慣れ合いのコミュニティ的つながりが人間の個人としての意識を弛緩させ、逆にコミュニティの外にある者への想像力を奪い、排他的な社会を生み出している、だから、人間は何よりも社会においては公人であるべきだというのが、著者の主張だと思われる。
それは分かるのだが、だからこそ次のような著者の言葉には違和感を覚える。
「私が申したいのは他者とのつながりは「社会をつくる自由」を優先し、家族とのつながりは「コミュニティ」を優先させればよいというものだ」(本書198頁)
コミュニティ的人間関係にも問題はあるかもしれないが、家族主義の弊害も無視はできないのではないか。家族関係を中心とするコミュニティ的なつながりが、良くも悪くも社会生活に多大な影響を及ぼしていることを知らぬ者はないはず。そこには目をつぶって、仲良しコミュニティはダメ、家族はよい、と主張しても、説得力はないように思う。保守系知識人がいかにもいいそうなことを、手際よくまとめただけのように見えてしまう。
ただし、著者は本書の205頁において、京都で何百年も続く家系の出身であると書いておられる。そうした既得権に基づく見解ということであれば、本書に首肯できる。

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社会をつくる自由: 反コミュニティのデモクラシー (ちくま新書 773) 新書 – 2009/3/1
竹井 隆人
(著)
- ISBN-104480064753
- ISBN-13978-4480064752
- 出版社筑摩書房
- 発売日2009/3/1
- 言語日本語
- 本の長さ206ページ
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2009/3/1)
- 発売日 : 2009/3/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 206ページ
- ISBN-10 : 4480064753
- ISBN-13 : 978-4480064752
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,283,164位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2010年5月10日に日本でレビュー済み
政治は、どんな場面で必要になるのか
……真っ正面から聞かれたときに、みなさんには答えがあるだろうか?
政治の存在自体が自明すぎて、考えたことがないというのが、本当なのだけど
実は、無批判に、「仲間うちの予定調和」で済ましている。
著者は、まっこうから「仲間うち」の”合意形成”に異議を唱える。
序章の書き出しを読むだけで、従来の「政治」を学んだ人には、受け入れがたい描像に戸惑うに違いない。
政治の原点を、マンションの管理組合に求め、
そこに実在する「直接民主制」を合意形成の基本原理にし、1単位(ミニ国家)とする、といっている。
外の社会に向けては、そのミニ国家が、互いに緊張を保ち、時々の状況に応じ関係を結ぶ
……そんな描像なのだ。
マンションの管理組合には、〜多少の近所づきあいがあるにしても〜普通は、「他人=他者」どうしが偶然にも集まってできてくる。つまり、その内部についても、「内なる他者」どうしが、緊張を保ちながら、合意を形成していく。
「空気が読めない」と言われようが、互いに正しいと考えることを、自らの責任の範囲で主張しあい、合意へ持っていく……。
言われてみれば、それこそが「議会制民主主義」の原点だ、と改めて気付かされる。
が、どうしたことだろう。これだけラジカルでハードボイルドな「政治」像を提示しながら、原点とするべき規範を、「家族」や「伝統」に求めるという、アクロバットめいた大転換が、同じ本の途中で起きてしまう。前半を読んでいたら、「コモン・ロー」などに規範を求めると思ってしまうのに。
故に、本の後半では、いつのまにか「内なる他者」の存在が、希薄になってしまう。
なぜ、前半の主張を徹底できないのか?
そもそも、「内なる他者」と呼ぶ「他者」をアイマイにしているのは、なぜか?
……言い換えれば、政治は「誰までを含んで」行う必要があるのか?
非常に残念なのだが、政治論としては、未完成なまま、この本は終わってしまう
著者自身の問題であると同時に、
読者にとっても、しっかり考え直す必要があるだろう。
『ここにいう「政治」は、”誰が”加わることで達成できるのか』を。
……真っ正面から聞かれたときに、みなさんには答えがあるだろうか?
政治の存在自体が自明すぎて、考えたことがないというのが、本当なのだけど
実は、無批判に、「仲間うちの予定調和」で済ましている。
著者は、まっこうから「仲間うち」の”合意形成”に異議を唱える。
序章の書き出しを読むだけで、従来の「政治」を学んだ人には、受け入れがたい描像に戸惑うに違いない。
政治の原点を、マンションの管理組合に求め、
そこに実在する「直接民主制」を合意形成の基本原理にし、1単位(ミニ国家)とする、といっている。
外の社会に向けては、そのミニ国家が、互いに緊張を保ち、時々の状況に応じ関係を結ぶ
……そんな描像なのだ。
マンションの管理組合には、〜多少の近所づきあいがあるにしても〜普通は、「他人=他者」どうしが偶然にも集まってできてくる。つまり、その内部についても、「内なる他者」どうしが、緊張を保ちながら、合意を形成していく。
「空気が読めない」と言われようが、互いに正しいと考えることを、自らの責任の範囲で主張しあい、合意へ持っていく……。
言われてみれば、それこそが「議会制民主主義」の原点だ、と改めて気付かされる。
が、どうしたことだろう。これだけラジカルでハードボイルドな「政治」像を提示しながら、原点とするべき規範を、「家族」や「伝統」に求めるという、アクロバットめいた大転換が、同じ本の途中で起きてしまう。前半を読んでいたら、「コモン・ロー」などに規範を求めると思ってしまうのに。
故に、本の後半では、いつのまにか「内なる他者」の存在が、希薄になってしまう。
なぜ、前半の主張を徹底できないのか?
そもそも、「内なる他者」と呼ぶ「他者」をアイマイにしているのは、なぜか?
……言い換えれば、政治は「誰までを含んで」行う必要があるのか?
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著者自身の問題であると同時に、
読者にとっても、しっかり考え直す必要があるだろう。
『ここにいう「政治」は、”誰が”加わることで達成できるのか』を。