内容的には、本書に書いてある考え方は非常に興味深いです。正義や平等といった倫理観を数学的な命題として表現し、その考えが公理として成立するかということを検証している本です。経済の本というよりは“倫理数学”といったイメージでしょうか。
「あとがき」によると筆者は、正義を検証せずに受け入れる姿勢に対する疑問を若いときに持ったようです。数学というツールを手に入れることにより、その「正義」や「公正」を検証できるようになったということがわかります。数学を入れると味気ない気もしますが、独善や不毛な論争を防ぐ上で非常に重要な考えでしょう。ただ、難しいので、決して寝転がって読める本ではないです。
一点減点は明らかにタイトルと内容が一致していないから。タイトルだけ見るとすぐに実生活に使えそうな印象を持ちますが、内容が数学的に複雑で、一般生活で役立つことはないでしょう(「足し合わせられない確率」を使って物事を考える人はまずいない)。あと、経済学といってもかなり原理的な「公理」の話なので、世の中の経済の動きをちょっと勉強しようか、と思って本書をとった人はかなり面食らうかもしれません。
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使える!経済学の考え方: みんなをより幸せにするための論理 (ちくま新書 807) 新書 – 2009/10/1
小島 寛之
(著)
- ISBN-104480065091
- ISBN-13978-4480065094
- 出版社筑摩書房
- 発売日2009/10/1
- 言語日本語
- 本の長さ238ページ
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2009/10/1)
- 発売日 : 2009/10/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 238ページ
- ISBN-10 : 4480065091
- ISBN-13 : 978-4480065094
- Amazon 売れ筋ランキング: - 558,427位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,766位ちくま新書
- - 55,043位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1958年、東京生まれ。東京大学理学部数学科卒業。同大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士。帝京大学講師を経て、同大学准教授。宇沢弘文に 師事し、数理経済学、環境経済学、意思決定理論を専門とする経済学者として旺盛な研究・執筆活動を行うかたわら、数学エッセイストとして活躍。中高生向け の入門書から高度な学術書まで多くの著書を持つ。日本ペンクラブ会員。著書多数(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 無限を読みとく数学入門 世界と「私」をつなぐ数の物語 (ISBN-13: 978-4044091026)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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2010年5月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アルフレッド・マーシャルが経済学の研究には、人間愛と冷静な思考
cool head but warm heartが必要といったそうです。
本書は、経済学の中心的テーマの一つである、人間社会の幸福・自
由・平等について、経済学的なアプローチの有効性を、数学的な方法
を通じて、考察した本です。それも多分初等的な方法を使って。
著者によれば、人間や社会の幸福・自由・平等を論じるとき、人々は
(経済学者も)ともすれば、気持ちや感情が先走って、しばしば、論理
的でない思考に陥るものなので、少なくとも、形式論理的な正しさを
常に要求する数学を使ってみるのが有効であろう、というのです。
成果は抜群ですね。
1章の「正義をどう考えるか」のところで、幸福の基準によくつかわれる
ベンタムの「最大多数の最大幸福」をとりあげて、これを、経済学の教科
書のはじめに出てくる限界効用逓減の法則と社会的効用関数を用いて
数学的に(公理的に)証明するピグーの理論を解説しています。
感情(正義感)や予断によるのではなく、一見殺風景で、形式的な、数学
的論理だけで、功利主義を説明しています。
2章以下は、この「正義」の問題を発展させた、ハルサーニ、セン、ギル
ボア、ロールズの理論が、丁寧に、現代経済学史風に語られていて、じつ
に面白いところです。
6章では、ケインズの「期待」概念、つまり市場の不安定さの問題が検討
されます。貨幣についてのケインズの真の考え、また確率が計算できない
「真の不確実」が議論されます。
最後の章では、5章までに論じられた、幸福、平等、自由についての、人々
のいろいろな(特定の)考え方が、どのように形成されてくるかの、論理的な
検討がなされます。
初めのほうには、ミクロ経済学の入門風の書き方も見られますが、全体に、
先端研究の紹介がされており、学生時代のミクロ、マクロ(しか)読まない
当方シニアにとっては、実に刺激的な、専門書だと思いました。
ああ、長いばかりで、本書の真の「面白さ」を、表現できないのですが、のっ
ぺらぼうな入門書だけでなく、こういう本こそ、高校生に読んでもらいたいで
すね。
cool head but warm heartが必要といったそうです。
本書は、経済学の中心的テーマの一つである、人間社会の幸福・自
由・平等について、経済学的なアプローチの有効性を、数学的な方法
を通じて、考察した本です。それも多分初等的な方法を使って。
著者によれば、人間や社会の幸福・自由・平等を論じるとき、人々は
(経済学者も)ともすれば、気持ちや感情が先走って、しばしば、論理
的でない思考に陥るものなので、少なくとも、形式論理的な正しさを
常に要求する数学を使ってみるのが有効であろう、というのです。
成果は抜群ですね。
1章の「正義をどう考えるか」のところで、幸福の基準によくつかわれる
ベンタムの「最大多数の最大幸福」をとりあげて、これを、経済学の教科
書のはじめに出てくる限界効用逓減の法則と社会的効用関数を用いて
数学的に(公理的に)証明するピグーの理論を解説しています。
感情(正義感)や予断によるのではなく、一見殺風景で、形式的な、数学
的論理だけで、功利主義を説明しています。
2章以下は、この「正義」の問題を発展させた、ハルサーニ、セン、ギル
ボア、ロールズの理論が、丁寧に、現代経済学史風に語られていて、じつ
に面白いところです。
6章では、ケインズの「期待」概念、つまり市場の不安定さの問題が検討
されます。貨幣についてのケインズの真の考え、また確率が計算できない
「真の不確実」が議論されます。
最後の章では、5章までに論じられた、幸福、平等、自由についての、人々
のいろいろな(特定の)考え方が、どのように形成されてくるかの、論理的な
検討がなされます。
初めのほうには、ミクロ経済学の入門風の書き方も見られますが、全体に、
先端研究の紹介がされており、学生時代のミクロ、マクロ(しか)読まない
当方シニアにとっては、実に刺激的な、専門書だと思いました。
ああ、長いばかりで、本書の真の「面白さ」を、表現できないのですが、のっ
ぺらぼうな入門書だけでなく、こういう本こそ、高校生に読んでもらいたいで
すね。
2013年6月29日に日本でレビュー済み
昔 学生時代に勉強した経済学と現代の経済学は大きく変化、進化したという印象をもってはいたが、この本を読んでその内容がすこしわかった感じがした。そして幸福とか社会的厚生、正義というものとのかかわりが優しく説明されている。それでもわからないところがいくつかあるが。センやアカロフの議論が身近なものに感じられる。ケインズの面白さ、奥深さも知ることができた。
2013年12月4日に日本でレビュー済み
正義とは、公正とは、平等とは、自由とは・・・といった問題を数理的に捉える研究を「優しく」紹介する。小島さんはご自身がこういった分野の専門家であるせいもあるが、「経済厚生に関わる数理的研究成果」というテーマの説明の巧みさ(特に、どこまでをどの程度まで説明するかという線引きセンスのよさ)は本当にすばらしい。後半のケインズの説明はひきこまれた。
曰く・・・
モノの交換価値の尺度については、アダム・スミス、リカード、マルクスなどにより労働価値説(投入された労働量の大きさに基づく価値尺度)が発展していく。また、商品の価値を決めるのは賃金、利潤、地代などの生産にかかる費用であるとする(生産費説)。この伝統的な考え方に対して、消費者がその消費で感じる主観的効用が商品に価値を与えるという考え方が登場する。100円のジュースを4缶消費するが5缶目は買わない場合、5缶目は100円に値しないといえる。モノのその人にとっての価値は、最後の1単位が与える限界効用である。1缶目〜4缶目までには100円以上の満足感があったが、5缶目からは限界効用が逓減した結果、100円以上の満足が得られなくなる。
(1)限られた財の消費から得られる消費者それぞれ効用を足しあわせたものが最大になるほどよい社会(最大多数の最大幸福)であり(2)すべての人の効用関数は同一であり(3)限界効用逓減の法則が成り立つ、と仮定をするともっとも良い社会とは完全平等配分の社会、ということになる(ベンサム&ピグーの定理)。お金持ちが貧乏人に1万円を移転したとき、金持ちの幸福減少度(効用の減少度)よりも貧乏人の幸福増加度(効用の増加度)の方が大きいのでこういう移転は社会をよくする、というロジック。所得移転が社会を良くする、というロジックは金額ベースの議論では成り立たないが(1万円を移転してもただのゼロサムゲームなので)、効用関数による「幸福」を基準とするとこのような所得移転は論理化される。この議論のバックボーンには「功利主義」がある。功利主義とは「ある行為が正しいかどうかは、それが人類の幸福を増進したかどうかに立脚する」という考え方。全体幸福を最大限に増加させた社会がよい社会。
期待効用基準とは、ある事象が生じた時の嬉しさ(効用)×確率の合計値。確率的事象の「値そのもの(金額とか)」から求める期待値とは異なり、その事象の効用(嬉さ度)を基準としている。くじを引くことは期待値としては合理化できないが、期待効用基準をベースとした議論なら合理化可能。わずかな確率であってもその事象が生じることによる嬉しさ(効用)が絶大なら、少々のくじ購入費の投入(による喪失感)を超える期待効用基準となる。くじをひく魅力が少々のくじ購入費をそのまま使わないで保持する魅力を上回る、といえる。ハルサーニは、社会を構成する全員に関する期待効用の和を最大化するのがよい社会、とすることでピグーの(2)の仮定を不要化した。ハルサーニの議論は、生まれる直前の人がどの人に生まれるかはわからないが、誰として生まれるかわからないという「くじ」を想定し、それぞれの可能性について得られる期待効用基準にもとづき、社会構成員全員の期待効用基準の和を最大化する社会がよい社会である、というもの。
以上のような功利主義的思想をアマルティア・センは批判する。センは、達成される成果のみに注目するのではなく、選択肢の広さ(自由度)も考慮すべきと主張。たとえば、障害者は健常者と同じ財を与えられても、その限界効用(財を使いこなして得られる満足)は健常者よりも低い。功利主義の原則によれば、最大多数の最大幸福を達成するために財は健常者に優先配分した方がよいという結論になる。センは、社会のよさは、財の特性を効用の実現へと変換するための機能(潜在能力)がどれだけ与えられているか、を念頭におくべきという。つまり、機能の多様性(自由)を重視。センは、潜在能力がどれだけ保証された社会かをみるために、平均余命や児童死亡率、識字率、高等教育率などのパラメータを例示している。
ジョン・ロールズは「正義論」で(1)他人の自由と両立する限りもっとも広範な自由を有し(2)社会的経済的不平等が許容されるとしてももっとも不遇な人の利益を最大限に高めるべき(かつ、機会均等は保証すべき)、という2つの正義の原理を提示する。功利主義の場合、奴隷制度社会において、奴隷使用者の効用が、奴隷の苦痛よりも大きいとき奴隷制度が是認されてしまう、と批判している。公正を保持するためには競争が不可欠であり、それが自由を保証するが、それは誰かが犠牲になる社会でもある。このような競争敗者は、自己責任の敗者ではなく自由を担保するための必然的敗者なのであるから、そういった犠牲者に社会が救済の手を差し伸べることは不公正ではない、という問題認識がある。そして、生命や健康といった自然基本財、自由、富、職に就く権利といった社会的基本財の総合概念「基本財」に欠ける人が「最も不遇な人」とする。生まれ落ちる前のなんの情報ももたない人間が望むのは、不運によって基本財が欠けることに関して十分に補償される社会。
貨幣は本来、モノを取引するための約束事にすぎない。ケインズは、貨幣を保有することそのものから効用を得る、という状態を想定する。こうなると価格調整メカニズムがうまく働かず商品の供給余り・貨幣価値の上昇となり、デフレになる(貨幣と全商品の価値関係の変化)。リンゴやオレンジといった商品から得られる効用が貨幣保有の効用を上回らなければ、購買行動が生じない。商品には限界効用逓減の法則があるが、貨幣にはない(いくら持っていてももっと欲しくなる特殊なもの)。貨幣保有から得られる効用とは、「流動性(モノを買うタイミングや何を買うかという選択権・自由度)」である。流動性とは時間を買うことであり、貨幣は時間の流れを通じて購買力を飲み込み供給余りを引き起こす。ケインズは流動性の効用のことを「月への欲望」と呼んでいる。地球にないもの(月)に購買力が向かうと、地上のモノは余ってしまう。流動性という抽象的な欲望の代替品として人々は貨幣を持つ。流動性は貨幣に憑依するとは限らない(ゴールド、石油・・・)。ゆえに日銀紙幣量をコントロールするだけでは不況を解消できない(流動性がゴールドや外貨に憑依すると金融政策は不可能になる)。流動性が石油などのモノに向かうのなら少なくとも労働が活性化されるという面はあるが。生産力が拡大し、特定のモノがあまり欲しくない豊かな社会になると、月への欲望が需要を減らし、不況が生まれる(小野善康)。もう一つありうるのは将来不安であり、不況が将来不安を生み、それが貨幣執着をひきおこす。
市場というのは協力の達成によって実現される。このような協力がどこもかしこも壊れてしまったのが不況(小島説)。
などなど。
曰く・・・
モノの交換価値の尺度については、アダム・スミス、リカード、マルクスなどにより労働価値説(投入された労働量の大きさに基づく価値尺度)が発展していく。また、商品の価値を決めるのは賃金、利潤、地代などの生産にかかる費用であるとする(生産費説)。この伝統的な考え方に対して、消費者がその消費で感じる主観的効用が商品に価値を与えるという考え方が登場する。100円のジュースを4缶消費するが5缶目は買わない場合、5缶目は100円に値しないといえる。モノのその人にとっての価値は、最後の1単位が与える限界効用である。1缶目〜4缶目までには100円以上の満足感があったが、5缶目からは限界効用が逓減した結果、100円以上の満足が得られなくなる。
(1)限られた財の消費から得られる消費者それぞれ効用を足しあわせたものが最大になるほどよい社会(最大多数の最大幸福)であり(2)すべての人の効用関数は同一であり(3)限界効用逓減の法則が成り立つ、と仮定をするともっとも良い社会とは完全平等配分の社会、ということになる(ベンサム&ピグーの定理)。お金持ちが貧乏人に1万円を移転したとき、金持ちの幸福減少度(効用の減少度)よりも貧乏人の幸福増加度(効用の増加度)の方が大きいのでこういう移転は社会をよくする、というロジック。所得移転が社会を良くする、というロジックは金額ベースの議論では成り立たないが(1万円を移転してもただのゼロサムゲームなので)、効用関数による「幸福」を基準とするとこのような所得移転は論理化される。この議論のバックボーンには「功利主義」がある。功利主義とは「ある行為が正しいかどうかは、それが人類の幸福を増進したかどうかに立脚する」という考え方。全体幸福を最大限に増加させた社会がよい社会。
期待効用基準とは、ある事象が生じた時の嬉しさ(効用)×確率の合計値。確率的事象の「値そのもの(金額とか)」から求める期待値とは異なり、その事象の効用(嬉さ度)を基準としている。くじを引くことは期待値としては合理化できないが、期待効用基準をベースとした議論なら合理化可能。わずかな確率であってもその事象が生じることによる嬉しさ(効用)が絶大なら、少々のくじ購入費の投入(による喪失感)を超える期待効用基準となる。くじをひく魅力が少々のくじ購入費をそのまま使わないで保持する魅力を上回る、といえる。ハルサーニは、社会を構成する全員に関する期待効用の和を最大化するのがよい社会、とすることでピグーの(2)の仮定を不要化した。ハルサーニの議論は、生まれる直前の人がどの人に生まれるかはわからないが、誰として生まれるかわからないという「くじ」を想定し、それぞれの可能性について得られる期待効用基準にもとづき、社会構成員全員の期待効用基準の和を最大化する社会がよい社会である、というもの。
以上のような功利主義的思想をアマルティア・センは批判する。センは、達成される成果のみに注目するのではなく、選択肢の広さ(自由度)も考慮すべきと主張。たとえば、障害者は健常者と同じ財を与えられても、その限界効用(財を使いこなして得られる満足)は健常者よりも低い。功利主義の原則によれば、最大多数の最大幸福を達成するために財は健常者に優先配分した方がよいという結論になる。センは、社会のよさは、財の特性を効用の実現へと変換するための機能(潜在能力)がどれだけ与えられているか、を念頭におくべきという。つまり、機能の多様性(自由)を重視。センは、潜在能力がどれだけ保証された社会かをみるために、平均余命や児童死亡率、識字率、高等教育率などのパラメータを例示している。
ジョン・ロールズは「正義論」で(1)他人の自由と両立する限りもっとも広範な自由を有し(2)社会的経済的不平等が許容されるとしてももっとも不遇な人の利益を最大限に高めるべき(かつ、機会均等は保証すべき)、という2つの正義の原理を提示する。功利主義の場合、奴隷制度社会において、奴隷使用者の効用が、奴隷の苦痛よりも大きいとき奴隷制度が是認されてしまう、と批判している。公正を保持するためには競争が不可欠であり、それが自由を保証するが、それは誰かが犠牲になる社会でもある。このような競争敗者は、自己責任の敗者ではなく自由を担保するための必然的敗者なのであるから、そういった犠牲者に社会が救済の手を差し伸べることは不公正ではない、という問題認識がある。そして、生命や健康といった自然基本財、自由、富、職に就く権利といった社会的基本財の総合概念「基本財」に欠ける人が「最も不遇な人」とする。生まれ落ちる前のなんの情報ももたない人間が望むのは、不運によって基本財が欠けることに関して十分に補償される社会。
貨幣は本来、モノを取引するための約束事にすぎない。ケインズは、貨幣を保有することそのものから効用を得る、という状態を想定する。こうなると価格調整メカニズムがうまく働かず商品の供給余り・貨幣価値の上昇となり、デフレになる(貨幣と全商品の価値関係の変化)。リンゴやオレンジといった商品から得られる効用が貨幣保有の効用を上回らなければ、購買行動が生じない。商品には限界効用逓減の法則があるが、貨幣にはない(いくら持っていてももっと欲しくなる特殊なもの)。貨幣保有から得られる効用とは、「流動性(モノを買うタイミングや何を買うかという選択権・自由度)」である。流動性とは時間を買うことであり、貨幣は時間の流れを通じて購買力を飲み込み供給余りを引き起こす。ケインズは流動性の効用のことを「月への欲望」と呼んでいる。地球にないもの(月)に購買力が向かうと、地上のモノは余ってしまう。流動性という抽象的な欲望の代替品として人々は貨幣を持つ。流動性は貨幣に憑依するとは限らない(ゴールド、石油・・・)。ゆえに日銀紙幣量をコントロールするだけでは不況を解消できない(流動性がゴールドや外貨に憑依すると金融政策は不可能になる)。流動性が石油などのモノに向かうのなら少なくとも労働が活性化されるという面はあるが。生産力が拡大し、特定のモノがあまり欲しくない豊かな社会になると、月への欲望が需要を減らし、不況が生まれる(小野善康)。もう一つありうるのは将来不安であり、不況が将来不安を生み、それが貨幣執着をひきおこす。
市場というのは協力の達成によって実現される。このような協力がどこもかしこも壊れてしまったのが不況(小島説)。
などなど。
2009年10月9日に日本でレビュー済み
まるで教養科目の経済学講義を聞いているような、よくまとまった本である。
議論をわかりやすく単純にしつつも、一定の数理的厳密さを保った説明がわかりやすい。
直観的には明白な主張であっても、必ずそこに数理的裏付けを求める、という本書の姿勢には好感がもてる。
(これは、「自由」とか「平等」とか「公正」といった「誰もが追求すべき理想だと思ってはいるが、曖昧でよく分からないところのある概念」を数学的に扱うのが経済学の使命だ、という作者の経済学観によるものなのだろう。)
既存の学説を解説するだけでなく、作者自身の研究領域と関係づけつつ今後の課題について触れているところも良心的で、まさに新書のお手本だと言ってもいいだろう。
ただし、本書でキーとなる「ショケ期待値」についてはもう少し詳細かつ簡明な解説が欲しかったように思える。
議論をわかりやすく単純にしつつも、一定の数理的厳密さを保った説明がわかりやすい。
直観的には明白な主張であっても、必ずそこに数理的裏付けを求める、という本書の姿勢には好感がもてる。
(これは、「自由」とか「平等」とか「公正」といった「誰もが追求すべき理想だと思ってはいるが、曖昧でよく分からないところのある概念」を数学的に扱うのが経済学の使命だ、という作者の経済学観によるものなのだろう。)
既存の学説を解説するだけでなく、作者自身の研究領域と関係づけつつ今後の課題について触れているところも良心的で、まさに新書のお手本だと言ってもいいだろう。
ただし、本書でキーとなる「ショケ期待値」についてはもう少し詳細かつ簡明な解説が欲しかったように思える。
2011年11月20日に日本でレビュー済み
私事、経済学においては、何を前提にそんな論理が成り立つのか、という疑問に感じることが少なくなかった。そんな中本書では、ピグー、ハルサーニ、セン、ギルボア、ロールズ、ケインズ、といった学説について、理論とこれ唱える学者の背景がバランス良く説明されている。
そして最後章で、筆者自身の経験に基づく学歴社会に関連した矛盾等が記述されている。ここまで読んだとき、まえがきの「よい社会とはどういう社会なのか」という読者に対する疑問を投げかけた理由が見えてくるだろう。
そして最後章で、筆者自身の経験に基づく学歴社会に関連した矛盾等が記述されている。ここまで読んだとき、まえがきの「よい社会とはどういう社会なのか」という読者に対する疑問を投げかけた理由が見えてくるだろう。
2016年6月8日に日本でレビュー済み
自由や公平、幸福、正義、市場社会の安定などを経済学的に見る、即ち数学的に議論することの有効性を述べた本。筆者曰く、「数学の抽象性はものごとの本質だけを抽出するという長所を備えている」「わたしたちが生の現実をそのまま眺めるだけでは、決して、そこに潜在する法則に気づくことができない」読む価値あり、である。
2010年3月2日に日本でレビュー済み
この本は,まず,「自由」や「平等」や「幸福」が経済学的(数理的)にどのように解釈されてきたか説明し,次にその理論的な解釈から,「どうすれば自由・平等・幸福が達成されるか」まで踏み込んで論証しようとしている本です。文章中で実際に多くの数式が紹介されており(縦書きなので多少見にくいのですが),その数式の構成から解釈,応用可能性まで盛りだくさんで紹介しています。
読んでいて著者の「自由」や「平等」や「幸福」への魂を感じる本です。このように強い「問題意識」を出発点として書かれた本ですので,議論が向かう先もブレがなく,終始一貫しているスタイルには好感が持てます。
星がひとつ足りないのは,タイトルの「使える!」というものに若干違和感を覚えるからです。この本で取り上げられているテーマは,身近なものであるとはいえ,「自由」や「平等」や「幸福」といった抽象的なものですので,それを「数理経済学的にどう裏付けるのか知りたい」等という動機を持った方なら確かに「使える!」でしょうが,日常生活の様々な場面に応用できる知識として「使える!」というわけではないなと感じました。
読んでいて著者の「自由」や「平等」や「幸福」への魂を感じる本です。このように強い「問題意識」を出発点として書かれた本ですので,議論が向かう先もブレがなく,終始一貫しているスタイルには好感が持てます。
星がひとつ足りないのは,タイトルの「使える!」というものに若干違和感を覚えるからです。この本で取り上げられているテーマは,身近なものであるとはいえ,「自由」や「平等」や「幸福」といった抽象的なものですので,それを「数理経済学的にどう裏付けるのか知りたい」等という動機を持った方なら確かに「使える!」でしょうが,日常生活の様々な場面に応用できる知識として「使える!」というわけではないなと感じました。