』『意味とエロス』(以上、ちくま学芸文庫)、『人間的自由の条件』(講談社)、『ハイデガー入門』(講談社選書メチエ)などがある。
About this Title
...ãããã¨ãã¦ã¯ãä¸çã¨äººéã®æ§é ã«ã¤ãã¦ææ¬çã«èãç´ããç¾ä»£ç¤¾ä¼ããã¤æ¬è³ªçãªå°é£ãæ¬æ°ã§å
æãããã¨ããæ°æ¦ããã¤æ°ããä¸ä»£ã«ãå²å¦ã示ãã¦ãããåçããããä¸åº¦å¾¹åºçã«åå³ããªããã¦ã»ããã¨æã......
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2009/2/1)
- 発売日 : 2009/2/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 310ページ
- ISBN-10 : 4480064710
- ISBN-13 : 978-4480064714
- Amazon 売れ筋ランキング: - 522,157位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 492位ドイツ・オーストリアの思想
- - 945位西洋哲学入門
- - 1,695位ちくま新書
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2019年11月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2015年12月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
竹田氏の哲学を述べた書なのだが、特にルソー、ヘーゲルを中心に大きな物語を喪失し、混迷する現代をいかに修正していくか、近代の原点に立ち返って考えなおそうという趣旨である。
ルソー、ヘーゲルは資本主義経済が大きく発展する手前で考えられた哲学であり、資本主義経済を展開していくことになる市民社会の原理や成り立ちを考察した。その後世界的に経済が発展したことは事実なのだが、同時に負の側面も明らかとなってきており、低成長下では格差拡大や、新・帝国主義的な諸国の対立というその負の側面ばかりが目に付く。その中で、マルクス、ポストモダンといった反哲学ではなく、もういちど近代市民社会の原理を明らかにした哲学に立ち戻ろうということなのである。
正直、新書で読むとは思えない本格的な論考であり、歯ごたえがあった。またヘーゲル、ルソー、カントなどの哲学を読んでみたいと思い、現在「精神現象学」にチャレンジしてみている。
ただ一点、マルクスを正当に評価されていないのが残念である。マルクスこそが「労働力の商品化」により始まった資本主義経済の原理を解明したし、それは現代でも有効であると思うのだが、竹田氏はソ連邦の崩壊でマルクスの意義が失われたと思われているような記述をしている。これは講座派の影響だろうか?宇野派のマルクス解釈を理解されていれば、このような誤解はされないと思う。
そのため星は4点とした。
ルソー、ヘーゲルは資本主義経済が大きく発展する手前で考えられた哲学であり、資本主義経済を展開していくことになる市民社会の原理や成り立ちを考察した。その後世界的に経済が発展したことは事実なのだが、同時に負の側面も明らかとなってきており、低成長下では格差拡大や、新・帝国主義的な諸国の対立というその負の側面ばかりが目に付く。その中で、マルクス、ポストモダンといった反哲学ではなく、もういちど近代市民社会の原理を明らかにした哲学に立ち戻ろうということなのである。
正直、新書で読むとは思えない本格的な論考であり、歯ごたえがあった。またヘーゲル、ルソー、カントなどの哲学を読んでみたいと思い、現在「精神現象学」にチャレンジしてみている。
ただ一点、マルクスを正当に評価されていないのが残念である。マルクスこそが「労働力の商品化」により始まった資本主義経済の原理を解明したし、それは現代でも有効であると思うのだが、竹田氏はソ連邦の崩壊でマルクスの意義が失われたと思われているような記述をしている。これは講座派の影響だろうか?宇野派のマルクス解釈を理解されていれば、このような誤解はされないと思う。
そのため星は4点とした。
2018年4月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ヘーゲル、資本主義、ポストモダン思想について一般的な思い込みを覆してくれ、また、わかりやすくおもしろい。「プラトン入門」もいいよ。
2017年2月6日に日本でレビュー済み
『人間の未来』 というと、何か予言めいたものが書かれているのかと思ってしまいますが、
「予言」 というよりは、きわめて広い意味での 「提言」 であり、その基準となるテーマは
「自由」 と 「経済」 です。 具体的には、
①近代哲学が問題にしてきた 「自由」 の概念の突き詰め と、
②行き詰まったかに見える現在の資本主義についての考察 です。
まず、ホッブズに始まり、ルソー、ヘーゲルと続く、近代における 「自由」 についての
考え方を分かり易く解説しています。
続いて 「経済」 に対する考え方としては、社会主義の登場と社会主義の予測に
反した発展を見せた資本主義の経緯について解説した後、結局私たちは資本主義を
捨てるわけにはゆかず、これをうまく制御していくことが大切なのだと説いています。
環境問題にまで言及していますが、具体的な経済対策にまでは触れてません。
ベルンシュタインが旗を振って、19世紀の終わりに修正社会主義という考え方が
生まれましたが、1世紀余り経って、資本主義も、そうした修正をするべき段階に
来たのかもしれません。
私たちは歴史の最末端を生き、過去の歴史の試行錯誤を大観できる位置にいるかの
ように錯覚しがちですが、実は、 「試行錯誤」 の真っ只中にいるのだということを
感じさせてくれる本。 歴史は進行中なのです。
サブプライムに揺れ、原発について激論を交わし、テロ対策に追われる私たちも、
100年後の歴史の教科書では歴史の迷走者として載ることになるのでしょうか...。
「予言」 というよりは、きわめて広い意味での 「提言」 であり、その基準となるテーマは
「自由」 と 「経済」 です。 具体的には、
①近代哲学が問題にしてきた 「自由」 の概念の突き詰め と、
②行き詰まったかに見える現在の資本主義についての考察 です。
まず、ホッブズに始まり、ルソー、ヘーゲルと続く、近代における 「自由」 についての
考え方を分かり易く解説しています。
続いて 「経済」 に対する考え方としては、社会主義の登場と社会主義の予測に
反した発展を見せた資本主義の経緯について解説した後、結局私たちは資本主義を
捨てるわけにはゆかず、これをうまく制御していくことが大切なのだと説いています。
環境問題にまで言及していますが、具体的な経済対策にまでは触れてません。
ベルンシュタインが旗を振って、19世紀の終わりに修正社会主義という考え方が
生まれましたが、1世紀余り経って、資本主義も、そうした修正をするべき段階に
来たのかもしれません。
私たちは歴史の最末端を生き、過去の歴史の試行錯誤を大観できる位置にいるかの
ように錯覚しがちですが、実は、 「試行錯誤」 の真っ只中にいるのだということを
感じさせてくれる本。 歴史は進行中なのです。
サブプライムに揺れ、原発について激論を交わし、テロ対策に追われる私たちも、
100年後の歴史の教科書では歴史の迷走者として載ることになるのでしょうか...。
2009年2月28日に日本でレビュー済み
近代国家の「本質」を肯定的に捉えながら(普遍ルール社会)、現に直面する問題〜環境問題(温暖化)、資源問題、格差問題に向かうための思想的スタンスを論じるコンパクトながら、内容の濃い好著。また、「現代」社会批判として或る意義を持ったマルクス主義やポストモダン思想の過誤(国家や資本主義の現状批判と本質の取り違え)を示し、改めて本当の問題は何か、どういうスタンスで立ち向かうべきかを描いている。各思想への理解は公平で、経済学や環境問題へも資料を渉猟する幅の広さには驚嘆したい。ヘーゲルの哲学、とくに「法の哲学」と「精神現象学」を駆使しながら、如上のテーマを論じるのだが、前著「人間的自由の条件」のリライト的な面もあって、より分かりやすく練り上げられている。3点問題点を挙げると、ひとつは、ルソーの「一般意志」を高く評価しているが、これはラッセルが正しく、「社会契約論」を読めば分かるように、「一般意志」は直感的で理念的でありすぎ、思想の「基礎」と置くには無理がある。著者はヘーゲルの思想の中枢を「相互承認」に求めているが、キリスト教信仰やヘーゲル哲学体系などの外枠が想定されているところでは「相互承認」は、まだ分かりやすいが、そのような根拠が無い現代の世界で、話し合いで「相互承認」は達成可能なのか、心もとない。「誰にでも明らかな根拠をあげて」説明すれば、意見が相反しても「批判可能」であり故に、最低限の合理性があって、進歩の可能性があると言っている様で、その点はハーバーマスに似ているが、ハーバーマスのように発語内行為を維持しながら合意へと展開させる「方法論」も著者には無い。「明確な根拠」とやらは簡単でない場合も多い。二つ目の問題点は、資本主義の経済問題には言及しても、ウェーバーやフランクフルト学派が展開した「合理化」問題が圏外に置かれている。「合理化」と「資本主義」の結びつきは、広義の官僚制問題を生んでおり、これが、多くの「支配」や「権力」の温床となって、「相互承認」とは無縁の展開を現実社会に強いていることも事実だ。最後に著者は「ゲーム」と言う言葉を使うが、「ゲーム」は終わりがあるし、参加不参加の自由がある。が、現実は「閉じて」おらず、不参加や敗北は生存の喪失を意味する深刻さがある。容易に「相互承認」に至らない所以だ。「ゲーム」という用語はヴィトゲンシュタインからのものだろうが、また「ゲーム理論」という古い経済学の研究分野もあるので、その辺りへの通気孔としての配慮もあるが、こういった分野は全部世間知らずの失敗作の分野で、せっかくヘーゲルや現象学に通暁した著者が関わるべきことではないと思える。
2009年2月22日に日本でレビュー済み
『人間的自由の条件』のエッセンスを最近の経済的危機の情況に鑑みて味付けした、その意味ではコンパクトにして親切な本ではある。
特に著者自身の主張を、他の論者の考えとしっかり対比させ、キー概念を繰り返し言葉を変えて懇切丁寧に説明してるあたり、大変好感が持てる。
ホッブス、ルソー、ヘーゲルが提示した近代国家、近代社会、資本主義の理念は、乗り越えられるものではなく、マルクスもポストモダン思想も、その基礎のうえに立った現状批判であり、相対主義であったというのが、大まかな著者の主張だ。
「自由の相互承認」による普遍消費の「ゲームルール」社会。その基礎たる資本主義社会は、絶対的な前提である、ということを意を尽くして解説される。読了後、しかし、そのゲームルールも「自由の相互承認」も、「普遍消費」さえ、全然実現されず、明日の生命をもままならない多くの人々が世界に、日本に溢れているのだがなあという感想を持つ。
竹田の言う理念としては、哲学思想としてはという物言いがわからぬではないし、理論の重要さをわかっているつもりではあるが、結局政策的には社民的にやるしかないということか?
修正主義の一種だなこれは。
自由のその後という問題構成もある。小林慶一郎という官僚出身の経済学者が、えらく荒っぽい思想問題を提起したものだ(『逃避の代償』)。「自由というものの虚しさにどう耐えるか」というテーマで、経済学的な考察の後に、突然のように置かれた終章だった記憶がある。
しかし、繰り返すが、竹田的自由は現在ますます窒息しかかっているのだがなあ!!!
(これでは、本書を読めていないとのお叱りを受けるでしょうな)
特に著者自身の主張を、他の論者の考えとしっかり対比させ、キー概念を繰り返し言葉を変えて懇切丁寧に説明してるあたり、大変好感が持てる。
ホッブス、ルソー、ヘーゲルが提示した近代国家、近代社会、資本主義の理念は、乗り越えられるものではなく、マルクスもポストモダン思想も、その基礎のうえに立った現状批判であり、相対主義であったというのが、大まかな著者の主張だ。
「自由の相互承認」による普遍消費の「ゲームルール」社会。その基礎たる資本主義社会は、絶対的な前提である、ということを意を尽くして解説される。読了後、しかし、そのゲームルールも「自由の相互承認」も、「普遍消費」さえ、全然実現されず、明日の生命をもままならない多くの人々が世界に、日本に溢れているのだがなあという感想を持つ。
竹田の言う理念としては、哲学思想としてはという物言いがわからぬではないし、理論の重要さをわかっているつもりではあるが、結局政策的には社民的にやるしかないということか?
修正主義の一種だなこれは。
自由のその後という問題構成もある。小林慶一郎という官僚出身の経済学者が、えらく荒っぽい思想問題を提起したものだ(『逃避の代償』)。「自由というものの虚しさにどう耐えるか」というテーマで、経済学的な考察の後に、突然のように置かれた終章だった記憶がある。
しかし、繰り返すが、竹田的自由は現在ますます窒息しかかっているのだがなあ!!!
(これでは、本書を読めていないとのお叱りを受けるでしょうな)
2010年11月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
愚息が全体主義についての読書会をやるなどと言うております。愚息の友人が法学にはどうしても興味がわかないと言うているらしいのであります。そんなとき、オヤジは何の因果かこの本を読んでいたのであります。これですよ!これ。アーレントとか、ハイエクとか、シュミットとか読む前にこれを読めと、言うてやりました。高校生でも知っているホッブスから話を始め「普遍闘争」からルソーの「一般意思」へ、そしてヘーゲルの「自由の相互承認」による「普遍ルール社会」へと、竹田説によれば必然的に進む道筋を明快に指し示してくれます。おい!進歩史観かよ!ヘーゲル、マルクスだからな。と相対主義者のように言いそうになりますが、一瞬そう思うのはやはり、オヤジの身に染み付いたかつてポストモダンかぶれの、ひねくれ偽知識人たる所以でしょう。竹田説では、この相対主義思想も、とっくにヘーゲルの言っていた(もとの命名はプラトンだそうですが)イロニーであると、わずか8ページで説明し去ります。快速特急にのった気分になりますね。哲学史の快速解説本はいくつもありますが、(誤解のないように書いておきますが、決してこの本は近代哲学の快速解説本ではありません)哲学を研究する者としてではなく、まず自ら哲学をしようと言う意気込みのなかに、ヘーゲルが組み込まれているといった形を取っているので、読書ノートをつけながら読むような必要はありません。
それにしても、ヘーゲルの「法の哲学」ってこんなすごいこと書いてあったんだ。それだけでも、オヤジの勉強になりました。
それにしても、ヘーゲルの「法の哲学」ってこんなすごいこと書いてあったんだ。それだけでも、オヤジの勉強になりました。
2009年11月24日に日本でレビュー済み
学園闘争が終った1970年頃、マルクス主義関連の本、またこれらとセットになっていた実存主義関連の本が書店から消えました。生活に明け暮れし、それでも思想というものを手放すまいとしたひとの多くを捕えたのが、フランスから来たポストモダンの思想だったと思います。でもそれは、過去の思想も歴史も国家もひたすら否定していくニヒリズム、簡単に言うと「どうせ・・・でしかない」という冷笑的態度でした。著者はこのような態度をやめようと言います。同時に著者は、マルクス主義に代表されるような堅固なイデアリズムの運動も否定します。そして、それでもなお「人間の未来」に向ってたゆまず前進しようと言います。「・・・でなければならぬ」の時代も「どうせ・・・でしかない」の時代も終って、我々は新しい地平に立っています。吉本隆明の「共同幻想論」と別れられます。再びマルクスを読むことができます。